向谷匡史

Profile

1950年広島県生まれ。拓殖大学卒業後、週刊誌記者を経て作家になる。人間を鋭くとらえた観察眼と切れのある語り口が特徴的。近年は仏教の教えをわかりやすく解説することを中心に執筆活動を展開している。日本空手道「昇空館」館長も務める。『人はカネで9割動く』( ダイヤモンド社)『名僧の一喝』(すばる舎)、『一瞬で心をつかむプロの「決めゼリフ」』 (青志社)など著書多数。
公式ホームページ
http://www.mukaidani.jp/

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果報は『寝たふりをして』待て



向谷匡史氏: 例えば本を書きたいなとか本を発表したいなと一生懸命頑張ったって、だめなものはだめ。反対に、うまくいくものは放っておいてもうまくいく。安藤昇さんという元ヤクザで、僕がよく可愛がってもらっているんだけど、彼がよく言うのは「果報は寝たふりをして待て」と。

――寝て待て、ではないんですね。


向谷匡史氏: それは「追いかけるな」という意味なんだろうけど、チャンスが来た時にそれを捕まえなくちゃだめだという事ですね。努力をしているというのは、うまくいかなかったらそこに焦りが生まれるから、努力をしているとは思わないようにする。どんどん話が転がるけど(笑)、もう亡くなってしまったある会長さんが、よく言っていたのが「人間努力するようじゃ、生き方を間違ってるよ」という言葉でした。

――どういう意味なんでしょうか?


向谷匡史氏: だって、努力して遊ぶ奴はいないって言うんですよ。これは非常に逆説的な言い方だけど、「頑張る」という事は実はそれはあなたにとっては無理している、という事だと。そうすると方法は2つに分かれる。やらないか、あるいは「面白いんだ」という風に自分をごまかしていくか、どっちかですね。だから努力するようじゃだめだよと。
4、5年前になるけど、週刊女性で『運の履歴書』っていう連載をやった事があるんですよ。それで『夢はかなう』っていう本になったんだけど、文化人とかタレント・芸能人に何で今日があるのか、どこかに何か運があるんじゃないかって(笑)。それをインタビューで解明しようというのをやった事があるんですが、やっぱり皆さん「あの時」というのがありますね。それは努力しての「あの時」ではなくて、頑張って頑張って「ああ、もうどうしようもないな」って何かを放り投げた時に、何かひょっと成就してるというのは感じます。

人生を変えた『あの時』とは


――先生ご自身の「あの時」っていうのは?


向谷匡史氏: 僕はね、親友がお兄さんと住んでいたんです。お兄さんがその当時婦人生活社にいて、のちに主婦と生活社の編集の役員になって、今青志社という出版社を興している人なんですが、そこの友達のうちに夜遊びに行った。2階に外階段のあるアパートで、それでパッパッと上がったら留守だった。それで「しょうがねえな」と思って階段を下りたら、入れ違うようにして駆け上がっていった人がいて、僕がノックした部屋と同じ部屋をノックしたんです。それで舌打ちしながら下りてくるから「今そこを訪ねられたんですか?僕は弟の友達なんです」って言ったら「じゃあ飲みに行こうか」と誘われた。その人がやっぱり婦人生活社の先輩の方で、そこから色々な人を紹介されたんです。彼の人脈で週刊漫画を紹介してもらったり。だから僕があの時階段で彼とすれ違わなかったら、違う人生を歩んでいたかもしれない。だけどそうやって人生って変わっていくものだという事ですね。それは意図してできる事じゃないから。

――それはすごい運命の転換期ですね。


向谷匡史氏: どこかで人生が変わるかもしれないというのをやっぱり持っておいた方がいいと思います。前に7つで後ろに3つぐらい、そういうのを受け入れる…新しい人生が来た時に受け入れるためのものを持てるかどうか。半分空白を持って、「ここは何か次に来たものをしまうための引き出しですよ」と持っておくと、やっぱり色々な人に会うのも楽しいし毎日楽しいし、うまくいけば7つの方に乗っていけますよ、開くとここに3つありますよっていう、その空白が持てるかどうかが大事なんでしょうね。だからよく言う「絶対値」を求める人、「かくあらねばならない」とか「私はこういう人生を歩みたいんだ」という人と、ある現状の中で自分が一番ハッピーなものを求めていく人と、2つあるという事ですよね。という事は、山の中に住んでも楽しいと思えるか、マンションとかに住んでも楽しいと思えるのか、そうじゃなくて「やっぱりマンションに住まなきゃだめだ」と思うのか、「マンションもいいよ」「山の中もいいよ」、置かれた状況の中で一番楽しいものを見つけていくかという2つの生き方があるんだけど、やっぱり僕は後者で、ある現状の中で一番楽しいものを求めていく方がいいと思う。だって人生っていうのはそういう「常ならず」で変わっていくものだから、「私はまっすぐ行きたい」と言ったっていかないんだから(笑)。

生きる事が『苦』なら、むしろ毎日を楽しくする工夫を



向谷匡史氏: でも日々はステップの連続だから、それは1つ1つが大事な事なんですよね。その時の価値っていうのはよく言うように、先に行かなきゃわからない。人生だって日々刻々わからない訳だから。その日をどう面白がるかっていう事が大事なんじゃないでしょうか。仏教というのは、生まれてくる事を「苦」と捉えるという、生きる事が「苦」という捉え方をするんですけれど、それを「四苦八苦」と言って、つまり生まれた時から死に向かっていく訳だから、それは本来苦しい訳ですよ。という事はそこから僕は考えたんだけれど、生まれてくる事が苦しいのであれば、世の中にそう面白い事はないだろうと。スタートが苦しいんだから。という事は面白がるしかないなと。女の子が番茶も出花で18、9で、箸が転んでも笑うという、あれでなきゃだめだろうなと、いくつになってもね。失敗したら「面白かったな」と思うか、成功したら「面白かったな」と思うか。尾を引かないという、ドジを踏んだら酒の席で笑い話になるような捉え方をしていかないと苦しい事ばっかりだから、だから失敗を喜んだ方がいいよね。失敗のエピソードが多ければ多いほど、実はハッピーなんだというような。それを深刻に「ああ失敗したからどうしよう」と思うからおかしくなるんですよ。

――先生の中でも、今でも「あれをこうしておけば良かったな」なんていう事は?


向谷匡史氏: ない、というか締め出しちゃいますね。デジタル的にものを考える感じです。よく新幹線でも飛行機でも時刻表が「パタパタパタ」って変わるじゃない、あれをよくイメージするんですよ。昨日のことは「パタッ」って忘れちゃう。「パタパタパタ」って(笑)。アナログでいくと見えるから、デジタルで「パッパッパッ」って。

――先ほどのミキサーもそうですけれど、何かに例えてイメージされるのですか?


向谷匡史氏: イメージして忘れちゃうんです。ページをめくるように。書き損じたらすぐめくる。ちゃんとこう言い聞かせていけば習慣になるから。

――色々な方にお会いして色々なお話を聞けるっていうのは楽しいですね。


向谷匡史氏: いい事でしょう。色々な人がいてね、それぞれの世界で良くも悪くもやってきた人だし。でも、千人いれば千人が千通りの考え方を持っているんです。僕は人物ものっていうのをずいぶん何年もやってきたんです。事件ものっていうのは人が10動くのを20動けばいい記事が書けるんです、取材箇所が多ければ多いほどね。でも人物ものはそうはいかない、1対1のオール・オア・ナッシングだから。丁半博打みたいなものですよ、「半か丁か」って言って、「半」って言って「丁」が出たらそのインタビューはうまくいかない。人物の1対1のインタビューはそうはいかない。それは相性だったり、色々な事がある。「丁か半か」で勝負するからね、それを面白いと思うかどうかですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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