今ある現状の中で自分が一番ハッピーなものを求めていく。それが面白く人生を生きる秘訣である
拓殖大学卒業後、週刊誌記者を経てベストセラー作家になった向谷匡史さん。『人はカネで9割動く』(ダイヤモンド社)や、『図解 ヤクザの必勝心理術』(イースト・プレス)などユニークな著書を多数執筆されています。また作家であると同時に、浄土真宗本願寺派僧侶、保護司、日本空手道『昇空館』館長などいくつもの顔をお持ちの向谷さんに、読書について、電子書籍について考える事などをお伺いしました。
執筆後には、読経、午後5時からは道場で空手のけいこをつける毎日
――普段のご執筆のスタイルを伺えますか?
向谷匡史氏: 5分ぐらいの所に自宅があるんですが、そこで仕事をしたり、白子(千葉県長生郡)にも仕事部屋を借りています。また、ノートPCも持ち歩いていてそれで書いたりもします。でも資料を持って歩くのは大変ですね。執筆用のデータは全部共有しているけれど、資料の共有はなかなかできないのが悩みの種です。今書いているものは、全てインターネット上の保管スペースに上げて同期しているので、どこに行っても書き続けられるんです。
――原稿はパソコンで執筆されるんですか?
向谷匡史氏: 執筆にはPCを使います。こういう風なスタイルになってもう長いですね。パソコンを始めてからだから、15年近くになります。その前はワープロ。フロッピーの時代だとフロッピーを持ち歩いたりしていました。毎日のスケジュールですが、年間通して同じです。1年間を通して5、6冊書くので、その原稿を書きながら、空手の道場でのけいこが週4日ある。朝大体5時前に起きて、7時ぐらいまでちょっと原稿を家で書いて、一応僧籍を持っているのでその後お経を上げて、それから風呂に入って、仕事場へ来て、道場が始まるまで仕事をする。5時から9時まで道場での指導があって、100人ぐらいいるので、分けないとできない(笑)。3コマに分けてやって、それが4日間。そんな感じですね。
――お弟子さん100人は、どういった方が来られるんですか?
向谷匡史氏: 幼児クラスから、一番上がいくつだろう、82歳くらいまでいるのかな。82歳の方は黒帯ですね。
執筆は助走なしで、すぐに取りかかる癖をつける
――ちなみに、執筆される時の導入はどうされるのですか?
向谷匡史氏: 最初にコーヒーを飲みます。
――すぐに書きはじめられるものですか?
向谷匡史氏: 脳科学者の茂木さんが、昔「助走をしない癖をつけろ」というような事を言っていたのを、読んだ事がありまして。それで、即執筆にかかる練習をしています。楽は楽です。起きてニュースをネットで見たりしていると、頭のどこかで書かなきゃいけないという気持ちはあるけれど、「もうちょっと見てから」とか「あと5分してから」とか、そういうのが疲れるから先に書いてしまうという事でしょうね。
――そうは言っても、なかなか一般人には真似のできないことですよね。
向谷匡史氏: 習慣だから。コツは続ける事です。何事も何回か続ければ習慣になる。一番いいのは、例えばずっと忙しい事があるとします。そういう時に、ジュースを作るミキサーで、野菜を詰めてグーンと回すとずーっと中身が減っていく。あれをイメージするといい。あとは雪をバーッとかくラッセル車。あの車をイメージすると大体いい気分になります。一度やってみたらいいですよ(笑)。
――学生時代の読書体験をお話しいただけますか?
向谷匡史氏: 高校1年の時に、尾崎士郎の『人生劇場』(新潮社)という本を読んで非常に感銘を受けました。コップ酒、茶わん酒で冷酒を飲んで青春を語っていくような、「あれいいなあ、あの世界いいなあ」と思った。それからですね、本が好きになったのは。学生時代は絶えず何か読んでいたような気がします。もう乱読。有名な本多勝一さんとか旅行物をよく読んでいた気がします。将来そういうジャンルを書こうと思っていたからじゃないでしょうか。
漫画雑誌のライターから競馬記者、そして週刊ポストへ
――ご自身で執筆されるようになったのは、どういうきっかけでしょうか?
向谷匡史氏: 大学4年の時に、僕はもう家内と一緒に暮らしていたので、何か仕事をしなくちゃまずいと思ったんですね。4年生の12月ぐらいに月刊誌に就職したんです。今思えばね、ちょっとパブっぽい雑誌だったんですが、そこの求人広告に応募して。その前にも『別冊週刊漫画』と言う漫画雑誌が出ていて、そこにアルバイトで1ヶ月に1本ぐらいか何か書いていました。やっぱり書いていた実績があったからなのか、あの当時で50人中1人だけ受かったんです。今思えば、おかしかったですね。それで、編集の経験なんて何もなかったけれど「できます」と言って入社してしまって、それから『編集ハンドブック』という本を買って読んだ(笑)。初めてレイアウトした時に、ゲラがすごいはみ出ていたのをいまだに覚えています。今みたいにパソコンもないから、400字詰め原稿用紙で、例えば字詰め16で何行かというのを数えたりするのはプロの人はうまかった。こうパッパッパッとね。
――では、デザインも手作業でしょうか?
向谷匡史氏: そういえばレイアウトはしていました。その時に先輩でいい人がいて、彼について仕事が終わると近くの喫茶店に行って、編集やレイアウトについて教えてもらっていました。12月にそこに就職して、4ヶ月して、その後に『内外スポーツ』という夕刊紙に転職して、競馬記者をしばらくやりました。そうしていたら、知り合いから「週刊誌の専属記者を募集しているから行かないか」とお声がかかったんです。その時は『週刊プレイボーイ』と『週刊ポスト』があったから、「どっちに行く?」と言われて「じゃあポストに行きます」と。それが大学を卒業した年の7月でしたね。
――本を執筆するきっかけはどんな事だったのでしょうか?
向谷匡史氏: 週刊誌の記者になってすぐ、初めて共著で1冊書いてはいるんですよ。それはちょっとまともなルポでした。やっぱり雑誌の記事を書いていて、雑誌というのは残らないという意識がどこかにあったんでしょう。でも本は残ると。それで書いてみたいなというのもあったと思います。
本の企画は、辛抱強く持ちまわるべき
――なかなか書きたいなと思っても、その当時は誰でも本を出せる訳ではなかったと思うのですが。
向谷匡史氏: 結局今、色々な編集者と付き合っていて思いますが、企画というのは絶対値でいい企画ってないと思っているんですよ。Aという企画があって、Bという企画があって、みんないいと思って企画を作るんだけど、要は会った編集者と価値観と感性が共有できるかどうかだけだと思います。例えばヤクザの企画、あるいは仏教の企画と色々ありますよね。仏教に興味のない人に「仏教のこれ、すごく面白いですよ」と出しても全くだめで、違う人に振ったら「ぜひやろう」という事もあります。反対にヤクザのテーマを出しても、興味ない人は「そんなの嫌だ」って言うし、面白いと思う人は「面白い」と言う。結論として、企画は色々と持ち回らないとだめだという事です。誰に合うかわからないから。そのうちお互いによく知り合ってくると、「これはどこどこ向きだ」とか「これは誰向きだ」とわかってくるんですが、そこに行くまでは辛抱強く持って行かなきゃいけない。
――では何かこのテーマで書こうかなと思ったら、「あの編集者だな」とか「あの出版社だな」と考えられるのですね。
向谷匡史氏: そういうつながりが出来上がるまでは、出会う人に「こういうのをやってみたいんだけど」と振っていかなきゃいけない。「そんなの面白くないよ」と言われてもそれは彼が面白くないと思うだけであって、別に企画が面白くない訳ではないという考え方をしなくてはいけませんね。つい「この企画はだめなのかな」と思ったりするんだけど、企画っていうのは絶対値はなくて相対的なものだから、その人と感性が共有できるかどうかという事と、何年かたって同じ企画を出したら向こうが乗ってくるという事もある。その時はだめだって言っておいて(笑)。時代背景が変わっているという事もあるし。だからやっぱり企画を持ち歩いていくというのは大事ですね。
――本だけではなくて、仕事にも言えそうですね。
向谷匡史氏: 全部同じだと思いますよ。僕は交渉術の本を書いているんですが、つきつめていけば、良くも悪くも人間関係が決めていくんです。同じ人間でも「あいつ面白いな」と言ってくれるか「ありゃしょうがねーな」と言われるか、それは相手との関係だから。だからある企画である人と組んでやっていた時、その相手の人が「この人間だからやらせてやろうと思うか、この人間だからやらせたくないと思うかという、それだけの違いだ」と。だからもし何かやるんだったら、持ち回ってください。それで全然変わってきますから。ひとつやれば次につながるという事にもなってきますし。
出版不況の今こそ、本の企画には冒険をしてほしい
――今、出版不況と言われていますが、そういう中で、本に対して二人三脚でやっていくべき出版社・編集者の役割というのは、どんな所が重要になってくると思いますか?
向谷匡史氏: 色々考え方はあるんですけれど、最近の編集者は信念がないというか。つまり出版不況と関わってくるんですけれど、つまり、今の時代、出してみて空振りできないという風潮になっているから、この企画だったらそこそこは行くんじゃないかという企画しか取らなかったり、あるいは有名著者しか回らなかったりします。現場の編集者と話していると、みんなこういうんですよ。「本が良く売れていた時代は、売れるかどうかわからないけどやってみようかという冒険ができた」と。今はそれができないと。編集会議で、営業に「どのぐらいの部数いくの?」って聞かれて、部数を明確に言えない企画は通らないそうです。売り上げ至上主義ですね。でも本って、何でもないのが超ヒットするという事もあるから、編集者が「これならいける」と自分で思うものをやるかどうかの違いだと思うんだけれど、それが会議で通らなくなってきている。だから書き手にとっても不幸ですよね。
――どうしてそんな風になっていったんでしょう。
向谷匡史氏: つまり外せないから、リスクを冒せないからです。昔は、そんなに売れないかもしれないけど、世の中にとって必要な本は出してきたし、ひょっとしたら化けるかもしれないというチャレンジ的な企画が通ってきたけれど、そういう冒険はさせなくなってきたというのを如実に感じますね。
――そうなるとどんどん先細りになりますか?
向谷匡史氏: それは何でも同じですよ、企業が研究費を削れば先細りになるだろうし、そうかと言って金がなければかけられないしという…ジレンマですよね。雑誌なんかそうだけども、売れない時は優秀な経営者というのはやっぱりお金をかけていく。売れてくると経費を絞ってくる。普通は逆のように思いますが、そうじゃないんです。売れてきたら経費を絞ってより利益を出そうとするし、売れなくなってくると取材費を出してもっとやろうとする。だから今もやっぱり冒険をした方がいいと思いますね。冒険するのを1ヵ所持っておいて、あとは手堅く行くという、二刀流で行くしかないでしょう。
自分の書棚は電子化し、アイデアは書店へ通ってひらめかせたい
――電子書籍は今までの紙の本に比べたら、コスト面でだいぶ融通が利くようになってきたんですが、電子書籍の出しやすさという可能性が出版業界にもたらす影響をどのようにお考えですか?
向谷匡史氏: 可能性はあるんじゃないでしょうか、全体の流れとして、もっとそっちに行くんだろうと思いますし。電子書籍は便利ですしね。どこでも見られるし、検索もしやすい。場所をまず取らない(笑)。ある時、書棚っていうのは見ているうちに色々なヒントが浮かんでくるから、最初は書棚を電子化するのはあんまり僕らのような作家にとってはメリットがないかなと思っていたんだけれど、書棚の背表紙を見ながら発想のヒントを得るというのであれば書店に行けばいい。何も自分の所で見る必要はないなと思いました。書店に行った方がより刺激を受けるじゃないですか。だったら自分の資料とかはファイル化して、歩いて書店に行けば健康にもなるし、その方がいいかなと最近思っています(笑)
――どうしても今、技術的に裁断してからのスキャニングしかできないのですが、本を裁断されるということはどうお考えですか?
向谷匡史氏: 切ったって何をしたって構わないですよ。僕らの仕事は書いた時点で終わっていますからね。そりゃお金を出して買った人がどうしようが、踏んづけようが何をしようがそれは勝手ですよ(笑)。
――昔と今と比べて、何か書店の変化というものを感じる事はありますか?
向谷匡史氏: やっぱり点数が多いから、狙いの本に行きつかないという事が書店ではあります。だから結局Amazonで買ってしまう、みたいな。僕は最近Amazonでしか買わないですね。便利だし、古本もあるし。書店で本を探すのは大変ですよ。だからむしろ書店での楽しみは、買おうとか探そうと思った本以外に何かぶつかるという楽しさはありますね。Amazonというのはある決めつけで検索していきますよね。書店とは違う。ぶらぶら歩きながら本を眺めているうちにひょっと目につくという面白さはきっとあると思います。偶然の出会いの場としての書店じゃないですかね。
――昔の書店はこういう所が良かったという所はありますか?
向谷匡史氏: やっぱり昔の店員の方が良くものを知っていたような気がします。何か相談すると余計な事まで教えてくれる、その本だったらこっちがこうだとか、こういう類書がありますとか。つまり、自分がこうしたいんだけど、どの本がいいでしょうかという時に、相談に乗ってくれていたような気がしますね。
これからの電子書籍の未来に思う事
――電子書籍がこれから普及していきそうですが、書き手側の意識として、何かお考えの事はありますか?
向谷匡史氏: もし僕が電子書籍を書くんだったら、あんまり意識はしないけど、たぶんセンテンスは短くなっていくんでしょうね、きっと。もっとリズミカルな感じで行くんだろうとは思います。例えばメールの文章は、分かち書きじゃないけれど、結構改行が多くて間を空けてないと読みにくい。だからあの感覚になっていくのかな。
――先生ご自身は電子書籍のご利用というのは?
向谷匡史氏: いや、してないですね。今後電子化はするし、昔の青空文庫みたいなものは読んだりします。パソコンで見ますけれど。
――紙の本の良さについてはいかがでしょうか?
向谷匡史氏: 昔そういえば先輩に言われたんです。「本は文庫がいいんだ」と。「読んでいる所を裏返しに折って、そのままポケットに入るから」って。でも紙は焼けたりするし、ほこりはたまる。やっぱり取っておくのも大変ですし。でも書き込み機能はやっぱり紙の方が早い。これはもうどうしようもないでしょう。気になる場所をチェックするのは、付せんの方が早い感じですね。
――本は本の良さ、電子書籍は電子書籍の良さがあるという事でしょうか?
向谷匡史氏: だから、どっちかという選び方をする必要がないんじゃないですか。スケートだって、競技スケートがあってフィギュアがあるみたいに。よくそういう言い方を「アンブレラ方式」って言うんだけれど。傘って持つ所が真ん中にあって、二人入れるでしょう。だからスピードスケートとフィギュアがあると同じように、両方使えばいい。電子か紙か、どっちの比重が増えていくかは今後の成り行きで、いいか悪いかで選ぶべきじゃなくてどっちのニーズが多いかで選ぶだけなのではないでしょうか。
今後は仏教小説のような、壮大なテーマに取り組みたい
――今後取り組みたいというテーマはございますか?
向谷匡史氏: 仏教小説みたいなものを書きたいという願望がありますね。小説的なもので、仏教を題材に借りたものを書いていきたいなと思っています。それは宗祖であったり、教義的なものをあるストーリーの中で語れないかなという事を考えているんですが、難しいんですよ。壮大なテーマなので、その中のどこかを切り取ってやるのかはわからないんですが、ただやってみたい(笑)。そういう試みがあんまりなされていないんですね。せいぜいあるのは遠藤周作さんの『沈黙』ぐらいで、あとは難しい本は多いけれど、エンターテインメントの中にそういう問題を含んだものはあまりない。結局医学書なんかもみんなそうだけども、専門知識があるという事と書くという事は違いますよね? 例えば、仏教学者として非常に仏教を良く知っているからといって、それはエンターテインメントにして書く事はできないし、エンターテインメントは書けるけれども仏教の教義はわからないという人は多い。両方を兼ね備えている人っていうのはまず、そうはいないんです。それは医学でも同じですよね。もっと言えば政治も同じ。どの分野だって、専門知識がある事とそれを発表するという事は全く異質の能力なんです。昔は違ったんですよ。例えばライターが少し政治を勉強したり、あるいはインタビューしたり、経済をかじって記事が書けた。でもこれだけ情報社会になってくると、受け手がもっともっと詳しくなっているから、ライターが動いて取材して書いたぐらいじゃだめなんですよ、全然。じゃあプロに書かせればいいじゃないかというと、プロは書けなかった。最近はプロでも書ける人っていうのが良くなってきたんです。そういう時代ですよね。その間に「ペアワーク」という時代があって、中身について、医者でも政治家でも書き手のプロがいて組んで仕事をするというのが一時期ちょっとあった事もありますが、これからは両方兼ね備えた人でないと、やっぱり難しくなってくると思います。
――その業界をわかっていて、かつ発表できる。そういう意味では仏教の小説というのは、向谷さんが書かれるしかないですね。
向谷匡史氏: ただ問題は、出版社と編集者の感性が「それ面白いね」と言うかどうかですね。
興味のある人じゃないと難しいし、じゃあそれが果たしてどの程度売れるのかという事になってくるとまた難しい。出会いがあればやってもいいなと思っています。
人を嫌いだと思ったら自分自身を振り返れ
――編集者、出版社の方と出会われた時に、「ああ、馬が合うな」とか「合わないな」など、何か感じるものはありますか?
向谷匡史氏: 僕はあんまりそういうのはないです。自分と合う・合わないではなくて、それを生かすかどうかの違いだけだと思います。つまり嫌いな人に会っても好きな人に会っても、いい人に会っても悪い人に会っても、年寄りに会っても若い人に会っても、それを自分がどう受け取るかだけの違いであって、あの人がどうだからこの人がどうだからというのはやっぱりちょっと違うような気がしますね。だからヤクザに会えばその事を自分にどう生かすか、僧侶に会えばその事を自分にとってどう生かすかの違いであって、「あいつ嫌だな」っていうのは評価でしかないし、それを生かしきれないだけの違いですよね。自分の問題だから。
――確かに評価してしまうと狭くなってしまいますね。
向谷匡史氏: 選ぶ必要はない。全てオールカマーでいい訳で、それをどうするかっていうだけの話です。どうしても相手に求めますよね?「あいつ、言葉遣いがどうだ」とか、「いつも何か言うと批判ばっかりする」というのは、それは違う。「ああ、こういう人もいるんだな」って「どうして自分はこの人が嫌いなのかな」と自分の内面を見ていけばいい。僕が週刊誌時代、人物ものの記事を担当する事が多かったんです。シリーズをずいぶん持っていたので。色々なタレントさんや文化人を、毎週毎週インタビューしたり密着したりする事が多かった。そういう中で、人をどう見るかという訓練をやってきたのかもしれませんね。大宅文庫の大宅壮一さんの、「人物論というのは自分を書く事だ」という名言があるんだけれど、人を見てその人を書くという事は自分を書いているんだというんです。どういう事かというと、自分の価値観で見ているという事ですよね。という事は、好き嫌いというのは自分の価値観でしかない訳だから、相手を自分がどう取り込んで、どう消化していくかだけの問題であると。相手がどうかではなく、自分の問題だと。
――それは色々な方とのお付き合いで得たものですか?
向谷匡史氏: とにかく面白いんです、人に会うって(笑)。僕は好きなんですよね、会うということが。いい人も悪い人もなくて、いいか悪いか勝手に自分が思っているだけで、その人にはたくさんいい友達もいるし家庭もある訳だから、それはそれ。自分がどこかひねくれているのかもしれないし、自分の価値観とたぶんどこか違うからそう思っているだけだろうと思うので、だから人に会う事はやっぱり財産ですね。「人は人によってしか磨かれていかない」という事はよく言いますね。
――そうですね。おっしゃる通りですね。
求めて人に出会わなくても、必要な人には会うようにできている
向谷匡史氏: それともう一つ余談になるけれど、これは週刊誌を辞めて…4、5年ぐらいたった時なんですが、「求めて人に会うのはやめよう」と思った時期があるんです。昔週刊誌にいた時の癖で、なるべく色々な人に会おうと思ってしまう。そうすると世の中は広がっていくし、自分の見聞も広まると思っていたんだけど、ある時なんか人に会ってもしょうがないなと思ってね、今年1年は求めて人に会わない、できるだけ会わないようにしようと思ったんです。そうしたらやっぱり、会わなきゃいけない人には会うんですよ。あれは不思議でした。だからパーティーに誘われても行きたくなければ行かないし、なるべく出ないようにしていたんだけど、やっぱり振り返ってみると知り合わなきゃいけない人には知り合っているみたいな所があるから、人間の出会いというのは求めて出会うものじゃないな、という事はちょっと実験してみた事があるんです(笑)。
――何か仏教の世界にも通じるような。
向谷匡史氏: そんな大げさなものじゃないんだけど(笑)。気まぐれで、なんとなくちょっとやめてみようかなと思ったんです。でも、会う人には会っているし、やっぱり人間って言うのは面白いなと思った時がありました。皆さんもやってみるといいですよ。お酒も6年前に止めたんだけど、やっぱり止めてみたら見えるものが出てきました。もういいなっていう感じはありましたね。酔っぱらいって面白いなって思ったり(笑)。俺もあんなだったのかなとか、同じ話を繰り返してするなとか思いますね。飲んだっていいわけだから主導権は常に自分にある。そうすると物事があまり苦しくない。人に会わないというのも自分で勝手に決めただけ。朝早起きすると自分で決めただけで、強制されてやるものではない。だからいいんですよ、嫌ならやめればいい訳で、また嫌なら始めればいい訳で。
――なるほど、主導権は自分にあるから苦しくないんですね。
向谷匡史氏: 梶原一騎さんという『あしたのジョー』とか『巨人の星』とかの原作者に、昔すごい可愛がってもらった時期があったんです。彼がよく言っていたのは「ねばならない」という考え方が一番だめだと。「こうせねばならない」「禁煙しなければならない」「酒を飲まなければならない」という考えが精神を悪くすると。だから今度それを自分風に解釈すると、強制されないっていう事ですよね。つまり行雲流水というか、右から風が吹いたら左に流れればいい訳で。「在(あ)るがままに、成(な)るがまま」というのが最近好きでよく使うんですけど、あるがままにあるがまま…なるようにしかならないんですよね。あるようにしか存在しないというか。それは仏教的な考え方、「無常観」なんです。どうやったって曲がらないものは曲がらないし、曲がるものは曲がるんだという。それでじゃあ流されるかというとそうではなくて、現実をしっかり踏まえた上でどうするかという事をしないと、曲がらないものを曲げようとするから苦しいので、だからまかせておけばいいんですよ。
――本当に、おっしゃる通りですね。
果報は『寝たふりをして』待て
向谷匡史氏: 例えば本を書きたいなとか本を発表したいなと一生懸命頑張ったって、だめなものはだめ。反対に、うまくいくものは放っておいてもうまくいく。安藤昇さんという元ヤクザで、僕がよく可愛がってもらっているんだけど、彼がよく言うのは「果報は寝たふりをして待て」と。
――寝て待て、ではないんですね。
向谷匡史氏: それは「追いかけるな」という意味なんだろうけど、チャンスが来た時にそれを捕まえなくちゃだめだという事ですね。努力をしているというのは、うまくいかなかったらそこに焦りが生まれるから、努力をしているとは思わないようにする。どんどん話が転がるけど(笑)、もう亡くなってしまったある会長さんが、よく言っていたのが「人間努力するようじゃ、生き方を間違ってるよ」という言葉でした。
――どういう意味なんでしょうか?
向谷匡史氏: だって、努力して遊ぶ奴はいないって言うんですよ。これは非常に逆説的な言い方だけど、「頑張る」という事は実はそれはあなたにとっては無理している、という事だと。そうすると方法は2つに分かれる。やらないか、あるいは「面白いんだ」という風に自分をごまかしていくか、どっちかですね。だから努力するようじゃだめだよと。
4、5年前になるけど、週刊女性で『運の履歴書』っていう連載をやった事があるんですよ。それで『夢はかなう』っていう本になったんだけど、文化人とかタレント・芸能人に何で今日があるのか、どこかに何か運があるんじゃないかって(笑)。それをインタビューで解明しようというのをやった事があるんですが、やっぱり皆さん「あの時」というのがありますね。それは努力しての「あの時」ではなくて、頑張って頑張って「ああ、もうどうしようもないな」って何かを放り投げた時に、何かひょっと成就してるというのは感じます。
人生を変えた『あの時』とは
――先生ご自身の「あの時」っていうのは?
向谷匡史氏: 僕はね、親友がお兄さんと住んでいたんです。お兄さんがその当時婦人生活社にいて、のちに主婦と生活社の編集の役員になって、今青志社という出版社を興している人なんですが、そこの友達のうちに夜遊びに行った。2階に外階段のあるアパートで、それでパッパッと上がったら留守だった。それで「しょうがねえな」と思って階段を下りたら、入れ違うようにして駆け上がっていった人がいて、僕がノックした部屋と同じ部屋をノックしたんです。それで舌打ちしながら下りてくるから「今そこを訪ねられたんですか?僕は弟の友達なんです」って言ったら「じゃあ飲みに行こうか」と誘われた。その人がやっぱり婦人生活社の先輩の方で、そこから色々な人を紹介されたんです。彼の人脈で週刊漫画を紹介してもらったり。だから僕があの時階段で彼とすれ違わなかったら、違う人生を歩んでいたかもしれない。だけどそうやって人生って変わっていくものだという事ですね。それは意図してできる事じゃないから。
――それはすごい運命の転換期ですね。
向谷匡史氏: どこかで人生が変わるかもしれないというのをやっぱり持っておいた方がいいと思います。前に7つで後ろに3つぐらい、そういうのを受け入れる…新しい人生が来た時に受け入れるためのものを持てるかどうか。半分空白を持って、「ここは何か次に来たものをしまうための引き出しですよ」と持っておくと、やっぱり色々な人に会うのも楽しいし毎日楽しいし、うまくいけば7つの方に乗っていけますよ、開くとここに3つありますよっていう、その空白が持てるかどうかが大事なんでしょうね。だからよく言う「絶対値」を求める人、「かくあらねばならない」とか「私はこういう人生を歩みたいんだ」という人と、ある現状の中で自分が一番ハッピーなものを求めていく人と、2つあるという事ですよね。という事は、山の中に住んでも楽しいと思えるか、マンションとかに住んでも楽しいと思えるのか、そうじゃなくて「やっぱりマンションに住まなきゃだめだ」と思うのか、「マンションもいいよ」「山の中もいいよ」、置かれた状況の中で一番楽しいものを見つけていくかという2つの生き方があるんだけど、やっぱり僕は後者で、ある現状の中で一番楽しいものを求めていく方がいいと思う。だって人生っていうのはそういう「常ならず」で変わっていくものだから、「私はまっすぐ行きたい」と言ったっていかないんだから(笑)。
生きる事が『苦』なら、むしろ毎日を楽しくする工夫を
向谷匡史氏: でも日々はステップの連続だから、それは1つ1つが大事な事なんですよね。その時の価値っていうのはよく言うように、先に行かなきゃわからない。人生だって日々刻々わからない訳だから。その日をどう面白がるかっていう事が大事なんじゃないでしょうか。仏教というのは、生まれてくる事を「苦」と捉えるという、生きる事が「苦」という捉え方をするんですけれど、それを「四苦八苦」と言って、つまり生まれた時から死に向かっていく訳だから、それは本来苦しい訳ですよ。という事はそこから僕は考えたんだけれど、生まれてくる事が苦しいのであれば、世の中にそう面白い事はないだろうと。スタートが苦しいんだから。という事は面白がるしかないなと。女の子が番茶も出花で18、9で、箸が転んでも笑うという、あれでなきゃだめだろうなと、いくつになってもね。失敗したら「面白かったな」と思うか、成功したら「面白かったな」と思うか。尾を引かないという、ドジを踏んだら酒の席で笑い話になるような捉え方をしていかないと苦しい事ばっかりだから、だから失敗を喜んだ方がいいよね。失敗のエピソードが多ければ多いほど、実はハッピーなんだというような。それを深刻に「ああ失敗したからどうしよう」と思うからおかしくなるんですよ。
――先生の中でも、今でも「あれをこうしておけば良かったな」なんていう事は?
向谷匡史氏: ない、というか締め出しちゃいますね。デジタル的にものを考える感じです。よく新幹線でも飛行機でも時刻表が「パタパタパタ」って変わるじゃない、あれをよくイメージするんですよ。昨日のことは「パタッ」って忘れちゃう。「パタパタパタ」って(笑)。アナログでいくと見えるから、デジタルで「パッパッパッ」って。
――先ほどのミキサーもそうですけれど、何かに例えてイメージされるのですか?
向谷匡史氏: イメージして忘れちゃうんです。ページをめくるように。書き損じたらすぐめくる。ちゃんとこう言い聞かせていけば習慣になるから。
――色々な方にお会いして色々なお話を聞けるっていうのは楽しいですね。
向谷匡史氏: いい事でしょう。色々な人がいてね、それぞれの世界で良くも悪くもやってきた人だし。でも、千人いれば千人が千通りの考え方を持っているんです。僕は人物ものっていうのをずいぶん何年もやってきたんです。事件ものっていうのは人が10動くのを20動けばいい記事が書けるんです、取材箇所が多ければ多いほどね。でも人物ものはそうはいかない、1対1のオール・オア・ナッシングだから。丁半博打みたいなものですよ、「半か丁か」って言って、「半」って言って「丁」が出たらそのインタビューはうまくいかない。人物の1対1のインタビューはそうはいかない。それは相性だったり、色々な事がある。「丁か半か」で勝負するからね、それを面白いと思うかどうかですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 向谷匡史 』