考える方法、道筋を教えたい
――それぞれの意見、それぞれの答えがあるんですね。
金田一秀穂氏: それで「もうちょっと深く、でも、もうちょっとこういう風に考えた方がいいね」とかアドバイスをするわけですね。それが考えるということだし、学問するということ。だって少なくとも私の大学には専門家になる人はいないわけですから。研究者になりたいという人がいるわけじゃなくて、全然違う形で生きていくわけでしょう。でもそこで役に立つとすれば、そういう「考える経験」ですよね。どういう筋道で考えたらいいかとか、どういうことを要素に入れなくちゃいけないかとか、そういうことを教えてあげたいわけですよ。考える仕方、みたいなものをね。
――いかにして知識と知識を結び付けるかということでしょうか?
金田一秀穂氏: まず知識が正しい知識であるかどうかという、そこの吟味から始まって、それをうまく結び合わせる手段。それはもう言葉では言えない。「しょうがないけど、でもそういうものだよ」って。それで、後はそれを楽しむのがいいね。「楽しくなくちゃダメだよ」って言います。苦労するのはつまらない。「苦労してやったことなんて身につかないよ」って必ず言います(笑)。
――楽しまないとダメですか。
金田一秀穂氏: そう、努力は大体無駄だよって教えてあげます(笑)。努力なんか全部、裏切るんだよ。全部、運だよ、運ですよ、こんなもの。偶然性です。(笑)というと怒られますけど(笑)。
――いまでも先生の行動に影響を与えているような、ご自身がガツンときた一冊はありますか?
金田一秀穂氏: いや、いっぱいありすぎて分かりません(笑)。大岡信さんという人が「愛読書を聞かれて、いつも答えに困る」と言うんです。それでどうしようかと思うんだけれども、本というのはある本を読むと、どうしても次に読みたい本が出てくる。で、その本を読むとまた次に出てくる。つまり、すべての本は一冊の本なんだ、そうやってつながっていくんだ。だからいま読んでいる本は昔読んだ本の延長線上にあるし、これから読む本の出発点になっているんだ。だから、いま読んでいる本が愛読書だと言えばいいんだと答えるって聞いて、「なるほど、そうか」と思った(笑)。確かにそうなんです。本というのは、やっぱりそういうものだと思います。つながっている。だから、好きな人は次々と読んじゃうわけですよ。で何か読むと、あ、これも知りたいなと思うから、それを読むわけですよ。
――今読んでいらっしゃる本も過去とつながっていらっしゃるんですね。
金田一秀穂氏: 『臨済録』をなぜ読んでいるかといえば、『ブッダ最後の旅』(岩波書店)というのを前に読んだから、そのせいで読んでいるわけです。『ブッダ最後の旅』をなぜ読んだかといえば、その前に『人類の20万年の歴史(環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ)』(洋泉社)という本を読んだから読んでいる。どんどんさかのぼっていくでしょう。だから、その中から一冊を選べと言われても、それはもうどうしようもない。やっぱり全部です。
本は自分にとっていろいろな意味での「道具」。
――では最後に、先生にとっての本というのはどういう存在ですか?
金田一秀穂氏: 何ですかね。自分を生かす道具ですかね。そういう言い方をするとなんだけど、ごはんを食べる道具でもあるし、考える道具でもある。道具にすぎないという部分でもあるし、必須の道具だっていうことでもある。それは例えば手や目が道具だという意味での道具でもあるし。目がなかったら困るよね、それは必須の道具でもある。だから、生きている時にやっぱり必要なんですよね。楽しみでもあるし、厳しいものでもあるし。(笑)例えば、自分は賢いと思っている時に本を読むと、自分はやっぱりばかだったということが分かるわけでしょう。で、自分はばかかもしれないなと思って読むと、ああ、案外賢いと思ったりもするでしょう。例えば論語、臨済録を読むでしょう。そうするとああ、頭がいいなコイツらって思うわけですよ。やっぱりかないっこないと思ってガッカリする。でもいい本というのは、ガッカリした時に読むと励ましてくれる。あ、いけるかもしれないと思わせる、でも、やっぱり思わせてくれない。そういうのがいい本ですよね。だから変に鼻っ柱が強くなった時にはきちっと折ってくれないと嫌だし、でも折れそうになっているときには、いや、でも大丈夫と思わせてくれる、そういう本に出会えるといいですね。自分を励ましてくれる、背中を押してくれるような本。そういう本がいいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 金田一秀穂 』