原田武夫

Profile

東京大学法学部在学中に外交官試験に合格、外務省に外務公務員Ⅰ種職員として入省。12年間奉職し、アジア大洋州局北東アジア課課長補佐を最後に自主退職。「すべての日本人に“情報リテラシー”を!」という想いの下、情報リテラシー教育を展開。調査・分析レポートを執筆、国内企業等へのグローバル人財研修事業を全国で展開。学生に無償で「グローバル人財プレップ・スクール」を開講。国際会議「グローバル・エコノミック・シンポジウム 2011」にパネリストとして招待され、以降も我が国からの数少ない出席者の一人として参画している。最新著書は『ジャパン・シフト 仕掛けられたバブルが日本を襲う』(徳間書店)。
公式Webサイト
http://www.haradatakeo.com

Book Information

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秒速の判断が必要な時代ほど、「未来」ではなく「過去」へ戻れ



元外交官であり、2005年に自主退職された後、独立系シンクタンク「株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)」を設立。CEOを務め、2010年に一般社団法人日本グローバル化研究機構(RIJAG)を設立、代表理事を務められている原田武夫さんに、真のグローバル化とは何か、また本や電子書籍が担う「知」の役割について語っていただきました。

現在の活動は“情報リテラシー”を研究し、学生や企業に広めていくこと


――早速ですが、貴研究所のお仕事、そのほかの取り組みも含めて、近況をご紹介いただければと思います。


原田武夫氏: 外務省に2005年までおりまして、7年前に自主退職しました。今のシンクタンクは2007年に設立をしたのですが、私たちのシンクタンクは、いわゆる独立系で、私たち自身が活動を行って収益を得てまた活動していく仕組みです。活動内容は“情報リテラシー”の研究開発と、教育研修ですね。“情報リテラシー”の問題というのは1995年にWindows95が出てから、日本人を取り巻く情報の量がものすごく多くなっていて、一説には600倍近いと言われている情報の洪水の中、どうしていくか、という問題です。

――600倍に増えているのですね。


原田武夫氏: これに対して日本人の情報を処理する能力は4倍にしかなっていない。だから今、情報はたくさんあるのだけれど、これをどうやって正しく選択して意味を読み取って、かつ自分自身の生活、あるいは企業、あるいは組織としての戦略としていくのかという情報を捌く能力についての問題が起きているんです。この部分を“情報リテラシー”として研究して、どうやって人が学んでいけるのかということを研究、教育しているのが、うちのシンクタンクなのです。今グローバル人財っていうのが非常に重要になってくると言われているんですが、グローバル人財には結局何が必要かというと、例えばアフリカの奥地に行ったとする。そこでインターネットが仮に通っていれば情報はたくさんあるわけですが、その中で、自分は何をすべきなのかっていうのを考える能力なんです。われわれの研究所は、社会貢献事業として、学生たちに対する“情報リテラシー”の教育と、企業に対するグローバル人財の教育をやっています。2013年4月からeラーニングもやるのですが、いわゆるグローバル人財をどう育てていくのかということを、日本中の至るところでやっていこうとしています。

――学生に対する“情報リテラシー”の教育は、無償で行うのですか?


原田武夫氏: はい、そうですね。これは会員制度を運営しており顧客である会員の方々のご支援をいただいています。

真実を全ての人に伝えるために、講演し、本を執筆する


――そもそもそのような理念をお持ちになったきっかけをお話しいただけますか?


原田武夫氏: やはり一番大きかったのは、私は外務省で一番最後のキャリアが北朝鮮問題について担当させていただいたことなのですが、当時は日本人拉致問題がものすごく騒がれていたんですね。ところが北朝鮮の問題っていうのは、実際に外交場裏に行くと、これは経済利権の奪い合いなんです。この経済利権の奪い合いが一方であって、他方においては、日本人拉致問題が、世論で騒がれている。これが結局のところ何が問題かと言うと、やはりメディアが流している情報がたくさんあって、最も味付けの濃い日本人拉致問題に皆飛びついているわけですね。もちろん言うまでもなく、拉致問題はきっちり解決すべき問題ではあります。しかし、一方で、外交場裏で起きている現実を誰かがきちんと伝えなきゃいけない。それをしかも、東京の人だけでなく全国の方々が知っている必要があると感じたんです。私が講演活動と、本を書くことと両方をやっているのは、それを伝えるためなんですね。特に色の付いてない次世代の方々に、ぜひ真実を知ってほしい。事実を知った上で、じゃあ自分はどうすればいいのかと考えてもらうというところを、グローバル人財の教育としてやっていこうと思ったわけです。そうしないと、結局外交をやったところでですね、あまり意味がないと思うんです。

――多くの人たちが世界の現状をわかってないわけですね。


原田武夫氏: そう。たくさん情報がありすぎるので、今はもっとひどい状況になっている。だから、私は真実を、たくさんの公開情報の中からどうやって読み解いていくのかという“情報リテラシー”がなければ、この国は一歩も先に進めないのだろうなと思っていたんです。そうしたら案の定、例えば郵政民営化のときも、みんな構造改革だの郵政民営化だとか、自民党をぶっつぶすとか何とか言っている方にさーっと流れてしまった。要するに情報がたくさんある中で、非常に刺激的なものに大衆は流れていってしまうんですね。そうじゃないんだと。いわゆる「賢慮」と言いますけど、賢い、慮る、フロネシスって言うんでしょうけど、そういうフロネシスを持ってる人間が、1人でも多く若い世代で生まれないと、この国には将来がないなと思う。だから外務省で外交をやっている場合じゃないなと思ったのが率直なところです。これは政治家がやる話でもないし、現場の教育の先生方がやる話でもない。教育者は学習要領に縛られているし、企業は企業で多分そんな余裕がない。それは何らかの全く新しい形態での教育というのが必要だろうということで私たちはこの活動を始めたんです。



サンマルコ修道院で羊皮紙の本を読む僧侶を見て「本は死なない」とひらめいた


――そのような中で、本を書こうと思われたきっかけはどういったことだったんでしょうか?


原田武夫氏: 本を書こうと思った最大のきっかけは、1994年の12月、外務省でドイツ在外研修に行った時のことなんですね。ちょうどその時に私の父が白血病になったことがわかりまして、研修というと普通はルンルン気分で明るく行く人が多いのですが、私の場合は、「人の命とは何か」とか、「生きるとは何か」とか、そういうテーマを考える大きな転機になったんです。その研修中、クリスマスの日にイタリア・フィレンツェに旅行した時、サンマルコ修道院でお坊さんたちが、皆、テラスで椅子を並べて座っているのを見たんです。最初は「絵でも描いているのかな」と思ったんですよ。そうしたらお坊さんたちは、羊の皮で作ったラテン語のこんなにでっかい本を読んでいる。じーっと読んでるんですね。10分、いや15分間くらい同じページをずっと読んでいるんです。ラテン語でぶぁーっと書いてあって、私には何を書いてあるかわからない。でも、1枚1枚をめくってるんですよ。私がその時にぱっと思ったのが、「そうか、人は死ぬけれども、本は死なない」ということでした。本は死なない、本に書いてあるメッセージは死なない。だから私は本を書く人になろうと思ったんですよ。その時に、私は父が亡くなる、という事実を自分自身で乗り越えなければいけないと思ったんです。だから、そこで何か有限な人生よりも、もっと大きなことにコミットすれば乗り越えられると思った。私自身は本を書くということにコミットしたんですよ。例えば日本で出した本だったら、国立国会図書館に所蔵されて永遠に保管されるわけです。書かれた本は日本という国がある限りは、ずっと保存されるわけですよ。だから「ああ、これだな」と思ったんです。本を書くことは、私にとっては生きることだと。今はやっぱり本は部数主義ですが、私は違うと思います。イマヌエル・カントの、『啓蒙とは何か』という本があります。これが出版された当時は啓蒙主義で、結局、世の中をこれから変えていきたいという市民革命の原動力になったものなんです。でも初版はたったの200部なんですよ。それが現在も未だに人々の心を動かしている。生きるか死ぬかの決意で書かれた本は、それくらいの影響力があるわけです。うちの社員で文字を適当に書いている人がいると、私は結構強烈にしかるんですけれど、それは文字というのはやはり人が生きていた証しだと考えているからです。

――すごい話ですね。


原田武夫氏: そうなんです。世界史がたったの200部から動いたんですね。だから、今の部数主義は絶対に間違っていると思っています。私の本はものすごく売れるというのではないんですが、ただ例えば鹿児島や青森へ行くとする、「前からあなたのこと知っているよ」「なぜですか」「本を読んでいます」って言われると、「やはりすごいな」と思いますよね。本はメッセージなんですよ。だから、必要な人に、必要な形で、必要なタイミングでメッセージとして伝わっていく。これが私の命が無くなることがあったとしても、その後ずっとそのメッセージが続いていくというのは、非常に尊いことだと思いましてね。だから自分もそれをやりたいと思ったんです。最初は外務省にいる時、趣味で書いていたんですけど、今はそちらが本業になってしまったわけです。

今書いているのはソナチネレベル。いつかはモーツァルトのレクイエム級の作品を


――以前は音楽を志されていたと伺いました。


原田武夫氏: 私は最初、作曲家になりたかったんです。当時はヨハン・セバスチャン・バッハがすごく好きで。音大芸大に行きたかったんですけど、それを断念して外交官になることを決めて、東大に行ったんです。やはりゼロからものを作るということの喜びというか、クリエイションは、執筆活動に通じるものがあると思いますね。私は未だに全然うまく書けていないし、今私が書いているものは、モーツアルトを引き合いに出すのも僭越なんですが、ソナタとかソナチネくらいのものですよ。やっぱりモーツァルトで言うところの40番とか、41番に相当するようなもの、あるいは、レクイエムなどの代表曲を書けるような作家にいつかはなりたいなと思っているんです。

――その媒体が紙であろうと、電子であっても関係はないですか?


原田武夫氏: そうですね。電子出版について云々されていますけど、私は意味がしっかり伝わればいいのだと思います。大切なのは伝わるっていうことなんです。昔、音楽を志していた時にそういう議論をしたことがありますが、やはり芸術家のための芸術、要するに自己満足のための芸術は芸術じゃないんです。読む人がいて、そこに込められた意味が重要であれば、必要な人に、必要なタイミングで、必要な形で伝わる。それはひょっとしたら、もっと将来のことかもしれない。だから重要なのは、作家が一生懸命、狙ってるんじゃなくて、その意味を何としても表現して伝えなくてはと思う気持ちがあれば、それは、読者に伝わるんだと思うんですよね。

自分の本の読者は「全て年代の人」がターゲット


――執筆スタイルについてもお伺いしたいと思うんですが、書き手として、執筆するときに、読者を意識されることはあるんですか?


原田武夫氏: 私は基本的に、年代、世代、地方、職業問わず、これから日本という国が成り立っていくために絶対必要なことを伝えたい。だから、あまり特定の読者に絞ってはいません。私は出版社の皆さんには非常に申し訳ないんですけれども、本は好き放題書かせていただいています。だから編集者さんには「好き放題書きますんで、迷惑が掛かると思いますよ」ということはお話して、納得していただいた方とだけお仕事させていただいている。私の本を必要としているのは、これからの世代、同時にリーダーをやっている世代の人たちなんです。私はどちらかというと、本を通じてリーダーの人たちが情報を消化して、そこからさらに自分の言葉で伝えてくれればいいなと思っている。だから場合によっては、ちょっとぎょっとする様なことも書いているんです。それは「帝王学」と呼ばれるようなもの。本当だったら、口伝えで教わる世界なんです。日本はエリート教育というものが無くなってしまったので、そういう帝王学を教えるところが無くなってしまったんですね。

――確かにそうかもしれないですね。


原田武夫氏: だから外国というものをどうとらえるのか、といったことも書きます。例えば、いま外国文化って言うと基本的にアメリカの文化だと思われてるんです。でも私が留学したのはドイツで、ドイツは全くそんなことはない。ドイツにはイスラムの文化もあるし、フランスの文化もあるし、イギリスの文化もある。たくさん文化がある中でドイツ文化があると。日本の場合は、戦後から一貫してアングロ・サクソンの文化、あるいはもっと言うと、アメリカの文化なんですね。そこじゃないんだよっていうのをどうやって伝えるかですね。今、金融資本主義の中でものすごい秒速で物事が動いていっている。ただそうは言っても、実は一番重要なのは「歴史は繰り返す」ということなんです。多くの人たちはこれを結構わかっていなくて日本ではMBAとかを一生懸命取りに行く。それもどうかなと思っています。なぜかと言うと、ヨーロッパ人、アメリカ人はMBAを取る前にUndergraduate(学士課程)で皆、歴史学と宗教学、哲学をやっているんです。

――そうなんですか。


原田武夫氏: オックスフォード大学とかハーバード大学で実は文系はそれやっているんですよ。どうしてかと言うと、歴史は繰り返すからなんですね。マーケットは特に。だから、私は本の効用はそこにもあると思ってます。今はものすごい金融資本主義で加速的に回っているから、金融的な知識とか法律的な知識とか、そちらにばかり日本人は目が向きがちですけれど、実は司令塔になって運用している人間は何を見ているかと言うと、歴史の大きなうねりなんですよね。この大きなうねりの中で投資活動をやっているんです。だから、今の金融資本主義とかインターネットとか、秒速の世界になればなるほど、瞬時に判断するためには知識の財産が大量にないといけないんです。これをどうやって人間が詰め込めるかと言うと、それはもう本を読むしかないんですよ。

――人間の平均寿命が80年間くらいの経験則よりも本による知識が重要なんですね。


原田武夫氏: それはそうです。だって多くの人たちが、重要な意味があることだから知っておいてほしいということが凝縮されたものが本なんですから。それをどれくらいたくさん読めるかですよ。だから、正しい未来に対する判断をするためには、一番必要なのは本を読むこと。未来に行けば行く程、実はみんな過去に帰って来ないといけないんです。だから本が必要なんです。私は、学生たちに対してやっている社会貢献事業は何を伝えているかというと、「本を読め」ということ。今の学生さんたちは、大体ひと月に1冊も読まないですからね。何をやってるかって言うとGoogleで検索ばっかりしている。だから、そうじゃなくて、将来に向けて勇気を出して一歩踏み出すために必要なのは、過去に何があったのか、過去のパターンがパターン思考として頭の中に入ってないといけない。それを詰める作業が、実は読書なんです。

人類は進歩していない。歴史は繰り返す


――学生さんたちに接されてそう思いますか?


原田武夫氏: そう思いますね。例えばいま、中国の問題というのは、突拍子もなく起きたかのようにみんな思っている。でも私の目から見ると、ちょうど1930年代の日中関係そっくりですよ。すごく似ている。要するに、中国という国が、1929年の大不況があって、あの直後、中国は通貨政策上の危機に陥る。それで、アメリカやイギリスが助けようかと言ってきたんですが、結局、当時の中国が助けを求めたのは日本だった。幣原喜重郎という外務大臣がいて「じゃあ助けようか」と。ですから、1930年代の前半っていうのは、相対的に言うと日中関係は経済協力をしていたから、実は非常に安定していたんですね。金融協力、経済協力をしていた。だから円は非常に強くなって、中国の通貨改革を手伝おうとしていた。そうしたらやっぱり、それに反感を持つ国々がいたわけですよ。それは第1にアメリカ、第2にイギリスであったりほかの欧州諸国、ソ連。それで結果どうなったのかと言うと、いつの間にか日本は、日中戦争に追い込まれていったんですよ。だから要するに現在の状況っていうのは、金融メルトダウンの中で、日中間、非常に経済的には近かったはずなのになぜか政治でにらみ合っている。これは誰の意向なんだろうっていうふうに考えていくと、色々な答えが出てくる。だから、私はそういう意味で1930年代の歴史っていうのをよく学んだ方がいいよと思います。20年代、30年代。今、起きてることはほとんどそこの焼き直しですよ。人類はあんまり進歩してないですね。

――どういった意向がそこに存在するんでしょうか?


原田武夫氏: 結局、日本と中国が一緒になっちゃうと困るんですよ。何が困るかって言うと、いま世界中の外貨準備高が一番高いのは日本と中国ですよね。つまり東アジアの民族っていうのは、お金を貯めるっていう習慣があるんですよ。癖がある。その結果、ほかの国々から移転してきたお金が、東アジアから出て行かなくなってしまうんです。これが、ヨーロッパ、アメリカ、あるいはそのお金を預かっている国際金融資本からすると困るんですよ。

――お金が流れていかないんですね。


原田武夫氏: ええ。だからヨーロッパやアメリカからのメッセージは非常に簡単で、流さないと駄目だってことなんですよね。例えば日本人は、CSR活動をほとんどの企業はやらないんですよ。だから、どんどん内部の力が溜まっちゃっていますね。これがヨーロッパの企業だと、みんな大量のCSRをやっている。あれはお金を流すための作業なんですね。だから日本とか中国、特に日本は、西洋流の近現代の経済システムに入ってるように見えて、実は入っていない。そこの部分が実は非常に問題なんです。明治維新のころからずっと問題なんですよ。だからグローバル化とかグローバル人財って言われてますけど、人財として必要なのは、そういう人たちなんです。グローバル人財って言われている人たちは、世界史を私は回すという言い方をするんですが、お金を回すことのできる人なんですよ。お金を回すっていうことは何かと言うと、自分たちだけ貯め込んだり、自分たちだけ取るっていうことは駄目なんです。日本は何で駄目になるかって言うと、日本人っていうのはどうしても独り占めしようとする。そうじゃなくて、皆で組む。金融の世界で、100%取ることはできないんですよ。そのアイデアを出して組み立てた人たちだって、実は取れるのはいいところで4割ですよ。そういう気概でやっていくっていうことが、実は世界を回すことなんです。そういうことが学べるのがどこかと言うと、これはやっぱり本の世界なんです。だから今立ち返るべきなのは、過去なんです。インターネット文化になって、物事をリアルタイムのことしか皆知らなくなってしまっている。そういう意味でも、これまでの知識、知見の集積である「本」をやっぱり読んでいくということは重要になる。いまやるべきことは、これ以上でもこれ以下でもないと思いますよね。

カール・シュミットの書籍を研究してわかること


――いまの出版不況だとか、本が読まれなくなったとか言われる状況の中で、今と以前とを比べて、本は何が変わったと思われますか?


原田武夫氏: もともと色々な本を好きで研究していますけれど、実は私、カール・シュミットという政治哲学者、憲法学者の研究家でもあるんですね。だから初期の本は『劇場政治を越えて』とかは、実は全部カール・シュミットのことが書いてあるんです。カール・シュミットの本の中に、『合法性と正当性』(未来社)という本がありますが、合法であるっていうことが正当であるっていうことではないということが書かれています。1920年代当時、ワイマール共和制で政治が行き詰まったんです。例えば経済的にも賠償金の支払いでガタガタになって、国内の政治は左翼と右翼がぶつかりあってぐちゃぐちゃになった。ここでは結局、ある種の独裁が必要だろうという状況でした。でも独裁が良いなんてどこにも書いてない。だけれども誰かが仕切らなきゃいけないし、左翼と右翼が分かれていたら国として進まない。じゃあその独裁をどうやるかといったときに、「独裁はワイマール憲法の中で書かれているある1つの価値を体現している」ということであれば、仮に明文の法律には乗っ取っていなかったとしても、それは、独裁としては正しいんだということを書いた本なんです。これは当時のワイマール共和国の大統領がですね、救世主として大統領に実質的な権限を与えようという憲法理論を作ろうとしたものなんです。でも結果的には、ナチス・ドイツ、アドルフ・ヒトラーに乗っ取られてしまったわけですね。だからいまのカール・シュミットの議論っていうのは、要するにナチスの、ヒトラーの独裁を正当化する議論だということで、しばらく読まれてなかったんですけれど、今、決断主義というのが必要になってきている中で読み返す価値のある本ではないかと。では決断する時のその根本は何か。「法律に書いてあるから」というのは違うだろうと。法律に書いてあることはですね、ただの価値観なんですよね。この本は、1930年代前半、独特の政治状況の中で訴えるものを出された本なんです。今、日本で出されている本の中には、そういう迫真のものっていうのがないんじゃないですかね。

今の書籍は「エッセイ」が多い


――私は原田さんの『狙われた日華の金塊 ~ドル崩壊という罠~』(小学館)にすごくドキドキ感を覚えたり、胸詰まるものを感じました。


原田武夫氏: 私は今の世の中に訴えかけるつもりで書いているんですけど、今いわゆる書籍としてあるのはエッセイなんですね。自分の非常に狭い半径1.5mの世界を延々と書いてる様な本ばっかりなんです。しかも論理がないんです。そうではなくて、もうどうにも立ち行かなくなっている状況の中で、じゃあどうすれば良いのかっていうところを説いた本を、ゴースト・ライターじゃなくて自分自身で書くという人は、今はいないのではないでしょうか。政治家が選挙の度にゴースト・ライターを立てて、ばーっと3時間くらいしゃべった内容を本にしている。だから政治が、言論の空間と思考の空間と切れてしまっているんですよ。政治が、単に再分配のマシンを誰が音頭を取ってやるか、ってことだけになってしまっている。国民に、自分の意思をちゃんと伝えてそれに皆が共感して投票するということが無くなってしまっているんです。だから今、民主主義の危機なんです。自民党が総裁選を行った。みんな、それから何か調べているんですよ。それは違う。もう1回同じ人たちが出て来たらどうなるのか、というところを考えていない。橋下さんだって草の根から出ているっていってるように見えるけど、結局同じルールに乗ろうとしている。みんな「真実は何か全然違うところにあるんじゃないか」と思っている。では何だろうって考えたときに、第2、第3のエマニュエル・カントが出てこないといけない。

――原田さんはカントに影響を受けられたんでしょうか?


原田武夫氏: いえ、私が好きなのはゲーテなんです。ゲーテってあれだけたくさんの本を書きましたけど同時に彼は政治家なんです。彼は政治家で大臣でもありました。彼が書いた本というのは文芸作品でもあるんですけど同時にポリティカルなんですよ。本っていうのはそういうポリティカルな存在なんです。文字にされるべきものっていうのは全部そうなんです。例えば仏典にしても、要するに偉い人に弟子たちが聞きに行くっていうストーリーじゃないですか。あれは、ある1つの理想像を、社会についてこうあるべきだ、こういう価値観が必要だっていうのを対話という形で示しているってことなんです。ある価値観を伝達するっていうことを、今の著者たちは、難しいからやらなくなっているんですよ。そして本もこれまではそのような内容だと売れなかった。でも私は、今人々はそんな本を求め始めていると思いますけどね。もう少し日本が政治・経済的に落ち込んだとすれば必ずそれを求める人がもっと出てくるんだと思います。

――今はまだ、政治・経済的にもまだそれを求める人が少ない状況でしょうか?


原田武夫氏: 要するに、まだ高度経済成長時代に稼いだお金があるからですよ。日本という国は、2013年から団塊の世代が年金受給者になる。そうなると、2015年までその期間が続くのですから、日本の財政赤字というのは、大体、対GDP比で270%になると言われているわけです。大変ですよ、これは。それで追い詰められたときに初めて、これからまさに本の復権と言うか、言葉の復権だと思ってるんです。今の政治は違う、と皆が思っています。でもそうではない新しい価値観というのを誰が提示するのか。それはやはり本から始まるはずです。従来の民主主義じゃないかもしれない。われわれがどう生きてくべきなのか。ミクロから始まってマクロ、あるいはマクロから始まってミクロなんですけど、その辺の価値観やライフ・スタイル、あるいは社会の構造の在り方というのが、カール・シュミットのような「決断をするための書」というのが必ず必要になってくる。



ドイツ人の条件は「ドイツ語を一定以上しゃべれる人」


――自分の中での使命感のようなものに気付かれたのはいつごろですか?


原田武夫氏: やっぱりそれはドイツへの留学が大きいですよね。実はドイツに在外研修で留学したいので、外務省を選んで東大へ入ったんです。だから私はもう、東大に入る前からドイツに留学したいってずっと思っていたんです。ドイツという国はすごく面白いんですよね。「ドイツ人」とはどうやって定義されるかというと、いまドイツ語を一定レベル以上しゃべれる人が「ドイツ人」なんです。つまりドイツ語で意味を伝達できる人。市民権取得の条件はそれなんです。

――言語が話せるかで決まるんですね。


原田武夫氏: どうしてかと言うと、ナチス・ドイツが、ユダヤ人とゲルマン人を分けて反ユダヤ政策をやったじゃないですか。だからその反動で、血で判断しないんです。ドイツ語の言語文化にちゃんと入って、ドイツ語でしゃべれる人かで判断する。これは私にとって革命的でしたね。私は日本でずっと暮らしてきましたから、日本人っていうのは当たり前で、当然のように日本語をしゃべる。でもドイツでは違うんですよね。彼らは大陸の真ん中に暮らしてるので、下手するとどんどん混ざってきちゃうんですよ。それを排除したのが要するにヒトラーの独裁政権で、それにより国が滅びる寸前まで行ってしまった。それで全く新しい原理、人々を統合する論理として何を考えたかと言うと、それが「言葉」だったわけですよ。ドイツ語を理解できる人は、仮に肌の色が違っても、どのような髪の色をしていてもドイツ人、というように、今、現実的にそれで社会が成り立ってるんです。これはすごい国だなと思いましたね。同時にそれは強い。ドイツの強さはそこにあると思います。だから私は、移民の問題とか色々ありますが、やはり日本人が今決断すべきところは、少子高齢化の問題の中、日本語を話して、日本の文化を理解して、私は日本人であると主張する人は、やはり日本人として認めていいんだと思うんです。それはドイツの例から言って決してぶれない。現実問題として、どんなに竹島の問題、尖閣諸島の問題があっても、日本が少子高齢化でこのまま行ったら、わが国は滅びます。だって人間が少なくなるんですから。それを防ぐためには、ある程度外国の人々が入ってくるのも当然でしょう。ただそのときに、根本的なルールは、外国に合わせるんじゃなくて、われわれが担ってきたもの、われわれが作ってきたもの、日本語の意味、日本語が伝えてきた意味であり価値をしっかりと受け入れることを最大の条件にすべきだということです。

価値観を共有するためには、言葉や本が必須


――日本語の意味、価値観を共有できるということが重要なんですね。


原田武夫氏: そうです。じゃあそれをどうやってやるかって言うと、言葉であり、本なんです。これ以外、伝達手段がないです。書くこと読むこと。ここに、今の日本人がどれくらい自信が持てるかなっていうと…(笑)。まだこれからですね。重要なのは統合なんです。今、色々なところで日本は分断されてるんですよ、地方と中央、あるいは富む者と富まない者、あるいは民族。日本は実はバラバラなんです。それを統合するためのファクターは何かというと、価値であり、意味であり、それを伝える言葉なんですよ。それをまやかしで操作できるものだと思って狙ってやるんじゃなくて、いまこの国は危機でしょうと心の底から入っていくものなんですよ。だからテレビを見ていると非常に違和感を覚えます。私はもうテレビを全然見てないですけど、揚げ足を取る様なことばかり言うわけです。そういうつまらないレベルの言葉じゃなくて、人生の命に裏付けされている「これをやらなくてどうするんですか」っていう言葉ですよね。それを綴った本を、たとえ部数が少なくても出しましょうという出版社、あるいは電子出版の媒体というのが、私は求められていると思いますね。

――ちょうどお伺いしようと思った質問の1つが、出版不況の中での出版社、編集者の役割はどんなところにあると思われますか?という質問でした。


原田武夫氏: 今、出版の中で政治の分野というと、出版社は政治家の後追いでゴースト・ライター付けてどうのこうのってなっちゃっているんです。それは違う、逆なんです。出版社が意味や価値を伝えることによって世の中が動いて、結果として筆者が政治家になっていくというのが本来あるべき形なんです。でも今は逆になっている。最初は売れてましたけれどね、あの『美しい国へ』とか。近頃も複数の政治家が本を出していましたけど「ん? どうなんだろう?」という本ばかりです。それは皆、マーケティングだからと思って出しているから。元来、本があるべき価値とか意味の伝達、「これしかないんだ」と勇気を出して、本の中で訴える、というのがなくなっちゃったんです。でももう読者は今世に出ているような本には乗ってこないと思うんです。筆者が本気で書いているかどうかだと思うんです。

「知」を波及するには、電子書籍は可能性がある


――電子書籍の質問をさせていただきたいんですけれども、電子書籍であれば部数によらずに発行できるという、物理的制約から解放される場合もあるかと思います。そういう意味での電子書籍の可能性というのはあると思われますか?


原田武夫氏: 「電子書籍がくると紙の書籍がなくなる」と言っている人がいると思うんですけど、逆だと思うんです。やっぱり電子書籍っていうのは非常に伝播しやすいですよね。「URLここです」っていったら、皆それをクリックすればそこに行けるわけですから。本が、「知」の独占というものに、非常になりにくい状況になっていると思うんです。だから、逆に言うと、本当に良いものは伝播しやすい状況になっているはずなんですよ。かつて大学のオープン・キャンパスとかやっていなかったときは、その大学に入らなければ、図書館にある本を読めなかったんです。「知」っていうのは、独占されるものだったんです。ところが今は、知は開放されているんです。だからそういう意味においては、本当に良いものは伝播される可能性が非常にありますので、電子出版になったらどうのこうのなんて言っている人たちは、本当の意味での価値とか意味を伝えてない、自信がない、あるいは確信犯的にそうではないものを作ってきた人たちなんでしょう。だから困るんです。だって必要なのは媒体が云々じゃないんです。中身、メッセージなんですよ。それによって読んでいるその人の人生を変えられるかどうかなんです。



――それが紙であろうと電子であろうと関係ないですか?


原田武夫氏: 関係ないです。パソコンがないときにも読みたいなと思ったら、それは本を買うでしょうし。iPadとかで、いつも自分は何かを見ながらでも、常に読みたいと思う人は電子書籍にするでしょうし。ただそれだけの話ですね。

――原田さんの書籍を、読者の方が裁断、スキャンして電子化して手元に残しておきたいと思うことについてはどう思われますか?


原田武夫氏: 私は私の発してる言葉と、私の書いてる言葉だけで勝負してるわけです。まだ完全なものではありませんけれども先ほど言ったような意味、価値、そういうものを感じて読んでくださっている方というのがいらっしゃることはありがたいです。私の読者の方々とたまにお会いすることがあると、私がお伝えしたいことが届いているな、と感じます。たとえ会ったことがなくても伝わっている。電子書籍とかだと、読んでる最中にFacebook開いて、皆さん友達申請してくるわけですよ。そうすると、よりリアルの世界でつながっていくっていうのは面白いですね。だから書籍を読んで講演会に行くっていうのと同じですよね。電子上でリアル・タイムな関係性を作っていくっていう。それは色んな手段があって良い。でも重要なのは、サンマルコ修道院で読まれていたような羊皮紙の本。あれは2000年くらい前の本を読んでいる可能性があるわけですよね、毎日毎日。私はそういうものをいつか書きたいなと思っているので、仮に読者の方々が、そうやって手元に残したいと大切に扱ってくださっているのは非常にうれしい話ですよね。元来、私が本を書こうと思っていたその目的に非常に合致しています。

――ご自身の本が裁断されるという点について、心境的にはいかがですか?


原田武夫氏: 先ほど話したワイマール憲法の話と同じですね。ワイマール憲法っていうのを、金科玉条のごとく守っていたならば、もう政治は立ち行かない。国が倒れると思った時に合法性、すなわち、明文の憲法を越えたところの行動を政治に許す。でもそれはこの憲法の精神、根本的になぜ憲法が作られたのかっていう精神の部分に乗っ取っているからだって言うと、それに対して本を裁断するのが嫌とおっしゃるような方は、これは憲法違反だって多分言うんですよ。でも今のままでは絶対に成り行かない様な状況になった時に本当に重要なのは、言葉の持っている意味であり価値なんです。だから今は大きな分岐点なんじゃないでしょうか。

世界は日本人に期待をしている


――今後の取り組みや展望を、最後にメッセージとしてお伺いできればと思います。


原田武夫氏: 価値、意味を伝えるっていうことで、今一番足りないのは、世界が求めているにも関わらず、日本人が日本人の価値、意味というのを伝えていないとこだと思うんです。日本人が何を考えているのか、何を価値としているのかを伝えていない。江戸時代に海外から、列強が来て、ヨーロッパ人、アメリカ人たちが驚いたのは、何でこの江戸時代の日本人はみんな幸せそうなんだろうということだった。いがみ合って、競争してぐちゃぐちゃになっている今の世の中を、誰が、どういう価値観で、どういう意味を持って、再統合するのか。そこで、これまで最も沈黙を保ってきた日本人に、今最も期待がかかってるわけです。重要なのは、世界が求めている日本人が持ち担ってきた価値、あるいはその意味というのを、われわれが世界に対してどうやって伝えていくのか。私はこの橋渡しをしたいなと思っています。

――日本人としての意味、価値観を伝えていくことが重要なんですね。


原田武夫氏: 私は『北朝鮮外交の真実』という本の中で、最後に「私は、外務省は辞めるけど外交官は辞めない」と書いたんです。つまり、われわれの国が持ってる、われわれが担ってきたもの、価値観っていうものは、日本がもっと外に発信していかなくちゃならない。私はこれからの世界ってグローバリゼーションではないと思っているんですよ。ジャパナイゼーションだと思ってるんです。そこをつないでいく人間が絶対必要なんです。だからそういう意味では、官僚の官、diplomatじゃなくて、外交家って言うんですけれどdiplomatistがこれから絶対に必要なんです。だから外交家を育て、自分自身も外交家として、日本の担っている価値、意味を、世界の平和とさらなる繁栄のために伝えていきたいなと思っています。

――ある意味、武力によらない、パックス・ジャパン。


原田武夫氏: そうです。パックス・ジャポニカですね。訳すと「日本の平和」という時代。その時代の始まりです。パックス・アメリカーナの時代は、暴力と金融と貧困と圧倒的な富の集積の時代だった。でもパックス・ジャポニカは違うんです。皆が何か元気そうなんです。それは結局、循環型の社会。エコ・システムもそうですし、富の循環もそう。全ての人々にちゃんとチャンスが与えられる。そういう社会を作っていくと、争いは必要無いんです。

(聞き手:沖中幸太郎)

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