「できないこと」に挑戦し続け、固定観念をぶち壊す
午堂登紀雄さんは、不動産コンサルティング会社のプレミアム・インベストメント&パートナーズの代表取締役。ほかにも、FXに関する教育事業、出版コンサルティング事業等、幅広いビジネスに挑戦してきました。その失敗を恐れないチャレンジ精神の源の一つが数々の本との出会いだそうです。午堂さんに、本を自分の力にする読み方、執筆スタイル、出版業界の展望などをお聞きしました。
著作も企画書も、カフェで一気にアウトプット!
――お仕事の内容、またご自身の近況等をお聞かせいただけますか?
午堂登紀雄氏: 2年ほど前まで、30人位社員抱えた大きなオフィスで、色々なことをやりたいなと思って不動産の仲介の会社とか、スクールとか、それから通信販売もやっていましたが、そういう大所帯を抱えていると、身動きが取れないんですよね。「じゃあ、明日からちょっと海外へ行ってきます」みたいなことはできない。社員の目もありますからね。それで根っからの自由人の姿に戻ろうと思って、事業を分社化したんです。それぞれに社長をつけて、私はオーナーみたいな感じで今、割と自由になっています。
仕事もパソコン1台あれば、どこでもできるという環境にして、いわゆるノマドのような生活をして、昼間からふらふら、フリーターをやっているという感じですね。
――以前、毎日スターバックスで仕事されているとブログで拝見しましたが、今はどうされていますか?
午堂登紀雄氏: スタバにいると、すぐ顔と名前を覚えられる。注文しなくても、「ラテのグランデ入ります」とか店員さんがやってくれる(笑)。私は4、5時間ねばるので、さすがに恥ずかしいし、あんまり頻繁にいたら迷惑かなと思っていくつか転々としています。ドトールへ行ったり、パン屋さんのカフェに行ったり、散歩がてら立ち寄ったりという感じですね。
――執筆は、ほとんど外でされるのですか?
午堂登紀雄氏: 執筆は100%外ですね。家にいると、どうしてもネットサーフィンとかをしてしまって駄目なんですよ。生産性が下がる。カフェなら人の目があるじゃないですか。とりあえず寝ころがれないし。仕事の企画書とかも全部外で書いています。
――その場合、必要な資料はPCの中に保存されたり、クラウドに上げているのでしょうか?
午堂登紀雄氏: 大体、頭の中で練ったものをアウトプットするので、特に資料は必要なくて、基本的にパソコン1台で、クラウドサービスもあんまり使ってないですね。もちろんアウトプットする前にはインプットも必要で、項目出しとか、アイデアをジェネレーションするときに類書とか色々な本を読むので、そういうことは電車に乗っているときや、歩きながら、家で寝ころがりながら読んでいますね。色々な情報を集めて、それを一通りインプットして、頭の中でコネコネして、それをアウトプットする感じです。
人生の転機にはいつも「本」があった。
――インプットのお話が出ましたが、午堂さんにとって読書とはどのようなものでしょうか?また、今まで読んで影響を受けた本をお聞きかせ下さい。
午堂登紀雄氏: 昔、実はそんなに本は読んでいなかったんですよ。読み始めたのは、外資のコンサルタント会社に転職した29歳のときです。仕事の必要性に駆られて、1日に5冊10冊とか読むところからスタートですね。それで自分が知らなかった色々な世界や考え方があるんだなっていうことに気がついて、それから本を読むようになったんですね。その時一番衝撃的だったのは、板倉雄一郎さんの『社長失格』(日経BP社)っていう本で、それは彼がハイパーネットという会社を立ち上げて、倒産するまでの遍歴を書いたものなんですけれど、それにかなり衝撃を受けて、起業っていう選択肢ってあるんだな、っていうのを突きつけられました。それまでサラリーマンとしての生き方しかなかったので、キャリアの転機になった1冊ですね。投資をするようになったのは、ロバート・キヨサキさんの、最初の本じゃなくて『金持ち父さんの若くして豊かに引退する方法』(筑摩書房)という本を買って、やってみようと思ったのがきっかけでしたね。
――ターニングポイントにその本があったんですね。
午堂登紀雄氏: それと、今みたいに本がたくさん出せるようになったのは、情報のかみ砕き方や、解釈の仕方とかを、ある本から学んだんですよ。それは森達也さんの『世界が完全に思考停止する前に』(角川書店)っていう本。これにすごく衝撃を受けて、ああ、情報を読むっていうのはこういうことなんだっていうことを知って、多面的に情報を見られるようになってきたのが、多作ができるようになったきっかけかなと思いますね。
――読書スタイルについてお伺いします、本はご自宅や移動中に読まれるとのことですが、紙の本を持ち歩いているのでしょうか?電子書籍は利用されていますか?
午堂登紀雄氏: 今は紙の本だけですね。Kindleは持っていたけれど、売っちゃったんです。自分の本の読み方は、最初に「はじめに」と「あとがき」を読んで、それからまた、興味あるところを読んでいくっていうやり方なので、紙の方がパラパラめくりやすい。ただ、やっぱりかさばるのは問題だと思っていますね。先週カンボジアへ旅行に行ったんですけれど、本を20冊くらい持っていったら、もう重くてしょうがない。
――まず「はじめに」と「あとがき」を読むのはなぜでしょうか?
午堂登紀雄氏: 多くの著者が、「はじめに」の部分に、この本がどういう本で、どういうきっかけで書いたかという目的を書いているので、それを読めばどういうスタンスの著者なのかというのがなんとなくわかる。「あとがき」は、本文に入れられないけれども、自分の本音や、言い訳を書いていることが多いので、両方を読めば、なんとなくこの本はこういうことを書いているんだろうなというのが分かるので、単に本文の字面だけ読んで、「これはおかしい」ということが無くなるんですね。行間を読めるようになる。自分が書くときもやっぱりそうなんです。最初はなんでこの本を書くのかという目的から入って、で、最後は「色々なことが書いてあったと思いますけど」とか言い訳を書くわけですよ。
自分の本はどんな形であれ、読んでもらいたい。
――電子書籍といえば、午堂さんご自身もウェブサイトで電子書籍を販売されておりますけれども、反応というのはどうですか?
午堂登紀雄氏: 売れてないですよ、全然。1週間に1冊とかそんな感じですね。
――今は、午堂さんの読者の方はほとんど紙の本で読まれているということなのでしょうか?
午堂登紀雄氏: うん。そうかもしれないですね。というのは、私の書いているのがビジネス書なので、ビジネス書だとやっぱり、まだ市場的には難しいのかなって感じがしますね。例えば、辞書とか百科事典なんかは、既にもう電子化されていますよね。あと、絵本とか。やっぱり電子書籍になじみやすいものと、そうでないものがあるのかなって感じはしますけどね。例えば、料理のレシピ本なんかは、やっぱり電子の方が見やすいかもしれない。
――紙と電子、どちらかが無くなったり、廃れるということではないということでしょうか?
午堂登紀雄氏: 当然電子のシェアが上がってくるとは思うんですけど、やっぱり紙の本は紙の本のよさがあると思います。
――電子書籍は、個人で買った蔵書をスキャンして電子化するという形態もありますが、例えば午堂さんの本を電子化したいという読者がいらっしゃる場合、著書を裁断して、スキャンすることになりますが、それに抵抗は感じられますか?
午堂登紀雄氏: 私は感じませんね。たとえどんな形であれ、読んでくれることが大事なので。それが例えば古本屋で売っている本であっても、構わないと思っているんですよ。なぜかというと、古本でも取っ掛かりとして本を読んでもらって、面白いなと思って、別の本を買ってくれるかもしれないから。アーティストと同じですね。例えばただで自分のライブをYou Tubeにアップすると。それで、自分のCDを買ってくれればうれしいのと同じだと思うんですよ。ただ、頭に来るのは、図書館が税金を使って最新刊を仕入れる、これって税金使う意味は全くないんじゃないかと思うんですけどね。
本作りは共同作業。自分の原稿はどんどん手直ししてほしい。
――電子書籍のシェアが伸びていくことが予想されることもあって、本の作り方にも変化が出てくると思われますが、今後編集者や出版社に求められる役割はどのようなものでしょうか?
午堂登紀雄氏: やっぱり編集者はマーケッターであるべきだと思います。要するに、市場で今、どういう本が望まれているのかとか、どういうコンテンツが求められているのかを敏感にかぎとって、それを企画にして、適した人材に依頼するという。当然、著者の発掘もそうなんですが、まず企画があってこそですね。それから、私も色々な編集者と付き合って問題があると思うのが、編集者は本を作ることに一生懸命で、売ることは営業や取り次ぎ、書店にお任せっていうパターンがあるけれど、これじゃ駄目だと思っていて、やっぱり自分が作ったものは自分で売るというところまで面倒を見ないと、ますます本は売れなくなっていくと思います。だからそういう意味では、企画、著者の発掘、本作り、そして売るところまで一貫したマーケッターでないといけなくて、一般のビジネスパーソンよりも高いビジネスキルが要求されていくと思うんですね。逆に言うと、出版社の役割がもろく見えてくる。今であれば、紙の本って、1冊作るのに何千万のお金と、時間がかかる。そうすると個人ではなかなかできない。その資金的な手当てをする、広告を出したりするっていうのは、やっぱり出版社がお金を持っているからできるんですけども、逆に電子書籍になると、いらないじゃないですか。そうすると、出版社の役割って何だと。優秀な編集者と優秀な著者がいれば、販売のプラットフォームがあるから、誰でも本が出せる。出版社がある意味というのが見えなくなっている。例えば、ディスカヴァーみたいに取り次ぎを通さないで直販で売っているような所であれば、組織としての力が出てくるけども、取り次ぎに丸投げしている出版社は、出版社という器すらいらないという風向きが出てくるでしょうね。
――ご自分で本を書かれている中で、この編集者はよかった、悪かったとか、そのような違いはありますか?
午堂登紀雄氏: ありますね。私、個人的に好きなのは、自分が書いた原稿に、たくさん手を入れてくれる人ですよ。「こうした方が売れる」っていう、編集者の信念。例えば削るとか、順番を入れ替えるとか、あるいは、章ごと取って、「新しいものを書け」と言ってくるとか、そういう感じですね。逆に、出した原稿がそのままぺろっと本になると、「お前、仕事してねぇな」と思う。作品に手を入れられるのを嫌がる人もいるらしいんですが、私は逆だと思っていて、やっぱり本って、出版社にとっても、編集者にとっても、著者にとっても、商品なんですよね。だから、四の五の言う前に売れなきゃいけない。売れなきゃ誰もハッピーにならないので、やっぱり売れるものに仕上げるっていうのが編集者の役割ですよね。著者の勝手な思い込みとか、偏見とか独断で書いている文章を直していく必要があるんですよね。
自分に突っ込みを入れ、文章を磨き上げろ。
――出版不況と呼ばれる状況が続いていますが、売れる本、多くの読者に求められる本を作ることは、非常に難しいと感じます。抽象的な質問ですが、午堂さんにとって「よい本」とはどのような本なのでしょうか?
午堂登紀雄氏: そうですね。ベストセラーとロングセラーってやっぱり違うところがあって、ベストセラー、要するに初速がいいのは、やっぱりタイトルとか装丁っていうところが切り口になるんですけど、それがロングセラーになるには、やっぱり中身がよくないと長く売れないと思うんですよね。今って、ベストセラーを求めるじゃないですか。これでは皆疲弊するんですよ。コンビニの新商品と同じで、次を出していかないといけない。自転車操業なんですよね。パンと跳ね上がった後、じわじわと残っていく、っていう本作りが理想的だと思うんですよ。それはやっぱり、中身をちゃんと錬磨する、磨き上げるってことだと思うんですよ。とはいえ、そもそも手に取ってもらわなかったら話にならない。そういう意味では、「あおり」のようなものは当然必要だと思いますけどね。
――よい本を作るための磨き上げとして、論述を強くするというか、先ほど言われた独断や偏見を排すといったことが重要となりますが、執筆や編集の際に、その面で午堂さんが気をつけていることはありますか?
午堂登紀雄氏: やっぱり先回りして考えることですね。「こういうことを書いたら、読者からこう突っ込まれるな」というのがなんとなくわかってくるじゃないですか。そうすると、「じゃあこういうことも書かないといけない」という風になる。それは日常の中でも同じで、「こうやったら、きっとこう受け取られるだろうな」とか、先回りしてストーリーを考えようとするという習慣ができましたね。要するに、自分で突っ込みを入れる。これ、おかしいぞ、こういう意見もあるぞと突っ込む。そうするとあまり人から批判されない文章になりやすいっていう感じはしますね。自分の中に色々な自分を持つことで、自分の文章を作れるというか。
――いわばご自分を、その本の第一の読者にするということですね。
午堂登紀雄氏: 本を書くとき、本来は読者の目線に立って、読者の役に立つ本作りっていうのが王道なのかもしれないんですが、自分が何度でも読みたい本というスタンスで書いているんですね。後で読んだ時に「おお、割といいことを書いているな」と色々なフィードバックを受けるっていうのはすごく楽しい。これはお金には換算できない楽しみなので、続けていきたいなぁと思っていますね。
――そう言われれば、午堂さんの文章は、他者に対して押し付けがましい所が感じられないです。
午堂登紀雄氏: 読者も色々な人がいるので、押し付けると反感を買うんですよね。なので、「何々すべき」っていうのは極力使わないようにしているんですよ。自分の価値観の押し付けは、それは余計なお世話でしょってなっちゃうんで、「自分はこう思っている、あなたはどう思いますか」位の方がいいのかなって思っています。例えば、大前研一先生が言うんだったら分かりますよ。でもね、自分みたいな中途半端な人間が言うのはやっぱり難しいかなって思っています。自分は、読者を説得するつもりはなくって、気づいた人が動けばいいんじゃない、信じてくれる人が読んでくれればいいんじゃないっていうスタンスです。別にあなたがそれをやらなくても自分は困らないっていうくらい、ちょっと冷めたスタンスなので、読者から批判が来ても、あんまり気にならない。
意識を変える気づき。「会社は給料をもらって勉強できる」
――現在様々な事業を手がけられている午堂さんですが、ご苦労も多かったとお聞きしております。大学卒業後はフリーター生活をされていたそうですね。
午堂登紀雄氏: そうなんです。就職活動に乗り遅れて、就職できずに卒業してしまったんですよ。でも生活できないのでアルバイトをして、半年くらいで「これじゃまずい」と。で、たまたま大学時代に簿記の専門学校に行っていて、そこの専門学校主催の会計事務所就職フェアみたいなイベントがあって、それに行ったらいくつか「面接においで」と言われて、決まった会社へ入社したんですよ。そうしたら、いきなりミスを連発して。何度もチェックしても、何度も間違える。「お前、使えねぇな」って言われて、1年後、社長とか上司に呼ばれて、ほとんど追われるように辞めました。最終的には自主退職ですけど、まあクビみたいなものじゃないですか。その時は惨めで惨めでしょうがなかったですけど、その経験で、仕事を干されることのストレスがどんなものなのかって分かって、逆に仕事を辞めること自体は怖くなくなったっていうのはありますよね。「また就職活動をすればいい」みたいな感じで、割り切れたというか。でもそう思えたのはずいぶん後の話です。
――その後、コンビニチェーン店に入社された。
午堂登紀雄氏: そうですね。最初仕事をクビになって、「自分は社会人としてはもう駄目だ」と思ったんですよ。じゃあ何ができるかって、もうとりあえず能力がないんだったら、人より長い時間働くしかないと思って、とにかく長時間働こうと思ったんです。でもずっと長時間働いているとつらいので、どうやれば仕事を楽しめるか考えた。例えばコンビニの店員をやっていると、ピッてやって袋詰めするのなんて、つまらない。これをいかに速く、今日は何秒でやるかとか、ハンバーガーを短時間で何個作れるとかね、ソフトクリームを規定量で作る、みたいな感じで半分遊びみたいにやっていた感じですね。当時1996年くらいだと思うんですけど、コンビニがすごく増えていた時代だったんですね。どんどん新店ができていたから、先輩社員がほとんど新店の立ち上げに行っていて、自分が所属していた直営店は、ほったらかし状態だったんですよ。「勝手にやっとけ」みたいな。そうすると、本部の目が届かないから、あまり怒られない。ということは、実験できるぞっていうことに気が付いて、色々な商品を発注したりだとか、並べ方を変えてみたりだとか、ポップを付けてみたりだとか、色々なことをやったんですね。コンビニ業務って、翌日にはPOSデータで結果が出るので、よかった悪かったって全部分かるんですよ。それで自分の「引き出し」をたくさん作れたんですね。その後スーパーバイザーになると、加盟店にこれをやったらうまくいきますよって言ったら、ほんとにうまくいくんですよね。どんどん業績が上がっていった。コンビニの店長って、小さな会社の社長をみたいなもんですよね。アルバイトも面倒を見るし、予算も管理するし。「これってすごい」と思ったんですよ。会社って給料をもらいながら勉強できるパラダイスだという風に気が付いたんですね。「これはもう利用しないと損だろう」という感じに変わりました。それまでね、上司から振られてくる仕事をこなすだけっていうワーカーだったんですけど、それで意識が変わったというのが大きかったですね。
人生変えた不動産投資。運を味方にする行動力。
――不動産投資の世界に入ったきっかけはなんでしょうか?
午堂登紀雄氏: これはね、たまたまですよ。コンビニから経営コンサルタントに移って、4年やったんですけど、もうハードさが半端ない。朝9時半から行って、まず電車で帰れない。夜中の2時3時が当たり前で、毎日タクシー帰りでした。でも夜中の3時にオフィスを出るときも、誰かまだ必ずいるというくらいものすごいところで、例えば夜の11時からミーティングがあって、12時に終わって、明日の朝一番でPowerPointの資料を50枚作ってこいみたいな。もう寝られないじゃないですか。しかも、コンサルフィーってすごく高くて、例えば私の等級のときは、大体コンサルタントが1人入って、クライアントに月に1000万とか請求するわけですよ。ということは、1日30万のバリューをお前は出せたのかっていうのが見られるわけですよ、クライアントからも、社内的にも。今日1日30万のバリューなんてそうそう出せないじゃないですか。そうなるともう必死にやるしかない。そうすると1日何時間あっても足りない。家に帰れないという状況が3年くらい続いて、こんな働き方じゃ長続きしないと思った。それでもやっていく人はやっていくのですけれどね。自分はちょっと無理だな、もっとペース落として働きたいなと思ったんです。でもね、辞めちゃうと収入がない。じゃあ投資をしたらいいんじゃないかなと思って、ロバート・キヨサキの本を読んだりして不動産投資っていうのを知って、そこから不動産投資の本を読みあさって、最初は小さく始めたんです。ワンルームマンションからスタートしまして、あとはFXですね。FXもまず1万ドルから始めました。その時って2003年だったんですけど、ちょうどバブル崩壊から、そこそこ地価が回復して、ミニバブルが始まる最初のころだったんですよ。なので、銀行がたくさんお金を貸してくれて、物件もたくさんあってっていういい状況のときだった。で、同時に始めたFXも、たまたまそのとき、1ドル90円くらいから120円くらいまで、一気に円安になった時期だったので、普通に買いだけでもうかったっていう、非常にラッキーだった。今同じことを再現しろと言われてもできないですよ。
――ラッキーとおっしゃいましたが、思い立ったときに、実際やってみよう、動いてみようっていうのが一般の人たちは難しいと思うんですけど。
午堂登紀雄氏: 振り返ると、当時不動産投資っていうと、バブルで死んだ人がいっぱいいるから、怪しい、怖い、だまされるってイメージで、FXも、金を持ち逃げする怪しい外貨のブローカーとかいっぱいいて、やっぱり怖いっていう印象があった時だったので、先行して飛び込んだ利益だったのかなっていう感じはするんですよね。
――そのような行動力はどのようにして身につき、培われてきたのでしょうか?
午堂登紀雄氏: 多分、コンビニですよ。コンビニって、自分で売り場をいじらないと何も学べないんですよね。で、やれば、成果が出るっていう成功体験があった。投資でお金を無くしたって、別に命は取られないし、金はまた稼げばいいと思った。その代わり、お金と引き換えに、経験が得られるって思ってやってみたって感じですね。
成功の反対は「失敗」ではなく「挑戦しないこと」
――もちろん投資にはリスク、失敗もつきものですが、失敗とはどのように付き合っていけばよいのでしょうか?
午堂登紀雄氏: たくさん失敗すればね、誰でもできるようになるんですよ。1年間に10回失敗するよりも、100回失敗した方が、他人よりも10倍速いスピードで成長できるんですよね。で、失敗っていうのは、これは私の持論なんですけど、成功の反対が失敗じゃないんですよね。失敗の延長線上に成功があるんですよね。で、成功の反対は挑戦しないことなんですよ。挑戦しなければ、何も身につかない、何も進まない、何も動かない、何も変わらない。でも挑戦すれば、仮に失敗しても、次もっと正しい判断ができる。バスケと同じですよ。1時間に10本シュートを打つよりも、100本打った方が上達するじゃないですか。私も順風満帆に見えるかもしれないけど、会社を3つくらいつぶしてきたんです。従業員の集団退職も経験した。落ち込みますよ。上司失格っていう烙印を押された様なものなので。
――そういった失敗も全て何かにつながっているということですね。
午堂登紀雄氏: ネタですよ、ネタ。失敗するとネタが増えるので、また本を書けるんですよ。失敗したら「ラッキー、ネタが増えた」と思えば全然落ち込まないんですよね。
本当の力になる、ビジネス書の「行間」の読み方
――再び本の話題なのですが、午堂さんは重要な局面で本から力を得て、それを行動につなげてこられました。一方で今は情報過多とも言われ、本をたくさん読んでもそれを消化して自分の力にするのが難しいと感じられます。そのような若い人にアドバイスはありますか?
午堂登紀雄氏: 皆さん読書好きだと思うのですが、本を読むときの注意点があります。やっぱり本って商品なので、売れるように仕掛けている、本には上澄みの心地いい部分しか書いてないんです。読者が行間を読む様な工夫をしなければ、次々と出てくる新刊に振り回されるというだけです。例えば、「明日からノマドだぜ」とかいうことになっちゃうんですよね。特に成功者の本を読むときに注意しなければいけないのが、成功者の本は、今の考え方を書いているだけで、本当に読み取らないといけないのは、成功していくまでにやっていたことのはずなんですね。でもあんまりそこを書いていないことが多いんですよ。長年の下積みだとか、色々な苦労体験とかを。なぜそれが語られないかというと、成功した人って、過去の失敗とか苦労を、苦労と思っていない。だから、さらっと流しちゃう。人から見たら、それってリスクあるでしょうとか、悲惨でしょうとか思うことも、成功者はそう思ってないから言わないんですよね。楽しかった記憶しか覚えていないから。ビジネス書にはすごく矛盾点もあるということを理解しておかないといけない。建前を語ることも多いです。本当は、人をだましたり、うそをついたり、契約を破ったりしていても、言わないだけです、炎上するから。あとは大事なのが、よくブロガーさんとかが、自分の好き嫌いで、この本は無駄だったとか、駄本だとか言うじゃないですか。これもまた間違えているんですよね。なぜかというと、そもそも自分をレベルアップしたくて、そういう本を読むんじゃないですか。レベルアップするって今までの自分にないものを取り入れることだと思うんです。なのに、今の自分の好き嫌いで、「この本は使えるとか使えない」とかっていうのは、結局、今の延長線上の自分を再生産するだけなんですね。これはもったいない。それから、「できる、できない」っていうこともよく言いますよね。でも成長するって、今までできなかったことができるようになることでしょう。できそうもないことにあえてチャレンジしないと、何も変わらない。今成功しているんだったらいい。でももっと成功したいと思うんだったら、やっぱりそういうことを取り入れていかないと。頭の中で色々シミュレーションして、結局できないなと思ってやらないというのはもったいない。だからもう、子どもに戻れ、ばかになれみたいな感じですね。
金もうけは卑しくない。人の役に立っているということ。
――今後取り組みたいことや、本に書きたいテーマがあれば、教えてください。
午堂登紀雄氏: 1つはやっぱり、金もうけですね。金もうけはね、尊いことなんですよ。なぜかというと、人から感謝されるからお金をもらえるんですね、人の役に立っているからお金をもらえるんです。もうけるってことは、人にたくさん「ありがとう」の言葉をもらえるってことなんですよ。逆にもうからないっていうことは、人の役に立っていない。金もうけは卑しいとか言うじゃないですか。逆ですよね。あんまりもうからなくていいよって言う人は、人の役に立たなくったっていいよって言っている様なものじゃないですか。それ、どれだけ自己中ですかってことですよね。ということは、貧乏は悪なんですよ。ガンガン金もうけしなきゃなって思うんですよね。ですから、金もうけの方法論を研究して、それを本とかでフィードバックしたいなと思っています。やっぱり、常識とか先入観とか固定観念を、ぶち壊すようなメッセージを発信していきたいなと思っています。自分たちは日本に生まれて何十年、日本という価値観の中で育ってきているじゃないですか。やっぱりおかしいことも当然あるわけですよね。よく私が例に出すのが、例えば仏滅とか友引とかの「六曜」ってあるじゃないですか。あれって、元は中国から入ってきたんですけど、本家本元の中国では、意味がないっていうことで、もう廃れているんですよ。じゃなぜ日本は、律義にそれを守っているんですかっていうのを疑ってみて、「仏滅に結婚式をやめるのは意味がないんだな」と思うとかね。
――従来の考え方に捕らわれている人は、やはり多いと感じられることはありますか?
午堂登紀雄氏: 例えば、私がやっている不動産投資とかFXも、よく、危険って言う人がいるんですよ。でも、そう言う人に「やったことあるの」って言ったら、「ない」って言うんですよ。やったことないのに、なぜ安全だ、危険だって分かるんですか。要するに、断片的に入ってくる情報で、先入観、価値観を作っているんですね。これってすごく危険なことで、チャンスがないっていう人に限って、目の前に流れているチャンスに気が付かないだけなんですよね。先入観、固定観念を全部取っ払ってフラットに見れば、意外にこれはいける、みたいのが見つかるんですよね。やっぱり、重要なことはだまされないことだと思うんですよ。今回の地震でもね、原発に関して、政府がうそだらけだって、皆が分かったじゃないですか。本当に怖いのが、2014年から消費税が8%になって、2015年に10%になるじゃないですか。私、すごい大不況が到来するんじゃないかって、怖いんですよ。なので、今のうちに稼ぎまくって、外にお金移して、と思うんですよね。いわゆる「日本破たん論」は2つのパターンがあって、1つは、ほんとに危ないよってメッセージを発している人と、もう1つは、政府の御用学者で、増税しやすい土壌を作るっていう人たち。そういううそも見破らないと、増税もやむを得ないよね、となっちゃう。うまく搾取されてしまいますよね。
――これからも、人の考えを180度変えてしまうような強烈なメッセージを期待しております。
午堂登紀雄氏: 私もそうしたいと思っていますが、メッセージを届けたい人はそういう本を読まないというジレンマがあるんですよね。変わる意識のある人は、読むから変われるけど、本当に変わらないといけないのは、それを読まないほとんどの人たちです。矛盾を抱えつつ書いているんですけどね。
(聞き手:沖中幸太郎)
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