紙の本の未来は「骨董品」や「工芸品」として美しく残ること
上野千鶴子氏: 本の未来は、もうどんなに本好きな人たちがいても、「ない」と思う。「ない」けれども、「骨董品として残る」と思いますね(笑)。自分が接触している学生を見ていても、紙媒体より電子端末を見ている時間の方が圧倒的に長い。テレビ視聴時間よりも長い。時間資源は24時間でしょ。だから紙の本は読まれなくなるでしょう。
―― ズバッとおっしゃいますね。
上野千鶴子氏: だから本は工芸品として残る。マーケットは全体に縮小するでしょう。紙の本を読むという身体化された生活習慣をもった世代が、どんどん高齢化しています。ただ私の世代の前後にまだそういう人たちが一定数いますから、読書人口があって、その人たちが私の読者層なんです。だから、私はその人たちと一緒に年を取っていけば、どんな本を出しても必ず1万部は売れますから、彼らと一緒に滅びていこうと思っています(笑)
Googleが自分の本を電子化しても、学者として異論は唱えない
――本を電子化する際に、裁断ということが技術的に発生してしまうのですが、それに関して何か心理的な抵抗はございますか?
上野千鶴子氏: 全くありません。なぜかというと、本は消費財だと思っているので。商品なので、手に入れた方がどのように処分なさろうが、特に何も思いませんね。電子書籍といえば、著作権問題がありますが、ちょっとそのお話をしてもよろしいでしょうか?
―― はい、ぜひ。
上野千鶴子氏: Googleを相手に著作権訴訟がありましたね。日本文藝家協会の一部の人たちが訴訟をやるかどうかというので私のところにも呼び掛けが来たんです。私は同意できませんでした。なぜかというと、いくつも理由がありますが、まず第一に、情報の発信者というものは、たとえそれが無償であってもより多くの人にメッセージを届けたいという意図を不可避に持っているからです(笑)。それを妨げることにどんな利益もないと私は考えています。それから、プリントメディアというローテクの時代には、紙や印刷コストがかかりました。昔は植字工のような職人芸的な技術も必要でした。情報発信が高コストの時代には情報発信へのアクセスは一部の特権階級のものでした。だから「活字になる」ということがものすごくステイタスだったわけですが、もはやそういう時代ではありません。今では多くの人たちがインターネット上のホームページやブログで、無償で情報を提供しています。なかにはたんに目立ちたがりだけの人ではなくて、研究者が自分の研究論文を自分のWebページに、無償で、いつでもどこでも誰でもダウンロードできるような形で情報提供していたり、学術論文に関してはほぼ世界中の図書館がデータベースを提供して、ネットアクセスとダウンロードが自宅でできる体制が整ってきています。知の公共性ということを考えたときに、そういう情報アクセスを著作権問題でブロックするいかなる理由もないと思ったからです。
―― 訴訟することで、多くの人の知へのアクセスを妨げることになるんですね。
上野千鶴子氏: 職業的なコンテンツ生産者、つまりそれで自分の生計を立てている人たちにとっては脅威になるかもしれません。そういった方たちからしてみれば、「そんなことを言えるのは要するにあんたが研究者という給与生活者だから、情報生産で食べていないからだろう」という批判が来るでしょう。でも、もともと研究者って公共財としての知を生産している人間なんです。財には私有財、クラブ財、公共財とありますが、著作権は私有財に対する権利です。クラブ財メンバー限定の集合財。公共財は、フリーアクセスです。すべての情報は公共財への傾きを持っています。私が自分の情報を公共財化したいと思っていたとしたら、著作権にこだわる理由は何もありません。だから私の本をGoogleが全部、電子化しても反対はしない。というのが私の立場です。
―― 私有財、クラブ財、公共財ですか。確かにそこにアクセスして、たくさんの人にとって、公共財としての価値が上がることに研究者の価値があるとお考えなんですね。
Web上のコンテンツは公共財、フリーアクセスとして、他からお金を稼ぐべき方法は考える
上野千鶴子氏: 人気ブログもそうですが、私たちのやっているWeb事業についても、情報コンテンツに課金できるかどうかは、すごく大きい問題です。私たちは、このWeb事業(WAN)を始めるにあたって、その問題をすごく考えました。課金システムをシミュレーションしてみましたが、ネット上の情報コンテンツに課金したビジネスモデルで成功例がほとんどないことから、断念しました。
―― そうですね。
上野千鶴子氏: Web上の情報は公共財でフリーアクセスというルールが成立して、とてもよかったと思います。今人気ブログとか人気ホームページは何でもっているかといったら、ページビューに対する広告訴求で別のルートからお金をもらっているわけでしょう? だから、情報コンテンツのプロの生産者、つまりそれで生計立てている人の場合には、情報アクセス数が増えれば増えるほど、その人の生産する情報に対するブランド効果が上がるんだから、そのブランド効果をもとに、例えば講演で稼ぐとか、やっていただければいいのでは。ライブの講演はアクセスに制限のあるクラブ財ですから、課金してもよい。でも、公共財であるべき情報コンテンツを著作権で縛るということには、私は賛成できないですね。
―― 先生が今おっしゃったことって、You Tubeとかもそういった感じでしょうか?
上野千鶴子氏: そうですね。音楽業界の方が文字業界より先に行っているかもしれません。私はやっぱり、情報の生産者というのは、タダでもいいからメッセージを読者に届けたいと思っている人のことだと思うんです。本の未来を考えるにあたって、いかなるメディアで情報にアクセスするか、テクノロジーの変化を身体化した生活習慣をもっている人たちがいや応なしに世代交代していきます。電子情報が身体化した世代はこれから増える一方ですから、紙媒体を残そうとしても無駄な抵抗です。時代の波に乗るしかない。だけどその中でも本好きのマニア、オタクが骨董品、工芸品として紙の市場を残していく可能性はあります。日本の本作りの技術って、世界最高水準ですよ。エディトリアル・デザインに始まって、装丁、製本。海外の本に比べたら、美術工芸品と言ってよいくらいです。
日本人はあんまり自覚していないと思いますが、日本のブックデザインは国際水準でダントツです。今後も、工芸品としての本好き、本マニアや本フェチは一部に残るでしょう。本は残すべきだと大騒ぎしても、それはグローバリゼーションを止めるべきだと言っても止まらないのと同じ。抵抗できない変化だと思います。