紙の本の市場はシュリンクし、紙の本は「工芸品」として残る。でもそれを嘆いている暇はない
日本の社会学者であり、家族社会学、ジェンダー論、女性学のパイオニア、そして『おひとりさまの老後』などのベストセラー作家として活躍される上野さんに、読書について、電子書籍について思うことを伺いました。
筆者、研究者としての「読書」は主にデータベース読み。趣味として小説や漫画も読むがそちらは手元に残さない
――上野さんは書籍などの紙媒体のものを電子化していらっしゃると伺いました。どのようにされていらっしゃいますか?
上野千鶴子氏: 今、私のところも電子化を進めておりまして、山のようにある過去の業績をPDF化するという作業を着々と進めております。そのファイルをDropboxに入れて共有できるようにし、タイトルの検索をかければ直ちに紙面が出て来る状態になっています。ただしこういうことが可能なのは、すべてスペシャリストのサポートがあって、私に力量があるわけじゃない。私自身はIT弱者なんですが、スキルのあるスタッフにサポートしていただいています。
――1日のお仕事の流れはどのような感じでしょうか?
上野千鶴子氏: 日によって全然違いますね。ここはWAN(NPO法人ウィメンズアクションネットワーク)のオフィスと私の自宅を兼ねているんですが、こことは別に八ヶ岳のふもとに仕事場兼書庫を建てて、そこに本が置いてあります。執筆する仕事はそちらでやっています。それから隔週に一回のペースで立命館大学の大学院で特別招聘教授として教えているので、講義のために京都に定期的に移動しています。
――八ヶ岳の書庫の蔵書は、どれくらいありますか?
上野千鶴子氏: 数えたことがないです。一度目録を作ろうと思ったんですが、あまりの数に挫折しました(笑)。1年半前に東大を退職した時に、研究室を出なくてはならないので、書物を半分に減らしました。それでも60㎡の仕事部屋の壁面が全部、図書館みたいに書籍で床から天井まで埋まって、3列奥まで並んでいます。でも仕方ないですね、本は商売道具ですから。
書籍や資料の購入は紀伊國屋のブックプロか生協で一括購入する。
――普段、書籍を購入されるときというのは、どのように購入されてますか?
上野千鶴子氏: 大学に勤めていますと生協書籍部がありまして、1割引きなので全部、生協に注文していましたね。東大を辞めてからは紀伊国屋ブックプロ(紀伊國屋の法人や研究機関を専門とするWebサービス)を利用することが多いです。だからほぼ書店で本を買うとか、書店を徘徊する楽しみが無くなりました。そもそも、まず暇がない。書店が空いている時間に街を出歩く余裕がない(笑)。出歩いていても「じゃあ書店でしばらく時間をつぶそうか」という余裕がない。だから書店でまれに拾い物をするときがあるけれども、それよりも仕事上で入ってくるネット上の情報とか、書評や献本の方がはるかに多いですね。書店で時間をつぶす楽しみがなくなったのは哀しいです。最近は書店もずいぶん、変わったようですが。
―― どんなところが変わったとお思いますか?
上野千鶴子氏: 昔と比べれば、書店が全体に雑貨屋化したという感じ。それに評判のよい書店はどこも専門特化していますね。ジュンク堂なんかは専門書の品揃えがすごく良くて、信頼度がありますが、もう今は本を見て手に取って買う時代じゃないですからね。それに私たちのような研究者は、本が「好き」なのではなく、本が「必要」な職業の人間なので、好きで買うわけじゃない。
―― それはどのようなことなんでしょうか?
上野千鶴子氏: 見て読んで買うというよりも、著者とタイトルの情報で買いますから。私たちのような業界人の読書行動は一般化できないと思います。ただ出版社、編集者、研究者といった業界の人は確実にいますからね。こういう職業の人たちは、情報が目当てで、本をつまらないことを確認するために読んだりするんです(笑)。もはや読書の快楽のために読むわけじゃない。
上野千鶴子流「ちぎり読み」「データベース読み」はこれだ!
―― よい本、悪い本というのは開いた瞬間にわかるものでしょうか?
上野千鶴子氏: それは著者によってありますね。著者の力量は読めば大体、わかりますね。だけど、この著者のものは一通り読むという場合でも、出来・不出来があるから、本によって力の入り方の違いもあります。私たちの本の読み方は「データベース読み」(本の中身を検索して部分的に読むという読み方)ですから、本を一冊、丸々読むということがないんです。資料として研究室に山のようにある本を、ビジターや学生が目を丸くして、「先生、これ全部お読みになったんですか?」という質問をよくされますが(笑)、全部読んでいたら人生がいくつあっても時間が足りません。本を読む時にまず何をやるかというと、目次をジーっと見ます。目次を見たら内容が大体わかる。それから、あとがきを先に読みます。まえがきはその次です。
――まえがきよりも、あとがきが先なんですね。
上野千鶴子氏: あとがきが先です。で、それから目次の中の引っかかるところを読む。だからほぼデータベース読みですね。もしその部分が面白ければ、その前後に戻る。順序不同に読んで、本当に面白い本は、気が付けば最後まで読んでいる。そういうものです。でも、気が付けば最後まで読んでいるという本は、年間にそんなに多くないですね。そういう本に出会うと本当に読書の快楽を味わったという気分がします。
―― とはいっても常人から比べると大変な数になると思うんですけれども。
上野千鶴子氏: だからもう本当に、食いちぎるような読み方をバーッとするんですよ。だからストーリーラインを時系列で追わなければならないような小説を読むときには時間を食って困ります。小説は、好きな作家がいるからそこそこ読みます。でも、好きな作家でもコレクションはしません、そうでないとたまる一方だから。まれなケースはあって、いくつかフェチな好みの人の本は置いてありますけど。
読書は「生活習慣」。たった一冊が「人生を変える」なんて信じない
――上野先生の、人生を変えた一冊というのはございますか?
上野千鶴子氏: 聞かれて一番イヤなのが、「あなたの人生を変えた一冊」というような質問。そういう質問には、全部、コメントを断ってます。本一冊で人生が変わるなんてあり得ない。読書というのは、人生を作るというよりは、たんなる生活習慣なんです(笑)。アディクションの一種ですね。スキがあれば活字を見ている。トイレに行くときにも何か読む物を持たずに入れないし(笑)。
――本が好きな人は本当に、「人生がこの一冊で変わりました」とおっしゃる方が多いかと思いますが。
上野千鶴子氏: わたしの場合は違います、生活習慣なんです。一種の文字中毒みたいなものだと思いますね。本がないと生きていけないというか。
―― 電子書籍の利用などはなさいますか?
上野千鶴子氏: 今の所はありません。私は残念ながら電子書籍に関心がもてません。なぜかと言ったら、本を読むというのは、すごく身体化された生活習慣だと思うんです。私は今、NPOでウィメンズアクションネットワークというWeb事業をやっていますけど、デジタル・ディバイド(情報格差:ITを使いこなせる者と使いこなせない者の間の世代間格差を言う)でいうと、上の世代に属します。メディアってやっぱりメディアとメッセージがセットで進化してきているんですね。物心ついてから40年間ずっと情報の受信と発信をやって来ていますが、その間にメディア環境は長足の技術革新を遂げました。その変化に身体的な習慣が追いついていません。
――40年の間にですね。
上野千鶴子氏: 私たちの時代はガリ版、青焼き、リソグラフと進化して、やっとコピー機が登場し、それからワープロが出て、パソコンになって今日を迎えているわけです。プレゼンテーションだって、最初は印刷して資料を出していたのを、OHPがOHCになって、PowerPointに来たわけですね。それを全部独学でついてきたから大変でした。でも、書くことは完全にデジタル化しました。今は50字の推薦文もパソコンなしでは書けません。でも「読む」ということは身体の生活習慣なんですね。メールが来て、添付ファイルがついてくると、私はそれをスクリーン上で読むということができないんです。結局プリントアウトするのでペーパーレスにならない。あと、もう一つ身体化された生活習慣としては、私のような、コメントとか批評とか、読みながら次の作業のための仕込みをやる人間にとっては、「どんな本も赤ペンなしに読めない」んです(笑)。これはとっても困った生活習慣で、他人の本にもつい赤を入れてしまう(笑)。本を、借りて読まずに買って読むというのは、やっぱり「本を汚して読む」という生活習慣がやめられないから。そして、人の本を読むと校正したくなるとか、間違ったところをチェックしたくなる。デジタル・テクノロジーが高度になれば、ますますアナログ化するはずで、アナログ化しないのはまだ電子技術がローテクな証拠だと思いますが、人間の頭はアナログだから、デジタル・テクノロジーの変化のスピードに追い付かないんです。
紙の本の未来は「骨董品」や「工芸品」として美しく残ること
上野千鶴子氏: 本の未来は、もうどんなに本好きな人たちがいても、「ない」と思う。「ない」けれども、「骨董品として残る」と思いますね(笑)。自分が接触している学生を見ていても、紙媒体より電子端末を見ている時間の方が圧倒的に長い。テレビ視聴時間よりも長い。時間資源は24時間でしょ。だから紙の本は読まれなくなるでしょう。
―― ズバッとおっしゃいますね。
上野千鶴子氏: だから本は工芸品として残る。マーケットは全体に縮小するでしょう。紙の本を読むという身体化された生活習慣をもった世代が、どんどん高齢化しています。ただ私の世代の前後にまだそういう人たちが一定数いますから、読書人口があって、その人たちが私の読者層なんです。だから、私はその人たちと一緒に年を取っていけば、どんな本を出しても必ず1万部は売れますから、彼らと一緒に滅びていこうと思っています(笑)
Googleが自分の本を電子化しても、学者として異論は唱えない
――本を電子化する際に、裁断ということが技術的に発生してしまうのですが、それに関して何か心理的な抵抗はございますか?
上野千鶴子氏: 全くありません。なぜかというと、本は消費財だと思っているので。商品なので、手に入れた方がどのように処分なさろうが、特に何も思いませんね。電子書籍といえば、著作権問題がありますが、ちょっとそのお話をしてもよろしいでしょうか?
―― はい、ぜひ。
上野千鶴子氏: Googleを相手に著作権訴訟がありましたね。日本文藝家協会の一部の人たちが訴訟をやるかどうかというので私のところにも呼び掛けが来たんです。私は同意できませんでした。なぜかというと、いくつも理由がありますが、まず第一に、情報の発信者というものは、たとえそれが無償であってもより多くの人にメッセージを届けたいという意図を不可避に持っているからです(笑)。それを妨げることにどんな利益もないと私は考えています。それから、プリントメディアというローテクの時代には、紙や印刷コストがかかりました。昔は植字工のような職人芸的な技術も必要でした。情報発信が高コストの時代には情報発信へのアクセスは一部の特権階級のものでした。だから「活字になる」ということがものすごくステイタスだったわけですが、もはやそういう時代ではありません。今では多くの人たちがインターネット上のホームページやブログで、無償で情報を提供しています。なかにはたんに目立ちたがりだけの人ではなくて、研究者が自分の研究論文を自分のWebページに、無償で、いつでもどこでも誰でもダウンロードできるような形で情報提供していたり、学術論文に関してはほぼ世界中の図書館がデータベースを提供して、ネットアクセスとダウンロードが自宅でできる体制が整ってきています。知の公共性ということを考えたときに、そういう情報アクセスを著作権問題でブロックするいかなる理由もないと思ったからです。
―― 訴訟することで、多くの人の知へのアクセスを妨げることになるんですね。
上野千鶴子氏: 職業的なコンテンツ生産者、つまりそれで自分の生計を立てている人たちにとっては脅威になるかもしれません。そういった方たちからしてみれば、「そんなことを言えるのは要するにあんたが研究者という給与生活者だから、情報生産で食べていないからだろう」という批判が来るでしょう。でも、もともと研究者って公共財としての知を生産している人間なんです。財には私有財、クラブ財、公共財とありますが、著作権は私有財に対する権利です。クラブ財メンバー限定の集合財。公共財は、フリーアクセスです。すべての情報は公共財への傾きを持っています。私が自分の情報を公共財化したいと思っていたとしたら、著作権にこだわる理由は何もありません。だから私の本をGoogleが全部、電子化しても反対はしない。というのが私の立場です。
―― 私有財、クラブ財、公共財ですか。確かにそこにアクセスして、たくさんの人にとって、公共財としての価値が上がることに研究者の価値があるとお考えなんですね。
Web上のコンテンツは公共財、フリーアクセスとして、他からお金を稼ぐべき方法は考える
上野千鶴子氏: 人気ブログもそうですが、私たちのやっているWeb事業についても、情報コンテンツに課金できるかどうかは、すごく大きい問題です。私たちは、このWeb事業(WAN)を始めるにあたって、その問題をすごく考えました。課金システムをシミュレーションしてみましたが、ネット上の情報コンテンツに課金したビジネスモデルで成功例がほとんどないことから、断念しました。
―― そうですね。
上野千鶴子氏: Web上の情報は公共財でフリーアクセスというルールが成立して、とてもよかったと思います。今人気ブログとか人気ホームページは何でもっているかといったら、ページビューに対する広告訴求で別のルートからお金をもらっているわけでしょう? だから、情報コンテンツのプロの生産者、つまりそれで生計立てている人の場合には、情報アクセス数が増えれば増えるほど、その人の生産する情報に対するブランド効果が上がるんだから、そのブランド効果をもとに、例えば講演で稼ぐとか、やっていただければいいのでは。ライブの講演はアクセスに制限のあるクラブ財ですから、課金してもよい。でも、公共財であるべき情報コンテンツを著作権で縛るということには、私は賛成できないですね。
―― 先生が今おっしゃったことって、You Tubeとかもそういった感じでしょうか?
上野千鶴子氏: そうですね。音楽業界の方が文字業界より先に行っているかもしれません。私はやっぱり、情報の生産者というのは、タダでもいいからメッセージを読者に届けたいと思っている人のことだと思うんです。本の未来を考えるにあたって、いかなるメディアで情報にアクセスするか、テクノロジーの変化を身体化した生活習慣をもっている人たちがいや応なしに世代交代していきます。電子情報が身体化した世代はこれから増える一方ですから、紙媒体を残そうとしても無駄な抵抗です。時代の波に乗るしかない。だけどその中でも本好きのマニア、オタクが骨董品、工芸品として紙の市場を残していく可能性はあります。日本の本作りの技術って、世界最高水準ですよ。エディトリアル・デザインに始まって、装丁、製本。海外の本に比べたら、美術工芸品と言ってよいくらいです。
日本人はあんまり自覚していないと思いますが、日本のブックデザインは国際水準でダントツです。今後も、工芸品としての本好き、本マニアや本フェチは一部に残るでしょう。本は残すべきだと大騒ぎしても、それはグローバリゼーションを止めるべきだと言っても止まらないのと同じ。抵抗できない変化だと思います。
WAN(NPO法人ウィメンズアクションネットワーク)のサイトを立ち上げたわけ
上野千鶴子氏: 私たちがこのWeb事業(WAN)を始めたのはどうしてかというと、私たち、フェミニズム界隈の女性たちは、ミニコミの紙媒体でずっとつながってきたんですね。そのミニコミが、高齢化やコストの問題で、しだいに休刊、終刊になってきています。それに若い人が入ってきてくれない。ミニコミをやっているところは、どこも弱小団体なので、このままでは高齢化とともにジリ貧なんです。その危機感から、「若い人に受け継いでもらうためにはネットというツールに乗るしかない」ということで、満を持してスタートしました。今、4年目に入っています。やってみたら非常に潜在的な可能性が大きいことがわかったし、その潜在力を私たちまだ10パーセントも使っていないんですよ。例えば今、動画をサイト上にアップしているんですが、動画はハードルが低くて、低コストで制作できるし、スキルもたいしていらないということがわかりました。私たちはプロを育てようというわけではないから、素人が明日から情報発信者になれる情報の民主主義の媒体をつくりたい。ですから今までプロに外注していたものを、内部で人材を育てて、誰でも情報発信者になれる仕組みをつくっています。このサイトをやっている最大の理由は、フェミニズムを若い世代にどうやってつなぐかということですが、それを始めたら、20代、30代の女性が入ってきてくれました。そこで色々なチームを作って、You Tubeに映像コンテンツをアップしたり、ミニコミをデータ化してアーカイブ化するプロジェクトを進めたり、メディアが取り上げないニュースコンテンツを報道したりしています。サイト上にはアートギャラリーがあり、上野研究室があり、それから政策的提言もあり、ブックストアはAmazonアフィリエイトになっています。相談室もあり、それからマーケットの物販もあり、という多様な活動をやっています。これを今、全部で100人以上のボランティアが動いて制作しているんです。
――このウェブサイトもかなり見やすいですね。
上野千鶴子氏: Webマスターだけはプロにお願いしています。コンテンツ制作は、100パーセント素人。理事長以下、全員、無償のボランティアです。相談室も、心理相談の回答者がフェミニストカウンセリングの第一人者、河野貴代美さん。キャリア相談がキャリアカウンセラーのパイオニアの福沢恵子さん。法律相談はプロの弁護士。全部タダ。NPOの会員が会費を払ってこの活動を支えてくださっています。ユーザよりも会員の年齢層が高いです。その方たちは世代的にデジタル・ディバイドの上の人たち、ネットを使わない人まで会員になって応援してくださっています。
―― このサイトをやることで、20、30代の人たちが新規で入ってきてくれるんですね。
上野千鶴子氏: 敷居が高いとか使い勝手が悪いとか色々ご批判を受けておりますが、ようやくここまでこぎつけました。でもね、これを始めたおかげで、担い手の年齢が今の私の年齢(還暦を過ぎていますが)よりマイナス20歳くらい、若返ったのよ。それをさらにマイナス20歳若返るのが目標。20代はこれからです(笑)。
次の目標は「スマートフォン」で情報発信すること
―― 今後の新しい取り組みや世の中に発信していきたいものなどを伺えますか?
上野千鶴子氏: WANは、フェミニズムのオルタナティブ・メディアです。フェミニズムは、マスコミに嫌われているんです。大新聞のデスクのおじさまたちはジェンダー系が嫌いで、記事を載せてくれないんですよね。しょうがないから自分たちで自前のメディアを作ってきたんですが、紙媒体からWebに引っ越したわけです。情報の発信と受信に関してかつてと根本的に違うのは、誰でも情報発信者になれるという情報の民主主義です。それまで紙媒体だったらコストもかかるし、「活字になる」ことへのプレステージもあって、クラブ財的な希少財だったのが、そうじゃなくなってきた。今、WANでは次のプロジェクトとして、スマートフォンで3分映像を撮影・編集して、全国から情報発信してもらう発信者を育てようと考えています。
―― どういったものなんでしょうか?
上野千鶴子氏: 各地のイベント情報などを、地方から発信してもらおうと思っています。脱原発だって東京だけでやっているわけではありません。この前はドイツのデュッセルドルフ在住の日本人による脱原発デモを配信しました。それに、東京の人って地方のことをあんまりよく知らないんですね。でも日本って多様性があってすごく広いところでしょう?こういうミニコミの発信や女の運動は、地方の草の根の女性たちがやってきたんです。だから、地方で何が起きているかということをちゃんと情報発信していくことが必要なんです。
WANの本部は京都にあります。京都は、日本で最初の女性専門の書店、ウィメンズブックス、香堂の発祥の地。その初代店長である中西豊子さんが、WANの言い出しっぺですが、今78歳。彼女は書店経営者だから、本が売れなくなったことをとてもよくわかっていて、「これからはITの時代だ。web事業をどうしてもやりたい。私はこれをやらないでは死ねない」って言いだして、私たちはみんな巻き込まれました(笑)。素晴らしい先覚者でしょう?
「私はこれをやらないでは死ねん」と78歳のオバサマに言われては、後には引けない
―― やはりそういう発信は女性からなんですね。
上野千鶴子氏: やっぱり、女性には既得権と資源がないからですね。失うものがないから、前に進むしかない。「私はこれをやらないでは死ねん」と78歳のオバサマに言われりゃ、それは後に引けんわな(笑)。彼女が台風の目で、私たちが全員巻き込まれたわけですが、いざ始めてみたらWebの潜在可能性は、紙媒体なんか問題にならないくらい、大きいことに気がつきました。情報発信の敷居の低さ、容易さ、そして場所を選ばない拡がり。
―― すべての人が発信者になりえるんですね。
上野千鶴子氏: そう。それを考えたら、やっぱり発信者になってもらおうって思いました。あとはね、時間資源は貴重だから、15分の映像だったら長すぎるのね。見ていられない。3分スマートフォンでいい(笑)。例えば、広島で原爆の記念日に女の子たちが何かイベントをやってるとしましょう。その場で映像を撮って、すぐに投稿してもらってアップしていくようなことを展開したいなというのが次の希望ですね。
―― そうすることによって多様性が生かされますよね。
上野千鶴子氏: 今、脱原発には、日本中で色々な動きがあります。今年、ちょっと面白いことをやったんです。「3.11つながるWAN」といって、3.11に福島以外の全国各地で、脱原発のイベントをTwitteでも投稿でも映像でも何でもいいから、24時間同じサイトに集めようという試みです。仕掛けがある強みですね。仕掛けがあればアイデアが出て来る。だから仕掛けをつくるにはインフラ投資したほうがよいと思いましたね。「3.11つながるWAN」では実際にはものすごくローテクなことをやりました。Twitterにハッシュタグを入れて投稿したものを、24時間スタッフが2人張り付いて手作業で拾いました。
―― まとめサイトをされたんですね。
上野千鶴子氏: まとめサイトです。インターネットというのは、こういうことを思い付けばすぐできてしまうという敷居の低さがすごい。何も福島に行かなくても、自分の地元で情報発信したらいい。やりたいことのアイデアを思い付く人たちは、それなりにITスキルのある人なのね。私は理事長だから、たった一つの仕事は、「やれば?」と言うのが仕事(笑)。
―― ある意味アナログとデジタルの融合というか、初めてそこでデジタルが活用されるのかもしれないですね。
上野千鶴子氏: そうです。やっぱり情報の民主主義です。メディアをマスコミに独占されない、させないというね。地方で、すごい才能があってお金にならない人たちがいっぱいいるから、その人たちをこうした活動でもっともっと掘り起こしていきたいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 上野千鶴子 』