田坂広志

Profile

1951年生まれ。1974 年東京大学卒業。1981年東京大学大学院修了。工学博士。1987年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。1990年日本総合研究所の設立に参画。取締役を務める。2000年多摩大学大学院教授に就任。同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立。2003年社会起業家フォーラムを設立。2008年世界経済フォーラム(ダボス会議)GACメンバーに就任。2010年世界賢人会議ブダペストクラブ・日本代表に就任。2011年3月~9月東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。原発事故対策、原子力行政改革、原子力政策転換に取り組む。著書は60冊余。現在、海外でも旺盛な出版と講演の活動を行っている。

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本を書くということは、自分を癒す作業だと思います



元内閣官房参与であり、工学博士、多摩大学大学院で教鞭をとり、シンクタンク・ソフィアバンク代表として社会起業家育成に努める田坂広志さん。『知のパラダイムの転換』を提唱され、世の中を変えていくために尽力されている田坂さんに、読書の方法について、そして、電子書籍の可能性について、お話を伺いました。

大学教授、シンクタンクの代表、世界賢人会議の日本代表など、マルチの方面から世の中を変える取り組みをする


――いま、色々なお取り組みをされている中で、一般の読者に向けて、現在のお仕事についてご紹介いただけますでしょうか?


田坂広志氏: そうですね、いま、教える仕事としては、多摩大学大学院の教授として社会起業家論を教えています。目的は社会起業家を育成することですが、ソーシャルビジネスやソーシャルエンタープライズ(社会的企業)、ソーシャル・イノベーション(社会変革)などを教えていますね。ただ、大学院の教授というのは私の一つの姿に過ぎません。もう一つの姿は、シンクタンク・ソフィアバンクの代表ですが、このシンクタンクは、世の中を変えていくためには、まず「知のパラダイム(大きな枠組み)」を変えていく必要があるとのビジョンのもと、世界的なネットワークの中で様々な分野のパートナーが集まり、そのパラダイム転換に取り組んでいます。例えば、元世界銀行副総裁の西水美恵子さんなどもパートナーとして活躍されています。また、私は、社会起業家フォーラムという組織を創り、その代表も務めていますが、その兄弟組織として生まれた社会起業大学でも名誉学長を務めています。この大学が主催する社会起業家コンテストなどを通じて世の中で活躍する社会起業家を育成・支援していくことが、私のもう一つの大きな仕事です。また、私は、世界経済フォーラムのグローバル・アジェンダ・カウンシルのメンバーもしていますので、ダボス会議においても、この社会起業家やソーシャル・イノベーションなどに関するメッセージを語っています。さらに、四人のノーベル平和賞受賞者が名誉会員を務めるブダペストクラブ(世界賢人会議)の日本代表も務めていますが、これはアーヴィン・ラズロ博士が主催する世界の識者が集まる会議であり、知のパラダイムを変え、未来への提言を行っていこうという集まりでもあります。また、政府の関係では、去年、3月29日から9月5日まで、内閣官房参与として原発事故対応に取り組み、この公職を退任後も、政府に対して様々なアドバイスをしてきました。

世界を変えるには、まず、物の見方や考え方を変える「知のパラダイム転換」が必要である。


――先ほど、「知のパラダイム」とおっしゃいましたが、それはどのような考え方なのでしょうか?


田坂広志氏: これは1993年に私の著作『生命論パラダイムの時代』(ダイヤモンド社)に書いたことですが、もし我々が世界を変えたいと思うならば、まず、「知」の在り方、すなわち、物の見方や考え方を変えなければならないのです。ここで、「パラダイム」とは、トマス・クーンが提唱した考えであり、「枠組み」という意味の言葉ですが、要するに、物の見方や考え方の枠組みを、根本から変えなければならないということです。例えば、「世界とは、巨大な機械である」と考えるのは、「機械論パラダイム」と呼ばれるものであり、「世界とは、大いなる生命体である」と考えるのは、「生命論パラダイム」と呼ばれるものです。すなわち、機械論パラダイムで世界を捉えると、例えば「リエンジニアリング」や「リストラクチャリング」という言葉に象徴されるように、企業というものを、あたかも「巨大な機械」と見なして、これを効率的に設計し、構築し、管理し、操作するという発想が強くなるわけです。これに対して、生命論パラダイムで世界を捉えると、企業というものを「生命的な場」として見つめるため、マネジメントのスタイルも、全く違ったものになっていきます。

――先生は、そうしたマルチな方面から、社会に大きな変革を生み出す仕事をされていると思うのですが、先生がご自身の使命を感じるきっかけはどのようなことだったのでしょうか?


田坂広志氏: 私は1970年に大学に入った人間です。ご存じのように68年、69年は全国大学闘争の時代で、学生であれば誰もが社会に多くの問題を感じ、この問題に満ちた社会をどう変えるかという思いを持った時代でした。あの時代に一人の人間として心に抱いた、「この問題に満ちた社会を、生涯かけて変えていかなければ」という思いは、61歳を迎えたいまも、変わらないですね。私の著書、『仕事の思想』(PHP研究所)には、帯にこう書いてあります。「あなたは、若き日の夢を抱き続け、30年の歳月を歩めるか」と。若い時代に心に抱いた思いを、単に<若気の至り>と言ってしまうのではなく、その思いを抱き続け、30年の歳月を歩む。この本は、1970年を起点に、私自身が30年を歩んだときに書いた本なのですね。あの1970年頃は、水俣病もあり、ベトナム戦争もあり、貧困もありました。そういう意味で、私の「志の原点」があるとすれば、やはり、あの若き時代でしょうか。

どれほど偉大な思想にも、すべてを語り尽くしたものはない


――ご自身の読書体験を教えていただけますか?


田坂広志氏: 読書体験という意味で言えば、親から買ってもらった絵本から始まり、それこそ色々な本を読んだと思いますが、「思想的な体験」という意味での読書体験の原点は、高校時代、あの全国大学闘争という時代背景の中でマルクス主義の本を始め、哲学、経済学、政治学、社会学など、色々な本を読みましたね。ヘーゲルやサルトルなども読みました。私はマルクス主義者ではありませんが、マルクスの思想というのは哲学、経済学、社会主義思想を含めた非常に壮大な体系を持っています。やはり若き日に思想を求めたとき、壮大な体系を持った思想に惹かれますので、その意味では大きな影響を受けたのですね。

――それでも、単純にマルクス主義に傾倒しない理由というのは、何だったのでしょうか?


田坂広志氏: どれほど偉大な思想にも、やはり、ある種の限界があるからです。すべてを語っている思想というものは、在るようで無いのです。例えば、マルクス主義というものは、やはり人間の精神の深い部分にはあまり踏み込んでいません。後年、私が「人間の心の苦しみ」の問題を深く見つめるようになると、やはり仏教思想に向かい、仏教でも禅の思想に向かって、学びを深めていったのですね。なぜなら、マルクス主義の視点で、政治学や経済学、社会学をどれほど学んでも、限界があるからです。もともと人間というものは、サルトルの言葉で言えば「実存的」な存在です。例えば、いま、一人の人間が貧困の中で苦しんでいるときに、「マルクス主義が、いずれ労働者階級を解放する」といくら言われても救われない。いや、まだ貧困であれば、マルクス主義で多少は救われる気になるかもしれないですが、病気や障害で心の苦しみを抱いていたり、家族との不和や葛藤などの問題を抱えていたときには、マルクス主義がどれほど壮大な思想体系であったとしても、やはり個人の心の内面に光を届けられるような思想ではない。それが、私の学びが宗教的なものに向かった理由であり、日本人として仏教や禅などの思想に向かった理由ですね。

著書一覧『 田坂広志

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