平野敦士カール

Profile

東京大学経済学部卒業後、日本興業銀行、NTTドコモiモード企画部アライアンス推進担当部長を経て、ハーバード・ビジネススクール准教授とともに戦略コンサルティング会社、株式会社ネットストラテジーを創業、社長に就任。元楽天オークション取締役、元ドコモ・ドットコム取締役、元タワーレコード取締役。社団法人プラットフォーム戦略®協会理事長、ハーバード・ビジネススクール招待講師など、国内外での講演多数。著書に『カール教授と学ぶビジネスモデル超入門』(ディスカヴァー21)『プラットフォーム戦略』(東洋経済新報社)など多数あり、韓国台湾など海外でも翻訳されている。

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人と違うことは「素晴らしい」こと



東京大学経済学部卒業後、日本興業銀行を経て、NTTドコモに転職。Iモード企画部アライアンス推進担当部長としておサイフケータイの普及に成功。2007年ハーバードビジネススクール最年少准教授とともに、コンサルティング、研修事業を行う株式会社ネットストラテジーを設立、ビジネス書の著者としても、教育者としてもご活躍中の平野敦士カールさんに、本と電子書籍についてのお考えを伺いました。

大学教授、プラットフォームのマーケティングのアドバイスと忙しい日々


――早速ですが、「ネットストラテジー」の業務内容を含め、そのほか教育者としてのお仕事についてもお話しいただけますか?


平野敦士カール氏: いまは大前研一氏が学長をされている「ビジネス・ブレークスルー大学」で教授をしているのと、早稲田大学ビジネススクール(MBA)で非常勤講師をしておりまして、主に経営戦略(プラットフォーム戦略®)とITマーケティングを教えております。「ネットストラテジー」としては、いろんな会社のアドバイザーをやっておりまして、一部上場企業がほとんどなのですけれども、プラットフォームビジネスを構築したいというような話が多いので、そういった経営に関するアドバイスをしています。本を読んで社長さんご自身が会いたいということだったり、Facebook経由でメッセージが来たりとか、あとは講演も多いので、そこにいらした方からのご紹介もありますね。

――まさしくご自著の中で触れられている『パーソナル・プラットフォーム戦略』ですね。


平野敦士カール氏: 最近Facebook経由での講演依頼も多いですし、そのまま「うちの顧問になってください」みたいな話もあります。

――それは正式なビジネス書面で、メッセージ欄から来るんですか?


平野敦士カール氏: いきなりメールが入っていたりします。この間も、韓国最大の通信会社のSKテレコムというところから、「国際会議があるので基調講演をやってくれないか」という依頼がFacebook経由で来ていました。海外からも講演依頼がFacebook経由で来ているんですね。結構多いですね。そういった講演活動もやっておりますし、あとは、新たにプラットフォームを自社でもやるということで、「パーソナル・プラットフォーム戦略ひとり社長講座」という個人向けの戦略構築講座を開始しています。

――ご自著でも、「ひとり社長」という個人の戦略について書かれていますね。


平野敦士カール氏: そうですね。「ひとり社長」は意外と人気があって、どちらかというと私の場合には「セルフブランディングというよりはむしろ個人の戦略を作りましょう、企業の戦略も個人に適用しましょう」みたいな部分ですね。「プラットフォーム戦略®」というのは読んでの通り企業の戦略でもありますし、国家戦略でもありますし、個人にも落とせるということでいろんなところに汎用性があるものですから、個人で自分をプラットフォーム化する方法を学ぶ講座が、いま人気です。

アメリカで生まれ、幼少期に「人との差別化」を学ぶ


――そういったものというのは数々のご経験から培ってきたものだと思うのですが、どのようにしてそういうお考えに至ったのかをお教えいただけますか?


平野敦士カール氏: 私はアメリカで生まれまして、アメリカとカナダで幼少期を過ごして、7歳の時に来日したんです。1回、2歳半の時に日本に来たんですけれども、またすぐカナダに行ってしまいましたので、6年間ぐらいアメリカとカナダにおりました。

――では最初の読書体験は英語でしたか?


平野敦士カール氏: 英語だと思います。小学校1年生から3年に飛び級したのですが、日本に戻ってきてもう一度小学校1年生からやったという感じだったんです。そういう意味では、結構よく勉強していたんだろうなと思いますね。言葉がわからないというのが非常に苦痛ですので、そういう意味で最初に勉強したのはたぶん英語の教科書だと思います(笑)。もちろん両親とも日本人ですから日本語で会話をしておりましたけれども、文字として見るのは英語の絵本とか、漫画とかも『スパイダーマン』とか、向こうのものが先に入ってきてしまいました。『アダムスファミリー』とか小さい時によく見ましたね。そういう意味では、漫画もアメリカで初めて触れていると思うんですね。

――いまでも何か平野さんの生活様式に影響を与えているようなことはありますか?




平野敦士カール氏: どうなんでしょうね、あまり影響はないと思います。ただ、意外とアメリカの教育というのは、小学生だったということもあってビジュアルをすごく重視していました。絵本にしろ、学校での授業にしろ、左脳的というよりは右脳的な教育が多い気はしました。日本に帰ってきたら「文字ばっかりだな」という感覚を持ちましたね。

――違いというのは、そういうところからすでにあったのですね。


平野敦士カール氏: あとから思うと、日本の場合って「みんなと同じことがいいこと」じゃないですか。でもアメリカとかカナダの学校というのは、「みんなと違うところをいかに出せるか」ということが重要で、戦略的な用語でいうと「差別化」になるんだと思うんですけれども、違う方が素晴らしい、そういう教育を受けて育ってしまったんです、幸か不幸かですね(笑)。

帰国してから中学受験で「麻布学園」へ。受験と勉強の楽しさを学ぶ


――その中で日本に帰って来られて、実際に中学、高校と、日本の超進学校と呼ばれる学校に進学されたのですね。


平野敦士カール氏: 麻布学園の麻布中学校というところに進学しました。帰国してから公立の小学校に入りまして、その後学校の先生から「この塾を受けたらどうか」ということをいわれたので、受けて、たまたま運が良かったんでしょうが、「四谷大塚」という塾に2番で合格したので行ったのですが、一緒に勉強する仲間がいて、友達同士で毎週テストみたいなものを受けて、当時それが楽しくて勉強する習慣がついたかもしれないですね。参考書とかの領域が決まっていて、毎週日曜日に試験を受けに行って、それによってアウトプットをしていくという。アウトプットから逆にインプットを入れていくという勉強を、小学校の時に身に付けたのかもしれないですね。

――それがいまでも何か根幹の部分で役に立っているんでしょうか?


平野敦士カール氏: そうですね。『パーソナル・プラットフォーム戦略』(ディスカヴァー携書)にも書いたのですけれども、英語の勉強法とかでも、最初に試験がどうなっているのかというところから逆算して、じゃあ何を学んでいくかというものがアウトプットからわかるということを、無意識のうちに小学校時代から考えていたのかもしれないですね。私は、実は漫画が読めない人なんです。文字を読んでしまうので、漫画を読むと疲れてすごく嫌いだったんです。唯一好きだったのが楳図かずおさんの本で、それだけは絵でわかったのでビジュアルで入っていけたんでしょうね。あとは、文芸ものも正直あんまり読みません。むしろ本よりもドラマとか映画が好きで、どういう風にシナリオが展開していくのかなとみているのが好きなんです。自分が執筆する時も、読者である登場人物が具体的に決まって、それが実際にどう動いていくのかというのを、ビジュアルで考えたものを文字に落としていくというタイプですね。

すべての活動は「バリューチェーン」の輪でつながっている


――普段、執筆はどのようにされているのでしょうか?


平野敦士カール氏: そうですね。私が大学で講義をしているのも、コンサルティングも、本も、実は1つのバリューチェーンになっています。例えば大学で講義するたびにいろんな文献を読んだりとか、専門書を知識として読んだりするんです。それを基に、自分での講義録をパワーポイントで作っていく。それで、その講義録ができたところを基に生徒の反応などを見て、それをまた本にしていく。コンサルティングも、その知識を元に実際の企業でアドバイスをして実践していく。それをまた講義に戻して、また本にしてということをぐるぐると回している感じなのですよね。

――そういった仕事法というか思考法は、社会人になって少しずつ積み重ねていったものなのですか?


平野敦士カール氏: そうですね。父親が東京慈恵会医科大学の教授でしたので、もともとアメリカに行ったのもアメリカの大学教授の関係だったのと、母親も大学で教えておりましたし、いま姉も大学で教えていますし、義理の兄も弁護士ですけれど司法研修で教えております。どちらかというと先生一家に生まれたんです。そういう意味で、自分だけ「日本興業銀行」というところにおりましたので、その当時何となく肩身が狭かったんですね。そういう意味では、「教える」ということは、昔からやってみたいなという風には思っていたのだと思います。講演もサラリーマン時代も頼まれてやっていましたしね。ドコモに勤めていた時も年間50回ぐらい講演していました。

当時は「おサイフケータイ」というテーマから講演すると、反応が来ることに対して面白いなと思って、そのへんからだと思いますね。海外での講演ももともとはほかにお願いしていた人がいたけれど、その人が忙しくてできないので「平野さんお願いします」みたいなピンチヒッターで講演したのがきっかけだったんです。シンガポールでの大きなテレコム系のカンファレンスだったんですけれども、そこですごく緊張したんですけれども、1発目英語で講演をしてみると、その後はすごく慣れたので、失敗だったか成功したかどうかはわかりませんけれど(笑)。とりあえず何かチャンスが来た時につかんでいくというか、物おじせずにチャレンジするということがすごく重要なのかなとは思いますね。

――平野さんでも緊張されることがありましたか?


平野敦士カール氏: いまでも講演の前の日とか、すごく緊張したりしますけれど、「緊張するけれども本番はうまくいくだろう」というのがどこかにあって、本番は緊張せずにできますね。

NTTドコモで取り組んだ「おサイフケータイ」のマーケティング


――そしてまた平野さんといえば、「おサイフケータイ」のエピソードがありますが。


平野敦士カール氏: 私が考えたのが携帯を使ったクレジット事業で、「iD」という名前になりましたけれども、最初のクレジットの立ち上げのころとおサイフケータイそのものの普及というのをやらせていただきました。小売りとかカード会社とか、全くいままでドコモと接点がなかった人たちをいかに巻き込んでいくかというところが非常にチャレンジングだったんですけれども、私は元銀行員だったので、金融については一応わかっていて、ちょうどそことの橋渡しができたので良かったなと思います。クレジット事業をドコモがやるということは、金融機関から転職してきた人間はドコモにも何人かいたんですけれども、その人たちと話をするとわかってもらえて「やるべきだよね」みたいな話だったんですけれども、そうじゃない通信とかインターネットの人は「何でいまさらクレジット事業をやるの?」みたいな感じで。結局4年間ぐらい社内の説得にかかりましたね。別にそれは悪気があるわけではなくて、単純に知らない業界だったからでしょう。



金融にいた人間はプラスチックのクレジットカードというのと携帯電話というのは、バリューチェーンというものを考えた時に「ユーザーがいて」というところで非常に同じに見えるわけです。だからすごく親和性があると思うのですけれども、そうではない業界の人にとっては全く違う業界に見えてしまうんだと思うんですね。でもそれをドコモは許してくれた。やらせてくれたことに対しては本当に感謝していますし、いまでもドコモグループのアドバイザーをやっていて、しょっちゅう行っておりますので、いい会社だと思います。私は銀行から年収が300万ぐらい下がってもドコモに行ったわけですけれども、もうちょっというと、金融というものに関してはある程度プロフェッショナルになったと思ったわけです、だからもう1つメジャーを自分で作りたかった。金融以外の何かと掛け合わせると、非常に自分自身のポジショニングが珍しいものになるだろうと。これはたぶん小さい時から差別化を常に考えていて、「どうしたらほかの人と違うものになるか」というようなことだったんです。ITというものが次世代のコメだと当時いわれていましたので、こういう技術の通信事業、特にモバイルというものがすごく魅力的に映ったんですね。

これはうちの母親がちょうどガンで入院して、亡くなったんですけれども、余命3カ月といわれて、病室から出られなかったので携帯電話しかなかったんです。当時はまだドコモがなかった時代だったんですけれども、その時にNTTに行って携帯電話を借りて、預託金7万円で非常にまだ高かったんです。その時に使ってみたら、非常にこれは便利だなと。これはたぶん必ず普及するだろうとその時思ったんです。それでたまたまドコモの採用公募があるということで、実は大手のアメリカ系投資銀行からは内々定はいただいていたのですが、そこへ行っても結局同じことをやるので、それよりは何か違うことをやりたいということでドコモに入ったんです。

年収300万ダウンでも、あえて「ドコモ」を選んだわけ


――いまのいわゆる転職と呼ばれるものは、年収アップというのが最初に掲げられていますね。そこをあえて年収が下がってもドコモへ行かれた。


平野敦士カール氏: 逆の道を行ったんですよね。正直いって、アメリカ系の投資銀行は、当時は良かったけれどそれこそ年収5000万円とか、そのぐらいのレベルだったわけですから。それでドコモに行って、年収も300万ぐらい下がって「なんてバカなんだろう」という風にはいわれました。でも当時、通信とかITというものを掛け合わせたスキルを持つ人というのがあまりいないというのがあったので、「何とか成果を出したい」というのがありました。「世界初」みたいなことができたらすごく面白いだろうなと思いましたね。お金も重要だと思いますけれども、ただそれが結局短期的に稼いで終わるのかということですよね。私は『アライアンス「自分成長」戦略』(日本実業出版社)という本も出していてそこでも書いています。長期的に自分自身を考えた時には、その時に米系の投資銀行に行った方がもしかしたらお金持ちになっていたかもしれませんけれども、いわゆるオンリーワンというイメージでいうと、選択としては結果的には良かったのかなとは思います。

「自分が自分が」が嫌いで、周りに引き上げてもらうタイプ



平野敦士カール氏: 銀行マンは世の中にあふれるほどいますしね。金融の仕事も「プロジェクト・ファイナンス」といって海外で発電所を作ったりとか非常に面白い仕事をやらせていただいたので、海外出張も多かったですし、希望して行ったので満足はしていたのですが、あえて違うものにチャレンジしたかったんですね。でも結構失敗の連続でもあったし、例えば行員の時も初めから国際部に行けたわけではなくて、初めは国内の営業みたいなところだった。そういう意味ではすべて思い通りにはなっていないんですけれども、ただ、与えられた仕事でしっかりと成果を出し希望していればいつかそっちに向かっていくだろうと、何となく自分では思っていましたね。全体的に言えるのは差別化ということと、あともう1つは人との「ご縁」だと思います。

私の場合、あまり「自分が自分が」という風にやっていけないタイプなんです。だから比較的周りが引き上げてくれたというケースがすごく多いんですね。それはアメリカにいたからかもしれませんけれど、すごく自己主張が強い人たちが多い世界でしたから、小学校からもうそういう感じで、それがすごく嫌だったんです。そこで勝ち残っていくというよりは、その世界がすごく嫌いで、二重国籍でしたからアメリカ国籍になることもできたわけですけれども、そういうところで戦っていくのが自分の性に合わないなと思って日本を選択したんです。それで逆に思うのは、いろんな人に育ててもらったというか、本当にきれい事ではなくて引き上げてもらったんです。

――差別化と、人とのご縁ですか。


平野敦士カール氏: 大前研一氏との出会いも、『たった一人で組織を動かす新・プラットフォーム思考』(朝日新聞出版)という本が出た時に、大前氏の会社の役員の方からいきなり会社のinfoメールに連絡があって、「大前研一がぜひお会いしたいといっている」みたいな話で、初めはスパムメールではないかと思って「うそだろ」と思ったんですね。それで実際お会いして、大学院で教えて、その後に「大学ができるので教授にならないか」みたいな感じで。大前氏に本も送ったわけではないですから、そうやって引き上げていただいたという感じです。早稲田のMBAも恩藏直人先生という『コトラーのマーケティング3.0』(朝日新聞出版)という本の翻訳をやってらっしゃって日本でコトラーを有名にした権威ですけれども、いきなり電話がかかってきて、「早稲田のMBAで教えてくれないか」みたいなお話を頂戴したので、本当に人の情けで生きているようなものですよ(笑)。

――「自分が自分が」という形だったらこうはいかなかったんでしょうか?


平野敦士カール氏: ダメなんですよね。そういう風な人を周りで見てしまっているので、逆にすごくそれが嫌なんです。本も最初はちょうど取引先の社長さんとランチをしていて、「平野さん、本でも書けばいいじゃない」みたいな話をされて、独立したあとだったので「じゃあぜひ」みたいな話で、すぐに出版社さんの社長さんを紹介していただいて出版できたんです。その時の編集者の方とお話をしたら、「平野さんのやっている仕事を一般化して多くの人に提供したらどうか」みたいな話をされて、それで初めての本を出したんです。これは『1の力を10倍にするアライアンス仕事術』(ゴマブックス)という本だったんですけれども、それが約2万部売れたので、そしたらどんどん次の話があって。ですから、本当になんて主体性のない人生なんだろうと(笑)。「皆さまのおかげです」という感じです、本当にそう思います。

桃太郎が流れてくる「川」に毎日洗濯に行くことが重要



平野敦士カール氏: 何か皆さんにお声をかけていただくことが多いですね。何か声をかけやすいのかもしれないですね。この間インタビューをやって恩藏先生とお話した時に、「恩藏先生は何でマーケティングでコトラーをやったんですか?」とお聞きしたら、たまたま恩藏先生が師事した先生がご高齢だったので、「もう年なので恩藏くん、やってみないかといわれたのでやったんです」みたいなことをおっしゃっていたんですが、先生が彼を選んだということは、その人のスクリーニングがかかっているんですよね。そういう意味ではやっぱり日ごろの実績とか行いが評価されたからなんだと思うんですけれども、「そんなものでコトラーを始めました」みたいなことをおっしゃっていたので、結構みんなそうなのかなと思ってですね。

――世の中に何かを問いかけたり、クリエイトしていく方々というのは、みんな何かそういうきっかけがあるんですね。


平野敦士カール氏: 和田裕美さんとも仲がいいから話をするんですけれども、桃太郎の話を彼女がしていましたね。桃太郎の話って桃が川を流れてくるじゃないですか。それをおばあさんが拾うと中から桃太郎が出てくるわけですけれども、和田さんは「おばあさんが毎日川に洗濯に行く」というところが重要なのではないかとおっしゃっていたので、「なるほどな」と。やっぱり日ごろからアンテナを張っているからチャンスが来た時に逃さないのではないかという例えだと思うんですけれども、それがすごくいい話だなと思っていて。チャンスというのは突然来るというよりは、日々の何か頼まれた時にやって差し上げるとか、私の場合は日ごろランチをしたりとか本が出たらお送りしたりとか、この人とは一緒に仕事がしたいなと思った場合にはそういう何らかの形でのコンタクトを続けてきたということだと思いますね。

亡くなった母の遺稿を出版。その反響で「自分も本を書きたい」と思う


――本の方の話に戻させていただきますが、そもそも本を書くというきっかけの1つにお母さまのご本があったと伺っていますが。


平野敦士カール氏: そうですね。亡くなった母親が『帰国子女の母の軌跡』(近代文芸社)という本を出して、それは遺稿だったんですけれども、亡くなったあとに亡き父が出版したんです。それが各国の図書館にあるみたいで、この間シンガポールに行かれた方からも「手に入らないから電子書籍にしてもらいたい」ということをいわれたんですけれども、1960年代にアメリカに渡った女性というのはあまりいなかったんですね。「お母さまのご本を読みました」とご連絡をいただいたりしまして、「人に良い影響を与える本というのはすごいな」と思ったんですね。それで私も本を何か書きたいなと思ったんですよね。

これから起こる「デジタルコンバージェンス」


――ここで電子書籍についても伺いたいのですが、『パーソナル・プラットフォーム戦略』の中で、デジタルコンバージェンスというのが書籍の世界でも起きるのではないかと触れられていましたね。


平野敦士カール氏: AmazonなんかもいまKindle Fireとかいろいろと出してきていますし、皆さん一斉にプラットフォーム事業の会社が端末の方に来ています。デジタルコンバージェンスというのは、あらゆるものがデジタル化することによって産業が一度壊れる、conversionですよね。それで、新たに再生されるということなわけです。例えば、音楽業界は音楽というものがデジタル化して、全く関係ないAppleというパソコンメーカーが牛耳っちゃったわけですからね。で、CD屋さんとかが崩壊したということです。それと同じことがたぶん電子書籍に関しても起こる。物理的な本が欲しいということではなくて、本に書いてあることを読みたいと。最終的に根源的な価値というのは何かということを考えれば、電子書籍でもいいですし、電子書籍でなければならないものがもし提供できるのであれば、恐らく本という世界も変わってくるんだと思います。私も実際、Kindleで洋書は読んでいますし、やっぱり早いし安い。もちろん紙の良さというのもあって、大きい図がついていたり、グッズがついていたり、違いというのはたぶん出てくるとは思うんですけれども、最終的にユーザーにとって何が重要なのかというところにかかわると思うんですね。いわゆる情報だけということであればKindleでもいい。私もiPhoneでKindleアプリを使って読んでいます。

――いまは読み手としての電子書籍の可能性という形でご紹介いただきましたけれども、書き手としてもこういう電子書籍が普及することで変わってきそうですか?


平野敦士カール氏: そうですね。日本でもAmazonで書籍が出版できるサービスが出てきましたし、ブログに課金するというものも出てきましたし、そういう意味ではAmazonみたいな決済機能を持っているプラットフォームが本格的に入ってくると、一般の方が今後はアプリで出したりとか電子書籍を出して売れたら紙の本になっていくとか、逆の方向というのもたぶん出てくるのではないかなという気はします。

――第一段階としては電子書籍で、さらにそこからえりすぐられていくと。


平野敦士カール氏: そうですね、反応を見てですね。いわゆる「ダイレクトマーケティング」の世界だとまさにそういうことが起きていて、売れたら本当に作るみたいな話ってあるじゃないですか。売れる前に概要だけ出して、反応を見て良かったらそれを本当に作るという動きがありますから、そういうものも出てくるんじゃないかなと思いますね。あるいはみんなで作っていくとか、新しい書籍というもの、「書籍」と呼んでいいのかどうかわかりませんけれども、あるいはブログが本になっていくとか、メルマガが本になっていくとかですね。「OtoO」とかいいますけれども、オンライン・トゥー・オフラインとか、そういう動きも出てくるんじゃないかなと思います。電子書籍ならではの動画を見せたり、セミナーなんかももしかしたらそういった電子書籍内で始まるとかあり得ると思います。

――そうなるとたくさんの可能性がありますね。そこに大事なものというか、根底に流れるのはユーザーにとって重要かということですね。


平野敦士カール氏: 要は差別化できているか、付加価値を与えているかどうかだと思います。

自著も電子化、これからは世界のマーケットをにらむ


――先ほどKindleアプリでご利用されているということだったのですけれども、実際にお出しになっている本も電子Book化をされていますね。


平野敦士カール氏: 結構なっていますね。売れているのか売れていないのかよくわかりませんけれども、全世界で出した英語のやつは結構売れているみたいなんです。ただ価格を1ドルとか低くしちゃっているので、試験的にやっている感じです。でも、今後は世界に向けて発信するというのがすごく重要になってくると思います。私の本も韓国とか台湾で出ていて、韓国は特に売れていてベストセラーになっていますし、台湾でも売れているので、今後の自分自身は日本マーケットよりは海外マーケットをにらんだものが出せたらいいなと思う中で、電子書籍というのは非常に大きなオプションの1つだと思います。

教える世界でも、電子化は進み、学習は時と場所を選ばない



平野敦士カール氏: いまBBT大学というのはオンラインで授業をやっておりますので、生徒はiPhoneで授業を受けています。

――すごいですね、iPhoneで。


平野敦士カール氏: そうなんです、大前氏の授業もやっていて、私は結構車の中で聴いていたりするんです。スピードは2倍速まで速められます。だから私はよく早送りで聴いています。あんまり速いとわからないんですけれども。だから結局スマートフォンで24時間アクセスできる端末ですので、教育も変わりつつあると思うんですよね。私は早稲田MBAは土曜日のクラスをやっているんですけれども、やはり忙しい人ってなかなか学校に通うのは大変です。本当に皆さんクタクタになって頑張っていて頭が下がるんですけれども、別に時間とか別にそんなにこだわらなくてもいいんじゃないかなと思っていて。だから、教えるという立場から電子書籍や電子媒体の可能性というのはすごく大きいと思いますよ。

「いつか、絵本を出版したい」という夢


――最後の質問になりますが、文芸書もいつか出したいということもおっしゃっていましたけれども。


平野敦士カール氏: 文芸書というよりはビジュアルです。本当は絵本とかね。一番世の中に残りそうな感じですし、12月25日にまた新しいビジネスモデルの本『図解カール教授と学ぶビジネスモデル超入門』(ディスカヴァー21)が出るんですけれども、すごくわかりやすくて高校生なんかでもわかるみたいな、なるべく図を使ってわかりやすく書いた本なんです。内容的にはビジネススクールで教えている内容なので非常に高度なんですけれども、そういうなるべく難しいことをやさしくするというところのポジショニングを取りたいなと。経営戦略とかマーケティングとかいうと非常にハードルが高いので、ビジネススクールに行く人とか一部の人がターゲットになってしまう。

実際はパン屋さんも魚屋さんもそうですし、いろんなところでそういった戦略とかマーケティングというのは重要だと思うんですが、それをなるべくわかりやすく、もっというと高校生とか、中学生とか、もっというと幼稚園でもわかるみたいな本を書きたい。幼稚園で「マイケル・ポーター」とかいったら怖いんですけれども(笑)。でもいっていることってそんなに難しいことではなくて、研究者になるまでは大変ですけれども、例えばさっきの差別化、「ちょっと違う方がいいんだよ」とか、「それがすごく価値があるんだよ」とかいうことを伝えたい。いじめ問題もそうですけれど、みんなと違うといじめたりとか、ちょっと貧乏だったらいじめたりとかね。「違う方が本当は素晴らしいんだ」という、そういうメッセージが出せるような絵本ができたら、すごく社会的な価値や意義があるなという気がしますね。

――どこにでもそれは必要とされるものですものね。


平野敦士カール氏: そうです。プラットフォーム戦略®もそうですけれど、プラットフォーム戦略なんていわないでもよくて、例えばみんなとお友達になりましょうとか、いじめちゃいけないんだよとか、いいところを褒めなさいとか、そういうものというのは子どもでもわかる話ですから、やっぱりいま日本が直面しているこの何となく暗い雰囲気とか、ネットなんかも人の悪口を書いていたり、Tweetされたりとか悪い情報はすごく早く伝わる。でも、いいこととか人を褒めたりとかってしないじゃないですか。だからそういうものを含めて、将来今50なので60歳ぐらいまでにそういうようなものが、絵本でもいいですしビジュアル的なものができたらすごく面白いかなと思います。ただ、現状すぐにだと、やはり難しい。いま出版社さんからいま9冊ぐらい依頼を受けているので。毎年1冊か2冊書かないと、待ちくたびれましたみたいな感じだと思うんですけれども(笑)。やっぱり私の場合にはプラットフォームとか、経営戦略とかマーケティングとかそっちの方の話を、難しい話をなるべくやさしく説明する。あとは個人向けのアドバイス本みたいな本になるとは思います。

*プラットフォーム戦略®は㈱ネットストラテジーの登録商標です

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 平野敦士カール

この著者のタグ: 『海外』 『考え方』 『マーケティング』 『日本』 『金融』 『転職』 『文字』 『ご縁』 『携帯電話』 『プラットフォーム』 『ビジュアル』

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