物事の本質を見極めれば、どんな事例にも対処できる
横田尚哉さんは、建設コンサルタントとして、多くの自治体で公共事業のコストを大幅に縮減する目覚しい活躍をし、現在は建設会社に限らず、様々な企業へコンサルティングを行い、事業改善のノウハウを提供しています。横田さんに、問題解決の手法である「ファンクショナル・アプローチ」の考え方や、作家として伝えたいメッセージ、電子書籍の未来などについて伺いました。
30年後の子どもたちに輝く未来を
――まずは、横田さんのお仕事の内容をお聞かせください。
横田尚哉氏: 仕事そのものは2つあって、法人に対する仕事と、個人に対する仕事です。法人には、企業活動の改善のお手伝い、個人向けには、個人が改善スキルを学ぶお手伝いという感じですね。完全に分かれるっていうわけじゃないんですけれど、基本は法人を対象にやっていくというのがスタイルです。企業のコンサルタントにも色々あって、まずは、このままじゃ来年潰れるかもしれない、みたいな企業を救いに行く系のコンサルタント。もう1つは、もっと先に行きたい企業を手伝ってあげるコンサルタントで、私がやっているのは、再生コンサルタント的なところではなく、成長をサポートするコンサルタントです。例えていえば金メダリストの世界記録を更新するためのお手伝いをしているという感じです。企業の成長にかかわるところなので、それぞれの事業の担当というより、企業全体に対してのお手伝いをして、企業そのものが成長していくという仕事ですね。
――今や、横田さんのコンサルティングは、6ヶ月待ちというお話もお聞きしました。
横田尚哉氏: ええ。企業の体質改善をするのに、患部を手術、摘出、縫って終わり、みたいなことをするのは簡単なんですけど、そもそもそういうことにならない体質を作るということをしていますので、やろうとすると相当エネルギーが要るんですね。私が乗り込んで、改善して、はいさよなら、っていうパターンだったらそんなに時間は掛からないんですけど、じっくりやると時間が掛かります。そうなるとあんまり色々な会社を受けられないというのもあって、やっぱり6ヶ月くらい待つ様な状況があるんですね。ものによっては、ちょっとだけというのもありますから、そういうのは別にいいんですけど、やっぱり大きく指導するとなるとスケジュール調整が必要になります。
――コンサルティングを行う上で、改善に成功する会社、あるいは見込みがない会社は見極められるものですか?
横田尚哉氏: 企業の体質を変えることになるので、経営者とコミュニケーションするんですけど、経営者の思いがどういうものなのかというのは気になるところですね。例えば、会社には従業員がいて、サービスを受けるお客さんがいて、その周りに社会がある。しかしそういったものよりも会社の利益中心に考えるところには、本当にそれが会社の正しい姿かどうかっていうことをお話はしています。従業員はいくらでもいるから、不要な社員は辞めて新しい社員を入れればいいという発想では、短期的な利益は生み出せるんですけれど、長期的には継続ができないので、長期的に存続できる様な考えを持っていない企業に私がノウハウを伝えても、その年の利益には役に立つんですけど、5年後、10年後というのには役に立たない。そうすると私がサービスする時間がもったいないので、それだったら10年後も20年後もどんどん成長し続けてくれるような企業に行きたいですね。
――横田さんご自身にも、そのような永続的な会社が増えてほしいという思いがあるのでしょうか?
横田尚哉氏: 私には 1つ大きな判断基準というのがありまして、それは、「30年後の子どもたちのために輝く未来を遺す」ということです。今の子どもの30年後ではなくて、今の子どもが大人になって、その子どもということです。30年後そういう企業に成長してくれるかどうかが私の判断基準になります。30年後の子どもたちが就職するときに、働きがいがあって、良い給料ももらい、仲間が増えると思える様な企業になっていただけるところにサービスしたい。そういうのが私にとっての良い企業なんです。良い社会に生まれた、良い時期に生まれたなと思ってもらえる様な輝く未来を遺したいというのが私のミッションであり、会社のミッションです。
朝4時起きで仕事効率が大幅にアップ
――横田さんはご著書で、毎朝4時に起床されると書かれていましたが、その習慣は続けていらっしゃいますか?
横田尚哉氏: そうですね。基本10時に寝て4時に起きる、6時間睡眠です。寝るのが10時半になったら4時半起き、11時になったら5時起きです。9時半に寝られたら3時半に起きて、6時間ペースを維持しています。やっぱり体が疲れているときもあるし、どうしても起きられないとか、2度寝しちゃって2時間寝坊しても6時です。深夜1時まで仕事をして、朝7時に起きる人と睡眠時間は同じなんですよ。3時間を朝に持っていっただけですが、同じ3時間なんだけれど、1日の疲れの後、体も脳もぐらぐらになってるときの思考と、寝た後の思考は全然違うので、朝方に持って来てるっていうことにしてますね。
――それはお仕事を始められて以来ずっとなんですか?
横田尚哉氏: 以前は夜遅く寝て、朝も遅かったこともあるのですが、朝の方が効率が良いという感覚が私の中でもあったのと、そういうことを勧める人が多かったことで変わったんですね。池田千恵さんという『「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!』(マガジンハウス)っていう本の著者がいらっしゃいまして、「ヨジラー」という言葉が広まっているのは池田千恵さんからだと思うんですけど、彼女とデビュー前からずっと知り合いなんです。彼女の影響もあって、4時起きをし始めたのですが、そうしたら本当にうまく回るんですね。なので、ぜひ皆さんやっていただきたいですね。「三文の得」じゃないけども、本当に良いですよ。
文章を書くのも人前で話すのも苦手だった
――横田さんは小さなころはどのような子どもでしたか?
横田尚哉氏: 好奇心旺盛で、先生のいうことを聞かない、親のいうことを聞かない。自由なことをし、怒られちゃ反省しつつ、また違うことをするみたいな子どもですね。同じことをずっとするのは嫌いで、「こうしなさい、ああしなさい」って親や先生からいわれるんですけど、続かないんですね。飽き性なのかな。常に変化が欲しくて、単調なのが苦手なんです。なので掃除のお手伝いみたいな単純作業は嫌いで、それよりもお父さんと庭木を切ったり大工仕事したりする方が楽しかったですね。
――遊びはどのようなことをされていたんですか?
横田尚哉氏: まず、通学路をまっすぐ帰らないタイプで、まっすぐ帰れば15分くらいの通学を、なぜか2時間3時間くらい掛かって、竹やぶへ行ったり、川へ行ったり。出身は京都ですが、京都のど真ん中ではないので私の時代はまだ、自然が豊かで、ちょっと行けば川にはザリガニだとかいるわけですよ。やっぱりザリガニを見つけたら捕まえなくちゃね(笑)。道具がなかったら、どうやって捕まえるか考える。最初は素手で捕まえて、その辺の枯れ木を切って道具にして、捕まえたザリガニを餌にまた次のザリガニを、みたいな。そういうことを皆でやりながらどろどろになっていました。そういうのが許される時代ではあったのでね。新しい面白いものを見つけ、探検をし、基地を作り、そんなことをしていた少年でしたね。
――野山を駆け回っていたんですね。そのころは、読書はされていましたか?
横田尚哉氏: 全くしていないですね。私、子どものときは、読むのが嫌い、書くのが嫌い。読書とは真反対なところにいました。なので読書感想文とかは、もう大の苦手。作文の時間も多分クラスで1番遅かったと思います。400字詰め原稿半分書くのに1時限使っちゃうぐらいでした。それと、人前で話すのも全く苦手。勉強はできて、成績優秀なんだけれど、板書してる先生に、「じゃあ横田君、こっち来て書いてみて」といわれて前に行かされるともう駄目なんです。人前に立ってるっていうことで、もう心臓ばくばく。人前が駄目で、書けない、本が読めなくて、図画工作、体育、算数なんかが好きだったんですね。小学生ながら、エンジニア系、分析系の職業しかないな、みたいに思っていました。また私が生まれたのが1964年で、東京オリンピックの年、東海道新幹線開通、東名名神開通みたいな、そういうエンジニア花形の時代で、パイロットや宇宙飛行士みたいなものにあこがれもありましたしね。
著書一覧『 横田尚哉 』