横田尚哉

Profile

顧客サービスを最大化させる経営コンサルタント。世界最大企業・GE(ゼネラル・エレクトリック)の手法を取り入れ10年間で総額1兆円の事業改善に乗り出し、コスト縮減総額2000億円を実現させる。「30年後の子供たちのために、輝く未来を遺したい」という信念のもと、そのノウハウを潔く公開するスタイルは各種メディアの注目の的。「形にとらわれるな、本質をとらえろ」という一貫したメッセージから生み出されるダイナミックな問題解決の手法は、企業経営にも功を奏することから「チームデザイン」の手法としても注目が高まっている。

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物事の本質を見極めれば、どんな事例にも対処できる



横田尚哉さんは、建設コンサルタントとして、多くの自治体で公共事業のコストを大幅に縮減する目覚しい活躍をし、現在は建設会社に限らず、様々な企業へコンサルティングを行い、事業改善のノウハウを提供しています。横田さんに、問題解決の手法である「ファンクショナル・アプローチ」の考え方や、作家として伝えたいメッセージ、電子書籍の未来などについて伺いました。

30年後の子どもたちに輝く未来を


――まずは、横田さんのお仕事の内容をお聞かせください。


横田尚哉氏: 仕事そのものは2つあって、法人に対する仕事と、個人に対する仕事です。法人には、企業活動の改善のお手伝い、個人向けには、個人が改善スキルを学ぶお手伝いという感じですね。完全に分かれるっていうわけじゃないんですけれど、基本は法人を対象にやっていくというのがスタイルです。企業のコンサルタントにも色々あって、まずは、このままじゃ来年潰れるかもしれない、みたいな企業を救いに行く系のコンサルタント。もう1つは、もっと先に行きたい企業を手伝ってあげるコンサルタントで、私がやっているのは、再生コンサルタント的なところではなく、成長をサポートするコンサルタントです。例えていえば金メダリストの世界記録を更新するためのお手伝いをしているという感じです。企業の成長にかかわるところなので、それぞれの事業の担当というより、企業全体に対してのお手伝いをして、企業そのものが成長していくという仕事ですね。

――今や、横田さんのコンサルティングは、6ヶ月待ちというお話もお聞きしました。


横田尚哉氏: ええ。企業の体質改善をするのに、患部を手術、摘出、縫って終わり、みたいなことをするのは簡単なんですけど、そもそもそういうことにならない体質を作るということをしていますので、やろうとすると相当エネルギーが要るんですね。私が乗り込んで、改善して、はいさよなら、っていうパターンだったらそんなに時間は掛からないんですけど、じっくりやると時間が掛かります。そうなるとあんまり色々な会社を受けられないというのもあって、やっぱり6ヶ月くらい待つ様な状況があるんですね。ものによっては、ちょっとだけというのもありますから、そういうのは別にいいんですけど、やっぱり大きく指導するとなるとスケジュール調整が必要になります。

――コンサルティングを行う上で、改善に成功する会社、あるいは見込みがない会社は見極められるものですか?


横田尚哉氏: 企業の体質を変えることになるので、経営者とコミュニケーションするんですけど、経営者の思いがどういうものなのかというのは気になるところですね。例えば、会社には従業員がいて、サービスを受けるお客さんがいて、その周りに社会がある。しかしそういったものよりも会社の利益中心に考えるところには、本当にそれが会社の正しい姿かどうかっていうことをお話はしています。従業員はいくらでもいるから、不要な社員は辞めて新しい社員を入れればいいという発想では、短期的な利益は生み出せるんですけれど、長期的には継続ができないので、長期的に存続できる様な考えを持っていない企業に私がノウハウを伝えても、その年の利益には役に立つんですけど、5年後、10年後というのには役に立たない。そうすると私がサービスする時間がもったいないので、それだったら10年後も20年後もどんどん成長し続けてくれるような企業に行きたいですね。

――横田さんご自身にも、そのような永続的な会社が増えてほしいという思いがあるのでしょうか?


横田尚哉氏: 私には 1つ大きな判断基準というのがありまして、それは、「30年後の子どもたちのために輝く未来を遺す」ということです。今の子どもの30年後ではなくて、今の子どもが大人になって、その子どもということです。30年後そういう企業に成長してくれるかどうかが私の判断基準になります。30年後の子どもたちが就職するときに、働きがいがあって、良い給料ももらい、仲間が増えると思える様な企業になっていただけるところにサービスしたい。そういうのが私にとっての良い企業なんです。良い社会に生まれた、良い時期に生まれたなと思ってもらえる様な輝く未来を遺したいというのが私のミッションであり、会社のミッションです。

朝4時起きで仕事効率が大幅にアップ


――横田さんはご著書で、毎朝4時に起床されると書かれていましたが、その習慣は続けていらっしゃいますか?


横田尚哉氏: そうですね。基本10時に寝て4時に起きる、6時間睡眠です。寝るのが10時半になったら4時半起き、11時になったら5時起きです。9時半に寝られたら3時半に起きて、6時間ペースを維持しています。やっぱり体が疲れているときもあるし、どうしても起きられないとか、2度寝しちゃって2時間寝坊しても6時です。深夜1時まで仕事をして、朝7時に起きる人と睡眠時間は同じなんですよ。3時間を朝に持っていっただけですが、同じ3時間なんだけれど、1日の疲れの後、体も脳もぐらぐらになってるときの思考と、寝た後の思考は全然違うので、朝方に持って来てるっていうことにしてますね。

――それはお仕事を始められて以来ずっとなんですか?


横田尚哉氏: 以前は夜遅く寝て、朝も遅かったこともあるのですが、朝の方が効率が良いという感覚が私の中でもあったのと、そういうことを勧める人が多かったことで変わったんですね。池田千恵さんという『「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!』(マガジンハウス)っていう本の著者がいらっしゃいまして、「ヨジラー」という言葉が広まっているのは池田千恵さんからだと思うんですけど、彼女とデビュー前からずっと知り合いなんです。彼女の影響もあって、4時起きをし始めたのですが、そうしたら本当にうまく回るんですね。なので、ぜひ皆さんやっていただきたいですね。「三文の得」じゃないけども、本当に良いですよ。

文章を書くのも人前で話すのも苦手だった


――横田さんは小さなころはどのような子どもでしたか?


横田尚哉氏: 好奇心旺盛で、先生のいうことを聞かない、親のいうことを聞かない。自由なことをし、怒られちゃ反省しつつ、また違うことをするみたいな子どもですね。同じことをずっとするのは嫌いで、「こうしなさい、ああしなさい」って親や先生からいわれるんですけど、続かないんですね。飽き性なのかな。常に変化が欲しくて、単調なのが苦手なんです。なので掃除のお手伝いみたいな単純作業は嫌いで、それよりもお父さんと庭木を切ったり大工仕事したりする方が楽しかったですね。

――遊びはどのようなことをされていたんですか?


横田尚哉氏: まず、通学路をまっすぐ帰らないタイプで、まっすぐ帰れば15分くらいの通学を、なぜか2時間3時間くらい掛かって、竹やぶへ行ったり、川へ行ったり。出身は京都ですが、京都のど真ん中ではないので私の時代はまだ、自然が豊かで、ちょっと行けば川にはザリガニだとかいるわけですよ。やっぱりザリガニを見つけたら捕まえなくちゃね(笑)。道具がなかったら、どうやって捕まえるか考える。最初は素手で捕まえて、その辺の枯れ木を切って道具にして、捕まえたザリガニを餌にまた次のザリガニを、みたいな。そういうことを皆でやりながらどろどろになっていました。そういうのが許される時代ではあったのでね。新しい面白いものを見つけ、探検をし、基地を作り、そんなことをしていた少年でしたね。

――野山を駆け回っていたんですね。そのころは、読書はされていましたか?


横田尚哉氏: 全くしていないですね。私、子どものときは、読むのが嫌い、書くのが嫌い。読書とは真反対なところにいました。なので読書感想文とかは、もう大の苦手。作文の時間も多分クラスで1番遅かったと思います。400字詰め原稿半分書くのに1時限使っちゃうぐらいでした。それと、人前で話すのも全く苦手。勉強はできて、成績優秀なんだけれど、板書してる先生に、「じゃあ横田君、こっち来て書いてみて」といわれて前に行かされるともう駄目なんです。人前に立ってるっていうことで、もう心臓ばくばく。人前が駄目で、書けない、本が読めなくて、図画工作、体育、算数なんかが好きだったんですね。小学生ながら、エンジニア系、分析系の職業しかないな、みたいに思っていました。また私が生まれたのが1964年で、東京オリンピックの年、東海道新幹線開通、東名名神開通みたいな、そういうエンジニア花形の時代で、パイロットや宇宙飛行士みたいなものにあこがれもありましたしね。

20代で技術士合格。論文の演習で文章力がついた


――現在は作家活動や講演等、小さいころに苦手だった分野のお仕事をされていますね。


横田尚哉氏: そう。考えられないですよね。これはもうならざるを得なかったところがあって、本を書かなくちゃいけないから文章を書けるようになって、人前で話さなくちゃいけないから話せる様になったもので、持って生まれたものという感じではないと思ってるんです。後天的な能力っていうんですかね。理数系が好きだったので大学も理工学部に行き、エンジニアとして仕事をしたい、人と接する仕事なんてとんでもない、営業なんて駄目、人前で話すのも駄目駄目。人を使うなんてもう無理無理。技術を武器に世の中の役に立つ、みたいに思っていたんです。会社に入ったとき、先輩の技術者の方は大卒の人間からすればもう神様みたいですよ。だからあの領域に行くためにはどうするかということを研究しました。真っ先に思いついたのが、エンジニアの最高の国家資格である技術士の資格を取ることで、非常に難しくて当時の平均取得年齢は50代前半なんですね。会社の中には若い人もいたんですけども、20代で取った人はいなかったので、じゃあ20代で取って先輩方をびびらしてやろうみたいな。猛勉強して29歳で取りました。

――先輩の反応はどうでしたか?やっぱり「びびり」ましたか?


横田尚哉氏: びびりまくりです。自分にとっては、それが技術を極めるためのマイルストーンのようなものだったんです。そういう目標設定をするのが好きだったんですね。現状よりはちょっと何か新しいものをするという目標を自分で設定して、それに向かってやるっていう努力をしていたんですよ。新入社員のときなんて、「あれやれ、これやれ」で、やることって大したことないんですが、その一つ一つをいかにうまくやるかみたいなことを工夫を積み重ねていました。文章については、技術士を取るためには技術論文を書かなくちゃいけないんですね。最初は駄目駄目な文章だったんですが、良い文章とされる手本を見て、繰り返し繰り返しまねることによって、段々段々文章ってこう書くんだっていうのが分かってくるんです。

そういうことを毎日毎日やると自分の技術文章ができる様になる。報告書の文章も先輩たちの文章をまねることから始めてやってきました。そんなことをしながら文章を身につけてきたっていう感じではありますね。自分が飽き性だということも分かっていたので、長く時間を掛けて習得するっていうのが続かないので、短期集中型で要領よく身につけました。論文のこれとこれを書けばいいんだな、みたいなツボを見つけるのは得意だったんですね。色々な文章を読んでいくうちに、後はもう読まなくってもそのポイント通りやればいいっていう。そういうのが良かったんでしょうね。

――少年時代のザリガニ捕りの方法を編み出したときと似ていますね(笑)。


横田尚哉氏: そうそう。どうすればザリガニが出て来るのか、みたいなね。手順を覚えててもなかなか無理で、やっぱりコツがある。コツを会得するのを得意としているのかもしれないですね。

開発と環境保護のジレンマで得た結論


――横田さんは建設に関連する仕事をされながら、環境問題にも積極的に発言していますが、そのきっかけはどのようなことだったんでしょうか。


横田尚哉氏: 私は大学のときに、自宅からバイクで通っていたんですね。バイクは通学に使うだけじゃなく、ツーリングも好きで、オンロード型ではなくオフロード型なんです。都会育ちとは言いながらも自然が好きで、山の奥に行って自然を見たりするのが好きだったんですね。九州に椎葉林道っていう日本一長い林道があって、鹿児島の上の方から熊本にかけて、未舗装がずっと延々とあるんです。それがやっぱりオフロードのライダーにとってはあこがれの聖地みたいなとこなんですよ。でも椎葉林道って毎年少しずつ舗装されていくんです。オフロードのバイク乗りとしては、どうして舗装するのか、と思うのですが、ちょっと待てよ、とも思うわけです。



自分は会社では道路の舗装化をする仕事をしているわけです。山を崩し橋を架ける仕事をしてるわけです。かたやバイクで林道を走って、自然豊かなところを探し、貴重な景色だよな、とかいいながらコーヒーわかして飲んでるわけです。やっぱりそこにジレンマがあるわけです。「私はどっちなんだろう」、みたいな。エンジニアとしてガンガン開発して、すごい構造物を作っていって、人間の力を思い知らせるみたいなことをしたいのか、それとも開発を止めて自然を残していきたいのか。でも橋を作りたくないわけでもないし、どうしたらいいんだろうと。そのころって、世の中も自然志向な人が出て来たり、環境に対しての運動が出て来たり、そういう時代になってきて、何となく自分もそういう気持ちもある。そこで私の中の結論としては、私が橋を設計するときは、ほかの人が設計するより環境のために良い設計にしようと。開発行為が嫌だから止めるじゃなく、環境を大切にした開発をしてみようと。

今でいえばサスティナブルな活動なんだけど、そのころはそんな言葉も一般的ではなくて、開発=自然破壊だったんですね。私は継続可能な開発っていうことを、そのときから考えていて、そのために自分が何ができるか、そこに技術を生かしてやっていこうと思ったんです。まだそのときはネット社会じゃなかったんだけれど、ようやくパソコン通信からインターネットに変わるころで、ホームページを自分で作れるようになってきたので、すぐにホームページを作って、「自然に優しく人にすてきに」とか、「エコなシビルエンジニアリング」、「エゴからエコへ」、といったフレーズで1人わめいていたんですね。

――組織としてではなく個人の発信者として世の中に価値を問うていたのですね。


横田尚哉氏: 現状が気に食わないと自分で勝手にやり始めるんです。基本方針は、環境活動は今の職場を離れないで行うということでした。今の職場でできることがあるから、独立して環境反対の人ばっかりを組織せず、あえてそこの場にいて中から変えるという活動を基本としていました。ネットをやっていると、「就職させてください」とかいっぱい来るんですけど、「いや、うちはそういう活動していない。どこの企業でもできるんだ」っていう話でやっていたんです。ただ、それだけだと精神論的なことでいうしかないところもあって、何かもっと強力に相手に説得できる武器がないかなとは思ってたんです。それだけだと、「分かる分かる、でもこっちはこっちだし」で終わっちゃうんですね。そこに来て、日本社会としては経済がバブル崩壊ということで色々方向転換があり、その中で公共事業もコスト削減っていうのがいわれ出しました。色々なコスト削減がされるんですけど、削減する限界をおのおの感じる様な時代になって、これ以上削減できないっていうのがあった。

そのときに、私はファンクショナルアプローチというテクニックを知っていたんです。ファンクショナルアプローチっていうのは、本質を見て物事を改善していくということだから、コスト削減ということと、本当の必要なものだけを作ろうという今までのエコの活動が全部つながったんです。例えば自然のためでもあり人のためでもある様なものが、ファンクショナルアプローチという分析ツールがあることで、全部見える様になっていくし、日本を助けることにもなる。それをやろうと決心をしたんですね。

――公共事業のコスト削減のために具体的にどのようなことを行ったのでしょうか。


横田尚哉氏: 100億円の事業があって、予算を削減する場合、例えば材料費高騰とか色々な理由があると105億円くらいになる。お役所は100億円を切らないとなかなか難しいと考えて、色々な業者に頼むんだけども、105億円、103億円、みたいな感じでなかなか下がらない。そういうときに、横田っていう人がいるらしいということで呼ばれる。私が、「どこまで下げるんですか」っていうと、「80億円くらいまで、いや、今の状況なら90億円くらいを目標に」といわれて、「分かりました、じゃあやりましょう」となります。期間は4日間で、4日目の午後計算をすると、60億円だったりする。「どこか計算漏れしてないか」といって全員で調べるんだけども、やっぱり60億でんで全部いける。

そうするともちろんお役所も問題ない、地元も問題ない、作るゼネコンや工事する人も問題ない。100億円が60億円になるわけです。4日間で40億円削減できる。それが広まって、全国3分の2くらいの地域で呼ばれる様になって、スタンダードになりました。私が携わったのは総額1兆円、削減提案したのが2000億円です。大きいものから小さいものまでありますけども、4日間の作業ばかりで、平均して20%削減です。そのぐらいのインパクトがあったんです。なので、そういう手法がツールとして役に立つんなら、30年後の子どもたちのために輝く未来を遺すには公共事業だけじゃ足りない。やっぱり30年後にふさわしい企業を遺していかなくちゃいけないなという風に思ったので、企業向けのサービスをしようということで新しい会社を作って、現在に至るという感じです。



――誰も困る人がいないというお話がありましたが、いわゆる抵抗勢力みたいなものはなかったんでしょうか?


横田尚哉氏: 例えば30億円の土木事業が20億円になったりすると、30億円の受注ができると思っていた人にとってはすごい痛手なわけですよ。やっぱりそれは多くの人に「夜歩けないでしょう」とかいわれました。確かにそれで生計を立てている業界はある。でも私の理屈は違っていて、予算っていうのがあって、例えばある地域で30億円の事業と30億円の事業が動いていたとします。それを私が行くことによって、20億円と20億円になると、皆文句をいうと思います。でもこの浮いた10億円と10億円で、もう一つの事業ができるのです。今までだったら2つの事業しか進まなかったものが、3つできる様になるわけです。そうすると、業者は受注機会が1.5倍に増えてるんですよって。結局、取ったところはラッキーで取れなかったところは残念っていうそういう構図だったのですけれど、受注機会が増えて、総額は変わってないんです。総額というのはいわゆる税収なので、住民の方々から先にいただいてる部分だから、それは大きく変わるものじゃないので、業者にとっても不幸な話ではないんだということで、今、夜無事に歩けています。

私のスキル、ノウハウは本ですべて公開しています


――ファンクショナルアプローチについては、その効果もさることながら、横田さんがご自著でノウハウを大胆に公開されてることに驚きます。


横田尚哉氏: 私は昔からノウハウを教えないということが好きじゃなかったんですよね。例えば私は29歳で技術士を取りましたが、そういう栄光に輝くとその座を守りたくなるものです。20代の後輩がいて、彼が技術士にチャレンジしようとしたときに、彼のために色々ノウハウを教えてあげるか、教えないかの選択肢がありますよね。私は教えないことが理解できないんです。私が技術士を取ったことの役割は、先輩方を脅かすということもいいましたけど、本当は若い後輩に可能性を示したかったんです。その時点で私はトップになればそれでいいんです。若い奴には、誰が私を抜いてくれるんだっていうことをいって、私が5年間蓄積したノウハウを渡す。そうすると、もらった人はそれをプラスして5年間やれば、私よりも優秀になってないとおかしいですよね。

ペイフォワードじゃないけれど、先輩社員が後輩に対してやれることっていうのは、ノウハウと経験の蓄積、濃縮なんです。人類がそうやって、良いものを伝え、良くないものを伝えないということによって発展してきてるわけです。会社の中でも同じことで、そういう勉強で得られたことの良いことを伝え、やらなくていいことを伝えない。そうすると、同じ5年間でも私の5年間よりは濃い5年間ができる。その考え方がずっとあるので、本に書いたりしても平気なんです。全部いっても、後から来た人がここに来るころには、私は先に行っているわけですよ。超えることはできない。全部教えても私を抜けないっていう自信があるわけです。

――そのためにはご自身も絶えず勉強、研さんを重ねる必要があると思いますが、普段の読書などで心がけていることはありますか?


横田尚哉氏: 濃淡はありますけども、やっぱり常に何かは情報は仕入れてはいます。ただ、情報が多過ぎるので選別して入れてます。情報を仕入れて選別するのではなく、選別してから情報を入れるっていうのが重要ですよね。これは私のファンクショナルアプローチのすごく特徴的なことで、表に現れた結果と、そう至らしめた本質があります。その本質のことをファンクションと呼んで、結果の部分をカタチと呼んでいます。このカタチしか私たちは見られないのでカタチで議論するんだけど、こう至らしめた本質、もともとの根本、本来の狙いがあるんですね。これが見えたら結果なんか興味無いわけです。本質を見つけられれば誰よりも早く理想のところへ行けます。結果だけを追いかけていると、ずっと後手後手なんです。本質を見極める感覚があると、少々の変化は平気だったりします。ですから私のスキルみたいなものは、私の本を読んでいただければいくらでも出てきます。

私は、執筆依頼があったとしても、テーマを選ばず何でも書けるんです。どんなテーマを出されても、私の分析でやっていけば、今までにないものがいくらでも出てくるわけですよ。ポケットをたたけばビスケット2つ、じゃないですけど全部手放しても平気なので、そういうスタイルで生きていけば、人に盗まれることを気にする必要もない。自分はもう至って気が楽です。知識から知恵へ変えていき、物で残すんじゃなく感性で残していくということをしていけば、世の中もっと楽になるでしょうね。

知識ではなく知恵を開発する教育を



―勉強をする際に重要なことは、知識よりも思考法を学ぶということなのでしょうか?


横田尚哉氏: そうです。知識は限界があって、知識で生きていこうとすると知識を常に更新しないといけない。色々な事例だとか、環境が変わる度に知識をアップデートしなくちゃいけません。それを怠るとすぐに陳腐化してしまう。これに多くの人は時間とお金と労力を使ってるわけですけど、それでほかのことができなくなる。私は、基本は知識を求めるのではなく知恵を求めます。知恵は自分の中から生まれてくるものなので、生み出せればいいわけです。

知恵は陳腐化しないんです。知識で行こうとすると、このときはこの武器、このときはこの武器みたいな、武器だらけで重たいわけです。それで戦場に向かおうとするのって大変なんです。それよりも知恵を知っていれば、そこら辺に落ちてるものを武器にできる。何もなくてもこうすればいける、みたいなものが、その場の状況に応じてやっていけるわけです。知恵があれば手ぶらでいいんです。でも例えば今の教育は、学校教育すべてとはいわないけれど、正しく記憶しているかどうかになっている。そうすると、知識詰め込み型教育、そして知識があるかどうかでの評価になります。会社に入ってもマニュアルで知識を学ばせ、その通り行ってるかどうかでのチェックが中心で、知恵を開発する教育とか、そういうプロセスがないわけですね。横田少年は竹やぶに行ったりザリガニを釣ったりしてる中で、自然とその知恵を身につけた。糸もなく、針もなく、手ぶらでもザリガニが捕れるということを知恵として遊びの中から肌で理解した。そういう本当の教育をしていれば、社会に出ても大丈夫だったりします。

余談ですが、魔法使いが現れて、「お前に1つだけ欲しいものを与えてあげよう」みたいな童謡を小さいころに聞いたことあって、車が欲しいとか飛行機が欲しいとかいうんだけど、子ども心に、「どうして魔法が使える能力が欲しい」っていわないんだろうって思っていたんですよ。アラジンと魔法のランプだったら、「その魔法のランプを下さい」って(笑)。あまのじゃくなんだろうけど、小さいころからそういう思いがあったりするので、今の自分がそうなっていったのかもしれないですね。

――本質を見る目は、知識や技術がめまぐるしく変わる時代に対応するためにも重要ですね。


横田尚哉氏: 私はエンジニアとして橋の設計をしていて、先輩、後輩が引っ越し、部署替え、転勤のときに、転勤する人、転勤してきた人の段ボールの数を数えるのが好きだったんです。段ボール箱を山ほど持っていく人は、そりゃすごいエンジニアですが、その人のエンジニアのすごさをバックアップしてるのは段ボール箱だということです。技術的な資料とか自分の今の経歴とか色々な参考資料とか集めた情報って、やっぱり持って抱えていきたいわけですけど、20も30も箱を持ってきて、「おい横田、棚が足りんぞ」みたいなのは、変だなと思ったんです。技術はその人が持っているものであって、道具に頼ってる、知識に頼ってるのってエンジニアなんだろうかみたいな。

自分だけのとっておきの情報みたいなものを抱え込まずに、どんどん手放して、裸一貫で、包丁1本さらしに巻いて世の中渡り歩ける様なのが本当のエンジニアで、手に職を付けるというのはそういうことだという風に思っていました。段ボール箱が少ないけど技術がある人は、技術が人の中にあるんです。これの方がかっこいいですよね。段ボール箱5つ以内で技術を移動できる人は、どこへ行ってもできるんですよ。

――そのような感性を磨いていくにはどのような訓練が必要でしょうか?


横田尚哉氏: 正しいものをよく眺めておく必要があります。常に色々なものを眺めてれば、ちょっとした違いが分かる様になりますから。設計はすごく緻密な計算とか細かな図面が出てくるんですけど、私は図面のチェックするときは、いつも右脳でチェックしろっていっていたんです。200枚くらいの図面で、活字よりも細かい字とにらめっこして、鉄筋の数数えて1本足りない、みたいなことを、ひたすらやるなんて、時間がもったいないから、「数えずに眺めろ」っていうんですね。「ちょっと待てよ、何か変だな」みたいに思ったところを一生懸命見ればいいんです。だから私は誰よりも図面チェックは速かったです。分厚い計算書でも、なぜか親指が教えてくれるのです。



本はメッセージの乗り物。カタチにはこだわらない


――現在、横田さんは電子書籍は利用されていますか?


横田尚哉氏: Kindleが新しくなりましたので思わず買っちゃいました。E-inkは素晴らしいですね。読んだり、ページをめくったり、紙の本と変わりなく読むことができます。なので電子書籍で読む機会はこれから増えてくるとは思います。

――電子書籍に対して心理的な抵抗はありませんか?


横田尚哉氏: ないです。私はカタチにこだわらないので。紙である必要はないし、活字である必要がないので、そこにあまり重きを置いていないです。本を読みたいのではなく、本を読んで得たいことがあるだけのことで、電子書籍でも得られたらそれでいいわけです。

――紙の本と電子書籍が競合するとか、つぶし合うという議論もありますが、どのようにご覧になっていますか?


横田尚哉氏: 普通の紙媒体の場合は、編集があり出版社があり、取り次ぎ、書店があり読者がありというラインがありますが、電子書籍では出版、取り次ぎ、書店みたいなところが置き換わっていくわけですね。書店は例えばAmazonとかでやればすべて扱えますから、流通が電子書籍と競合するところなんですね。そうすると、著者も読者も別に競合してないわけです。編集者も別に競合してないわけです。それはその人の好みの部分だから、これもカタチなので、最終的には著者と読者がつながればいいんですよ。ただ、著者が全読者とタッチできないので、流通ルート、拡散システムがあるわけですよ。横田のメッセージが何万人かに拡散してくれるシステムがあるだけのことなので、その間がどんな手段であっても全く問題はないと私は思ってます。ただ本当に紙のみでビジネスしてる人にとっては、紙が電子化されると、競合になるので重要な問題かもしれないですけど。誰の立場で考えるかによりますよね。

――電子書籍ならではの可能性には何がありそうですか?


横田尚哉氏: 電子書籍の良いところは、単位が小割にできるっていうことですね。ビジネス書っていうのは200ページから250ページくらいが1冊とされて、そして単価も大体1500円前後みたいなのが一般的で、定型のサイズ、厚みがあります。ペーパーのスタイルを取るために、そうなってるわけですよ。本を読んだ実感を得るためのボリュームってやっぱりあるわけですよね。500ページくらいあると読む気がしないとか、50ページくらいだと読んだ気がしないみたいな。読んだ感があるのが大体200ページという感覚があって、そのサイズになる様に、量を増やしたり減らしたりしてるわけです。また、紙媒体は、流通コストだとか在庫のコストだとか考えていくと、1つの型に収めないと採算がとれなくなります。でも電子書籍は例えば第1章だけ読みたいとか、第2章だけ読みたいっていうことが可能になってくる。例えば10万字くらいのものをひと塊りにする必要は全くなくって、100万字くらい書いて好きなところ読んでもらうっていう方法だってできる。自由度が上がるんですよ。保管の部分が優れているっていうのも当然ありますよね。

――今後、横田さんご自身の著書で書きたいテーマがあれば教えてください。


横田尚哉氏: やっぱり基本は未来に関する仕事をしていきたいので、私の本を読んだ人が、未来をどうしていくか、その人自身の力で見える、あるいは乗り越えていける様なメッセージがあればいいなと思っています。なので、ターゲットとしても、30代40代っていう一般ビジネス書のターゲット層だけじゃなく、20代10代に向けてっていうのもありだと思いますし、逆に60代っていう人たちに対してのものもあるだろうし。ビジネス著者としてデビューして、そういう風に扱っていただいてるところはあるんですけど、別にビジネス書というのにこだわってるわけじゃないんですね。ただ、ビジネス書は1番世の中を変える手段として最適だということで選んでいるだけなんです。なので、もっとほかにも手段があれば、私は児童書も書くかもしれないし、そのほかに絵本も書くかもしれないし、そうするとまた絵を学ばなくちゃいけないんだけど。

――表現の場としても、ビジネス書という「カタチ」にはこだわっていないのですね。


横田尚哉氏: そうです。30年後の子どもたちのために、輝く未来を遺すためにっていうのだけは変わっていなくて、それに至るための新しい乗り物で良いものがあったらどんどん乗り換えていくだけです。でも到達先は一緒で、反対に向いては進まないっていうことです。どっちが良いかだけの比較で、テレビの方が良いんだったらテレビの方へ行くかもしれないし、講演の方が良いっていうならそっちの方に行くだろうし。それが30年後の子どもたちのためになるかどうかがすべての判断基準なんですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 横田尚哉

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