横田尚哉

Profile

顧客サービスを最大化させる経営コンサルタント。世界最大企業・GE(ゼネラル・エレクトリック)の手法を取り入れ10年間で総額1兆円の事業改善に乗り出し、コスト縮減総額2000億円を実現させる。「30年後の子供たちのために、輝く未来を遺したい」という信念のもと、そのノウハウを潔く公開するスタイルは各種メディアの注目の的。「形にとらわれるな、本質をとらえろ」という一貫したメッセージから生み出されるダイナミックな問題解決の手法は、企業経営にも功を奏することから「チームデザイン」の手法としても注目が高まっている。

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20代で技術士合格。論文の演習で文章力がついた


――現在は作家活動や講演等、小さいころに苦手だった分野のお仕事をされていますね。


横田尚哉氏: そう。考えられないですよね。これはもうならざるを得なかったところがあって、本を書かなくちゃいけないから文章を書けるようになって、人前で話さなくちゃいけないから話せる様になったもので、持って生まれたものという感じではないと思ってるんです。後天的な能力っていうんですかね。理数系が好きだったので大学も理工学部に行き、エンジニアとして仕事をしたい、人と接する仕事なんてとんでもない、営業なんて駄目、人前で話すのも駄目駄目。人を使うなんてもう無理無理。技術を武器に世の中の役に立つ、みたいに思っていたんです。会社に入ったとき、先輩の技術者の方は大卒の人間からすればもう神様みたいですよ。だからあの領域に行くためにはどうするかということを研究しました。真っ先に思いついたのが、エンジニアの最高の国家資格である技術士の資格を取ることで、非常に難しくて当時の平均取得年齢は50代前半なんですね。会社の中には若い人もいたんですけども、20代で取った人はいなかったので、じゃあ20代で取って先輩方をびびらしてやろうみたいな。猛勉強して29歳で取りました。

――先輩の反応はどうでしたか?やっぱり「びびり」ましたか?


横田尚哉氏: びびりまくりです。自分にとっては、それが技術を極めるためのマイルストーンのようなものだったんです。そういう目標設定をするのが好きだったんですね。現状よりはちょっと何か新しいものをするという目標を自分で設定して、それに向かってやるっていう努力をしていたんですよ。新入社員のときなんて、「あれやれ、これやれ」で、やることって大したことないんですが、その一つ一つをいかにうまくやるかみたいなことを工夫を積み重ねていました。文章については、技術士を取るためには技術論文を書かなくちゃいけないんですね。最初は駄目駄目な文章だったんですが、良い文章とされる手本を見て、繰り返し繰り返しまねることによって、段々段々文章ってこう書くんだっていうのが分かってくるんです。

そういうことを毎日毎日やると自分の技術文章ができる様になる。報告書の文章も先輩たちの文章をまねることから始めてやってきました。そんなことをしながら文章を身につけてきたっていう感じではありますね。自分が飽き性だということも分かっていたので、長く時間を掛けて習得するっていうのが続かないので、短期集中型で要領よく身につけました。論文のこれとこれを書けばいいんだな、みたいなツボを見つけるのは得意だったんですね。色々な文章を読んでいくうちに、後はもう読まなくってもそのポイント通りやればいいっていう。そういうのが良かったんでしょうね。

――少年時代のザリガニ捕りの方法を編み出したときと似ていますね(笑)。


横田尚哉氏: そうそう。どうすればザリガニが出て来るのか、みたいなね。手順を覚えててもなかなか無理で、やっぱりコツがある。コツを会得するのを得意としているのかもしれないですね。

開発と環境保護のジレンマで得た結論


――横田さんは建設に関連する仕事をされながら、環境問題にも積極的に発言していますが、そのきっかけはどのようなことだったんでしょうか。


横田尚哉氏: 私は大学のときに、自宅からバイクで通っていたんですね。バイクは通学に使うだけじゃなく、ツーリングも好きで、オンロード型ではなくオフロード型なんです。都会育ちとは言いながらも自然が好きで、山の奥に行って自然を見たりするのが好きだったんですね。九州に椎葉林道っていう日本一長い林道があって、鹿児島の上の方から熊本にかけて、未舗装がずっと延々とあるんです。それがやっぱりオフロードのライダーにとってはあこがれの聖地みたいなとこなんですよ。でも椎葉林道って毎年少しずつ舗装されていくんです。オフロードのバイク乗りとしては、どうして舗装するのか、と思うのですが、ちょっと待てよ、とも思うわけです。



自分は会社では道路の舗装化をする仕事をしているわけです。山を崩し橋を架ける仕事をしてるわけです。かたやバイクで林道を走って、自然豊かなところを探し、貴重な景色だよな、とかいいながらコーヒーわかして飲んでるわけです。やっぱりそこにジレンマがあるわけです。「私はどっちなんだろう」、みたいな。エンジニアとしてガンガン開発して、すごい構造物を作っていって、人間の力を思い知らせるみたいなことをしたいのか、それとも開発を止めて自然を残していきたいのか。でも橋を作りたくないわけでもないし、どうしたらいいんだろうと。そのころって、世の中も自然志向な人が出て来たり、環境に対しての運動が出て来たり、そういう時代になってきて、何となく自分もそういう気持ちもある。そこで私の中の結論としては、私が橋を設計するときは、ほかの人が設計するより環境のために良い設計にしようと。開発行為が嫌だから止めるじゃなく、環境を大切にした開発をしてみようと。

今でいえばサスティナブルな活動なんだけど、そのころはそんな言葉も一般的ではなくて、開発=自然破壊だったんですね。私は継続可能な開発っていうことを、そのときから考えていて、そのために自分が何ができるか、そこに技術を生かしてやっていこうと思ったんです。まだそのときはネット社会じゃなかったんだけれど、ようやくパソコン通信からインターネットに変わるころで、ホームページを自分で作れるようになってきたので、すぐにホームページを作って、「自然に優しく人にすてきに」とか、「エコなシビルエンジニアリング」、「エゴからエコへ」、といったフレーズで1人わめいていたんですね。

――組織としてではなく個人の発信者として世の中に価値を問うていたのですね。


横田尚哉氏: 現状が気に食わないと自分で勝手にやり始めるんです。基本方針は、環境活動は今の職場を離れないで行うということでした。今の職場でできることがあるから、独立して環境反対の人ばっかりを組織せず、あえてそこの場にいて中から変えるという活動を基本としていました。ネットをやっていると、「就職させてください」とかいっぱい来るんですけど、「いや、うちはそういう活動していない。どこの企業でもできるんだ」っていう話でやっていたんです。ただ、それだけだと精神論的なことでいうしかないところもあって、何かもっと強力に相手に説得できる武器がないかなとは思ってたんです。それだけだと、「分かる分かる、でもこっちはこっちだし」で終わっちゃうんですね。そこに来て、日本社会としては経済がバブル崩壊ということで色々方向転換があり、その中で公共事業もコスト削減っていうのがいわれ出しました。色々なコスト削減がされるんですけど、削減する限界をおのおの感じる様な時代になって、これ以上削減できないっていうのがあった。

そのときに、私はファンクショナルアプローチというテクニックを知っていたんです。ファンクショナルアプローチっていうのは、本質を見て物事を改善していくということだから、コスト削減ということと、本当の必要なものだけを作ろうという今までのエコの活動が全部つながったんです。例えば自然のためでもあり人のためでもある様なものが、ファンクショナルアプローチという分析ツールがあることで、全部見える様になっていくし、日本を助けることにもなる。それをやろうと決心をしたんですね。

――公共事業のコスト削減のために具体的にどのようなことを行ったのでしょうか。


横田尚哉氏: 100億円の事業があって、予算を削減する場合、例えば材料費高騰とか色々な理由があると105億円くらいになる。お役所は100億円を切らないとなかなか難しいと考えて、色々な業者に頼むんだけども、105億円、103億円、みたいな感じでなかなか下がらない。そういうときに、横田っていう人がいるらしいということで呼ばれる。私が、「どこまで下げるんですか」っていうと、「80億円くらいまで、いや、今の状況なら90億円くらいを目標に」といわれて、「分かりました、じゃあやりましょう」となります。期間は4日間で、4日目の午後計算をすると、60億円だったりする。「どこか計算漏れしてないか」といって全員で調べるんだけども、やっぱり60億でんで全部いける。

そうするともちろんお役所も問題ない、地元も問題ない、作るゼネコンや工事する人も問題ない。100億円が60億円になるわけです。4日間で40億円削減できる。それが広まって、全国3分の2くらいの地域で呼ばれる様になって、スタンダードになりました。私が携わったのは総額1兆円、削減提案したのが2000億円です。大きいものから小さいものまでありますけども、4日間の作業ばかりで、平均して20%削減です。そのぐらいのインパクトがあったんです。なので、そういう手法がツールとして役に立つんなら、30年後の子どもたちのために輝く未来を遺すには公共事業だけじゃ足りない。やっぱり30年後にふさわしい企業を遺していかなくちゃいけないなという風に思ったので、企業向けのサービスをしようということで新しい会社を作って、現在に至るという感じです。



――誰も困る人がいないというお話がありましたが、いわゆる抵抗勢力みたいなものはなかったんでしょうか?


横田尚哉氏: 例えば30億円の土木事業が20億円になったりすると、30億円の受注ができると思っていた人にとってはすごい痛手なわけですよ。やっぱりそれは多くの人に「夜歩けないでしょう」とかいわれました。確かにそれで生計を立てている業界はある。でも私の理屈は違っていて、予算っていうのがあって、例えばある地域で30億円の事業と30億円の事業が動いていたとします。それを私が行くことによって、20億円と20億円になると、皆文句をいうと思います。でもこの浮いた10億円と10億円で、もう一つの事業ができるのです。今までだったら2つの事業しか進まなかったものが、3つできる様になるわけです。そうすると、業者は受注機会が1.5倍に増えてるんですよって。結局、取ったところはラッキーで取れなかったところは残念っていうそういう構図だったのですけれど、受注機会が増えて、総額は変わってないんです。総額というのはいわゆる税収なので、住民の方々から先にいただいてる部分だから、それは大きく変わるものじゃないので、業者にとっても不幸な話ではないんだということで、今、夜無事に歩けています。

著書一覧『 横田尚哉

この著者のタグ: 『コンサルタント』 『コミュニケーション』 『コンサルティング』 『考え方』 『働き方』 『ノウハウ』 『ビジネス』 『子ども』 『技術』 『知識』 『バイク』 『本質』 『建設』 『公共事業』 『知恵』

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