若手と出版社をつなぐことも大事なことの1つ
――本分の「研究」じゃないところでも気を遣わないといけないんですね。
仲正昌樹氏: そう。若手は間違いなく気を遣ってますよね。学会のあとの懇親会に出席して、挨拶回りするとか。懇親会って大抵6000円くらいは会費を取られます。出席して、現役で力のありそうな人たちに挨拶をして回ったり、論文集を出す仕事があったら仕事を回してくださいとかお願いするんです。
――そういうことをしないといけないんですね。
仲正昌樹氏: ほんと大変ですよ。書かせてもらう機会がとにかく欲しいっていう若手はたくさんいます。私も、面倒なんだけど、親しい人には多少の協力はしています。大したことできません。書く場所を提供してあげるくらいはできますから。無論、誰でもいいから世話しているんではなくて、既にちゃんとした論文を書いたことはあるのかくらいは確認しますが。出版社との関係を取り持つとかも時々やっています。なるべく買い取りとか条件付けさせないようにしますが、実際は条件が付くことが多いです。本当は、東大、京大や、早慶教授とかがやるべきことだと思いまです。ただ、いまはかなり大きな大学の先生でも、出版社にツテがある人が少なくなっています。不況で人文系の出版社が委縮しているということもあるんでしょう。昔だったら向こうから、「先生是非ともうちから…」とか懇願されていたような、有名大学の権威あるポストに就いている先生でも、出版社に積極的に働きかけることが難しくなっています。
編集者が学者を見つけてくれることが理想
――そんな中で、仲正さんの理想と言いますか、出版社、編集者っていうのはこういう風にあってほしいなという希望はございますか?
仲正昌樹氏: お金のことを一切考えないで書かしてくれるのが、理想です。70年代、80年代の、朝日新聞、岩波書店がまだ権威を持っていた時代に戻ればいいのかな――本当にそれくらいの時代に戻ったら、私は岩波にコネがないので、損をするかもしれませんが。要は研究者の方が、お金のこととかコネとか心配しなくても、向こうが勝手に見つけてくれるっていうのが理想です。いまは向こうに勝手に見つけてもらえるっていう話はほぼないと思います。
――要はこっちから売り出していかないといけない。
仲正昌樹氏: 昔は、出版社の編集者が大学の紀要を見て、「この人面白いな」と思って、依頼してきたとか利きます。いまどき、紀要を見る編集者なんて、ほとんどいない。確かに紀要って手に入りづらい。大学に行かないと見ることができないことが多い。手間はかかるけど、丹念に紀要や学会誌、研究会報とかを見て「この人は将来面白くなるだろうな」って発見してくれる人がいたら、ありがたい。そういうことがすごく少なくなっているんです。そういうことをちゃんとやるには、編集者の判断力が重要になるでしょうね。本としてある程度売れないといけないから、そこは見極めないといけない。この人は学者としてすごいだけでなく、思想系のジャーナリズムの世界に入ってもやっていける、というような判断をしないといけない。そういうプロの編集者がいないとうまくいかない。だから、院生や定職に就いていない若手が色々気を遣わないといけないんです。自費出版や買い取り条件に備えて、お金をためておかないといけない。
――そういったことまで考えないといけないですね。
仲正昌樹氏: まず編集者とどうやって付き合うかを考えないといけない。編集者が若手の研究者と会うための会合みたいなのを主催しているわけじゃないから。大抵はシンポジウムとか、大物の講演会に編集者がくっついて来て、そこに若手が加わって話をするとか。そういうことをやろうと思ったら、どの先生が編集者としょっちゅう会っているのか考えて、自然なかたちでその中に入っていけるように計算して動かないといけないですね。そういうことを考え始めると、もうそういったことばっかり考えることになる。お金とコネに関して、余計な力を使っている気がします。
電子出版は学術界にどんな影響を与えるか
――コストという意味で、電子書籍の可能性っていうのはどうお考えですか?
仲正昌樹氏: それについては、いろんなところで話題になりますね。知り合いの研究者とよくその話をします。難しいのは、自費出版の電子書籍と、どうやって違いを出せるのかっていう問題ですね。
――差別化をどう図るのか。
仲正昌樹氏: 自費出版と同じだと見られたら、おしまいですよ。下手すると、ブログで発表してるのと同じレベルと見なされる。実際、ブログでひどく幼稚なことばかり書いて、相手にされなくなっている学者もいます。それが、人文系の学者にとっては最大の課題かもしれません。ブログで書いている文章って、偉い先生が書いているものでも、ひどいのが多い。ブログっていうのはあとで書き直せるし、金がかからないから、適当になるんですね。論敵に怒っている時なんか、勢いで書くから、雑になりやすい。電子書籍化する時に、普通の人が自費出版でやっているものや、ブログ論文とどう違うのかが問題になる。無論、よく考えみると、従来の学術書でも、編集者と校正者が表現をチェックしているだけで、他の学者が中身をチェックしているわけじゃないので、中身の品質は必ずしも保障されていませんでしたが、一応、有名な先生たちが専門書を出している権威ある学術出版から出しているという体裁を取ることができた。電子書籍化で、その体裁がなし崩し的に崩壊する恐れがある。そこをどうやってクリアするか。クリアするシステムができればいいと思います。そのためには新しい回路が必要になる。
変な話ですが、岩波書店とかが権威を独占していた時代であれば、岩波に持っていく前に紹介者の先生がいるはずだし、岩波の編集者はそれなりに目が肥えていて、岩波の読者は専門書を読む知的エリートであるという前提というか、共同幻想があった。その岩波から注文が来るっていうことは、アカデミックな世界で認められているという証明に何となくなっていた。現在では、岩波であれどこであれ、編集者の適当な勘でやっているだけだということが分かってきたので、あまり権威はありませんが。紙で出すことは、実際には金が掛かるだけで、そんなに意味はないのかもしれない。
ただこれから研究者になろういう人とっては、嘘でもいいから何か権威が必要なわけですね。「これ、私の業績です」っていう風に何をもって言うのかということです。「この人のためだったらリスクをかぶってもいい」と腹をくくって、思いきって、学術書を出してる出版社はありがたかったわけです。売れないかもしれないけれど、この人のやっていることは大事そうだからリスクをかぶってもいいという人がいるからこそ、この本がある。そういう感覚が大事なんです。全くリスクがない状態で安易に出すと、本当にブログや、一般の人の自費出版と同じになってしまう。
――差っていうのはそういったところにあるんですね。
電子出版を安易にせず、コンテンツ制作には手をかけるべきだ
仲正昌樹氏: そうですね。編集作業など、本を作る面倒くささ自体は残っていないといけないと思います。実際、注とかルビとか、図版、表がたくさん付いている本は、結構面倒くさいと思います。西洋の言葉を引用する時の分綴とか、アクセント記号なんかも、知っていないといけない。オペレーターは面倒なんだろうなって、思うことがあります。学術書には、エッセイ的な本よりも面倒だと思います。ゲラをやり取りしていると、その違いを感じます。
――電子書籍が、そういう意味で使われるようになれば、そこに権威が登場するんですね。
仲正昌樹氏: 電子媒体の雑誌にもレフェリーって言われている審査員がちゃんと付いています。学者側から見れば、レフェリーがいれば、紙か電子はあまり大きな違いではない。ただし、レフェリーが入ると、面倒くささはあまり減らないでしょう。出版社にとってもリスクゼロっていうのはまずいんじゃないでしょうか。電子になったおかげである程度コストは抑えられているんだけど、しかしそれなりにリスクを引き受けているっていうことが外から見えないと、安っぽい感じになりますね。そのギリギリのかたちを考える必要があります。簡便さを追求し過ぎていて、権威と手間暇を掛けてやっているって部分が無くなっちゃうと元も子もない。1番肝心なところはちゃんと手間とお金を掛けているというところを見せてほしいですね。
もう一度学術的な大著を執筆したい
――最後に、今後の執筆予定についてお聞かせください。
仲正昌樹氏: カール・シュミットについて連続講義をしたのをテープ起こししてもらって、それに手を入れています。作品社から出す予定です。あと、春秋社から出る予定の、ロールズに関する入門書を1冊書いています。将来の話として、学術的な大著を出したいなと思っています。つい最近、10何年前に一度刊行博士論文を、その時に省略していた部分とかを復活させて、出し直したんですけど、もう1回は、同じくらい本格的なものを書きたいな、と思っています。どのテーマに絞ったらいいのかを、いま考えているところです。
(聞き手:沖中幸太郎)
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