電子書籍を使って、もっと一般に経済学の知識を広めたい
井堀利宏さんは岡山県倉敷市出身、1974年に東京大学経済学部経済学科を卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了後、ジョンズ・ホプキンス大学大学院経済学研究科博士課程を修了され、その後大阪大学経済学部助教授を経て、東京大学大学院経済学研究科教授として教壇に立たれています。日経・経済図書文化賞・『現代日本財政論 財政問題の理論的研究』第22回 石橋湛山賞『財政赤字の正しい考え方 政府の借金はなぜ問題なのか』など、数々の受賞歴もお持ちの井堀さんに、日本の経済について、電子書籍と本とのかかわりについてお聞きしました。
大学ではやはり研究が第一、アカデミックな経済理論を深める毎日
――公共経済学における日本の第一人者として、ご活躍中ですが、井堀さんが最近どんなことをされているのか、ご紹介いただけますか?
井堀利宏氏: 大学にいる以上、研究活動が主ですよね。あとは講義と対外的な活動なんですけれど、特に本年度はサバティカルといって1年間研究期間だったので研究中心でした。月に1、2回くらい国際学会に出席して色々な論文を発表したり、それ以外でもここにいるときは自分の論文を書いたり、ほかの人の論文に色々なコメントをしたりという、そういう仕事が中心です。公共経済学の中でも私の分野はどちらかと言うと理論なんですよね。だから日本の今の財政政策に関心がないわけじゃないですけど、本当に狭い意味での専門で言うと、実際の財政運営、経済政策よりはもう少し抽象的で理論的なモデルで、公共経済学、あるいは財政学の基本的な研究を進めているという状況ですね。
――その世代間重複モデルもそうだと思うんですけれども、大きな目線で世界をとらえるといった感じなのでしょうか?
井堀利宏氏: それが理想なんですけどね。ただ学者の世界はそういう意味では厳しいと同時につまらないところがありまして。
――どのようなところが?
井堀利宏氏: 要するにアカデミックなジャーナルに論文を掲載するのが学者の最大の目的なんですね。そうすると、あんまり大きな話をしてもウケない。要するにほかの人よりもちょっと新しいことをモデルとして出したとか、あるいは何か数値計算で面白いことを出したとか、実証で何かやったとか、ほかの人の積み上げてきたものを少しずつ拡張していく、そういう仕事なんですね。そういう意味では、重箱の隅をつつく様なちょっとしたことで小さな論文を書いて、それを色々なジャーナルに載っけていくという作業です。それをある段階でまとめて本にして出すことはあるんですよ。
だけどそれはあくまでも追加として出てくるもので、最初から本を書きたいというわけじゃない。もちろん私も色々な本を書いていますけれど、それはアカデミックな業績として残すのはなかなか難しいですよね。そうするとあんまり広い、専門家以外の人が興味を持てる様な、役に立つ様なことっていうのはなかなか出て来ないんですね。
――こちらの研究室には、膨大な資料がありますね。
井堀利宏氏: これはね、東日本大震災でぐちゃぐちゃになっちゃったんですよ。ここはまだましな方で、隣の先生の部屋は本棚が見えないくらい本があった。それがもう3.11で全部倒れちゃってすごい状況だったんです。その後時間的な余裕がなくて放ってあるんですよね。古い本はもう少しちゃんと整理して、置くべきとこに返さなきゃいけないんですけど。
――冊数はどれくらいあるんですか?
井堀利宏氏: 東大の研究室の中では少ない方だと思いますね。半分しか本棚がない。大体皆さん両脇に本がある人が多いので。
学者の主な仕事はアカデミックなジャーナルに論文を掲載すること
井堀利宏氏: 学者の世界で、本は確かに重要なんですけど、研究の面ではね、やっぱり論文なんですよね。特に財政・公共経済学でも、いわゆる経済学の中のミクロ、マクロの応用としてやってる分野だと、アカデミックなジャーナルに論文を出すのが主なんですよ。そうするとやっぱり書籍にするのはどうしてもちょっと遅れますね。本に対するウェイトっていうのは、ほかの人が想像してるよりは、ちょっと小さくなりがちなんです。そこが残念と言えば残念なんですけどね。
――やはり本というものがどうしても一般の目に触れられる機会が多くなるので、そちらの方がウェイトが大きいのかと思っていました。
井堀利宏氏: だからジャーナルですよね。これは、われわれの分野の公共経済学で1番権威のあるジャーナルです。ただこれも今、ご存じの様に電子ジャーナルになってます。だから昔は雑誌のかたちで購読していたんだけれど、今はもうネット上ですね。とにかく大学っていうのは電子ジャーナルで全部アクセス出来る様になっているので、ハードで購読する必要がなくなってくるわけです。昔からあるジャーナルっていうのはハードコピーを出しているんですけど、最近の新しい電子ジャーナルになると、ウェブ上だけでハードコピーは出さないところも増えていますよね。そちらの方がもちろん速いので。要するにほかの人よりも、遅れて同じことをやったんじゃ業績にならないんですね。
――なるほど、そうなのですね。
井堀利宏氏: 要するに世界中で研究者は競争しているわけですね。だからわれわれの論文は、もう全て英語で国際的なジャーナルに出さないといけない。それから最近ジャーナルの前に、いわゆるディスカッションペーパーというのがありまして、それが最新の情報ですね。なぜかというとジャーナルはご存じの様に投稿するとレフェリーが見て、OKが出て、アクセプトされると掲載されるというシステムなんです。だから掲載されるまでに1年か2年くらいラグがあるんですね。理工系、医学系だと速いんですけど、われわれ経済学の分野っていうのは遅い。それが下手すると投稿してから公刊されるまで3、4年くらい掛かる。だから載っているのを読んでからじゃ遅いんです。
そうするとジャーナルに出る前の段階で、各研究者が色々な大学にディスカッションペーパーを出して載っけているケースが多いわけですね。うちの研究科もディスカッションペーパーを出しています。だからそういうのを見る方が早いわけですね。これは国際的にそういう状況ですよね。あるいはディスカッションペーパーになる前の段階で国際的な色々な小さな研究会とかカンファレンスで発表があると、皆すぐウェブ上に出てくる。昔に比べると相当研究スタイルが変わってきましたね。昔は本を読んだり、あるいはこういったジャーナルが出版されたものを読むという感じでしたから。
――そこが電子化だとか電子書籍というものに大きく変わっているんですね。
井堀利宏氏: そうですね。そうすると、当然そういうのは良いものもあれば悪いものもあってですね、玉石混合ですよね。その中でどれが自分の研究に効くのかっていうことを、見るのは大変です。ちょっと検索すると膨大な関連論文が出てくるので。そこをどういう具合に切り分けていくかが、情報が多い分だけ大変な時代になってきました。そういう意味では、ますます実際の仕事の面では、本を使ってどうのこうのっていうのは難しくなってきていますね。電子ジャーナルですらもうあんまり使えない。そういう流れなんでしょうがないですね。
社会的な興味と、理数系の要素を併せ持った学問「経済学」
――そもそも先生が経済学というものを選んだ理由を、お伺いしたいと思います。
井堀利宏氏: 高校のころですかね。経済学って言ってもわれわれの分野っていうのは、文系というよりは、理工系から入ってきている人が多いんですね。私も高校のときは最初は理系で、好きだったのは数学と理科でした。でも、私はどうも手先が不器用なものだから実験が苦手で、実験するのが嫌だなと思って。あと1つ、それとは別に、やっぱり社会的な問題に関心がありました。われわれが高校のころは、1970年の安保の後なんですよね。ちょうど東大の安田講堂でチャンバラが起きて、入試がなくなりまして。あのときが私の1年上なんですよ。だから1年上の学年がいなかった。だから高校のころは大学紛争で非常に世の中がざわざわしていました。
――社会的な不安を感じられたんですね。
井堀利宏氏: そう。だからあのころは新宿で夜になるとデモとかをやっていてね。すごい動乱した状況だったんですよ。もう40年くらい前ですよね。だからある程度社会的な問題にも関心がありました。そのとき、数学的なものと、それから社会的な関心と、両方をうまくやるとなると経済学が1番良いかなと思ったんです。そのころはマルクス経済学が非常にポピュラーだったんですよ。まだ社会主義のソ連とか中国に人気があって、ベトナム戦争も起きて、アメリカがどちらかと言うと悪者でした。
そういう時代だったので、経済学の中でもその当時はマルクス経済学の方が主流だったんですよ。東大でもほとんどの先生がマルクス経済学だったので、私も最初は高校のときに、マルクスの本を読んで、マルクス経済学はメッセージとしては悪くないなと思ったんですが、いかんせん論理的に読めなかったんですよね。
――論理的に読めないとは?
井堀利宏氏: 要するにマルクス経済学っていうのは、ある意味で訓詁学なんですよね。マルクスがどう言った、エンゲルスがどう言った、レーニンがどう言ったっていうことの紹介で。ある意味キリスト教でイエスキリストがどう言ったとかそういう話なんですよ。だから私も東大に入ってですね、マルクス経済学と近代経済学の両方を模擬ゼミみたいに、本郷の先生に全部習ったんですけど。マルクス経済学もメッセージは理想的に面白いんだけど、やっていることはこれは学問としてはちょっと自分には無理かなと思いました。
浜田宏一先生の入門ゼミに入って現代経済学に目覚める
井堀利宏氏: そのときに近代経済学の入門ゼミにいて、そのときの先生が浜田宏一先生といって、今ちょうど安倍内閣で話題になっている先生ですよね。内閣参与か何か今度なられて、金融政策でじゃんじゃんプレッシャーを掛けると。当時先生はまだ30代で、東大の近代経済学で1番若かったんです。しかも専門はマクロ経済学。教養学部のときに浜田先生の入門ゼミに入って、「現代経済学って面白いな」というのでそっちの方にいこうという感じになりましたね。
――ではそこで1つの大きな転換があったんですね。
井堀利宏氏: そうですね。やっぱりマルクスは学問としてはちょっと無理かなと。要するに過去の遺産の解釈だなというのがあったんです。それで本郷へ来てから近代経済のゼミに入って、ケインズの方面へ向かったという感じですね。昔はケインズっていうのは学生の中で影響力があった。例えばこの向こうの部屋の伊藤元重先生とかね、吉川先生とか、皆同期なんですよ。同じ時期に学部から大学院に入ったんですよね。皆同期で彼らと一緒に学部の終わりから大学院の始めごろにケインズを読んでいた。だからその当時の院生っていうのは、本も読んでいたんですよ。まだそういう意味で考えるとのどかな時代ですね。今の院生は、多分本は読んでいないと思う。読んでいる本っていうのは、いわゆる大学院生用のテキストブックですよね、昔は大学院生のテキストブックってそんなにちゃんとしたのがなかったんですよ、日本語も含めてね。
もうそれが最近、日本も含めて大学院できちんとアドバンスドなツールでミクロとかマクロを教える様になってですね、テキストが非常に充実していっぱい出ている。それをまず院生が学習するとなると、ケインズとか、シャルとかね、昔のアダムスミスとかね、そういう本は普通は読まない。読んでいると時間がなくなっちゃうという、そういう感じになってきましたね。
――では先生の院生時代のころっていうのは、まずそういったところから読まれていらっしゃったんですね。
井堀利宏氏: あとヒックスとかね、シュンペーターとか、論文と同時にそういう本も読んでいた時代でしたね。
普通のサラリーマンにはなりたくなかったわけ
――そのころから研究者としてやっていこうと、道筋は立てられていたんですか?
井堀利宏氏: そうですね。もちろん就職も多少考えたんですけど、普通の会社に入ると朝早く起きなきゃいけない(笑)。その当時からどっちかって言うと朝起きるのが苦手ですから。朝早く起きて通勤列車で会社へ行くのもなって感じで(笑)。院生は時間的に自由裁量ありますからね、どこでも。好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、好きに研究出来ればそれにこしたことないなって(笑)。多少所属の面で就職のリスクとかはあるけれど。やっぱり当時だったら東大を卒業して大企業とか、銀行に入ればそれなりに高い給料もらえるわけだけど、院生に行くとほとんど生活スタイルが学部時代と変わらないんです。大学院を出ても就職できないかもしれないリスクがありますけど、自由が良いなと思って(笑)
――色々な選択肢の中で研究生活を選ばれたんですね。
井堀利宏氏: そうですね。当時は今と違ってね、大企業って本当にしっかりしていた時代だった。だからわれわれの学部時代のゼミで1番できた人っていうのは国鉄とか東京電力に行った。あとは生保ですね。そういうとこっていうのは1番優雅な生活ができた。それが今は変わっちゃったからね。われわれが就職するときはちょうど、1974年の石油ショックの直前だったので、皆内定をばんばんもらっていました。昼食会、夕食会とか、企業から接待が来た時代でした。でもそれが石油ショックで一転して、その1年後はもう変わっちゃってた。だからそのときに、就職しても時間も制約されるし、大学院生の方が気が楽でしたね(笑)。
紫綬褒章では大竹しのぶさんと佐々木監督と一緒の受賞だった
――長い研究生活の中で、2011年に紫綬褒章を受章されましたね。そのときはどのようなお気持ちでしたか?
井堀利宏氏: いやぁ、よく分かんないですよね、紫綬褒章。あれはもちろん通知が来る前に内々にあるんですよ。候補っていうのは実際には決まっているんだけど。それで半年前に色々書類を出せと言われる。
――書類ですか。
井堀利宏氏: 業績も含めて色々と書類を出すんです。紫綬褒章は、ここの学部だとその前の年に吉川先生がもらったし、半年前に伊藤隆敏さんももらっていたんで、そんなにびっくりしなかった。ただあれは、オリンピックがあると金メダリストと一緒になるでしょう。だからそういう有名人のどなたと一緒になるのかなっていうのが楽しみでした(笑)。
あのときはたまたまナデシコジャパンの佐々木監督と大竹しのぶさん、その2人とご一緒させていただきましたね。皇居に行くんですけどね、集団で行くわけですから、特にそんなに緊張する様なシチュエーションじゃないですね。佐々木監督と2ショットの写真が撮れたのは良かったです。
参政権は20歳からではなく0歳からにせよ
――昨年末、衆院選もありましたが、若者はもっと選挙に参加するべきでしょうか?
井堀利宏氏: そうですね。もっと積極的に参加しないと日本はダメですよね。やっぱり高齢化が進んでいますしね。特に社会保障の痛みを伴う改革が先送りされると若い人が損をするんですよ。もう前から、年齢別選挙区とかね、若い人がそれなりに国会に発言力を持てる様な制度にした方が良いんじゃないかってことを言ってるんですけどね。あとは参政権を下げる。今20歳からだけど、もう0歳まで下げてもいいんじゃないかなと。子供区という選挙区を作っちゃったらどうかっていう話も最近しているんだけれど。
だから今回自民党が圧勝して、30代40代の政治家の人が集まったんだけど、その人は若いんだけれど、その人に投票した人はどっちかっていうと年寄りなんですよね。そこは問題ですね。若い政治家なんだけどね、だからと言って若い人のために身を切る改革ができるか。例えば老人の保険料の自己負担1割を2割に上げるって懸案になったんだけれど、それができるかっていうと、若い政治家でもそのバックには高齢者がついているから。だから若い人の利害を反映する様な、そういう政権になってほしいですよね。
――今回、結局若者は参加しなかったという結果にもなっていますが、とにかく参加することで大きく変わって行くんですね?
井堀利宏氏: そうですよね。だからまず投票に行かないとね。投票率が本当に低いので。学生はね、意欲のある人は多いですよ。ただどっちかって言うと東大の人はやっぱり官僚人志向が強いですね。特に財務省に就職していく人が多い。だから普通の人とちょっと違う。ただ官僚も良い面もあって、色々な情報をきちんと持ってちゃんとやるには、それなりのエリートの人も必要なんですよね。ただ、つまらないことに若い人が関係無いエネルギーを使うのはもったいない感じはしますよね。志は皆さん持っているのに、実際に省庁に入ってやる仕事というのは、どうでもいいことや微調整になってしまう。そこはやっぱり政治家が官僚をうまく使わないといけないと思います。
電子書籍について思うこと
――最後にお伺いしたいんですが、いわゆる電子書籍、もしくは電子データというものが時代をどんな風に変えていくとお考えでしょうか?
井堀利宏氏: それはもちろん、飛躍的に便利になりますよね。論文を探したり、あるいは本の一部を探して、それからコピーするとなると、本当に図書館に行ったりして大変ですけれど、電子化されると、自分のところのパソコンからすぐダウンロードができて、保存するのもデジタルでできるから、こんなにいっぱいの本とか、もう要らないわけですね。そういう意味では非常に、情報乖離の面でも役に立つし、色々な研究だけでなくて、色々な人の本や書籍、雑誌に対するアクセスも非常に良くなるので、良いことだとは思いますよね。
――今後そういった本、著作物、また研究活動を通じて、これからどんなことをまたされていきたいなという風に考えてらっしゃいますか?
井堀利宏氏: 今までと同じペースで、なるべく、微力ながら少しずつ前進して行きたいと思いますね。ただもうこの年になるとね、やっぱりアカデミックなジャーナルに論文を掲載するっていうのはしんどいので、そろそろ研究等をまとめて本にしたり、もうちょっと易しい本にするということを積極的にやっていきたいと思います。ただそこの問題はですね、やっぱり採算性の面で、本を出版するのは段々厳しくなってきていて。特にある程度専門性があるものは読者層が限られるので、易しくしちゃうと、面白い本なんだけど、面白い本っていうのは、誰でも書けるわけではない。そういうのにあった個性の人がいっぱい書いているから、なかなかそこに参入しづらい。だからEブックになると、そこのとこの出版の色々なコストが下がりますし、ある意味、自費出版的になるわけですね。電子化だとすぐできる様になりますよね。
そういう意味で、本も研究者としても、ある程度電子化されて発信出来る機会が出てくるというのは、色々な意味で良いんじゃないかなと思います。本をハードカバーで出すのは最近では、厳しい。私も専門書とかテキストブックを出しているんだけど、もうちょっと違ったスタイルの本っていうのはなかなか出しにくいですね。電子書籍や新しいかたちで、研究のもっと幅広いところを紹介する本が何か出せたらいいなと思いますね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 井堀利宏 』