マナーとは、型ではなく「思いやりの心」
岩下宣子さんは共立女子短期大学卒業後、30歳から全日本作法会の内田宗輝氏、小笠原流小笠原清信氏に師事してマナーを学び、1985年に現代礼法研究所を設立。マナーデザイナーとしてご活躍されています。『図解 マナー以前の社会人常識』『図解 マナー以前の社会人の基本』など、マナーについての著書も多数あります。岩下さんに、現代のマナーについて、また本と電子出版について思うことを伺いました。
教えたいのは「I’m OK, you’re OKの世界」
――最近はどんな活動をされていますか?
岩下宣子氏: 子どもたちにI’m OK, you’re OKの世界を、思いやりの心で考えられる子どもたちになってほしいという願いで、NPOマナー教育サポート協会の理事長として子どもたちにマナーを伝えてくれる仲間をサポートしています。仕事としては相変わらずマナーを伝えるということをしておりまして、企業へ伺って、新入社員の方はもちろん、管理職の方へマナーの心をお伝えしています。
――管理職の方への指導の方法はどうなさるのですか?
岩下宣子氏: リーダーとして、上に立つ立場の人間として、部下に対して思いやる心を持つことを研修の中で伝えています。マナーとは、自分が恥をかかないためや自分をよく見せるためではなく、お互いに気持ち良く仕事をするために、どうしたらいいんだろうということを考え、互いに思いやりの心を持つことなんですね。そうやって考えることで、脳は活性化する。「自分さえ良ければ」という人の脳は活性化しないそうです。ぜひそのことに気が付いて、I’m OK, you’re OKの世界を会社でも家庭でも実践していただければと思っています。
――岩下さんのこれまでのキャリアを伺えますか?
岩下宣子氏: 私は西神田で生まれ育って、おけいこごとは日本舞踊を習っていたんです。三宅裕司さんのお兄さんとは同級生で、そのお母さまの西川扇兵衛さんに踊りを習っていました。踊りをやっていて良かったということは、立ち居振る舞いがきれいになったことで、それは非常にありがたいと思っています。お師匠様は非常におおらかな方で、人を大事にすることを教わりました。そこのおけいこ場は年中人がにぎやかに出入りして、皆楽しそうにしていて、「何か良いな」と思いました。だから人が大好きになったのは周りの環境のおかげだと思います。
ふとしたことからマナーの道へ
岩下宣子氏: 実は私が30歳の時に、子どもが二人いたのですが、私の母が「1週間に1回子どもを預かってあげるから、何か勉強していらっしゃい」と言ってくれたんです。朝6時から夜まで子どもを預かってくれたんですが、何を勉強していいかわからなくて。とりあえず家を出なくてはいけないから、鎌倉彫に行ってみたり、陶器の教室に行ってみたり、「今月は何を学ぼうかな」みたいな感じでカルチャーセンターへ行ってみたんですね。ある時、日本橋の高島屋で作法教室が3日間あるというので「お母さん、3日間あるんだけど行っていい?」って言ったら「うん、いいよ」って言ってくれて。その作法教室に3日間通いました。私の中ではそれで終わりだったんですけど、なぜか電話が掛かってくるんですよ、そこの会から(笑)。行く気がなかったのですが、余りにも親切に「いらっしゃい」と言って下さったのでお断りしていたのですが、まぁ1回くらい行ってみようかなとおけいこ場に行きましたら、その会がある事情があって新しい先生を育てなくてはいけないところで、1年くらい修業をした後に講師をさせられました。本当にそれが31歳くらいでした。生徒さんの方が年上で。教えるために必死でした。国立図書館の作法の本を調べたり、あと御茶ノ水の森下はるみ先生という動作学の先生の授業を受けたりしましたね。あとは小笠原清信先生との出会いもありまして今に至ります。小笠原流は、家業であって商売ではないんです。だからお免状を簡単にはお出しにならない。お金でお免状はとれないのです。先生に、「なぜ職業にしないのですか」って言ったら「礼法は人にこびては心を伝えられないいけない」っておっしゃったんです。「すごい」と思いましたね。
マナーは謎とき
岩下宣子氏: 今、マナーは私にとって謎解きになってきていますね。子どもにマナーを伝える時に、レストランへ行って「はい、ナプキンは2つ折りよ。輪が手前よ」と教えますよね。すると、「お母さん、なぜ輪が手前なの」って言うんですよ。「それは決まりなの」って言っても子どもは納得しないんです。それで私も「なぜ輪が手前か」という答えを見つけないといけない。2つ折りにして輪を手前にすると、先が2つに割れるんです。この割れた中で口を押さえる。それが輪が向こう側だと、座ってる時に手が使いづらい。それが輪が手前なのだと・・・、ほら、開くところが向こう側になるので使いやすいのです。それで輪が手前なんだ、ってわかったんです。マナーには必ず理由がある。今まで私の教えていただいた礼法は「こうするものです」と言うだけの作法。私はそれで良いと思っていました。でも子どもに「お母さん、なぜ?」と言われて、「マナーの面白さにより目覚めたのです。マナーは謎解き、推理が面白いですね。」
――何か執筆されたり、講演される時のこだわりなどはございますか?
岩下宣子氏: 私の原点は色々な方との出会いと、新渡戸稲造の『武士道』だと思います。『武士道』を読んだ時に、「体裁を気にして行うのならば礼儀とは浅ましい行為である。真の礼儀とは相手に対する思いやりの心、それが外に表れたもの。礼儀の最高の姿は愛と変わりありません」と書いてあったんですね。「ああ、体裁を気にするのは浅ましい行為なんだ。本当のマナーって、私がこの方だったらどのようにしてもらったら有り難いのかしらと、立場の入れ替えをして考え、お互いにさわやかに気持ち良く過ごすためにどうしたらいいんだろうか」ということを考えることだということを、新渡戸稲造先生のご本から教えていただいて、それをすごく大事にしています。
――素晴らしい教えですね。
岩下宣子氏: そして、ある時LOVEを明治時代に日本へ入ってきた時、「ご大切」って訳したと知りました。その時に、何かずっと自分の中でモヤモヤしていた霧が晴れたのが、愛って自分を大切にする様に人も大切にする心なんだ。まさに思いやりの心なのだとストーンと心に落ちました。命を取られたら嫌、だから人の命も取らない。いじめられたら嫌、だから人もいじめない。悪口を自分が言われたら嫌、だから人の悪口も言わないということだと。でも人間って、どこかに自分さえ良ければという心があって悪口を言う。それを超越して真の人間になる。人間として生まれてきて目指すものは、もしかしたらそれじゃないかなと。それをどうやって皆さんに伝えられるかなというのが、これから私の68歳からの課題ですね。とても難しいことです。皆が自分を大切にする様に人も大切にすることができたら、けんかも戦争も無くなる。言葉で言うのは簡単だけれど、それを1人1人の心の中に落としていくのはすごく難しいですよ。
――そうですね。
岩下宣子氏: だからこれから益々勉強しなくちゃいけない。本を読まなくちゃいけないと思います。コミュニケーション力ってやっぱり本から学べることが多いです。学べます。言葉は人です。その人がどういう言葉を使うかでその人の生き方が分かります。本で言葉に出会う。だから若い方が本を読まないのって、「言葉は使えるの?」って心配になりますね。言葉を使うことで人間は豊かになるし、言葉を知ることで心が豊かになっていく。空の青さを見た時に、それを本当にきれいに言いあらわせる人っていますよね。それは頭の中に言葉を持っているからでしょう。詩を読んだりとか小説を読んだりとか哲学書を読んだりとかね。色々な言葉が使える人って、何かうらやましいですね。若い方には、本当に年と共に人生って面白いよって伝えたいですね。生きるってことは日々新しいことを経験できることですね。あとは、心が熟成していくのかな。言葉を知ることで、何かわからないけれど心の中でブツブツ熟成していって、「ああ、こんな表現ができるんだ」とか。同じものを見ても、「ああ、こんな見方があるんだ」とか、また新しい発見があったりします。やっぱり生きているっていうのは素晴らしいですね。だからこそ人の命を奪っちゃいけないと思います。
執筆のきっかけは出版社からの依頼
――執筆されるきっかけと言うのは、どのようなことからだったのですか?
岩下宣子氏: どういうきっかけかわからないんですけれども、出版社さんから「書いてください」という依頼があって。最初が日本実業出版社さんで、『OLのマナーここをチェック!』という本だった様に思います。
――電子書籍の可能性についてもお伺いできればなと思うんですけれども、絶版も解消されると思いますが、どんなことがこの電子書籍によって広がっていくと思われますか?
岩下宣子氏: 紙の本、なかなかきれいなままで保存でき、ちょっと虫が食ったりするので電子書籍になれば、知識を長く伝えていけると思います。ただ間違ったことを言っていた時に後世で恥ずかしいですね。だから「ごめんなさい」って一言、いつも私が言うことは正しいとは限りませんって電子書籍の最後に書きたいです。本当に自分が間違ったことを言っていた時は、素直に謝るっていう覚悟はいつでもできています。だから「出版社に来た苦情でも私が対応させてください」って言うんですけど、皆さんやっぱりすごく良い方で「いやいや」って言ってくださるんですけど、私は「私が対応します」申し上げているのですが・・・。やっぱり直接話した方が、怒られるかもしれないけれども、心が通じるように思います。
――常にそういった覚悟をお持ちなんですね。
岩下宣子氏: 仕事として自分が発信している以上はね、その覚悟がないといけません。だから間違えた時はごめんなさいって謝る。自分が言っていることが絶対正しいっていうことはないっていつも思っているし、人って色々な価値観を持っているから、まず人を認めることから始めないといけないと思っています。インドの哲学者タゴールは「愛とは理解の別名なり」って言っているんです。良い言葉でしょう。私たちは、「何この人、おかしいんじゃないの」って思ったらもうそれでぽーんってはねてしまう。でもそれは愛のない人ですね。愛を持って考えてみる。「なぜこの人はこんな生き方、こんな人になっちゃったんだろう、こんな生き方しかできないんだろうか」って。それができたら、すてきな人だな、なんて心が広いんだろうってね、思いますよね。
人とつながり、人に生かされてきた
岩下宣子氏: 私は本当に下町生まれの下町育ちで、言葉も丁寧じゃない。でもたまたまそういうマナーの世界で、自分が楽しみながら仕事ができるようになりました。30歳から勉強を始めて40歳まで主婦で、40歳の時、会から離れた時に、そのカルチャーセンターに来てくださった方のお嬢さんが上智からM新聞社に入ったんです。お母さまがそのお嬢さんに「あなたが最初に書く記事は岩下の記事よ」って365日言い続けてくださったそうです。だから彼女は、いつか私の記事を1回は書かないと母親に対して申し訳ないって思って、書いてくれたんですよ。その新聞を見たN社の広報の課長さんが、私に電話をくださって「うちでやってくれません?」って誘ってくださった。私はキッコーマンでは新入社員研修をしていたんですよ。でもそれだって何回もしていないのです。「全国の総務部長を集めるから」っておっしゃってくださった。普通は断らなくちゃいけないんですよね、「私は男性のビジネスマナーはやったことありません」って。でもそこで「どうしようかな」って思った時に、「新渡戸稲造の心をビジネスの場で考えて私なりにお伝えすればいいのじゃないかしら」って思ってお受けしたんです。それが全国に広まったんですね。今、ビジネスマナーの世界でお仕事させていただいているのは、N社さんのおかげですし、記事を書いてくれた方のおかげですね。
――全てがつながっているんですね。
岩下宣子氏: 本当ですね、人によって生かされているし、人によって仕事をさせていただいていています。全く営業をしないで20何年間も仕事が続いているのは、ご縁のあった方のお陰です。
――日々の勉強を苦労と感じてらっしゃらないんでしょうか?
岩下宣子氏: 夫は、「すごく勉強している」と言ってくれましたね。でも自分では遊んでいる気分なんです。トインビーか何かが、仕事と遊びの境界を作らない生き方について書いた本があって、「トインビーと私、ここが似てるよね」って思いました。人に会うのが楽しいし、乗り物に乗るのがまた楽しいんです。皆、大変でしょうと言うんです、出張とかもありますし。明日は群馬であさっては神戸なんですけど、日帰りであちこち行くんですね。でもね、私、好きな乗り物は飛行機なんです。楽しいの。新幹線に乗っても楽しい、窓から見る景色も楽しいと思うし。だから疲れることってないんです。疲れないで多分死んじゃうと思います。コトンって死ねたらいいですね。
――全てにおいて楽しむことが大きなキーワードなんですね。
岩下宣子氏: そうですね。人に会うのもこうやって楽しいなって思うし。仕事も何かその積み重ねですね。だから「大変でしょ」って言ってくださるのですけど、エスカレーターやエレベーターを使わないで階段を上がるのも楽しいの。それも喜んじゃうんです。階段を上がっても生きてる喜びを感じてる私がいます。
マナーの心をわかりやすくたくさんの人に伝えたい
――最後に今後の展望をお伺いできますか?
岩下宣子氏: 今非常に世の中が変わってきてますよね。今、心の病になっている方も多い世の中で、どうしたら気持ち良くお互いに過ごすことができるかを、具体的な場面で伝えていきたいですね。心って見えない。だから「この時はこんな風にしたらいいのかも」ということをお伝えして、何か皆さんのお役に立つことができたらいいなと。温故知新の精神では、昔はこうだったんだけれど、それを今こんな風に提案したいということがあります。ただ古いものが全く悪いとかじゃなくて、良さもすごくあるので、それを踏まえた上での提案をマナーの仕事を通じてできていけたらいいなって思っていますね。あとは、これからは先人たちがやってきたことをちゃんとまとめる様な仕事もしていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 岩下宣子 』