喜多川泰

Profile

1970年生まれ、愛媛県出身。東京学芸大学卒業。98年に横浜で、笑顔と優しさ、挑戦する勇気を育てる学習塾「聡明舎」を創立。人間的成長を重視した、まったく新しい塾として地域で話題となる。2005年から作家としても活動を開始し、『賢者の書』にてデビュー。2作目となる『君と会えたから…』は8万部を超えるベストセラーとなった。『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』は10万部を突破し、各所で話題となる。最新作の「おいべっさんと不思議な母子」にて、全11作品となる。執筆活動だけではなく、全国各地で講演を行い、「親学塾」も、全国で開催中。現在も横浜市と大和市にある聡明舎で中高生の指導にあたっている。

Book Information

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計算を捨てて「今、ここ」を精いっぱい生きることが最大の武器になる


――今の時代、子どもたちも将来に不安を感じることが多いと思いますが。


喜多川泰氏: 日本の企業も業績がよくないし、どこの会社に入れば安心して生きていけるのか考えると、将来に対してどうしても暗いイメージしか持てません。公務員になったら安定かと言ったらそれも違う。今、僕は42歳ですけれども、10年後何をやっているかはわからない。でも僕が思うには、どこまで行っても、「今、ここ」を大事に生きていけば、絶対に自分の生きるべき道は示されるはずだということです。世界中の歴史を見ても、その生き方だけが唯一、生涯安定して生きていかれる方法なんですよ。みんな子どものうちから計算して生きていこうとしますが、中学を卒業してこの高校に行って、その次はこの大学に行って、こういう仕事についたら平均月収がいくらで、年間何百万何千万円になって、何年働けば何歳の時の収入がこれくらいで、なんて計算は絶対に成立しないんです。

――計算通りには行かないということですか?


喜多川泰氏: 1個1個の理屈は通じているように見えても、「風が吹いておけ屋がもうかる」ことがないのと同じです。風が吹くと砂ぼこりが舞う、砂ぼこりが舞ったら目が悪い人が増える。目が悪い人が増えれば、昔なら三味線弾きが増える。三味線には猫の皮を使うから、三味線弾きが増えたら猫が少なくなる。猫が少なくなると、ねずみをとらないので、ねずみが増えておけをかじる。それでおけ屋がもうかると。1個1個はたしかにもっともらしいけれど、風が吹いておけ屋がもうかったためしはないんですよね。むしろ、人間が一生懸命やった末には、たいてい予測していない結果が待っている。それはいろんな力が働くからなんでしょうね。一生懸命やっている人と一生懸命それに反対している人がいたとすると、両者がぶつかる場所は真ん中にはならなくて、まったく新しい別の案で収まるとか、あれこれやっているうちに全然違うものになるのが人間社会だと思うんですよね。子どもたちの人生でも、同じようなことが起こると思うので、これからどういう生き方が一番いいかを考えた時に、刹那的に見えて一番安定しているのは、自分の目の前、今ここにあるものに対して自分ができるベストを尽くすことじゃないかと思うんです。

――「今、ここ」が大切ということを若い人にどう伝えていかれますか?


喜多川泰氏: もし子どもたちが理解しても、親が「刹那的じゃダメ、もっと将来のことを考えなさい」と言うかもしれないので、むずかしさはあります。だけど子どものころに僕みたいな人間が、目の前に存在していたという事実が、大人になっていつか力になる時が来るかなと思います。先のことを考えて生きていって、こうなったらこうなると計算していたけれど、どうしてもそうならない日がどこかでやって来たとします。そんな時に、「そういえば昔、喜多川という人がいて、『先のことを考えずに今ここに集中してベストを尽くせば新しい扉は必ず開かれる』と話していたな」と、思い出すかもしれない。その時、そういう人間が本当にいたということを知っていれば、「自分もできるかもしれない」と思えますよね。だけどもしそんな人が実在していなければ、「そんなことできるのかな」と疑うかもしれない。ですから、僕が彼らの目の前にいることは意味のあることだと思うんですね。これからもそういう生き方を続けながら、その姿を若い中高生に見てほしいと思います。



宮大工を育てる伊勢神宮の式年遷宮、現代人の「実」


――教師が子どもの心の中に残るように、1人1人の心の中に存在しているものとして本がありますが、電子書籍で本を読む読者に対しては、どうお考えですか?


喜多川泰氏: 僕自身はいいも悪いもないし、好きも嫌いもありません。時代の流れでしかたのないことでもあり、素晴らしいこととも言えます。変わってほしくない部分ももちろんあるので、紙媒体と電子媒体とを上手に使い分けできる世の中になればいいと思いますね。ただ、便利の追求は効率の追求なわけで、効率を追求していった先に明るい未来はないような気がするんですね。日本的なものの考えの根底には、効率よりも人間関係や行程の方を大事にする文化があるので、効率を重視すれば大事なものがなくなってしまう可能性がありますよね。

――具体的な例をあげてご説明いただけますか?


喜多川泰氏: 今年行われる伊勢神宮の第62回式年遷宮がいい例です。あれは、20年に一度まったく新しいものを建てますが、効率だけを考えると、20年に1回新しいものを建て続けるよりも、鉄筋か何かにすればいい。何で20年に1回建て替えるかといったら、宮大工が育たないからなんです。宮大工は、ふつうの家屋ではなく神社を造る専門職ですから、神社を造らない限り技術が磨かれないわけですよ。宮大工を1人育てるのに20年かかると言われますが、その20年をかけて1人育てて、どの世代の宮大工も伊勢神宮を造ったことがあるという状態を維持すれば、その技や芸能は伝承されていくというシステムで、もともと使っていた材料もちゃんと全国の神社に下ろされてリサイクルされていく。効率重視にすると、そのシステムが全部なくなってしまいます。そういう業界がたくさんありますよね。例えば効率とコストを考え、安い労働力を海外に求めて海外で全部の仕事をさせる。そうすると日本の中に職人がいなくなって技が途絶えてしまう。そうしたら今度、海外で効率が悪くなったからまた日本に戻そうといっても、日本の方に技術がなくなってしまう可能性がある。千年も2千年もかけて培われてきたものが、効率を重視するという姿勢によって失われる可能性もあるのです。

――同じようなことが書籍にもいえるでしょうか?


喜多川泰氏: 紙の本はすごく大事な役割を今までも担ってきたし、これからも担っていくべきだと思います。もちろん電子書籍にも大きな可能性を感じますし、世の中のほとんどの人が本を出す時代も近い将来来るかもしれない。電子書籍化すると、本を書くのはふつうのことになる気がします。そうなると、自分の考えを書くことはすごく大事だと僕は思うんですね。テレビの中にあふれている情報は、泣いたり笑ったりするけれど、一気に入ってきますが、同じくらい一気に通り抜けていって、すぐに忘れてしまいます。それはすべてが自分の世界とは違うところで起こっている「虚」であって、「実」ではないからです。では「実」がどこにあるかと言ったら、それを見て自分が感じた感情が「実」なんだと思います。

本も同じで、書いてある内容は自分のものではないけれど、読んだ時に感じたことは、自分の「実」なわけですよ。だから僕が話していることも、読む方にはうつろなものでも、聞きながら感じること、それは「おなかがすいた」かもしれないし、「自分もこういう経験があった」かもしれない。ただ、自分で考えている「実」こそが、まさに自分の財産だということを今の人たちは忘れているのではないでしょうか。いろんなものをインプットして、内側からふつふつと財産がわいてきているんだけれど、それも一緒にふわーっと飛んでいってしまって何にも残らない。それを残す1つの方法が、自分が感じていることを書いて残すことだと思うんです。

――電子書籍が本の書き方を変えるのでしょうか?


喜多川泰氏: 電子書籍が普及すると、出版のハードルがぐんと下がって、自分の意見を書いてみようという人が増えると思います。そういう使い方ができるのであれば、電子書籍はすごく役に立つと思うんですね。そこから本当に才能がある人や注目を浴びる人が出てきて、その人が出したものが世の中を変える可能性も出てくるわけですからね。だからハードルが下がるというのはすごく大きな意味がある。例えば一昔前は作家が原稿を手で書いて編集の人がそれを持って帰り、ひとつひとつ作業する時代でした。作家1人に編集者が1人マネージャーのようについていたのが、今では、1人の編集者がひと月に2本とか3本の本を担当することもできる。そうすると編集者1人で年間に10冊から20冊の本を出すことだってあるわけです。なぜそれが可能かと言ったら、著者が自分で原稿をタイプしてデータで入れるからですよね。昔に比べて編集の手間が減っていることは、1つの理由でしょう。



電子書籍が普及すると、データを流せば誰もが書けるような出版社がいらなくなる時代がやって来る気がしますね。パソコンで自分のCDを作れる時代が来るとは、子どものころには思ってもいませんでした。そう考えると、数年以内にパソコンの中に電子書籍を作るソフトを入れて、クリック1つでインターネット上に出店できる時代が来るかもしれません。その時、書き手に利益の大半が入るにしても、残り何割かの利益が日本ではなくGoogleやAppleのようなプラットフォームをつくる海外の企業にいくことは考えられます。紙の本なら、紙を扱っている会社や印刷会社、物流の会社、出版社、取り次ぎ、書店など日本のいろんな企業の人に還元がありますが、電子になった時点で、さまざまな形で出版にかかわってきた人たちが無視されてしまう。効率を重視していったら何かが育たなくなってしまって、出版の意味すら変わってしまうかもしれない。だから紙の媒体のよさみたいなものは、しっかり伝えていくべきではないかと思います。

紙にしかない「あと何ページ」のアナログ感


――そうすると電子書籍は、今後どうなるのでしょうか?


喜多川泰氏: 80年代の後半くらいにアナログのレコードが一気にCDに切り替わって、ビデオもDVDになったような流れからすると、僕の印象では紙の本は一気に電子書籍にはなっていないですよね。僕も、動画など電子書籍ならではの可能性はわかります。ただ、どうしても、本の質感がないんですよね。そのせいで、例えば小説などは、電子書籍には向かないようにも感じます。紙媒体であれば「喜多川さんの作品はどんどん読み進めるんだけど、残りのページ数が薄くなるとゆっくり読みたくなる」とか、「もう終わっちゃう」という感想がありますが、それは手が無意識のうちに感じる本の質感ですよね。電子書籍って指でこうやって擦っていって、突然終わったりする。もちろんページ数は書いてあるからそろそろ終わるとわかっていても、一瞬びっくりします。一時期、デジタルの時計が大流行したけれども、すべてデジタルには置き換わらなかった。デジタルの時計では今が「2時54分」だとわかるけど、「あと6分で3時」だとわかるまでにワンクッションあって、1回頭の中でアナログに置き換える作業がいる。無意識に視野でとらえられる部分というのが人間には必要だから、やはりアナログの時計はなくならなかったのだと思います。同じことが電子書籍にもあるかもしれないですよね。

――紙の本を通じて、今後どんなことを表現していきたいですか?


喜多川泰氏: 自分ができることを精いっぱいやるだけですね。今僕が伝えたいことがあって、それが世の中のためになることであれば、また本を書きたいし、本とは違った媒体がメインになっていくのであれば、それにも挑戦したいと思います。今の自分にできることを精いっぱいやって、その先にまた12作目、13作目があって、「この本と出会えてよかった」と言ってくださる方がいれば、それが一番いいなと思いますね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 喜多川泰

この著者のタグ: 『考え方』 『生き方』 『可能性』 『紙』 『アナログ』 『教育』 『作家』 『きっかけ』 『命』 『宮大工』 『質感』

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