喜多川泰

Profile

1970年生まれ、愛媛県出身。東京学芸大学卒業。98年に横浜で、笑顔と優しさ、挑戦する勇気を育てる学習塾「聡明舎」を創立。人間的成長を重視した、まったく新しい塾として地域で話題となる。2005年から作家としても活動を開始し、『賢者の書』にてデビュー。2作目となる『君と会えたから…』は8万部を超えるベストセラーとなった。『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』は10万部を突破し、各所で話題となる。最新作の「おいべっさんと不思議な母子」にて、全11作品となる。執筆活動だけではなく、全国各地で講演を行い、「親学塾」も、全国で開催中。現在も横浜市と大和市にある聡明舎で中高生の指導にあたっている。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

何が起きても、「今、ここ」に集中する生き方で乗り越えよう。
それが必ず次の扉を開く



受験勉強も就活も人生も、いろんな出会いが変えていくものだと喜多川泰さんは考えている。人の心を元気にする数々の著作を執筆する以前から、1998年に「笑顔と優しさ、挑戦する勇気を育てる」が合言葉の「聡明舎」という学習塾の塾頭として中高生の教育に携わってきた。「大切なのは今」と語る喜多川さんは、過度に効率を重視し、予定調和で生きる現代日本人がともすれば忘れがちなものを思い出させるかのように物語を書き続けます。本嫌いの子ども時代の話から日本文化の貴重な知恵、紙の本の魅力までを語っていただきました。

今の時代は日本的なバランスを置き去りにしている


――最近はどんなものをお書きになっていますか?


喜多川泰氏: 今年に入ってすぐ『おいべっさんと不思議な母子』という本を出しました。11作目にして、初めてと言っていいくらいふつうの小説で、自己啓発色がそれほど強くない本です。僕は司馬遼太郎さんや浅田次郎さんの本が大好きなのですが、小説とは生きる力を強烈に伝えるものだと思います。自分の中のバランスとして、どれくらい小説色を強くして自己啓発色を強くするかをいつも考えていて、今回は小説で行くと決めました。物語によって読む人の心を少しでも前向きにすることを考えて書いたので、いつもとそんなに変わった感じではなかったですね。

――小説の力で今回伝えたかったテーマは何ですか?


喜多川泰氏: 今の日本は、教育や国全体が、「これはいい」とか「ダメ」と白黒はっきり決めたがっているように感じます。何かが悪いとなったら徹底的にたたくし、いいとなったら全員そうであるべしみたいな極端なところがある。教育の現場でも、ゆとりが足りないとなったら極端にゆとり教育に走るし、受験するなら受験一辺倒になるし。今のよくないところや新しい指針を探すのは大事なことだとは思うんですが、「じゃあ今の時代はこれだ」と一直線に進むのは、バランスが悪いと言うか、日本的ではないような気がするんですね。そのあたりの危険にも気づいてほしかった。

――日本的な感覚は、どちらかというと白黒つけないあいまいさによさがあるのでしょうか?


喜多川泰氏: いいとか悪いとかいう判断より、目の前で起こっていることを「わかりました」といったん受け入れた上で、自分はどう自己主張していくか。自然を受け入れつつ自分たちなりに力強く工夫をしていくことが日本的だと思います。今の世の中を見ると、例えば「昔の教育のここはダメだ」と言って全部捨ててしまうとか、いろんな場面で行きすぎがある。今は今の素晴らしいところがたくさんあるように、昔のよさもつないでいかなければいけないと思います。古いものを新しいものに置き換えていくばかりがいいとは限らない。かえって、いいものも全部捨ててしまうことにつながりかねません。昔のよさと今のよさを融合させたところに僕たちが進んでいくべき未来があるような気がするんですね。

本嫌いと本好きの両極端を知っているからバランスがわかる


――日本的なバランス感覚を大切にされている喜多川さんですが、幼少期はどんなお子さんだったのですか?


喜多川泰氏: ふつうの子どもだったと思います。たぶん僕らは昭和の「Always三丁目の夕日」の風景が残っている最後の世代だと思うんですよ。僕の住んでいたところは、小学校から帰ってくるとすぐに、近所のガキ大将に集められて町内の皆で遊ぶというのが決まりだった。帰ったらすぐ集合で、土日もすべて夜8時くらいまでずっと遊ぶので、家族で出掛けることもありませんでした。僕はそれがいやでしょうがなかったんです。もともと東京で生まれ育って、6歳か7歳で越して行った愛媛県で、強制的にみんな集められて遊ぶのは堪え難かったですよ(笑)。方言もわかりませんし、遊び方も、よその家の屋根伝いをずっと歩いた鬼ごっことか、軒下に隠れるとか、タイムスリップしたようでした。水がとてもきれいなところだったので、近所の川に入って遊んだりもしました。

――そのころは、本はお読みになっていましたか?


喜多川泰氏: 何よりも動いていることが好きだったので、落ち着きもなくて本なんかもまったく読みませんでしたね。ある時父親が「本の1冊くらいは読まなきゃいけない」と、子ども向けの全集を買ってきたんですけれど、1回も読まずに、部屋の中で段差に使ったりトンネルにしたり、遊び道具にしか使わなかったですね。そのまま26、7歳くらいまで本はほとんど読んだことがなくて、読まなくても別に支障はないと思っていたんです。ところが27歳で会社を興して、自分のやり方や考え方に少なからず自信があったはずが、やれどもやれども思った通りにいかない。「こうやったらうまくいく」と思ったのが、全部ことごとく外れて、だんだん自信をなくしていく。そうなると、初めて素直に人の意見が聞けるようになるんですよね。

とはいえ素直に若い人や部下の意見を聞くわけじゃなく、「まずは本でも読んでみようかな」と。そこから、この本に書いてあることをやってみよう、と思ってやってみると、やっぱりうまくいかない。それでまた別の本に書いてことをやってみて、またうまくいかない、ということを繰り返していくと、会社のもうけにはつながらなくても、まちがいなく自分が人間的に成長したんですね。そこから読書にはまっていって、せきを切ったように読み始めました。

――ご自分の中で何か変化がありましたか?


喜多川泰氏: さっきのバランスの話とつながるんですが、本をまったく読まなかった時期とすごく読む時期があったおかげで、その両方の人の気持ちがわかりました。両極端を知ってはじめて、ようやく真ん中が見えてきたんです。本が嫌いな状態のまま本を書いたら、僕の真ん中は本が嫌いな人寄りになっていたかもしれないし、ふつうの小説家の方のように、子どものころから本が好きでたくさん読んでいて小説家になったという人の真ん中は、本好きに寄った真ん中になっていくと思うんですね。僕の本が読みやすくて簡単に読めるのは、僕自身が本に対して需要を感じてない人の気持ちもわかるので、書き方が素人的なのかもしれません。そういったバランスは、両極端をやってみてわかったことだと思います。

人間は生きている限り誰かに迷惑をかけてしまう存在


――いつも、どんな気持ちで本をお書きになっていますか?


喜多川泰氏: 手に取った人に「この本と出会うことによって人生がよくなった」と感じてほしいですね。もし僕の本をまだ読んだことがない人が、読んでちょっとでも未来が明るく見えるのであれば、その人に届けることが僕の使命だと思っています。人間は役割を持って生まれてきていて、人と出会ったり本と出会ったりする中で、自分でその役割に気づいていく。僕の本がその役割に気づくための1冊になればと思います。同時に、僕らは命あるものを食べて生きているので、命の尊さを論じる時に、牛肉はいいけれど鯨はダメだとか、そういう問題ではないと思うんですよ。人間はほかの命をいただかなければ自分の命を続けられないというのが厳然たる事実なんです。僕もそうでしたが、若い人は、自分が生きていることによっていろんな人に迷惑がかかると思う時期があると思うんです。

例えば、受験生が一生懸命勉強して行き詰まっていくと、自分が受験生であることで親にも迷惑をかけていると思い始める。「大学に行きたいんだけど」というと、「どうしても行きたいんだったらお父さんもあと4年間頑張る」みたいな話になって、すんなり自分の行きたい大学に行けなかったりすると、しんどい思いをするのは自分じゃなくて親の方になる。そうすると何の生産性もない自分は、だんだん何の役にも立ってないのに親の足を引っ張っているのではないかと、罪悪感を抱きやすいんです。

――受験生にどんなメッセージを伝えますか?


喜多川泰氏: 人間は生きていく以上、ほかの動物に迷惑をかける存在だということを知ってほしい。人間同士も同じことです。例えば僕が生きていく上で必要なすべてのことを1人でできるかと言ったら、絶対できません。世の中のすべての人は、支え合っていないと生きていけない。裏を返せば人間同士は、いい影響だけじゃなくて悪い影響も与え合うことになるわけです。そう考えていくと、自分自身が生きていく以上、誰かしらに何かしらの迷惑をかけてしまうことは、しかたがない。だったら僕は、「あなたがいてくれてよかった」と言ってくれる人の数を相対的に増やしていこうと思うんですね。僕が一生懸命学習塾を経営してすごく人気が出て必要とされ、世の中から注目されると、逆にほかの塾の人たちが、僕の塾があるせいで迷惑をこうむっていたり、家族にも迷惑をかける可能性だってないわけじゃない。それでもだからこそ、そういう人の数より、「いや、あなたがそれをやってくれてよかった」と言ってくれる人の数を増やして、相対的にプラスを生んでいきたいという想いが強いですね。世の中をちょっとでも前に進めるのが自分の役割だと感じます。

自分のベストを尽くすことで、扉は自然と開かれる


――プラスのものを人にプレゼントすることがご自身の仕事だと感じていらっしゃいますか?


喜多川泰氏: 僕は、現状の中で苦しい思いをしている人に対して、具体的にメッセージを投げかけるつもりで書いているんですね。たまたま同じ悩みを抱えていれば、「ああ自分もそうだった」と思い当たる。今回の小説も、話の中身的には、どこまで行っても特に何かすごいことが起こるわけじゃないんです。どこまでも日常で、僕らの日常にあるようなちょっとしたことが起こる。でも生活って本当は、大事件というより日常のほんのちょっとした人間関係のこじれとかでドキドキしたり、それが解決して人間的に成長したりするものだと思うんですね。そういう部分で共感できる作品をという想いで書いてきました。

――執筆活動と並行して、中高生対象の塾を経営していらっしゃるのは、なぜですか?


喜多川泰氏: 正直にお話しすると、単純な1つの答えというのはないんです。本を書いたきっかけも、聞かれるたびにたぶん毎回違う話をしていると思います。どれが本当なんだとか、どれが一番なんだと言われても、人間は複合的なものの中に生きていますから、会社を辞めて自分で会社を開く時に、単純な1つの理由だけで動く人がいないように、いろんな複合的な事情で、「今しかない」と思えたから行動を起こしているのだと思います。教育についての思いももちろんありますが、それも本当に一部であって、いろんな要素が重なり合った結果、自分にできることで、その時塾が一番だったということなんです。

――発信者でありたいと思いますか?


喜多川泰氏: 発信者でありたいというよりむしろ、今ここでできることは何かと考えた時に、ベストだと思うことを、怖くってもやっていきたいという気持ちがあります。いろんな可能性の中で、今の自分にできる一番いいことは1つです。もし、自分にできるベストなことが皆さんの前で話をすることなら、講演もやります。Aをやったら、目の前の1人の人を幸せにできる。だけどBだったら2人の人を幸せにできる。それならBをやってみようと。だから、今自分にできることは何かを突き詰めて考えていった時に、開いていく扉が必ずあるんです。その扉が次々開くので、昨日までと同じようにこれからも生きていけばいいや、とは思わない。今自分にできるベストは何だと考えた時、授業なら目の前の生徒に対してベストを尽くすことが大事だし、家に帰ってからは、書くことが今の僕にとっては大事なんです。

――本を書きはじめた直接のきっかけは何だったのでしょうか?




喜多川泰氏: ある時、今の自分にできるベストは、作品を書いて、実際に本になるかどうかに挑戦して、その姿を生徒やスタッフに見せることだと思ったんです。出版はそんなに簡単なことではないと知っていました。だからこそ、できるだけ安全な安定した道を選んでいる子どもたちに、「挑戦して失敗するのはかっこ悪くない、失敗して立ち上がって、次を考えるのも人生の楽しみだ」ということを見せてやれる大人が近くにいなければいけないと思ったんですね。それがその時、子どもたちに必要な教育としてできる僕のベストだったわけですよ。

計算を捨てて「今、ここ」を精いっぱい生きることが最大の武器になる


――今の時代、子どもたちも将来に不安を感じることが多いと思いますが。


喜多川泰氏: 日本の企業も業績がよくないし、どこの会社に入れば安心して生きていけるのか考えると、将来に対してどうしても暗いイメージしか持てません。公務員になったら安定かと言ったらそれも違う。今、僕は42歳ですけれども、10年後何をやっているかはわからない。でも僕が思うには、どこまで行っても、「今、ここ」を大事に生きていけば、絶対に自分の生きるべき道は示されるはずだということです。世界中の歴史を見ても、その生き方だけが唯一、生涯安定して生きていかれる方法なんですよ。みんな子どものうちから計算して生きていこうとしますが、中学を卒業してこの高校に行って、その次はこの大学に行って、こういう仕事についたら平均月収がいくらで、年間何百万何千万円になって、何年働けば何歳の時の収入がこれくらいで、なんて計算は絶対に成立しないんです。

――計算通りには行かないということですか?


喜多川泰氏: 1個1個の理屈は通じているように見えても、「風が吹いておけ屋がもうかる」ことがないのと同じです。風が吹くと砂ぼこりが舞う、砂ぼこりが舞ったら目が悪い人が増える。目が悪い人が増えれば、昔なら三味線弾きが増える。三味線には猫の皮を使うから、三味線弾きが増えたら猫が少なくなる。猫が少なくなると、ねずみをとらないので、ねずみが増えておけをかじる。それでおけ屋がもうかると。1個1個はたしかにもっともらしいけれど、風が吹いておけ屋がもうかったためしはないんですよね。むしろ、人間が一生懸命やった末には、たいてい予測していない結果が待っている。それはいろんな力が働くからなんでしょうね。一生懸命やっている人と一生懸命それに反対している人がいたとすると、両者がぶつかる場所は真ん中にはならなくて、まったく新しい別の案で収まるとか、あれこれやっているうちに全然違うものになるのが人間社会だと思うんですよね。子どもたちの人生でも、同じようなことが起こると思うので、これからどういう生き方が一番いいかを考えた時に、刹那的に見えて一番安定しているのは、自分の目の前、今ここにあるものに対して自分ができるベストを尽くすことじゃないかと思うんです。

――「今、ここ」が大切ということを若い人にどう伝えていかれますか?


喜多川泰氏: もし子どもたちが理解しても、親が「刹那的じゃダメ、もっと将来のことを考えなさい」と言うかもしれないので、むずかしさはあります。だけど子どものころに僕みたいな人間が、目の前に存在していたという事実が、大人になっていつか力になる時が来るかなと思います。先のことを考えて生きていって、こうなったらこうなると計算していたけれど、どうしてもそうならない日がどこかでやって来たとします。そんな時に、「そういえば昔、喜多川という人がいて、『先のことを考えずに今ここに集中してベストを尽くせば新しい扉は必ず開かれる』と話していたな」と、思い出すかもしれない。その時、そういう人間が本当にいたということを知っていれば、「自分もできるかもしれない」と思えますよね。だけどもしそんな人が実在していなければ、「そんなことできるのかな」と疑うかもしれない。ですから、僕が彼らの目の前にいることは意味のあることだと思うんですね。これからもそういう生き方を続けながら、その姿を若い中高生に見てほしいと思います。



宮大工を育てる伊勢神宮の式年遷宮、現代人の「実」


――教師が子どもの心の中に残るように、1人1人の心の中に存在しているものとして本がありますが、電子書籍で本を読む読者に対しては、どうお考えですか?


喜多川泰氏: 僕自身はいいも悪いもないし、好きも嫌いもありません。時代の流れでしかたのないことでもあり、素晴らしいこととも言えます。変わってほしくない部分ももちろんあるので、紙媒体と電子媒体とを上手に使い分けできる世の中になればいいと思いますね。ただ、便利の追求は効率の追求なわけで、効率を追求していった先に明るい未来はないような気がするんですね。日本的なものの考えの根底には、効率よりも人間関係や行程の方を大事にする文化があるので、効率を重視すれば大事なものがなくなってしまう可能性がありますよね。

――具体的な例をあげてご説明いただけますか?


喜多川泰氏: 今年行われる伊勢神宮の第62回式年遷宮がいい例です。あれは、20年に一度まったく新しいものを建てますが、効率だけを考えると、20年に1回新しいものを建て続けるよりも、鉄筋か何かにすればいい。何で20年に1回建て替えるかといったら、宮大工が育たないからなんです。宮大工は、ふつうの家屋ではなく神社を造る専門職ですから、神社を造らない限り技術が磨かれないわけですよ。宮大工を1人育てるのに20年かかると言われますが、その20年をかけて1人育てて、どの世代の宮大工も伊勢神宮を造ったことがあるという状態を維持すれば、その技や芸能は伝承されていくというシステムで、もともと使っていた材料もちゃんと全国の神社に下ろされてリサイクルされていく。効率重視にすると、そのシステムが全部なくなってしまいます。そういう業界がたくさんありますよね。例えば効率とコストを考え、安い労働力を海外に求めて海外で全部の仕事をさせる。そうすると日本の中に職人がいなくなって技が途絶えてしまう。そうしたら今度、海外で効率が悪くなったからまた日本に戻そうといっても、日本の方に技術がなくなってしまう可能性がある。千年も2千年もかけて培われてきたものが、効率を重視するという姿勢によって失われる可能性もあるのです。

――同じようなことが書籍にもいえるでしょうか?


喜多川泰氏: 紙の本はすごく大事な役割を今までも担ってきたし、これからも担っていくべきだと思います。もちろん電子書籍にも大きな可能性を感じますし、世の中のほとんどの人が本を出す時代も近い将来来るかもしれない。電子書籍化すると、本を書くのはふつうのことになる気がします。そうなると、自分の考えを書くことはすごく大事だと僕は思うんですね。テレビの中にあふれている情報は、泣いたり笑ったりするけれど、一気に入ってきますが、同じくらい一気に通り抜けていって、すぐに忘れてしまいます。それはすべてが自分の世界とは違うところで起こっている「虚」であって、「実」ではないからです。では「実」がどこにあるかと言ったら、それを見て自分が感じた感情が「実」なんだと思います。

本も同じで、書いてある内容は自分のものではないけれど、読んだ時に感じたことは、自分の「実」なわけですよ。だから僕が話していることも、読む方にはうつろなものでも、聞きながら感じること、それは「おなかがすいた」かもしれないし、「自分もこういう経験があった」かもしれない。ただ、自分で考えている「実」こそが、まさに自分の財産だということを今の人たちは忘れているのではないでしょうか。いろんなものをインプットして、内側からふつふつと財産がわいてきているんだけれど、それも一緒にふわーっと飛んでいってしまって何にも残らない。それを残す1つの方法が、自分が感じていることを書いて残すことだと思うんです。

――電子書籍が本の書き方を変えるのでしょうか?


喜多川泰氏: 電子書籍が普及すると、出版のハードルがぐんと下がって、自分の意見を書いてみようという人が増えると思います。そういう使い方ができるのであれば、電子書籍はすごく役に立つと思うんですね。そこから本当に才能がある人や注目を浴びる人が出てきて、その人が出したものが世の中を変える可能性も出てくるわけですからね。だからハードルが下がるというのはすごく大きな意味がある。例えば一昔前は作家が原稿を手で書いて編集の人がそれを持って帰り、ひとつひとつ作業する時代でした。作家1人に編集者が1人マネージャーのようについていたのが、今では、1人の編集者がひと月に2本とか3本の本を担当することもできる。そうすると編集者1人で年間に10冊から20冊の本を出すことだってあるわけです。なぜそれが可能かと言ったら、著者が自分で原稿をタイプしてデータで入れるからですよね。昔に比べて編集の手間が減っていることは、1つの理由でしょう。



電子書籍が普及すると、データを流せば誰もが書けるような出版社がいらなくなる時代がやって来る気がしますね。パソコンで自分のCDを作れる時代が来るとは、子どものころには思ってもいませんでした。そう考えると、数年以内にパソコンの中に電子書籍を作るソフトを入れて、クリック1つでインターネット上に出店できる時代が来るかもしれません。その時、書き手に利益の大半が入るにしても、残り何割かの利益が日本ではなくGoogleやAppleのようなプラットフォームをつくる海外の企業にいくことは考えられます。紙の本なら、紙を扱っている会社や印刷会社、物流の会社、出版社、取り次ぎ、書店など日本のいろんな企業の人に還元がありますが、電子になった時点で、さまざまな形で出版にかかわってきた人たちが無視されてしまう。効率を重視していったら何かが育たなくなってしまって、出版の意味すら変わってしまうかもしれない。だから紙の媒体のよさみたいなものは、しっかり伝えていくべきではないかと思います。

紙にしかない「あと何ページ」のアナログ感


――そうすると電子書籍は、今後どうなるのでしょうか?


喜多川泰氏: 80年代の後半くらいにアナログのレコードが一気にCDに切り替わって、ビデオもDVDになったような流れからすると、僕の印象では紙の本は一気に電子書籍にはなっていないですよね。僕も、動画など電子書籍ならではの可能性はわかります。ただ、どうしても、本の質感がないんですよね。そのせいで、例えば小説などは、電子書籍には向かないようにも感じます。紙媒体であれば「喜多川さんの作品はどんどん読み進めるんだけど、残りのページ数が薄くなるとゆっくり読みたくなる」とか、「もう終わっちゃう」という感想がありますが、それは手が無意識のうちに感じる本の質感ですよね。電子書籍って指でこうやって擦っていって、突然終わったりする。もちろんページ数は書いてあるからそろそろ終わるとわかっていても、一瞬びっくりします。一時期、デジタルの時計が大流行したけれども、すべてデジタルには置き換わらなかった。デジタルの時計では今が「2時54分」だとわかるけど、「あと6分で3時」だとわかるまでにワンクッションあって、1回頭の中でアナログに置き換える作業がいる。無意識に視野でとらえられる部分というのが人間には必要だから、やはりアナログの時計はなくならなかったのだと思います。同じことが電子書籍にもあるかもしれないですよね。

――紙の本を通じて、今後どんなことを表現していきたいですか?


喜多川泰氏: 自分ができることを精いっぱいやるだけですね。今僕が伝えたいことがあって、それが世の中のためになることであれば、また本を書きたいし、本とは違った媒体がメインになっていくのであれば、それにも挑戦したいと思います。今の自分にできることを精いっぱいやって、その先にまた12作目、13作目があって、「この本と出会えてよかった」と言ってくださる方がいれば、それが一番いいなと思いますね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 喜多川泰

この著者のタグ: 『考え方』 『生き方』 『可能性』 『紙』 『アナログ』 『教育』 『作家』 『きっかけ』 『命』 『宮大工』 『質感』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
利用する(会員登録) すべての本・検索
ページトップに戻る