石井光太

Profile

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『レンタルチャイルド』『飢餓浄土』などの海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。東日本大震災後、遺体安置所にはりついて書き上げた『遺体』、国内HIV感染者たちの抱える葛藤を見つめた『感染宣告』など、人の生と死のすがたを追いつづける。絵本『おかえり、またあえたね』ほか著作多数。近著に『津波の墓標』(徳間書店)がある。

Book Information

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電子書籍の普及は『かっこよさ』にかかっている


――それでは、電子が出版界を席巻するとか、そういった劇的な変化は起こらないとお考えでしょうか?


石井光太氏: いずれはすると思うんですよ、慣れだから。ただ、何かしらの強い衝撃がない限り、大きな革新ってありえないですよね。iPodでCDが必要なくなるというのと、電子書籍で本は必要なくなるっていうのを同列に並べているけれども、あれは全然違いますよね。iPodは、今までCDを買っていたのが買わなくて済んで、しかも安く済むというのがあったじゃないですか。だけど電子書籍にしたからって別に安くなるわけでもない。ブックオフでも買えなくなればむしろ高くなりますよね。あともう1つ、iPodが出た時の「かっこよさ」がないんです。あの時、MDなんて持ってたら恥ずかしいみたいな感じがありましたよね。スマートフォンに変わったのだってかっこいいからというのがあると思います。それでだんだん慣れてきて、移行していくわけですよね。でも世の中の潮流として、電子書籍がかっこいいというのも、本がダサいということもないですよね。

――電子書籍を読むことが「かっこいい」ことになるにはどういったことが必要なのでしょうか?


石井光太氏: 「かっこよさ」を作るのは作家の仕事でもあるはずだと思っています。確かにiPodはスティーブ・ジョブズが率いるAppleが作ったかもしれないですけれども、iPodで聴くかっこいい音楽っていうのがやっぱりあるわけです。iPodの最初のCMって、ラップっぽい感じになっていたじゃないですか。いいラップの歌手がラップをやりながら、スケボーをしながら聴くというイメージを作っているんですよね。つまり、ファッションとしてちゃんと成り立っているわけです。だけど、本を読むということがファッションとして成り立っていないんですよね。それはハードがあればいいだけではなくて、そのハードを使うことがかっこいいというコンテンツが作られているかどうかということだと思うんです。

例えば、もしも村上春樹の『ノルウェイの森』が出た時に、村上春樹が庭で電子書籍を読んでいる姿が紹介されたら、たぶんみんな買いますよ。あるいは村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が出てきた時、SONYで村上龍が電子書籍を読んでいるシーンをかっこよく宣伝したら買うと思うんですよ。それはあのころの村上春樹や村上龍のような、ブームになっている作家にハードのイメージが適応すればこそありえる話で、今はコンテンツとハードが全然一体化してないんですよ。それはハードを作る側にももちろん問題はあるけれども、それと同じぐらい作り手にもあると思うんですね。

――作家が作品だけではなく、読書のスタイルも作っていくということですね。


石井光太氏: 作る人間というのは、その業界を盛り上げていく役割というのを絶対持っていると思うんですよ。例えばサッカー選手はサッカーだけしていればいいという考えも確かにあるかもしれないけれども、イベントをやったり、サッカー教室をやったり、あるいは苦手でもテレビに出るということだってある。中田英寿や本田圭祐は、ファッションもプライドを持ってやっていますよね。それによって、サッカーに夢を抱いて、目指す人がいるから業界が盛り上がるわけじゃないですか。

この間、ある有名な映画監督さんと話をした時に、「映画ってもうかるんですか?」って聞いたら「全然もうからないんですよ」って話をしていたんです。平均して考えれば、監督の収入は驚くほど低い。彼は売れっ子ですからそうじゃないと思いますよ。あくまで全体的に低いということです。でも彼は「収入が一般のイメージより少ないなんてことは絶対言えない」とおっしゃっていました。夢を持たせるためにそんなことは言っちゃいけないんです。それは作る人間の責任でもあると思うんですよね。映画監督を目指す人間がいるわけですから、タキシードを着てレッドカーペットを歩いて、映画に対する夢を与える、そういう世界というのは絶対必要だと思うんですよね。それはたぶん本の世界だってやらなきゃいけないことなんですよね。本だってきらびやかに見せなきゃいけないし、それをファッションにしていくという考え方もあると思います。

ノンフィクションを盛り上げる「使命」がある


―― 一人ひとりの作家さんにも、自分の作品だけではなく「業界を盛り上げる」という発想が必要でしょうか?


石井光太氏: 自分の本が売れりゃいいという話ではなくて、ほかの人の本も売れてその業界の面白さというのを作り上げなきゃいけないと思います。最終的にはそれは自分にも還元されますしね。それをどれだけやっている人間がいるのか、そしてどれだけ有効にできるかが、その業界の活性化につながると思うんですよ。作家が作品を作るのは、もちろん知りたいとか、人に伝えないといけないと思うからです。「これを俺が伝えないで誰が伝えるんだ」と思うんですね。その衝動があるからたぶん本を書き終えることができる。でも書き終わったら、それとは別に著述業、作家という自分がいるわけじゃないですか。それはそれでまた違う役目があると思うんです。書き終わったらそれで終わりということではなくて、それプラスアルファ人に何かを伝えていかなきゃいけないし、盛り上げていかなきゃいけない。そういった意味で両方やりたいですね。必ずやる必要はないと思いますし、やらなければダメだというつもりは全くありませんけど、僕自身としてはできる限りやりたいなというのはあります。

――「出版不況」の話題で、ノンフィクションについてもよく引き合いに出されますね。


石井光太氏: 僕は去年の夏に『ノンフィクション新世紀‐世界を変える、現実を書く。』というガイドを出しましたけれども、あの本の中には自分の本をあえて1冊も入れていないんです。人の本を紹介するのにメリットがあるのかっていうふうにも言われますが、単純に自分の利益ではなくて、その業界を作っている人間が盛り上げるのが使命だと僕は思っています。僕自身の本を面白くないと思ったらほかの人の作品を読めばいいわけですしね。やっぱり作家になるというのは幸運なことだと思うし、いろんな人に助けてもらっている部分というのはあると思うんです。自分が見えているものより、何100倍もあるんですよ。



例えばこうやってインタビューを受けて、インタビュアーの方とカメラマンの方、お二方しか会っていないけれど、その裏にはいろんな人がいるわけじゃないですか。その中で自分がネットの媒体に出て、人が読んで本を買ってくれるわけですよね。そういうふうに考えた時に、僕は自分が良ければいいと思うことはできなくて、ほかの人も売れてみんなで盛り上がって楽しんで、素晴らしいものを素晴らしいと言える環境っていうのを作り出さなければいけない立場だと思うんです。僕自身はノンフィクションという仕事の中に軸足を置いていて、少しぐらいの読者は集まるし、少しぐらい人に呼び掛けることはできるので、それを形にできればいいんじゃないかなと思っていますけれどね。

――最後に、作家、表現者として今後、今後何を最も大切にして活動していきますか?


石井光太氏: この間亡くなった大島渚さんじゃないですけれども、全力で作品をつくることで自分自身が戦っている姿を見せていければいいんじゃないかと思います。人は必死になって戦っている姿に興味を持ったり、ひきつけられたり、憧れたりするわけですから。当然、戦うことは楽なことではありません。でも、それをやりつづけた向こうにある何かを人につたえたいと思うし、自分自身でも見てみたいと思う。それだけです。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『出版業界』 『ノンフィクション』 『作家』 『ジャーナリズム』 『ルポルタージュ』 『ドラマ』

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