媒体は変化しても、「書く」ことが原点であることは変わらない
大谷昭宏さんは、ジャーナリストとして犯罪報道に長く携わり、警察・検察組織の問題にも鋭く切り込んでいます。テレビのコメンテーターとしてもおなじみで、数々のレギュラー番組に出演。著書も数多く出版し、漫画の原作も手がけました。新聞、テレビ、書籍という主要な媒体に最前線でかかわってきた大谷さんに、電子書籍の台頭で様相が変わりつつあるメディア状況に関するお考えを伺いました。
ワープロ第1世代「親指シフト」で執筆
――大谷さんは大阪に在住されていますが、テレビ出演などで全国を飛び回っていますね。最近はどのようなスケジュールで活動されていますか?
大谷昭宏氏: 月、火、水とテレビ朝日のニュースをやって、火曜日は昼間にTBSがあって、土曜日は大阪の番組が隔週で入っています。
――今日は水曜日で、東京にいらっしゃるわけですが、これからまた移動されるんですね。
大谷昭宏氏: 今日は、夕方のテレビ朝日の番組が終わってから名古屋に移動して、明日の朝に名古屋テレビに出て、大阪に戻って1回事務所に顔を出して、夕方に朝日放送へ行きます。それから家に帰って寝て、金曜日は午前中原稿を書いて、昼過ぎに名古屋行って東海テレビで夕方仕事をして、そのまま東京のホテルで寝て、土曜日の朝、札幌に行ってシンポジウムをやって、札幌に泊まって、日曜日に大阪に帰って、月曜日また東京へ戻ってくる。そのすき間で原稿を書くというのが、大体のオーソドックスなスケジュールですね。
――執筆はどのようなスタイルでされていますか?
大谷昭宏氏: 基本的に家のパソコンじゃないと原稿は書かない。一応タブレットは持ってるんだけど文字盤が小さくて書きにくいので、出先ではあんまり書かないですね。
――ワープロはいつごろから使われているのでしょうか?
大谷昭宏氏: われわれは、第1期のワープロ世代なんです。1984年か85年くらいですね。猪瀬直樹に勧められて入れたんです。彼が「便利だぞ」ってうるさいから。富士通の当時最先端のワープロを買ったんですけれど、親指シフトの被害者なんですよ(笑)。VHSじゃなくてベータを使っていた人のようなものです。
――「親指シフト」というのはどういうものですか?
大谷昭宏氏: ローマ字では打たないわけです。全部親指で変換していく。例えば椎名誠さんとか、小川洋子さんとか、一緒に本を書いた藤井誠二さんもそうじゃないかな。ガラパゴス的な第1期ワープロ世代っていうのが残っていて、私は業者に頼んでいまでも親指シフトのキーボードをパソコンに付けているんです。
仕事は一発完結、あとに引きずらない
――外出先で原稿を書くのは非効率になってしまいますか?
大谷昭宏氏: ゲラの直しくらいまでは出先でもできますけど、それ以外はなかなかね。原稿は大阪の事務所から、秘書がメールで出版社とか新聞社に送るというかたちです。今朝もいっぱいあった原稿に赤を入れてましたが、私はあまりゲラで直したりしないんです。書いたときはそう思って書いたんだから、あとでごちゃごちゃ直してたって、きりがないですからね。基本的なこと以外はあんまり赤は入れない。一発完結型です。
――「一発完結型」のスタイルであるからこそ、分刻みのスケジュールで、様々な仕事をこなせるのかもしれませんね。
大谷昭宏氏: テレビ番組も色々あって、それぞれ質も違うんです。ストレートなニュース番組だったり、皆でワイワイ議論するものだったり、あるいはお遊びみたいな部分があったり。テレビっていうのは多様ですから、1つの番組をいつまでも引きずって「ああ言えば良かった」とか、「あの野郎、また生意気なこと言ったな」とかやっていたら、きりがない。だから、1つ終わったら、もうそこで切り替えて完結させていかないとだめなんですね。だから、「今日はこれで終わり」っていうことで毎晩飲んでるんですよ(笑)。例えば、最近あんまり出てないけれど、『朝まで生テレビ』をやるじゃないですか。あれが終わるのが土曜の朝ですよね。朝生で4時間くらいやっていると、かなり頭の中が朝生的仕様になっちゃっているんですよ。前は土曜日の午前中に東海テレビの番組を持っていたんで、終わるとホテルに戻って来て、当然バーはクローズしていますが、その時間にウイスキーを飲んで寝ると朝の番組で酔っ払ったままになるから、とりあえず缶ビールを2本か3本飲んで、そこで朝生の話はチャラ。1時間か2時間ばたっと寝て、それから始発に乗っかって名古屋に行くわけです。
小学生のころから新聞記者になりたかった
――大谷さんにとっての本、読書についてお伺いします。子どものころはどういった本を読まれていましたか?
大谷昭宏氏: いまでもそうだけれど、何でもかんでも手当たり次第読んでいましたよね。だからといってひたすら本ばかり読んだというわけでもない。そんなに読書少年だったわけではないですね。例えば志賀直哉とか武者小路実篤とか、芥川龍之介とか当たり前の作家を読んでいました。あとは子どもが好んで読みそうなシャーロック・ホームズとか。それが記者になるきっかけになったとは思わないけど、色々読みましたね。
――新聞記者はいつごろから志していたのでしょうか?
大谷昭宏氏: 小学生のころから新聞記者になりたいと思っていました。記者になろうと思い立つ前は、ずっと電車の運転手になりたいと思っていましたから、よく冗談で「俺の人生では、電車が『キシャ』になった」と言っています(笑)。
――ジャーナリズムに関して影響を受けた本はありますか?
大谷昭宏氏: 早稲田大学のとき、新聞学科じゃなかったんですけど、新聞学科にジャーナリズム研究会っていうのがあって、大学に通っていたというよりは、そのクラブに通ってた様なものです。だから、いまでも仲間がいっぱいこの業界にいる。その早稲田のジャーナリズム研究会で、いまでもご健在の、むのたけじさんの『たいまつ通信』とか、『詩集たいまつ』を読んでいました。それを読んでいない学生はいなかったんじゃないかと思います。むのさんはいま96歳くらいで、もともと戦前の読売報知の記者をしてて、それから戦前の朝日新聞に行って、従軍記者をして、1945年8月15日の終戦の日に、当時のメディアの戦争責任、戦争をあおったということで辞表を提出されて、即刻故郷の秋田の横手に帰って、小さな小さな『たいまつ』という新聞を出した人です。それが記者の境地というか、記者のたたずまいというのか、われわれの世代では随分刺激を受けた人は多いと思います。直接お会いしたことはないんですが、われわれからすると大、大先輩ですよね。
著書一覧『 大谷昭宏 』