新聞連載の出版で知った「本の力」
――読売の社会部記者として活躍されているころから本を出版されていますね。
大谷昭宏氏: 読売時代に黒田清さんが社会部長をなさっていて、世間的には「黒田軍団」とか言われていましたが、黒田さんが新聞の枠を離れて、自分たちが書いたものは本で残してるんですよね。われわれが記者になってからの大きな事件、例えば『三菱銀行事件の42時間』とか『誘拐報道』とか。それから『戦争シリーズ』、私たちが連載していた『窓』も読売新聞と角川文庫で出させてもらいました。だから新聞記者の中では出版と非常にかかわりが深いですね。
――記事として発表するだけではなく、出版することで読者の反応などに変化がありましたか?
大谷昭宏氏: 『窓』は、読者と新聞記者がやり取りするというコラムで、大阪管内の人たちしか手紙のやり取りがなかったんですけど、群馬の学校の先生が本を読まれて、手紙をいただきまして、その方とは記者時代からいまでもお付き合いしてます。群馬の粕川村、いまは前橋と一緒になって前橋市粕川になったけど、20年連続して秋に講演会をやっています。新聞はご承知の様に、もちろん大きなニュースは全国スルーでのせるわけですけど、東京本社版、大阪本社版、九州西部本社版と独自の紙面があるわけですよね。そうすると、書籍文化に頼らないと全国発信はできない。ですから新聞と書籍がうまくコラボレーションするかたちになるわけですよね。書籍っていうのはそういう波及力があるんです。連載を読んでなくても、違う地域の人からお手紙いただく様になったのは、書籍が運んでくれたのがきっかけですね。
日本みたいに1000万部なんて購読数を持っている新聞は世界にないわけです。アメリカのニューヨークタイムズでも、せいぜい50万部です。ワシントンポストだって同じ様なもんで、ロサンゼルスタイムズでも、おそらく100万を切っているはずです。アメリカ合衆国国民がスルーで読めるのはマガジン、あるいは書籍ですよね。日本は小さい国だけど、書籍は同じ様な効果があるんです。どちらがいいということじゃなくて、役割分担が果たせるわけです。それは色んなツールが出て来ても同じことだと思うんですよ。
――新しいツールと言えば、インターネット等電子メディアが著しい発展を遂げましたが、大谷さんはどのように利用されていますか?
大谷昭宏氏: 日本は全国紙というバカでかいやつもあれば、東京には東京新聞があるし、名古屋へ行けば中日新聞があってそれぞれが発信してるわけですけど、いまはネットですべて購読できます。私もタブレットを持って歩いているのは、1つは朝日新聞の電子版が読めるからなんです。ネット版だと4000円するんだけど、朝日新聞の本紙を取っている人は、プラス1000円で電子版が読めるわけですよね。最近の新聞記者は怠け者なのか、1年間に12回も休刊日があるじゃないですか。われわれの時代なんてのは春秋のお彼岸と、1月2日と、それから5月5日の子どもの日、4回しかなかった。5月5日の子どもの日が何で休みかというと、新聞配達の子どもたちを休ませようということです。でも電子版は、新聞休刊日でもニュースはどんどん更新してくれるので、役に立っています。
電子書籍は紙の本と共存できる
――よく電子メディアによって、新聞や紙の本が駆逐されるといった議論がありますが、どう思われますか?
大谷昭宏氏: テレビができたときも、新聞は衰退するんじゃないかと散々言われました。テレビが本放送になったのが1954年くらいで、これからニュースは皆テレビがバンバンやっちゃうから、もう誰も新聞なんか読まなくなるんだと言っていました。ところがどっこい、各新聞は部数をめちゃくちゃに伸ばした。ラジオ、テレビ欄は新聞にしかないわけですからね。だから一斉に、新聞メディアがテレビメディアを持つ様になったんです。読売が最初に日テレを作って、フジ、TBSを、産経、毎日がやった。朝日はテレビという媒体をかなり批判的に見ていたから遅れを取って、日本教育テレビ、NETを買収してテレビ朝日を作った。テレビの成長と一緒に新聞が成長したんですね。だから、ネットが出てきたから新聞が大変なことになるなんていうのは大ウソ。駆逐される、つぶされるというのは「オオカミ少年」みたいなものです。そういう内向き思考というか、マイナス思考っていうのは、決していいことじゃないんです。
電話ができたときの方がよっぽどびっくりしたはずですよ。アメリカから声が聞こえてくるなんて誰も思いやしない。ネット犯罪が増えたとか言われますが、電話ができたときだって、そもそも身代金誘拐事件なんてのは電話がなけりゃ成り立たない犯罪です。お手紙出して誘拐したら大概捕まる(笑)。どんな技術にも危ないところはあって、人間が使いこなせなくて機械に振り回されてればそういうことになる。人間が優位に立って、自分たちの望むところのツールとして使えばいいだけの話です。
――電子によって、読者のニーズに合った読み方を提供するということですね。
大谷昭宏氏: 電子書籍で読みたい人は読めばいいし、紙で持って本棚に飾っておきたいという人はそれでもいいんです。私は相変わらず、東京では丸善、新大阪駅の談、大阪のジュンク堂なんかを回って、新聞広告でもどんな本が出ているか見て買うので、わが家には本があふれかえっています。かといって電子書籍を否定するわけではないんです。私は移動の間に本がないと非常にあせるんです。移動のときに読むなら電子書籍は良いと思います。書籍というのは、エンターテインメントで読む作家もいるし、知識を増やしていくために読んどかなきゃいけないのもある。読み手の都合で電子書籍と紙の本を使い分ければいいんです。
逆に書き手の方も、『電車男』じゃないけど、ネット上で書いていくとか、携帯でショートショートを書く作家さんも出てくるだろうし。やっぱり紙媒体がいいという作家さんもいる。読み手の側も書き手の側も分かれてくると思うんです。あとは電子書籍でヒットしたからハードカバーの本になって書店に並ぶということもあるでしょう。タブレットで読むんじゃなくて、家に置いといて子どもにも読ませたいとか、ばあちゃんは電子書籍で読まないから本で読むとか、双方向、縦横斜め色んな方向性が出てくると思います。もちろん著作権の問題とか、違法な行為はあってはならないことなんですけども、新聞とテレビが共存してきたように共存を図ればいい。
読み手と書き手、版元の利害を一致させるルールを
――技術の発展に比べ、著作権を含めたルール作りが遅れている印象もあります。
大谷昭宏氏: 物事は、どんどん進んで止めようがないわけです。止まらないものに対して、自分たちがどういう正義をかけていくのかっていうのは人間の知恵です。これは何も書籍だけの問題じゃなくて、例えば山中先生がノーベル賞をお取りになりましたが、髪の毛1本からでも人間が作れるのか、という生命倫理とぶち当たるわけですよね。じゃあiPS細胞は止めちゃえばいいのかというと、止めれば、難病で苦しんでる人たちが救われる手段がなくなる。おそらく日本で倫理を作っても、そのノウハウが諸外国に流れれば、必ず生命倫理にかかわることが出てくる。
20世紀っていうのは、人間が何ができるか、どこまでできるかっていう競争だったと思うんです。21世紀にもっと難しくなるのは、どこで制御をしていくか、どこで抑えていくか、どこで止めるかということを人間の英知でやらないと暴走してしまう。様々なツールに対して自分たちの社会に都合のいい様に仕向けていけるか、ここから先までは行くなとか、レーンを決めることができるかどうか。でもそれが難しいからといって、大変なことになるとか、潰れちゃうとか、内向きになってはいけません。だから私はいつも、TPPをやっちゃえって言ってるんです。農業が潰れるじゃないかとか、医療現場に外資が入ってくるじゃないかとか言いますが、放っといたって入って来るんですよ。だったらシステムを作って受けて立つ。よりすごいものを作ればいい。「アメリカの米なんか食えるか」というものを作りゃいいわけです。「あれが来たら危ない」ってマイナス思考に陥っちゃだめなんですよ。そういうことが、閉塞感だとか停滞につながったんです。
――電子書籍は、出版界ににおいてどのようなポジティブな可能性があると思いますか?
大谷昭宏氏: 例えば絶版になってて、非常に探しにくい本とか、何万部と出せない作家さんたちの本も、電子なら出せる。いま出版不況の中で、なかなか活字メディアが新たな作家さんに書かせようとしないわけです。ある程度部数が確保できる既存の作家ばっかり。紙の本は印刷屋に持っていって、カバーを付けて、トーハン、日販にのせて、書店に並んで、例えば1000円で3000部売れても、手元に来るのは30万じゃないですか。だからいま若いノンフィクションの作家が育たないわけですよ。ノンフィクションの作家は、時間をかけて一生懸命調べて、原稿を持ち込んで出版社にお願いしまくって、やっと本を出してもらう。いま若手で売れている石井光太さんの『遺体』も半年間釜石に住み込んで、それでやっと1冊になりました。
ものを書く方は、どんなかたちであれ読んでほしいというのがありますが、当然収益につながってこないと、飯が食えないですから困ります。電子書籍であれば大した装丁もいらない。電子書籍で、読む側と作り手の側両方の利害が一致する1つのステージを作り上げて行かなくてはいけないと思います。そういう努力をしないで、既存のものだけをどんどん電子化していく、逆に古手の作家さんたちからは著作権の問題が出てくる。あるいは書店からは苦情が出てくる、というかたちにすると、共存じゃなくて、ぶつかり合いになるわけですよね。