当たり前のことをイメージできるようにコーチング
――お話を伺っていると、とても腹に落ちて分かりやすいです。こういったお話を講演でもたくさんされるんですか?
本間正人氏: 結局、僕の言ってることなんて当たり前のことばっかりなんです。例えばコーチングって言ったら、マネージャーは部下の話をよく聞きましょう、部下の良いところを見つけてほめましょうって言うんです。で、「当たり前だよ、俺はできてるよ」って皆思ってるわけ。でもね、できちゃないって、部下はそう思っていない。1週間に何回ほめられてます?
――そうですね。いま考えてもそんなにないような気がします。
本間正人氏: ないでしょう。上司はね、でも「俺はあいつのこと褒めてる」と思ってるんですよ。ここにね、認識の非対称性っていうのがある。
――認識の非対称性。なるほど。
本間正人氏: で、「皆さんは、皆さんの上司から1週間に何回ほめられてる?」って聞くと、「俺はほめられてないな」って。「つまり部下の人はそう思ってるんですよ」と言うんです。言われれば気付くけど、気付かないと自分の認識なんていうのは、自分のバイアスがかかっていますからね。客観的な認識なんてあり得ない。全部主観的な認識しかない。考えたい様にしか人間は考えてないですからね。だから、どれだけ当たり前のことを腹落ちする様に伝えられるかっていうのが、研修講師とか講演者の腕の見せどころですよね。
――つまり本質を伝えるということですよね。
本間正人氏: そう。本質だから、当たり前過ぎるんですよ。話聴けとかほめろとか。それをいかに、僕はイラストレーションっていう風に言いますけれども、映像が浮かぶ様に頭の中に思い浮かべてもらうか。そうすると記憶に定着する。概念で「聴く」「ほめる」なんていうね、文字情報だけだと情報量が少ないわけですよ。それだとなかなか記憶に定着しにくい。
――イメージするものがあって初めて定着するんですね。
本間正人氏: そうです。だからね、電子書籍の1つの方向性はね、もっとグラフィックなものだと思うんです。いままでの本作りが、文字情報中心のものだったわけですよ。活版印刷技術で、活字を置いてる時代には、図版を入れるっていうのは大変な作業だったわけですよ。でもいまはもうコンピューターで何だってできるわけじゃないですか。だからね、もっと圧倒的にグラフィックなものになりますよ。
――もっともっと自由度が高まるんですね。
本間正人氏: いまの印刷技術で多色刷りってお金が掛かるじゃないですか。紙もインクの吸い込みの度合いとかで、多色刷りになじむ紙って高い。ところがいまAppleがRetinaのモニターを出して、紙と同じ画素数のモニターで見られる。それで、多色刷りに対するコストが紙と比較にならないくらい安いわけですよ。グラフィックを入れるのは簡単でしょ。だからね、「ブック」と言われる時代になると、ページとか、何章、何節っていうこれまでの本のくくりっていうのがだいぶ変わってくると思う。ハイパーリンクっていうのが、本来の意味で、本の中で成立する。だからもっとインタラクティブで、もっとビジュアル。場合によっては、音が出る様なのがごく自然に「ブック」っていうものにはなって、リッチコンテンツになっていくと思います。
芸風は落語、名人の芸を末廣亭で学ぶ
――先生はとても楽しく魅力的にお話されるのですが、それを、どの様にして会得されたのかを、幼少期くらいからお伺いできればと思います。
本間正人氏: 芸風はね、落語に近いって言われてるのです。僕が子どものころは、「笑点」以外にも寄席番組っていっぱいあったんですね。「大正テレビ寄席」とか、「日曜演芸会」とかね、NHKでもたくさんあったし。いまは本当に笑点とNHKの深夜くらいしかないんですね。落語は僕にとっては心理的な距離が近いものだったんです。実家が中野坂上で新宿まで当時は1駅、新宿三丁目まで2駅で、おじいちゃんに連れられて、末廣亭で先代の文楽とか志ん生を生で聞いたことがあるんです。コーチングっていうのは上司と部下の会話を再現したりすることがあるんです。そうするとね、落語で言う首振りですよね。「お前何でそんなこと分かんないんだよ」「別の人だからです」みたいなそういうのをやる。実はそのが僕の芸風の1つなんですよ。
――そしてあと、「笑顔のコーチング」っていう講座の名称が、言葉通りすごく安心しますね。
本間正人氏: 顔の構造が笑顔的にできてるので、逆にお葬式とか似合わなくて困っちゃうんですけどね。「お前ニヤニヤするなよ」って言われちゃうんですよね。しょうがない。
幼少期はSF少年だった
――本間さんは東京大学に行かれていますが、学生時代はどんな学校生活を過ごしていらっしゃいましたか?
本間正人氏: 読書はね、好きでしたよね。SF少年でした。星新一、小松左京、筒井康隆、この3人に関しては当時出ていた文庫本を、全部買って全部読みましたね。あとやっぱり、1番僕は名作だと思うのは、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』っていうのが早川書房から出ていますけど、『2001年宇宙の旅』よりも『幼年期の終わり』の方が名作ですね。クラークは、2008年にスリランカで亡くなっちゃいましたけれども、彼には会いたかったな。
――卒業後、松下政経塾の方に入られたと思うんですけれども。その時はどんなお気持ちでしたか?
本間正人氏: 大学の指導教官は大学院へ行きなさいって勧めていただいていたんです。僕の同期に宮台真司っていうのがいるんですけどね、彼なんかはオーソドックスに大学に残りました。オーソドックスな研究をやってるとは言いにくいけどね(笑)。でも、これね、当時東大の文学部ってね、教授、助教授いっぱいいらっしゃる中で、東大文学部出身者以外の人って2人しかいなかったんですよ。荒井先生がオックスフォードで、吉田民人先生が京都大学で、それ以外全員東大文学部出身なんですよ。それはね、もう誰々先生のお弟子さんって言われる徒弟制、封建制の世界ですよ。あの暗い建物の中で、誰々先生のお弟子さんってずっと言われるのは、僕は嫌だなと思ったの。
で、たまたまその政経塾の新聞広告を見つけて、「これ面白そうだな。松下幸之助さんに会ってみたいな」と思った。それに、茅ヶ崎に全寮制で親元離れて暮らすのも良いよねと。しかも大学院だとバイトしても親に負担を掛けるけれども、政経塾っていうのは大卒の初任給相当の研修資金っていうのがもらえる。そういう意味では経済的にも自立できるのも良いよねと思ってました。で、国際分野、国連とかユネスコとかで仕事しようと思って、政経塾に入ったわけです。
――ご両親からの助言などもあったんでしょうか?
本間正人氏: 親があんまり僕の進路について口を出さないでくれていたことに、本当に感謝していますね。うちは実家が呉服屋さんで、両親とも大学は行ってないし、「何でもいいんじゃないの」って言って応援してくれたんですよ。そこは1番感謝してますね。
――学生の時に進路を決める時も、本間さんの意志を優先してくださったんですか?
本間正人氏: そうです。中学受験の時からそうですよね。当時、日本進学教室っていう進学塾に行ってて、そこでお友達がいっぱいできたんですけど、友達が皆、教駒(東京教育大学附属駒場中)に行くっていうんで、じゃあ教駒へ行こうみたいな感じでしたね。私立より学費が安いしいいじゃん、みたいな。何も言わないでいてくれたことに本当に感謝しているんですよ。「勉強しなさい」って言われたらやっぱり勉強嫌いになっていたと思うんで。「勉強しなさい」って言われたことがないのは本当に1番感謝してることですよね。
――お友達との出会いがあったんですね。では、色々な人との出会いなどが、すごく影響していらっしゃるんでしょうか?
本間正人氏: そう。中学高校の仲間なんて、40年来の付き合いになるわけですよ。いままたメールやFacebookで、しょっちゅう何か情報のやり取りしてて面白いですよね。娘の就職が決まったとかね、親がこんな病気になったんだけどちょっとアドバイスちょうだいとか、しょっちゅうメーリングリストでやってますよ。
著書一覧『 本間正人 』