本間正人

Profile

1959年8月東京生まれ。82年東京大学文学部社会学科卒業、ミネソタ大学公共政策大学院に学び、戦略プランニングの修士号(Master of Planning)取得。在学中にミネソタ州政府貿易局日本室長に任命され、東京・大阪に代表部を開設、州の知名度向上キャンペーンを指揮し、知事特別表彰を受ける。その後、松下政経塾研究部門責任者を経て、93年に独立し、数多くの企業・自治体で管理職研修を担当している。テーマは、政策形成、独創力開発、部下の指導育成、国際感覚養成、など多岐にわたる。2001年「学習学協会」がNPO法人として認可を受け、代表理事に就任し、現在に至る。

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これから書籍は「リッチコンテンツ」になっていく



本間正人さんは東京大学文学部社会学科卒業後、松下政経塾に三期生として入塾されミネソタ大学大学院で成人教育学の博士号を取られた後、京都造形芸術大学教授(一般教養カリキュラム開発担当)、NPOハロードリーム実行委員会理事、一般社団法人キャリア教育コーディネーターネットワーク協議会理事、一般財団法人しつもん財団理事などを務められ、「学習学」を提唱し幅広くコーチングや英語教育などにもかかわられています。今回は本間さんに、本と教育とのかかわり、電子書籍の未来についてお聞きしてみました。

「本業はなに?」と聞かれるほど、幅広い活動をしている


――今回、プロフィールを細かく見させていただいたんですが、活動の幅がコーチングや英会話、NPOと非常に幅広いですね。


本間正人氏: 「本業はなに?」と聞かれるのが1番困るんですけどね(笑)。僕のメインは「学習とコミュニケーション」なんですよ。その二つは僕の中では極めて近いことです。人間はやっぱり、コミュニケーションを取ることによって学習するんです。人類がいま地球上で1番優勢な種として大きな顔をしていられるのは、コミュニケーション能力と学習能力がほかの動物に対して優れているからですね。でも肉体的には弱いんです。人間は特に文字ができてから、前の世代が発見したことをものすごく効率良く受け取れる様になった。やっぱり文字のない社会と、ある社会では学習速度が全然違う。これから冬になると、フグ料理が出てくるじゃないですか。てっさとかてっちりとか。あれを食べるごとに思うんだけど、これを僕たちが食べられるようになるまでの間に、古代ではどれだけの人が命を落としただろうかと。文字のない時代は、悲惨だったと思うんですよ。

――そうですよね。


本間正人氏: 文字があることによって、「このフグは卵巣に毒があるよ」とか、「このフグは精巣に毒があるよ」というのが伝わって、かなり人類の生存率が高くなったんじゃないかなと思うんです。これが活版印刷技術が普及し、紙が安価になることによって、学習速度はさらに高まっていくわけですね。僕は、現代文明は学習のたまものだと思っているんです。それがコンピューターになり、書籍が電子書籍になっていくっていうのは、さらにこの人類の学習速度が高くなっていくことだというのが僕の基本的な認識なわけです。

セミナーで受講者が電子書籍を買う時代



本間正人氏: 電子書籍のお話でね、どうしても今日言っておこうと思ったことがあったんです。僕は仕事柄、色々なところで講演するじゃないですか。企業研修だったり、NPOベースで子育てコミュニケーションとか、あるいは最近プチ哲学とかね。そうするとね、「本間先生、ご著書を今日は売ってないんですか」とかよく聞かれるんですよ。いまね、普通の本屋さんで僕の本なんか置いてないんですよ。

――そうですか?


本間正人氏: いや、大きな書店に行けばありますよ。三省堂だとか八重洲ブックセンターとかオアゾの丸善とかにはあります。でもそこらの本屋さんにはないですね。町の本屋さんへ行ったら、ベストセラーと漫画と雑誌しかないじゃないですか。限られてますからね。だからちょっと大きめのところで日経文庫の『コーチング入門』っていうのはあるかもしれないけど、それ以外の僕のビジネス書とか英語に関する本なんて売ってないんですよ。もう回転が速いから、本屋さんが置けないんですよね。それで、「Amazonで買ってくださいね」になるんだけれども。講演とか研修とかで僕の話を聞いて、「ああ、面白かった」って。講演の中で、本の話もちらっと入れると、皆さんが「本を買えないんですか」と聞いてくださるんです。

――その場で買えたら、皆さんよろこばれるんでしょうね。


本間正人氏: そう。でも、1200円の本を、10冊持って歩くのは重いんですよ。著者印税10%でね、120円の利益のためにですね、持って歩く根性がない。売れ残ったら、それまたしょぼしょぼ持って帰ってきて重い思いをしなきゃいけない。とてもじゃないけどね、よっぽど人数の多い講演で、どーんと送りつけていっぱい売れる見込みがあったらやるけれども、そうでなきゃやり様ないんですよ。ところが、こないだ初めて、研修の後で、参加者の方が端末を持って来てですね、「本間先生の本ってどれがお勧めですか」って言うわけ。「今日はコーチングの研修だったから、じゃあコーチングのこれですね」って言って。その人は「ピっ」ていってその場で買ってくれたの、電子書籍で。

――それはすごいことですよね。


本間正人氏: 「なるほどこうなるのか」という風に思ったんですよね。それで「皆さん電子書籍が即この部屋の中で、お手元でお買い求めになれます」と。今度から講演で言おうと思いました(笑)

電子といわれなくなると普及する?



本間正人氏: いまメールって言えば電子メールのことですよね。「電子メール」とか「Eメール」って言わないじゃないですか。それで、手紙って言ったら紙じゃないですか。それと同じ様に、僕たちは、ひょっとすると電子書籍を「ブック」と言い、紙の本は「本」と言う時代が来る。いや、もう来年くらいからそう言ってるかもしれない。

――わざわざ「電子」と言わない時代がくるんですね。


本間正人氏: 「電子書籍」なんて言わないで「ブック」って言ったら電子書籍で、「本」って言ったら紙の本みたいに。「ライス」と「ご飯」の使い分けとかね、日本人そういうカタカナをうまく使うっていう伝統があって。これひょっとすると「ブック」って言ったら電子書籍になるんじゃないかなっていう気が非常にしました。

――「電子」という言葉が取れることによって普及していくということでしょうか?


本間正人氏: そう。やっぱりアメリカとの比較で言うと、日本では文庫本っていうのが、ある意味、電子書籍の価格帯でかなり普及をしていた。特にアメリカは車社会だけれども、日本人、特にビジネスパーソンは電車に乗りますね。そうするとキオスクとかで文庫本を売っている。ここが、ある意味これまで電子書籍の普及をちょっと遅らせてきた。アメリカって文庫本に相当する低価格のものがなかったわけですよね。

――そうなんですか。


本間正人氏: だからハードカバー、ソフトカバー、ペーパーバック、そして電子書籍だったんだけど、日本の場合はここに文庫本っていうのがいままであった。でもこれから加速度的に電子書籍化されると思います。これはやっぱり端末が豊富になり、軽くなり、通信速度が高くなり、もうピピッとどんどん手軽になっていく。電子決済の、少額決済のコストがすごく安くなったことも大きいですね。前はいちいちクレジットカードなんて言ってたのが、いまは電子マネーもバリエーションが豊かになりましたからね。だからやっぱり、電子書籍、間違いなく普及していくと思います。

――確かにわざわざ「E何とか」なんて付けてる時までは、まだ普及していないし、定着していない感じですね。


本間正人氏: そうなんですよ。昔は「自動車電話」とか「携帯電話」とか何とか言ってたんですよね。だから、物珍しく一般化する前は名前が長いんですよ。短くなって初めて本物になってくる。携帯でありスマホでありっていうのはまさにそういうことじゃないですか。電子書籍も「電子書籍」なんて漢字4文字使ってるうちは普及してないっていうことですよ。

当たり前のことをイメージできるようにコーチング


――お話を伺っていると、とても腹に落ちて分かりやすいです。こういったお話を講演でもたくさんされるんですか?


本間正人氏: 結局、僕の言ってることなんて当たり前のことばっかりなんです。例えばコーチングって言ったら、マネージャーは部下の話をよく聞きましょう、部下の良いところを見つけてほめましょうって言うんです。で、「当たり前だよ、俺はできてるよ」って皆思ってるわけ。でもね、できちゃないって、部下はそう思っていない。1週間に何回ほめられてます?

――そうですね。いま考えてもそんなにないような気がします。


本間正人氏: ないでしょう。上司はね、でも「俺はあいつのこと褒めてる」と思ってるんですよ。ここにね、認識の非対称性っていうのがある。

――認識の非対称性。なるほど。


本間正人氏: で、「皆さんは、皆さんの上司から1週間に何回ほめられてる?」って聞くと、「俺はほめられてないな」って。「つまり部下の人はそう思ってるんですよ」と言うんです。言われれば気付くけど、気付かないと自分の認識なんていうのは、自分のバイアスがかかっていますからね。客観的な認識なんてあり得ない。全部主観的な認識しかない。考えたい様にしか人間は考えてないですからね。だから、どれだけ当たり前のことを腹落ちする様に伝えられるかっていうのが、研修講師とか講演者の腕の見せどころですよね。

――つまり本質を伝えるということですよね。


本間正人氏: そう。本質だから、当たり前過ぎるんですよ。話聴けとかほめろとか。それをいかに、僕はイラストレーションっていう風に言いますけれども、映像が浮かぶ様に頭の中に思い浮かべてもらうか。そうすると記憶に定着する。概念で「聴く」「ほめる」なんていうね、文字情報だけだと情報量が少ないわけですよ。それだとなかなか記憶に定着しにくい。

――イメージするものがあって初めて定着するんですね。


本間正人氏: そうです。だからね、電子書籍の1つの方向性はね、もっとグラフィックなものだと思うんです。いままでの本作りが、文字情報中心のものだったわけですよ。活版印刷技術で、活字を置いてる時代には、図版を入れるっていうのは大変な作業だったわけですよ。でもいまはもうコンピューターで何だってできるわけじゃないですか。だからね、もっと圧倒的にグラフィックなものになりますよ。

――もっともっと自由度が高まるんですね。


本間正人氏: いまの印刷技術で多色刷りってお金が掛かるじゃないですか。紙もインクの吸い込みの度合いとかで、多色刷りになじむ紙って高い。ところがいまAppleがRetinaのモニターを出して、紙と同じ画素数のモニターで見られる。それで、多色刷りに対するコストが紙と比較にならないくらい安いわけですよ。グラフィックを入れるのは簡単でしょ。だからね、「ブック」と言われる時代になると、ページとか、何章、何節っていうこれまでの本のくくりっていうのがだいぶ変わってくると思う。ハイパーリンクっていうのが、本来の意味で、本の中で成立する。だからもっとインタラクティブで、もっとビジュアル。場合によっては、音が出る様なのがごく自然に「ブック」っていうものにはなって、リッチコンテンツになっていくと思います。

芸風は落語、名人の芸を末廣亭で学ぶ


――先生はとても楽しく魅力的にお話されるのですが、それを、どの様にして会得されたのかを、幼少期くらいからお伺いできればと思います。


本間正人氏: 芸風はね、落語に近いって言われてるのです。僕が子どものころは、「笑点」以外にも寄席番組っていっぱいあったんですね。「大正テレビ寄席」とか、「日曜演芸会」とかね、NHKでもたくさんあったし。いまは本当に笑点とNHKの深夜くらいしかないんですね。落語は僕にとっては心理的な距離が近いものだったんです。実家が中野坂上で新宿まで当時は1駅、新宿三丁目まで2駅で、おじいちゃんに連れられて、末廣亭で先代の文楽とか志ん生を生で聞いたことがあるんです。コーチングっていうのは上司と部下の会話を再現したりすることがあるんです。そうするとね、落語で言う首振りですよね。「お前何でそんなこと分かんないんだよ」「別の人だからです」みたいなそういうのをやる。実はそのが僕の芸風の1つなんですよ。

――そしてあと、「笑顔のコーチング」っていう講座の名称が、言葉通りすごく安心しますね。


本間正人氏: 顔の構造が笑顔的にできてるので、逆にお葬式とか似合わなくて困っちゃうんですけどね。「お前ニヤニヤするなよ」って言われちゃうんですよね。しょうがない。

幼少期はSF少年だった


――本間さんは東京大学に行かれていますが、学生時代はどんな学校生活を過ごしていらっしゃいましたか?


本間正人氏: 読書はね、好きでしたよね。SF少年でした。星新一、小松左京、筒井康隆、この3人に関しては当時出ていた文庫本を、全部買って全部読みましたね。あとやっぱり、1番僕は名作だと思うのは、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』っていうのが早川書房から出ていますけど、『2001年宇宙の旅』よりも『幼年期の終わり』の方が名作ですね。クラークは、2008年にスリランカで亡くなっちゃいましたけれども、彼には会いたかったな。

――卒業後、松下政経塾の方に入られたと思うんですけれども。その時はどんなお気持ちでしたか?


本間正人氏: 大学の指導教官は大学院へ行きなさいって勧めていただいていたんです。僕の同期に宮台真司っていうのがいるんですけどね、彼なんかはオーソドックスに大学に残りました。オーソドックスな研究をやってるとは言いにくいけどね(笑)。でも、これね、当時東大の文学部ってね、教授、助教授いっぱいいらっしゃる中で、東大文学部出身者以外の人って2人しかいなかったんですよ。荒井先生がオックスフォードで、吉田民人先生が京都大学で、それ以外全員東大文学部出身なんですよ。それはね、もう誰々先生のお弟子さんって言われる徒弟制、封建制の世界ですよ。あの暗い建物の中で、誰々先生のお弟子さんってずっと言われるのは、僕は嫌だなと思ったの。



で、たまたまその政経塾の新聞広告を見つけて、「これ面白そうだな。松下幸之助さんに会ってみたいな」と思った。それに、茅ヶ崎に全寮制で親元離れて暮らすのも良いよねと。しかも大学院だとバイトしても親に負担を掛けるけれども、政経塾っていうのは大卒の初任給相当の研修資金っていうのがもらえる。そういう意味では経済的にも自立できるのも良いよねと思ってました。で、国際分野、国連とかユネスコとかで仕事しようと思って、政経塾に入ったわけです。

――ご両親からの助言などもあったんでしょうか?


本間正人氏: 親があんまり僕の進路について口を出さないでくれていたことに、本当に感謝していますね。うちは実家が呉服屋さんで、両親とも大学は行ってないし、「何でもいいんじゃないの」って言って応援してくれたんですよ。そこは1番感謝してますね。

――学生の時に進路を決める時も、本間さんの意志を優先してくださったんですか?


本間正人氏: そうです。中学受験の時からそうですよね。当時、日本進学教室っていう進学塾に行ってて、そこでお友達がいっぱいできたんですけど、友達が皆、教駒(東京教育大学附属駒場中)に行くっていうんで、じゃあ教駒へ行こうみたいな感じでしたね。私立より学費が安いしいいじゃん、みたいな。何も言わないでいてくれたことに本当に感謝しているんですよ。「勉強しなさい」って言われたらやっぱり勉強嫌いになっていたと思うんで。「勉強しなさい」って言われたことがないのは本当に1番感謝してることですよね。

――お友達との出会いがあったんですね。では、色々な人との出会いなどが、すごく影響していらっしゃるんでしょうか?


本間正人氏: そう。中学高校の仲間なんて、40年来の付き合いになるわけですよ。いままたメールやFacebookで、しょっちゅう何か情報のやり取りしてて面白いですよね。娘の就職が決まったとかね、親がこんな病気になったんだけどちょっとアドバイスちょうだいとか、しょっちゅうメーリングリストでやってますよ。

その後、国際関連の仕事でキャリアを積む


――政経塾に入り、その後でまた節目があったかと思います。大学卒業して5年後くらいですか。


本間正人氏: 5年いましたからね。3年目に半年、ウィーンの国連で、いまで言えばインターンシップみたいなかたちで仕事をしました。その後に2年間、民間人で外務大臣をされた大来佐武郎先生のアシスタントをやりました。いまね、日中関係や日米関係が難しい時期に、本当に大来先生みたいな人がいればなと思います。

――その2年間はどうでしたか?


本間正人氏: 普通だと「情報ください」って、頭を下げてもらいにいかなきゃいけないような情報が、大来先生のところは黙っていても来るんです。外務省顧問だし、経済企画庁参与だし、それから国土庁顧問、環境庁顧問かな。文部科学省の留学生10万人計画の委員長とか、郵政省の情報通信の国際化の審議会とか委員会の資料が全部来て。「本間君、目を通しといて」みたいにいわれるんです。で、「先生、この資料のここが大事です」みたいな感じで、ブリーフィングしたり、静岡新聞の原稿を校正したりという、仕事をしてましたね。

――その時のインプット、アウトプットというとすごい膨大な量ですね。


本間正人氏: そうですね。本も読んでいましたし、それから役所の政策過程っていうのを、生で触れることができたのは良かったですよね。

今、本当の外交ができる人材がいない



本間正人氏: 大来先生のポストっていうのは、不思議な役回りなんですよ。元公務員なんだけど、254日間だけ外務大臣をやって。当時は民間人で、政府を代表しないけど、代弁して色々な国際会議に、日本を代表して出る。日本はこういう政策を持ってるんですよっていうことを非公式に伝える役割を、色々なかたちで大来先生が果たされてたんですね。ああいう人がいまいないんですよ。それは余りにも残念過ぎますよね。日中関係だってね、やっぱりもう少しトップの人たちのところに行って、例えば中国が過剰な反応した時に、「あなた方、これ中国のためにならないから、もうちょっとこうした方が良いですよ」っていうのを、指導者の耳元でささやける人っていうのが必要だなと思いますよ。それが、どこの政党にもいないんだもん。それはもう困ったもんです。日本は潜在的な国力はあると思うんですけれども、広義の外交力が弱い。

――活路はどんなところにあると思いますか?


本間正人氏: 活路はね、外交に関してはやっぱり少し長い目で見て、どこの政党になっても外務大臣を変えないっていうくらいのことが大事。首相は政党の代表だけど、外務大臣は日本の代表だから、どの政党になっても10年くらい変えないというような仕組みでないと安定的な人間関係ができないですから。

――そこで大事になるのは、やはり人間関係なんですね。


本間正人氏: そりゃそうですよ。アメリカの国務長官はヒラリークリントンなんですよ。元大統領夫人、元首夫人。だからヒラリーが日本に来ると天皇陛下にお目にかかれるんですよ。普通はプロトコル上あり得ないんだけど、元・元首夫人だからあの人は別格なわけです。あの方だけは別にしても、やっぱりもうちょっと長くやらせないと、それ誰?って話になっちゃうんですよ。いちいち「初めまして」「Nice to meet you」って言ってた日にはね、実質的な話に入れないじゃないですか。



ハーラン・クリーブランドの弟子になりにミネソタへ


――話を松下政経塾のところから戻させていただきます。政経塾で5年すごした後、アメリカに留学されたんですね。


本間正人氏: そうなんですよ。ミネソタ大学。大来先生も日本の代表的なメンバーをつとめていたローマクラブっていうのがあります。これは「成長の限界」とか「限界なき学習」っていうレポートを出した世界の賢人会議。国連っていうのはやっぱり国益のせめぎ合う場所になる。ローマクラブっていうのは、地球益、地球人益っていうのを考える場なんです。それのアメリカの有力なメンバーでハーラン・クリーブランドっていう素晴らしい先生がいて、彼の弟子になろうと思ってミネソタに行ったんですよね。

――ミネソタ大学に行こうじゃなくて、その先生の弟子になるために行かれたんですね。


本間正人氏: そう。ハーラン・クリーブランドの最後のゼミ生になれたっていうのは、僕にとって大変光栄なことでしたね。松下幸之助、大来佐武郎、ハーラン・クリーブランドっていう、20世紀を代表する巨人である彼らから直接教えを受けることができたっていうのは、僕の人生の中で本当にラッキーなことですよね。僕は彼らに借りを返し様がないわけです。もう死んじゃってるしね。でも彼らから学んだことを次のジェネレーションに伝えていく。「知恵の鎖」をつなげていくっていうのが僕の役割なんだろうなっていうのはすごく思いますね。

構想は「学習する地球社会」


――そういう意味では、正しく知恵の鎖をつないでいくというのが1つのライフワークなんでしょうか?


本間正人氏: そうですね。本当にライフワークだと思っています。僕自身は、地球社会がLearning Planet、「学習する地球社会」に進化していくべきだと考えています。普通の教育学では個人が学ぶ。最近経営学の世界では「学習する組織論」っていうのがあって、組織が学ぶっていうのがあるんだけれども。やっぱり社会が学ぼうよっていうのはすごく大事だし、国が学ぶっていうのもすごく重要。悪い例の方で言うとね、やっぱりジョージ・W・ブッシュというのが本当にアホで、アメリカは色々な国と戦争してその国を占領しているわけですよ。占領政策で1番うまくいったのは、第二次世界大戦の後の日本を占領したのが1番うまくいってる。これ原爆2発落としても、占領に来たアメリカ人で日本人に殺された人っていうのは、多分限りなくゼロに近かったと思うんですね。事故や病気で死んだ人はいると思うけど、日本人に殺されたっていう人は、ほとんどゼロに近いんじゃないかな。もちろん沖縄とかでは、複雑な気持ちをお持ちの方いるのはよく分かるけど、しかし、その沖縄でも米兵が殺されたって話をあんまり聞かないですからね。ですから、それはね、統治政策、占領政策として非常にうまい前例があったんですよ。そこから学ぶけきだったと。イラク戦争で、戦闘中はほとんど巡航ミサイルで主な軍事拠点を破壊したから、アメリカ兵はあんまり死んでないわけです。でも終わってから、占領してから5000人以上、いまもう6000人とか亡くなってるわけで。

――そうですよね。戦闘時期を上回って。


本間正人氏: 上回ってる。はるかに上回ってるんですよ。いまだに死んでるんだから。それはね、もうへたくそな占領政策以外の何者でもない。基本は何かっていうと、統治機能を破壊しなかったってことなんですね、日本では。天皇制も含め、官僚機構を温存して。また日本人が進駐軍の言うことを素直に聞いたっていうのもあるんですけど。でもイラクの場合にはバース党を解体し、そしてサダム・フセインは処刑しちゃったと。それね、やっぱり怨念を残しますよ。

――まとまりを切っちゃうわけですね。


本間正人氏: そう。で混乱を招き、治安を悪くする、もうその通りになってるわけで。それはやっぱり愚かな政策です。学習能力が低いと愚かなことをしてしまう。

日本は福島の教訓から学べ



本間正人氏: わが国はですね、福島でだいぶ痛い目を見ているんだけど、まだ学習しない人がね、核武装しろとか言ってるしね。学習しようよと。もちろん学習したからって必ずうまくいく保証もないんだけれども、やっぱり学ばないことの大きなマイナスはかなり減らせるはずですよね。だからこれを放っとくと、今のままで行くと、次に原発事故っていうのは必ず起きる。それは日本ではないかもしれないけど、中国で起きたら黄砂に乗って放射能が飛んでくるわけですわ。こないだ甘利明さんっていうね、元の経産大臣で自民党の政調会長が、「日本の意志にかかわらず各国は原発を開発する。だから日本もやるべきだ」と。おかしいだろうって、このロジック。日本は1番痛い目を見てるんだから、脱原発っていうのを世界に先駆けて訴えて、原発を使わなくてもこういう社会が作れますっていうことを宣言し、その技術開発を新しい経済のフロンティアにする。これからアフリカなんて人口が増えてくわけです。アフリカ大陸に100個原発を作るのかって話ですよね。

大変失礼だけれども、日本ですら、1番耐震性や何かについても安全だと言われたところでも万全ではなかった。福島は東側が海なんですよ。東側が海の原発っていうのは、福島、東海、東通しかないわけで。後はみんな東側に人口が住んでるわけです。浜岡が1番多いけれども、福井にしたってね、玄海にしたって、もうみんな東側に人口があるわけです。泊にしても。日本の気候っていうのは西から東に風が吹いて、基本的に西から東に何かあった時に放射性物質っていうのが来るわけで。でもね、こないだようやく柏崎で少し大規模な避難訓練をやってたみたいだけれども、福島の後、数万人規模で避難訓練をやったっていう話を聞いてる? 全国の原発で避難訓練やった方が良いと思いません?もうあらゆるシミュレーションをやるべきだと思うのですよ。それをやってないのはおかしい。都合の悪いことは考えないでおこうなんだと思うんですけど。で、起こったら何か反応するっていうね、それは誠に学習能力が低いと僕は思いますよ。

今のシステムでは政治家にはなりたくない


――そういう意味では社会としての学習能力が大切ですね。そういったことを本間さんは、政治の立場からではなく、著作物だとか講演とかを通して世の中に伝えてると思いますが、政治家というポジションにつかないのは何か理由があるんでしょうか?。


本間正人氏: だっていまのシステムだとね、政治家は次の選挙のことを考えなければならない。あとポストが上がってかないと影響力を持ち得ない。それはやりたくないっていうか、僕自身の使い方としてはあんまり良くないだろうなっていう風に思っているんです。1981年の9月、入塾の面談の時に、松下幸之助さんが3次面接の面接官だったんです。僕は「政治家志望ではなく国際分野で仕事しようと思ってます」なんて言ってて、松下幸之助さんは黙って聞いてたわけですけれども、最後に、「君な、50年後、100年後のことを考えて頑張らなあかんで」と。言ってみればそれが僕と松下幸之助さんとの約束なんですね。目の前のことはとりあえず現役の政治家の方にお任せをする。でも霞が関も別に50年後100年後のことを考えてるわけではない。やっぱりどこの国の指導者も、必ずしも世界の全体のことについて視座を持って考えてるわけではないと思うと、そこがほかの人の誰もやってない僕のポジションかなっていう風に思っていますね。いま政治家をやってないっていうのは、向き不向きもあるし、お酒も飲めないしね。口幅ったいけれど、ほかの人がやってないことをやりたいって思ってますね。

長期のビジョンを加速させて形に


――そういった考えが著作物とか講演を通して少しずつ、世間に伝わってきてるんじゃないかなと思いますが、いかがですか?


本間正人氏: ただ本当は加速しないといけないなっていうのは思っているんです。去年の3月9日に父が震源地の近くの南三陸町で亡くなったんです。死亡確認が石巻の赤十字病院でした。11日がお通夜だったんですけどね。人生は終わらないという前提で「いつかそのうちまとめよう」なんて思っていても、心臓発作で亡くなったりして、ふっと終わっちゃうことがある。そうすると、いつかそのうちなんて言ってられないなって思いました。やっぱり長期ビジョンとか学習する地球社会なんていうのも、やっぱり形に早くしなきゃいけないなっていうのは思いますよね。勘三郎さんみたいにね、若くして亡くなっちゃう人がいる。勘三郎さん、あんまり僕と年が変わらないしね。彼は55年生まれ、僕は59年生まれで4つしか違わない。

――本当に何があるか分からないですね。


本間正人氏: そうですよ。健康でも、地震があるかもしれないし台風が来るかもしれないし。もういきなりトンネルが落ちるかもしれないし。

笑顔のコーチングで被災地を癒す



本間正人氏: 論理的なつながりはないんだけれども、3月11日に、ある意味悲しみを共有してるっていう個人的な思いがあって、「ハロードリーム岩手」という組織を作りました。岩手県内では笑顔のコーチング講座をいっぱいやってるんですよ。
普通の人は、感情が表情を作ると思っているわけです。うれしいから笑う、と思うじゃないですか。そっちも当然あるんだけど、笑うとうれしくなるんですよ。笑顔になるとうれしい気分になる。これはアメリカの心理学で有名な研究があって、鉛筆を横にくわえさせて漫画を読ませるグループと、縦にくわえさせて漫画を読ませるグループ。横にくわえさせると「これ、面白いね」って言うわけ。縦にくわえたグループは平均値を取ると「別に」って答えるわけ。つまり笑顔に近い方が同じ漫画を面白く感じられる。

――横に噛むと、笑顔になる時と同じ筋肉を使うんですね。


本間正人氏: この筋肉が横に開くと面白く感じられるっていう結果だったんですよね。だから表情が感情を作るっていう回路もあるわけですよ。被災地の状況を考えれば、まだ問題山積です。政府はがれきの処理に、余りにもエネルギーを注ぎ過ぎているんですね。雇用の創出とか、新しい地域づくり、人材育成などの方がよっぽど大事なんですよね。教育とかリーダー養成とか、そっちやった方が良いと、僕は本当に思うんです。色々な業者さんが、力を持ってるんで、がれきっていうのがあらゆることに優先してるんだけど。でもね、町の復興とか地域の復興とか、うつむいてて困ったな困ったな困ったなって言ってたらさ、元気が出ないじゃないですか。やっぱりどれだけ笑顔で「頑張ろう」っていう風にできるかっていうところだと思うんですよ。
岩手の政治家はお友達じゃないんだけれども、宮城県には村井知事がいる。彼は僕が採用した塾生なんですよ。

――そうなんですね。


本間正人氏: 宮城内陸地震の時も、彼はもともと自衛隊のヘリコプターパイロットだから対応が早かったんだけど、そこでまたシミュレーションをやってたから、3月11日の大震災の後も、幹線道路の確保のスピードが、福島、岩手の比じゃないんですよ、宮城の速さは。一朝有事あればっていう時に、もう東北から新潟からあらゆるところの自衛隊にネットワークがあって、ぶわっと入れる。だから村井君を政経塾に採用したことによって、間接的には僕は数百人の命を救ってるかもしれないとか思うと、ああ良かったとか思うんですよね。



電子書籍で道徳の教科書を作りたい


――それでは、最後に今後の展望を伺えますか?


本間正人氏: やっぱり電子書籍はリッチコンテンツになっていくと思いますよ。僕は道徳の教科書を作りたくてね。道徳なんて、やっぱり動画とかがなじむと思うのですよ。紙でね、二宮尊徳がこういう人でしたって書かれても、「何それ」じゃないですか。だから、いままでの学校教育が、黒板があって、紙の教科書を使ってっていう常識が、電子黒板よりも電子書籍、電子教科書によって大きく変ぼうするだろうと思っているんです。任天堂のDSはこんなちっちゃい機械で2000文字以上の漢字を識別して読むことができる。普通のiPadとかだとまだやっぱり認識能力が低いんだけれども、段々そっちの方向に僕は行くと思うんです。それがやっぱり知識を与える部分にどんどん展開していくと思う。電子教科書が、日本の教育、人材育成にすごく大きなインパクトを与えると思います。そしてそれは、音声とか動画とかが入るリッチコンテンツ化の、そしてインタラクティブな方向になっていくと思います。

――色々な観点ありますけど、教育っていう観点からも多いに可能性があるんですね。


本間正人氏: ものすごく大きいです。日本も教科書会社の利権があるのでなかなか動かないだけで。でもシンガポールは普通の小学校の児童がノートパッドPC持ってるわけですよ。
いまアジアの最先進国はシンガポールです。韓国もその方向に行くぞってもう宣言しましたね。日本も少しずつでもその方向で進んでいければいいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 本間正人

この著者のタグ: 『コミュニケーション』 『政治』 『言葉』 『学習』 『コーチング』 『留学』 『本質』 『認識』 『政経塾』

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