中川右介

Profile

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、父藤岡啓介が創立した出版社アイピーシー(インタープレスから社名変更)の倒産の後始末をする過程で
自らの出版社アルファベータ(http://www.alphabeta-cj.co.jp/top.html)を創立。ドイツ、イタリア、米国など海外の出版社と提携して芸術家や文学者の評伝を出版。現在アルファベータ代表取締役や『クラシックジャーナル』編集長を務める傍ら、自らもクラシック関係の著書を執筆。日本の歌舞伎、ポップスに関する著書もある。近著に『未完成 大作曲家たちの「謎」を読み解く』(角川マガジンズ)がある。

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本はいつも身近な存在だった


――幼少期のころから本はたくさん読まれていたのですか?


中川右介氏: そうですね。本が家じゅうにあって身近だった。逆に、本以外のことは分からないといえば分からないというのはありますね。子供の頃は、スポーツは苦手。歌がうまいわけでもないし、ギターが弾けるわけでもない。そうすると字は読めるからというので、本を読んでいましたね(笑)。それも半分はマンガだった。本代については、親は無尽蔵に出してくれました。

――そういう中で育ったから、必然的に本を扱う仕事に就かれたんですね。


中川右介氏: そうですね。親の会社に就職して、自分の出版社も普通の人よりは若くして作れるという意味では恵まれていましたよね。でも、35歳で4億円くらいの借金を背負いましたけどね。

――仕事の資料集めとは別に、プライベートで本屋さんに行きますか?


中川右介氏: 1日1回は行きますね。それはもう、子どものころからですね。事務所の近くにある、流水書房青山店がお気に入りだったんですが、昨年暮に閉店してしまったので最近ちょっと困っているんですよね。本屋さんというのは、新刊が入るから、店の様子が毎日変わるといえば変わります。それを眺めるのが楽しみなんです。子どものころは家のそばにある本屋さんに毎日のように行っていました。ひばりが丘団地という所に住んでいて、その団地の商店街の中に1軒、菁蛾書房という変わった名の本屋さんがあったんですね。慶応を出て、若い頃は作家志望でミステリ雑誌の新人賞で佳作かなんかになって、ちゃんと雑誌に作品が掲載された人が経営者で、家族でやっている小さな店でしたが、奥さんが美人でしたね。だから、娘も可愛かったな。

で、その書店に毎日、学校が終わると行って、最初はマンガだったけど中学生になると創元推理文庫を片っ端から買っていきました。店主の小父さんは、「これが面白いよ」と教えてくれたりして、学校の教員からは読書指導は受けなかったけど、青蛾書房の小父さんにはいろいろ教えてもらった。そういう店もあったけど、中学生になると駅の近くの本屋さんまで行くようになり、さらに高校生ぐらいになると月1回ぐらいは池袋とか、あるいは神保町まで行くようになって、大学に入れば生協でも買うようになってと、会社に入るとその近くの店とか、常に毎日のように行く店というのはありましたね。

――今までで、たくさんの本を読んだ時期はいつですか?


中川右介氏: やっぱり中学、高校、大学ですね。とにかく時間がありましたから。

――どんな本を読まれてきましたか?


中川右介氏: 最初は手塚治虫とか石森章太郎とか、白土三平の漫画ですね。それからミステリ、SF。大学になっていろいろな本を読むようにはなりましたが、僕はオタクなので、1つ決めるとそれを全部読まないと気が済まないタイプなんです。鉄腕アトムだけで4種類か5種類あるんだから大変ですよ(笑)。最初に漫画があって、小学4年生ぐらいになると、定番のホームズとルパンを読むようになりましたね。本は学校の図書館にあるんだけれども、やっぱり自分で持たないと気が済まないから全部買ってましたね。で、中学に入って、小学校の時に読んでいたのは、実は子ども向けに訳されたものだということを知ると、「これはいけない」というんで、ちゃんと大人向きの完訳版を買い直すわけです。そこからミステリを読むようになって、さっき言った青蛾書房が、まるで僕のために品揃えしたのではないかと思うほど、店の規模の割に、ミステリが充実していて創元推理文庫が揃っていたので、それを全部読まなきゃいけなくなる。あそこで、岩波文庫でも読み始めれば、また別の人生だったかもしれませんね(笑)。

公平な立場でカラヤンとフルトヴェングラーを書くことにより、独自のスタイルを確立した


――中川さんの何かをつなげる視点というのが、すごいなと思うんですけれども、そういうものを書こうと思ったのはどういったきっかけだったんでしょうか?


中川右介氏: 最初にそういう視点で書いたのが『カラヤンとフルトヴェングラー』という本です。あれは『クラシックジャーナル』を始めた時に連載して書いていたんです。でも新しいことをやろうという意識は全くなかった。カラヤンとフルトヴェングラーと、あとチェリビダッケという3人の指揮者について書かれていることが、本によってみんな違う。特にカラヤンとフルトヴェングラーというのは歳は離れているんだけど非常に確執があったということになっているんだけど、具体的に何があったか、よく分からない。それでフルトヴェングラーは偉大な人という立場で書いた本を読むと、カラヤンというのは非常に生意気で悪いやつに描かれている。一方カラヤンは素晴らしいという視点で書かれた本を読むと、フルトヴェングラーというのはすでに地位も名誉もあるのに、年下のカラヤンに意地悪したり妨害している。さらに非常に優柔不断で女好きと、そんな風に書いてあるんです。多分どっちも本当なんだろうなと思う。それで、どちらが悪いと決めつけるのではなくて、ただ単純に何年何月何日、誰がどこで何をしたか、何を言ったかというのを調べていけば、事実関係というのは明らかになるんじゃないかなと思って、調べていったということなんです。
 

――両方の立場を明示されていく中で、自然とスタイルが確立されたのですね。


中川右介氏: そうですね。だからあの本へのAmazonのレビューを読むと、カラヤン・ファンは「中川はフルトヴェングラーびいきでけしからん」と書いて、フルトヴェングラー・ファンは「フルトヴェングラーの悪いところばかり暴き立てていて、けしからん」とか書いていて、おかしいですね。強いて言えば、僕はカラヤンの方が好きで、カラヤンはこういう苦労をして権力を握って偉い、と書いたつもりなんだけれども、「権力を握った」と書くことが悪口だと思う人が多いようで、おかしいですね。そういうわけで、カラヤン・ファンからは攻撃されるというこの理不尽さ(笑)を味わったりしています。

著書一覧『 中川右介

この著者のタグ: 『働き方』 『可能性』 『音楽』 『カメラ』 『メディア』

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