中川右介

Profile

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、父藤岡啓介が創立した出版社アイピーシー(インタープレスから社名変更)の倒産の後始末をする過程で
自らの出版社アルファベータ(http://www.alphabeta-cj.co.jp/top.html)を創立。ドイツ、イタリア、米国など海外の出版社と提携して芸術家や文学者の評伝を出版。現在アルファベータ代表取締役や『クラシックジャーナル』編集長を務める傍ら、自らもクラシック関係の著書を執筆。日本の歌舞伎、ポップスに関する著書もある。近著に『未完成 大作曲家たちの「謎」を読み解く』(角川マガジンズ)がある。

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計画は「行き当たりばったり」自分の面白いと思ったことをやる



中川右介さんは1960年生まれ、早稲田大学第二文学部卒業後、父藤岡啓介さんが創立した出版社であるアイピーシーへ入社、その後自らの出版社アルファベータを創立。アルファベータ代表取締役や『クラシックジャーナル』編集長を務めるかたわら、自らもクラシック音楽、日本の歌舞伎、ポップスに関する著書を執筆するなど活躍されています。そんな中川さんに、本について、電子書籍についてのお考えをインタビューしました。

本を書き、編集し、作る仕事に没頭する


――早速ですが、お仕事や執筆スタイルについて伺えますか?


中川右介氏: 毎日、本を読み、本を書き、本を作る仕事に徹していますね。午前中は書く仕事をして、午後から人に会ったり、編集の仕事を夜までしています。執筆はパソコンですね。自宅で書くこともありますが、資料を持って歩くのが難しいのでほぼ仕事場がメイン。資料をスキャンしてパソコンに保存しておけばいいのかもしれませんが、僕はアナログなのでデータはメール添付で送付するくらいですね。

――執筆される際には、膨大な資料を読まれますか?


中川右介氏: 結構大変なんですよ。実際に原稿を書く作業は2か月ぐらいなんだけれども、その前にいろいろと調べなきゃいけないですしね。考えているものまで入れれば常に5冊ぐらい抱えています。その他、アルファベータで出す本で校正したり、印刷所で動いているもので5・6冊。そのくらいをいつも同時進行しています。そんなことを30年ぐらいやっているわけです。

――ほかの方と違うのは、ご自身が編集者でもあり、執筆もされているということですね。


中川右介氏: そうですね。自分で書き始めたのは10年ぐらい前ですが、編集者としても、対談とか座談会をまとめたりと、原稿は書いていたほうですね。その他、編集プロダクション的な請け負っての原稿書きの仕事もかなりしていました。

出版社経営の三代目、父の会社を継ぐはずが・・・


――幼少期からさかのぼって、読書遍歴などを伺えますか?


中川右介氏: そもそも、僕の祖父(藤岡淳吉)が1926年に出版社を興したところから歴史は始まりまして、もし続いていれば、創業90年ぐらいの老舗出版社の三代目になれて、悠々自適に過ごしていられたはずなんです(笑)。でも祖父の会社は僕が生まれる前になくなって、父は祖父と会社を一緒にやっていて、澁澤龍彦の最初の『サド選集』を出したりしていたけど、潰れた。それで、いったん工業技術系の出版社(その会社も数年前に倒産)に就職してサラリーマンをやってから独立して始めました。僕は大学を卒業してそこに入って、3年目くらいから、いろんな縁があってシリアスな写真集を出し始めたんです。たいして売れなかったんだけど、評判にはなって、荒木経惟さんの本も出したりして、まあ話題になった。



バブルだったので、銀行も割合とお金を貸してくれて、わいわいやっていたんだげど、バブルもはじけて、怪しくなったので撤退して、責任とって、僕は辞めて、自分の会社アルファベータを作って、最初は編集プロダクション(といっても、僕ひとりですが)として、いろんな原稿を書いていました。そのうち、父が残っていた本体がいよいよダメになって、「もう俺は嫌だ」と言って辞めてしまったので、しょうがないからアルファベータで後を継ぐことになりました。で、「前の会社で出した本の返品は受け取りますから、新しい本を出したら入れさせてね」ということを取り次ぎと話したんです。それでアルファベータは出版社になってしまいました。その時に始めたのが、「カメラジャーナル」という小さな雑誌でこれがあたって、さらに関連のカメラの本を出し始めたら、売れたので、まあどうにか軌道に乗りました。

――若くして、そのような重責が降りかかってくるとは、どんなお気持ちでしたか?


中川右介氏: ある意味、開き直っていたかもしれないですね。幸い売れた本があったので、それでどうにかこうにかやってこられました。行き当たりばったりですけれど(笑)。基本的に出版の仕事というのは綿密なマーケティングリサーチは意味がない。もちろん、何十万部も出す雑誌ならばそれは必要だと思いますが、うちの場合せいぜい数千部を出して売れるか売れないかなので、10冊出して1冊でも増刷になればいいなとか、そんな感じでやるしかないんです。真剣に考えたらやめた方がいい。だって売れるかどうか本当に分からないですから。今年の夏は暑くなるとの予想だからビールが売れるとか、そういう世界ではないから。

――会社をやっていく中で、喜びに感じることはどういったことですか?


中川右介氏: あらゆる意味で、本が売れれば嬉しいです(笑)。本を出すうえで崇高な使命感はないんです。アルファベータで出す本も、自分で書く本も。ただ自分が知りたいから調べて、面白いから面白いでしょうって言っているだけで、それが幸い受け入れられて、何千人か何万人かの読者がいるということですかね。だからあんまり使命感はないですよ(笑)。いわゆる売れる本を作っているわけではないので、「志の出版」をしていると誤解されることがあるのだけど、そんなことはないです。

本はいつも身近な存在だった


――幼少期のころから本はたくさん読まれていたのですか?


中川右介氏: そうですね。本が家じゅうにあって身近だった。逆に、本以外のことは分からないといえば分からないというのはありますね。子供の頃は、スポーツは苦手。歌がうまいわけでもないし、ギターが弾けるわけでもない。そうすると字は読めるからというので、本を読んでいましたね(笑)。それも半分はマンガだった。本代については、親は無尽蔵に出してくれました。

――そういう中で育ったから、必然的に本を扱う仕事に就かれたんですね。


中川右介氏: そうですね。親の会社に就職して、自分の出版社も普通の人よりは若くして作れるという意味では恵まれていましたよね。でも、35歳で4億円くらいの借金を背負いましたけどね。

――仕事の資料集めとは別に、プライベートで本屋さんに行きますか?


中川右介氏: 1日1回は行きますね。それはもう、子どものころからですね。事務所の近くにある、流水書房青山店がお気に入りだったんですが、昨年暮に閉店してしまったので最近ちょっと困っているんですよね。本屋さんというのは、新刊が入るから、店の様子が毎日変わるといえば変わります。それを眺めるのが楽しみなんです。子どものころは家のそばにある本屋さんに毎日のように行っていました。ひばりが丘団地という所に住んでいて、その団地の商店街の中に1軒、菁蛾書房という変わった名の本屋さんがあったんですね。慶応を出て、若い頃は作家志望でミステリ雑誌の新人賞で佳作かなんかになって、ちゃんと雑誌に作品が掲載された人が経営者で、家族でやっている小さな店でしたが、奥さんが美人でしたね。だから、娘も可愛かったな。

で、その書店に毎日、学校が終わると行って、最初はマンガだったけど中学生になると創元推理文庫を片っ端から買っていきました。店主の小父さんは、「これが面白いよ」と教えてくれたりして、学校の教員からは読書指導は受けなかったけど、青蛾書房の小父さんにはいろいろ教えてもらった。そういう店もあったけど、中学生になると駅の近くの本屋さんまで行くようになり、さらに高校生ぐらいになると月1回ぐらいは池袋とか、あるいは神保町まで行くようになって、大学に入れば生協でも買うようになってと、会社に入るとその近くの店とか、常に毎日のように行く店というのはありましたね。

――今までで、たくさんの本を読んだ時期はいつですか?


中川右介氏: やっぱり中学、高校、大学ですね。とにかく時間がありましたから。

――どんな本を読まれてきましたか?


中川右介氏: 最初は手塚治虫とか石森章太郎とか、白土三平の漫画ですね。それからミステリ、SF。大学になっていろいろな本を読むようにはなりましたが、僕はオタクなので、1つ決めるとそれを全部読まないと気が済まないタイプなんです。鉄腕アトムだけで4種類か5種類あるんだから大変ですよ(笑)。最初に漫画があって、小学4年生ぐらいになると、定番のホームズとルパンを読むようになりましたね。本は学校の図書館にあるんだけれども、やっぱり自分で持たないと気が済まないから全部買ってましたね。で、中学に入って、小学校の時に読んでいたのは、実は子ども向けに訳されたものだということを知ると、「これはいけない」というんで、ちゃんと大人向きの完訳版を買い直すわけです。そこからミステリを読むようになって、さっき言った青蛾書房が、まるで僕のために品揃えしたのではないかと思うほど、店の規模の割に、ミステリが充実していて創元推理文庫が揃っていたので、それを全部読まなきゃいけなくなる。あそこで、岩波文庫でも読み始めれば、また別の人生だったかもしれませんね(笑)。

公平な立場でカラヤンとフルトヴェングラーを書くことにより、独自のスタイルを確立した


――中川さんの何かをつなげる視点というのが、すごいなと思うんですけれども、そういうものを書こうと思ったのはどういったきっかけだったんでしょうか?


中川右介氏: 最初にそういう視点で書いたのが『カラヤンとフルトヴェングラー』という本です。あれは『クラシックジャーナル』を始めた時に連載して書いていたんです。でも新しいことをやろうという意識は全くなかった。カラヤンとフルトヴェングラーと、あとチェリビダッケという3人の指揮者について書かれていることが、本によってみんな違う。特にカラヤンとフルトヴェングラーというのは歳は離れているんだけど非常に確執があったということになっているんだけど、具体的に何があったか、よく分からない。それでフルトヴェングラーは偉大な人という立場で書いた本を読むと、カラヤンというのは非常に生意気で悪いやつに描かれている。一方カラヤンは素晴らしいという視点で書かれた本を読むと、フルトヴェングラーというのはすでに地位も名誉もあるのに、年下のカラヤンに意地悪したり妨害している。さらに非常に優柔不断で女好きと、そんな風に書いてあるんです。多分どっちも本当なんだろうなと思う。それで、どちらが悪いと決めつけるのではなくて、ただ単純に何年何月何日、誰がどこで何をしたか、何を言ったかというのを調べていけば、事実関係というのは明らかになるんじゃないかなと思って、調べていったということなんです。
 

――両方の立場を明示されていく中で、自然とスタイルが確立されたのですね。


中川右介氏: そうですね。だからあの本へのAmazonのレビューを読むと、カラヤン・ファンは「中川はフルトヴェングラーびいきでけしからん」と書いて、フルトヴェングラー・ファンは「フルトヴェングラーの悪いところばかり暴き立てていて、けしからん」とか書いていて、おかしいですね。強いて言えば、僕はカラヤンの方が好きで、カラヤンはこういう苦労をして権力を握って偉い、と書いたつもりなんだけれども、「権力を握った」と書くことが悪口だと思う人が多いようで、おかしいですね。そういうわけで、カラヤン・ファンからは攻撃されるというこの理不尽さ(笑)を味わったりしています。

読んだ本を手元に残し、縁がなかった本を売る


――たくさん本を読まれている中で今でも心に残っている1冊や、手元にずっと置いておきたい1冊はございますか?


中川右介氏: 何千冊も置いておきたい(笑)。でも書庫にある本は、何年かに一度は整理しなきゃいけないので、古本屋さんを呼んで売っています。売る本というのは、買ったけれど読まなかった本なんですね。読んだ本というのは売らないんです。買ったけれども読まなかった本って縁がない本だから、それはいらないということで売りますね。「読んだ」本のほうが、もう用はないみたいだけど、読まなかった本は、いらない本だったということなんです。なら、最初から買わなければいいので、お金の使い方としては、バカとしかいいようがない。

電子書籍を作るなら、音楽が聞こえてくるような本を・・・


――膨大にある本をどうするかとなった時に電子化という手段もありますが、電子書籍というものに関して、中川さんご自身どんな風に考えていらっしゃいますか。


中川右介氏: まだ電子書籍を買ったことがなく、紙の本を読んでいます。著者として他社で出した本については、出版社が電子をやりたいという場合は「どうぞ」と言っていますが、アルファベータで出す本は電子化していませんね。僕はどんな形であれ、本を読んでいただければそれでいいので、電子出版も否定はしません。ただ、いまのところ、何万円も出して機械を買う気はないなあという感じ。
今、電子書籍のは、紙のと同じようにしようっていう方向性ですよね。レイアウトも含めてね。それはそれでいいんだけれども、それならやっぱり紙がいい。例えば僕の本を電子化するのであれば、「カラヤンがベートーベンの第九を演奏した」と書いてある時、どこかクリックするとその第九が聞こえてくるといいなと思うんです。そういう仕組みを作ってくれれば、また別の展開があるような気がしますね。



絵や美術について書いてある本であれば、ピッとその絵がでるようにリンクするとか。今でも自分で検索すればできるけど、それをもっと簡単にボタン1つでできるようにして、場合によっては音楽の場合は有料でもいいから付けるとかしてくれるといいですよね。それが割合手軽にできるようになれば、より便利で、まさに新しいメディアになるんじゃないかなとは思いますね。最初、電子書籍ってそういう風にいくのかなと思ってたんですよね。紙ではできない、別の何かを考えた方が面白いんじゃないかなと思うんですよね。本をただスキャンしたりとか、本と同じレイアウトのPDFっていうんじゃねえ。だって、あれだけ色んなことができる機械なわけじゃないですか。

そういえば思い出しましたが、「電子出版」という言葉を最初に使ったのは、父なんです。1980年代初めに、科学技術の専門用語辞典をコンピュータで編集して、作ったときにそう呼んだ。当時は、いまならエクセルでできるようなことが大型コンピュータでなければできなくて、具体的には、英単語とその対応する日本語を入力して、英和辞典なら、アルファベット順に、和英ならあいうえお順に並び替えるという、非常に単純なことをしてもらうのに何千万円もかかった。さらに、当時は電算写植っていうのが始まったばかりで、それも1ページあたり何千円で、いまの何十倍ものコストがかかったんだけど、それでも、それまでの単語カードを作って、活字を組んで、というやり方からすると、革命的でした。僕も途中からその仕事には関わりました。それで、本を作るだけでなく、その用語データそのものも売ったんです。その後、CD-ROMの辞典が出てきて、それにも搭載されました。だから、電子出版の黎明期をよく知っているんだけど、とにかく先行投資がすごくて、エクセルでできることをしてもらう専門のソフトを作ってもらうのに数千万円かかるわけだから、それで何億もの負債ができたわけです。僕が作った写真集も赤字だったけど、それだけではなくて。

なんていう「イタイ」経験があるので、電子出版にはいまひとつ、事業として乗り切れない。だから、アイデアはあるけど、言ってるだけ。誰かがやってくれるなら、コンテンツは提供しますよ。

――新しい形態で展開していくと面白そうですね。


中川右介氏: 電子出版の思いつき企画としては、何十年も前の絶版になった本や、出版社も倒産してどこにあるか分からないような本は、どんどん電子化していった方が、かえっていいような気がします。

自分が知りたいことをとことん追求する


――最後に中川さんの今後の展望を伺えますか?


中川右介氏: 今までどおり、考えないで行き当たりばったりですね(笑)。だから、来月になったら、「これからは電子書籍だ」と言っているかもしれない。だいたい、計画したって計画通りいかないんだから。たとえば、著者に何月までに書いてくれと頼み、約束してもらっても、そのとおりに原稿が来ないという、そういうレベルでも、計画を立てても、その通りにいかない。まして、出した本が計画通りに売れるがなんて、まったく分からない。自分で書く本にしても、300枚でおさまるつもりが、500枚買いても終わらないで迷惑かけたりとか。ほんとに綱渡りですよ、常に。

こう言うと、何か、高慢というか、思い上がっているかもしれないけれども、結局は自分が知りたいと思っていることを調べて、まとめて、本にしているだけなんです。アルファベータで出す本も、自分が読みたいものを出している。だから「これが売れるだろうと」思ってやっているわけではない。そういう風にマーケットを見ているわけじゃないし、見たってしょうがないだろうって思ってるんですね。
出版は文化かどうか分からないけれど、娯楽は娯楽なんですよね。だから、考えて決めるんじゃなくて、行き当たりばったりでこれからもやっていきたいなって思っています。問題は、それがいつまで続けられるかですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 中川右介

この著者のタグ: 『働き方』 『可能性』 『音楽』 『カメラ』 『メディア』

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