綿本彰

Profile

大阪生まれ。幼い頃より、父であり、同協会の名誉会長である故綿本昇師からヨガを学ぶ。神戸大学システム工学科卒業後、インドに渡り各地でヨガ、アーユルヴェーダを研修し、帰国後同師に師事しながら、1994年にヨガの指導をスタート。2000年以降は、ロサンゼルスやニューヨーク、ロンドンなど、世界各地で様々なスタイルのヨーガを研修。2003年、日本初となるパワーヨガ専門スタジオ「綿本パワーヨガスタジオ」をオープン。現在は、トラディショナルスタイルのスタジオと合併して総合ヨガスタジオとし、同スタジオにてヨガの指導、指導者の育成にあたる。より多くの方にヨガの魅力を伝えるため、様々な切り口で出版物をリリースし、同時にテレビや雑誌などを通して、積極的にヨーガの普及を行っている。
【HP】http://www.yoga.jp/

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ヨガ発展の可能性を秘めた電子書籍にドキドキ感



ヨガのトレーナーとして、東京・中央区で「綿本ヨーガスタジオ」を運営する綿本彰さん。ヨガ発祥の地であるインドで修業し、またアメリカでヨガと現代的な身体理論、心理学等を融合した「パワーヨガ」を習得。近年のヨガブームの火付け役となりました。書籍や映像メディアでもヨガの普及活動に努めている綿本さんに、ヨガの魅力やご自身がヨガを通して得たもの、そして執筆活動について伺いました。

陰と陽、多種多様なヨガの世界


――現在運営されているスタジオについてお聞かせいただけますか?


綿本彰氏: 私は2代目で、先代の父が1979年からヨガスクールをやっていまして、私は1994年から指導に加わり、2003年にパワーヨガ専門スタジオを銀座にオープンしました。

――ヨガは近年ブームになっていますね。


綿本彰氏: 2003年ごろにブームの火付け役になったのがパワーヨガです。それ以前、ヨガに対する誤解が世間に強くありましたので、ヨガのイメージアップとして、どういう活動をしてけばいいかということを考えていたところ、アメリカを中心にパワーヨガというものがはやっているということを耳にして学びに行きました。パワーヨガにけん引されるようにして、サウナのような室内で身体を動かすホットヨガなど、様々なヨガのブームが起こっていったんです。いま私のスタジオでは、パワーヨガのほか古典的なヨガもミックスしてやっています。

――パワーヨガのほか、どのようなヨガが注目されているのでしょうか?


綿本彰氏: 激しいヨガが幅広く定着していって、その反動というんでしょうか。静かなヨガ、くつろぎ系のヨガが広がってきているように感じています。ひとつのポーズを5分間ほどキープするヨガであったり、20分くつろいだままのヨガもあります。陰陽でいうと、陰のヨガは広がり方もやっぱり地味で、少しずつ広がってきているというのが現在の印象ですね。それに加え、様々なスタイルのヨガが日本中で行われているという状況になっています。
ラーメンに例えると、昔はラーメンといえば、しょう油、味噌、そして博多ラーメンくらいしかなかった。ところがいまはもう色々なものが生まれてきていますよね。世界には様々なヨガがあり、それを日本でカスタマイズして、多様化しているのが現在の動きです。その中で大きな流れとしては、陽のブームから陰、落ち着けて、リラックスするタイプのヨガが幅を利かせ始めているといって良いと思います。

ヨガから離れ、思索する中で見えてきたもの


――綿本さんはお父さまの影響も受けていらっしゃると思いますが、小さなころからヨガをされていたのでしょうか?


綿本彰氏: もちろん父の影響もあるのですが、ヨガは単なる体の動き、体操的なものだけではなくて、哲学を含んでいるのですけれども、小さいころはそういう哲学的な部分を一切なくして、柔軟体操みたいに色々ポーズをやらされていたくらいなので、そういった哲学的な意味での影響は受けなかったですね。中学くらいで、自分は皆がやってないことをやっているのだという自覚が芽生え始めて、むしろその反発としてだんだんヨガから遠ざかっていったんです。

――大学で工学の勉強をされたのも、ヨガから離れていったことの現れなのでしょうか?


綿本彰氏: そうですね。でも離れて行ったと同時に戻って来るきっかけもそこにありました。というのは私は子どものころから死に対してすごく恐怖心を抱いていて、「死って何だろうか」とか、「時間って何だろうか」っていうことを小学生のころからずっと考え続けていたんですね。「自分」の1番のありどころっていうんでしょうか。



例えば「腕を失っても足を失っても心臓を取り換えても自分は変わらないだろう、ではどこが自分なのだろうか」ということについてなど、色々考えていく中で、もしコンピューターが自我を持つとしたら、その自我を持つプロセスで、自分というものの所在を突き止めることができるんじゃないかなと思って、人工知能に興味を持ちました。ただ今から思えば、私は工学部じゃなくて、理学部に進むべきだったんですけどね。大学ではそういう失敗もあって、結局これといって成果はありませんでした。でも、そういう自分って何だろうかという探求をずっとテーマとして持っていたのは確かです。
それから、ネクタイを締めて働いていたんですけれど、その会社で、父とは関係ない営業先の人から、「この本を読んでみたら」って言われたものがインド哲学の本だったんです。それを読んで、「自分の探してたものはここにあったんだ」と。まさに灯台下暗しですね。幸いにして父もやっているし、私自身も昔やっていたし、しかも修行と称してインドに行けるかも、なんて邪なことが頭をよぎったりしまして。そういうものが全て合致して、そこからどっぷりとヨガの世界の人間になったという感じですね。

――自分のやりたいことに気づく瞬間があったんですね。


綿本彰氏: 自分のそれからの人生が、カチッと音がたてて確定したという感じです。「ここが自分の歩むべき道だ」というものが半日で決まりました。夕方くらいにその本を読んで、もう夜中のうちに自分の生き方を企画書にしたんです。忘れもしない、1993年6月23日です。それからは本当にぶれたことはないですね。

――なぜその時にヨガを再発見して、自分の道を見いだすことができたのでしょうか?


綿本彰氏: 漠然とした方向性はあったんですが、それが何か分からないという、模索の時期がずっと続いて、大げさに言えば、小学生のころからずっとくすぶってきました。その経緯があればこそ着火したんだと思います。くすぶってなければ爆発もしなかったでしょうね。私の好きな言葉に「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。やれるだけのことはやって、後はもう何かが来るのを待つしかないという感じだったのだと思います。あらかじめ何かを仕込んでおく必要はあって、その後にやって来たものと化学反応が起きるという感じですよね。

自分の力を内側から引き出す


――やりたいことが分からない、くすぶっていると感じている読者の方々もいらっしゃるのではないかと思いますが、アドバイスをするとするとどういったことになりますか?


綿本彰氏: 現代は、「自分はまさにこれがやりたい」というものを見つけにくい時代ではないかと思うんです。なぜなら選択肢が多過ぎるからです。選択肢が多いとどれを選んでいいか分からない。例えば2択だったとすると、すごく重い選択ですから、腹をくくって、「こっちの道」という風に選ぶことはできると思うんです。でも選択肢が多過ぎると私たちは非常に迷ってしまうし、1つ1つを手軽に手に取れるので、1つに対する重みも小さくなってしまいます。そういう意味で自分の居場所、自分の分を果たすべき場所というものを探しにくい時代です。



でも私はきっと見つかると思います。それが見つかるまで、自分自身への問いかけであったりとか、自分が何がしたいのか、何ができるのか、何をやってる時が楽しいかということの模索を続けていただきたいっていうことが1つですね。閉塞感漂うこの時代の中で、心も体も病んでいるというか、ちょっと調子の悪い方が非常に多いと思いますので、そういう方にこそ、ヨガをやってほしいとも思います。

――ヨガは単なる健康法ではないのですね。抽象的な質問なのですが、ヨガとは一言でいうと何を目的としたメソッドなのでしょうか?


綿本彰氏: 「生きるための薬」という言い方ができると思っています。つまり、生きる上で、健康であるということが1つのベースで、良い意味での美しさも生きることの1つの材料になりますし、仕事とどう向き合うのか、あるいは人間関係、コミュニケーションの問題、生きる意欲であったりがかかわってきます。それらを全て含めて、どう生きるのかの答えだと言い切れるものがヨガの中にあるんですね。ただ答えとはいっても、どういう風にすれば健康になるのか、美しくなれるのか、仕事のスキルアップをすることができるのか、コミュニケーション能力をアップすることができるのか。ひいては自分の居場所をどうやったら見つけることができるのかということを、ヨガでは決め込んでないんです。「こういう風に生きなさい」じゃなくて、生き方を自分の中から引き出していくための方法論を提示してくれているんです。

――様々な分野の第一人者がヨガから示唆を得ているという話はよく聞きますが、それはなぜなのでしょうか?


綿本彰氏: ヨガの根幹にあるのは瞑想、メディテーションです。メディテーションというのは禅と同じなのですが、よく会社の重い役職に就いていらっしゃる方が禅が好きだとかいう風に言いますけれども、そういう風に、自分の内側からどういう風に答えを引き出すかをヨガでは教えてくれるんです。「これが答えです!」と言ってしまうと宗教になってしまうかもしれない。そうじゃなくて、その答えを自分の内側から引き出す方法をヨガは教えてくれているんですね。

――きっかけが肩こりやダイエットであっても、それが様々な力につながっていくということですか?


綿本彰氏: そうですね。色々なつながり方があります。肩こり解消とか、腰痛解消とか、おなかの肉をとりたいとか、そして自分の人生としっかり向き合いたいということなど、生きていく上でおおよそ考えられる限り全ての物事とヨガは結び付くチャネルを持っているんです。ですから非常に広く浸透してるっていうのがあるでしょうね。しかも一過性で終わらない。「何々ダイエット」のようなものが流行するのとは違って、4000年、5000年続いて途切れなかったメソッドが持つパワー、深さがあります。もちろん相性もあると思うんですが、やはりヨガに人生の中で一度は触れていただきたいと思いますね。

――体質や性質によってその方に合うような様々な方法があるのでしょうか?


綿本彰氏: そうですね。疲れている方には、動けと言っても響かないでしょうし、イライラしている人にじっとしろと言っても響かないでしょう。どういう運動量であるかとか、どういうアプローチなのか、どういう効果を前面に押し出しているのかとか、ヨガは百面相みたいに様々な要素を持っていますね。そんな風にとってもフレキシブルだからこそ強いし、私は好きなんですね。

電子書籍の可能性は双方向性にある


――綿本さんは、スタジオでの指導はもちろん、著書も多数ありますね。本は綿本さんにとってどういう存在ですか?


綿本彰氏: 自分の著作物が世に出て数年して、それを読んでいる、あるいは実践しているっていう方々と出会った時に、自分のやっていることの重さを知ったんです。例えば、ガンの手術の日に私の本を読んで支えになったとか、自律神経をやられてしまって、人生がふさがれたところから活路を見いだしたとか、そういうことを言っていただいた時に、私が書く1文字1文字にどれだけの重みがあるかを知ったんです。
それまで何万部刷ったとか売れたとか、数字でしか知ることができなかったんですが、その何万人の中のたった1人と出会っただけで、読者の方の気持ちが伝わってきました。私がやっていることは、人生を左右することかもしれないという重さに触れて、あらためてこれは魂を込めなきゃいけないなっていう思いで、1字1句、何回も何十回も読み直して修正するようになりました。
プランニングを承諾する時から吟味して、吟味したものを破いてまた吟味してという、そんな感じですね。書いている瞬間にできる限りの最大限のものをそこに込めて、妥協しないということをずっと考えています。

――綿本さんは、電子書籍をお読みになったことはありますか?


綿本彰氏: 私はほとんどないですね。そもそもあまり本を読まないんです。電子書籍も紙の本も、一応買うには買ってはいますが、用途としては自分から発信する際に、自分の理屈を補強したり検証したり、材料を集めるために必要があって読むという感じですね。

――綿本さんはDVDなどの映像メディアも製作されていますが、電子媒体の映像との親和性の高さなど、可能性についてはどう思われますか?


綿本彰氏: それはありますね。特にヨガは、映像と引っ付きやすいですからね。もう1つあるのはインタラクティブ性で、その人に合ったポーズの流れであったり、パターンであったり、ヨガはカスタマイズが必須ではないけれども、すごく有効なんです。また単に文字として読むのではなく、音声で読み上げてくれたりとか、理屈とノウハウを伝えるだけではない特質を考えると、やはり電子媒体というのは大きいですね。ヨガがさらに良いかたちで浸透していく1つのツールになってくれるようなドキドキ感があります。

ヨガの本質を伝えるため、「枠組み」を超える


――最後に、今後ヨガの発展、普及のために構想していることがあればお教えください。


綿本彰氏: ヨガという名前の付かない、あるいは一般の人が考えるヨガの枠組みを超えたヨガを提供していきたいと思ってます。ヨガというと、体を動かすものというイメージがありますし、ヨガという名前が付くだけで、興味の外にあるものという風に思われる方も多いと思うんですね。でもヨガを本当に深めていくと、ヨガというのは決してポーズだけじゃない。ポーズは1つのツール、パイプ、チャネルであって、意欲的に、しかも自分だけのことを考えるのではなく柔軟に生きるというヨガが目指そうとしている「充実した生」は、必ずしもポーズだけで得られるものではないんです。



例えばある映画がすごく心に触れて、「よし、自分はこういう風に生きていくぞ」っていう気持ちになる。主人公の気持ちが伝わってきて、自分の心にも軸が通っているようになったりする。私にとって、というか本来のヨガにとっては、それこそが「ヨガ」なんです。だから映画であろうが物語であろうが、あるいは風景であったり、音楽であったり、そういう色々な素材がヨガを助け、ヨガが目指そうとしているところにつなげていってくれるものになりうると思っているんですね。だから私はヨガの枠組みを取り壊して、ヨガという名前を付けずにヨガを伝えたいと思ってます。

――電子媒体の双方向性は、そういった試みにもプラスになるでしょうか?


綿本彰氏: そうですね。例えば、好きな人に抱きついたら良い香りがした。その時にはどんな感じがするでしょうか。何かほわっとして、呼吸もゆったりしますよね。コンピューターに向かって原稿の締め切りに迫られている時の呼吸とは対極にあります。ですから、電子媒体で、男性なら女性、女性なら男性とかに読んでもらう朗読が付いていたりとか、ビジュアルも付けたりすれば、余計にリアルにイメージできて、ふさぎ込んでいたものがオープンになったりする。インタラクティブな媒体であれば、その人に合ったカスタマイズによって、より的確に、ものを投げかけたり、施したりすることができるんじゃないかなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 綿本彰

この著者のタグ: 『哲学』 『考え方』 『生き方』 『可能性』 『人工知能』 『禅』 『ヨガ』 『引き出す』 『メディテーション』

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