門田隆将

Profile

1958年、高知県生まれ。大学卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部で政治・経済・歴史・事件などの様々な分野でスクープをものにする。特に、少年事件においては、神戸で起きた酒鬼薔薇事件の被害者遺族の手記を発掘するなど、少年法改正に大きな役割を果たした。2008年4月にフリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家として独立。NHK土曜ドラマ「フルスイング」の原案となった「甲子園への遺言」や、光市母子殺害事件を描いた『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』は、共に10万部を超えるベストセラーになっている。

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取材は魂と魂の揺さぶり合いである



中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部に配属され、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。デスク時代から『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)『甲子園への遺言—伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』(講談社)、『ハンカチ王子と老エース』(講談社)などを出版、最近では、『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮社)、『太平洋戦争 最後の証言』(小学館)、『尾根のかなたに―父と息子の日航機墜落事故―』(小学館)、福島原発を描いた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)など、戦争や事件、事故の真実に迫るノンフィクションを次々と執筆している。今回は門田さんに、ノンフィクションとは、そして門田さんにとっての電子書籍のあり方などを伺いました。

メインテーマはただ一つ、描く人のジャンルはスポーツから歴史まで多岐にわたる


――早速ですが、最近はどのような活動をされていますか?


門田隆将氏: 今年中にノンフィクション2冊と、新書系の本、あるいは文庫なども出すつもりで、締切に追われています。ノンフィクションというジャンルは「取材が全て」ですので、できるだけ人に会わないといけない。やらなくてはいけないことが多いので、頭の中を小分けして整理しながら仕事をしています。

私のテーマは、毅然と生きた日本人像をノンフィクションとして描くことです。毅然と生きる日本人はスポーツの世界や歴史、事件、事故の当事者……等々、様々な分野にいらっしゃる。メインテーマは1つですが、ジャンルが多岐にわたっているわけです。多くの分野を描くことは私にとっては不思議なことではありません。『週刊新潮』でデスクを18年間務めて、特集記事を700本以上、あらゆるジャンルの記事を書きました。私のように週刊誌の特集記事をこれだけたくさん書いたデスクやアンカーマンは珍しいと思います。

――あらゆるジャンルで記事を執筆されるのは、すごいですね。執筆する時に心がけていらっしゃることはありますか?


門田隆将氏: 戦争物も多く書きましたが、一言で戦争と言っても色々なものがある。専門家の本も参考にはしますが、私の書くものはあくまでもノンフィクションなので、当事者の証言、あるいは日記、手記を元に人間を描き出していく作業です。そのために、膨大な取材と資料分析が必要です。
1つの大きな出来事があった時、その全部がネタになるわけではない。そこに素晴らしい生きざまをしている人が存在し、埋もれていた感動のあるドラマがある。自分自身が取材の中で、魂が揺さぶられることがない場合は、あえて作品にはしない場合もあります。
私の本で単行本化された物語は、ふるいにかけられて、より素晴らしい人間ドラマが残ったものが多いですね。埋もれていた事実や生きざまを掘り起こす。そこが、ノンフィクションの面白さでもあり、ジャーナリズムの醍醐味でもありますが、感動の次に何を重視するかと言われると、やはりスクープ性だと思います。
例えば私の本で『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡-』を執筆する時に、根本博さんという方は、国共内戦の最末期、金門島における戦いで軍事顧問として作戦を立案し、中国共産軍を撃破し、台湾を救ったのですが、この方の功績がすでに広く知られていたのであれば、これほど深く突っ込んでいったかどうかはわかりません。調べてみたら、台湾の国民党政府が根本さんの功績を封殺し、歴史に埋もれていたところにスクープ性がありました。なんとしてもこの秘史を掘り起こさなければと、より一生懸命調べました。

ノンフィクションは虚構のないもの、小説とは違う



門田隆将氏: ノンフィクションと小説は全く成り立ちが違います。小説というのは作家が頭の中で創作していくものです。ノンフィクションというのは全く逆で、言ってみれば、つるはしで地中に向かって掘っていき、その結果、鉱脈に行き当たるかどうかというものです。そして、取材し尽くして、なんとか真実にたどり着こうとする。
ノンフィクションは、いうまでもなく当事者を“説得”し、取材に応じてもらわなければなりません。そのために、あらゆる方法でアプローチし、取材源にたどりつきます。だから『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』についても、この本ができるかどうかは、当事者の吉田昌郎さんを説得できるかどうかにかかっていました。この人が取材に応じてくれるかどうか、ということです。吉田さんという人間を徹底的に調査し、恩人は誰か、親友は誰か、あるいは吉田さんが「この人の言うことなら耳を傾ける」という人は誰か……等を徹底的に研究しました。そしてその結果わかった何本ものルートを使って吉田さんにアプローチしました。吉田さんご本人とお話しできるまで、1年数か月かかりましたよ。その末に会うことができた吉田さんは「門田さん、私は何でも答えますから、もし、なにかまずいことがあったら、門田さんの方でカットしてください」とおっしゃった。すごい人だった。私は、東京電力にこんな太っ腹の人間がいたのかと、びっくりしました。

――吉田さんにそういう言葉を言わしめた門田さんもすごいと思いますが。


門田隆将氏: 私は吉田さんに、「この事故は、日本の年表に太字で書かれるようなものです。どうしても日本の将来に真実を残さなければいけない。私やあなたが死んでも、孫やひ孫の代に残る本を書きますので、私に話すのではなく、歴史に向かって話してください」とお願いしたんです。それで、吉田さんに、私がなぜこの本を書きたかったかということを話したんです。「私のノンフィクションは色々なジャンルのものがあるけれど、何かが起きている瞬間、その本人に代わってその場に身を置いてみるというのが私のノンフィクションの基本なんです」と。「例えばガダルカナルの戦いだったら、“血染めの丘”に自分が行って、土も岩も石も全部を巻き上げるあの猛烈な敵の射撃の中で突撃できるかとか、その時と場所に身を置いて想像してみるんです」と。



「今回の原発事故の中で全電源が喪失して、注水不能になって、津波でもう下は全部破壊されて、放射線量が増加している状態だったと。それを想像しただけで怖くなった。そんな真っ暗闇の中を懐中電灯で階段を10段、15段下りて、その先に広がっているあの放射能汚染の中へ入って、バルブを開けに行ったのは一体どんな人間なんだ。どこまで腹が据わっているんだ。彼らは命を懸けて突入している。この使命感と責任感を持った人ってどんな人なのか。いま東電バッシングみたいな中で、その人たちの息遣いも聞こえて来なければ顔も見えてこない。どんな男たちがこれをやったんだっていうことを、私は知りたくて仕方がない」と、そう伝えました。
それは、私がそんなことはできないからです。とてもじゃないですが、階段を3段5段以上降りる勇気はないということを、吉田さんが来た時にもあらためて伝えましたね。

――すごいですね。


門田隆将氏: それで彼が事故に関して色々な話をしてくれる中で、一緒に死ぬ人間の顔を思い浮かべるシーンだとか、そういう話を淡々としてくれたんですね。私は聞いていてもう背筋が寒くなりました。「本当に日本は危なかったんだな」と。
それで、吉田さんの部下の方にも、「あの時所長が吉田さんじゃなかったらどうなっていたと思いますか?」と聞いてみると、「あそこにいたのが吉田さん以外だったらダメだったと思う」ということを、ほとんどの人が言った。それを聞いて私はまた背筋が寒くなりました。吉田さんもまた、「あの時に1、2号機の当直長に伊沢郁夫がいてくれたのは有り難かった。あの男は単に技術とか何とかじゃなくて腹が据わっているし、心持ちも含めて、ありとあらゆる面で抜群なんだ。あの男がたまたま1、2号機の当直長として、最悪の状況の中でいてくれたことは、本当に助かりました」ってしみじみ言うわけです。こっちも天の配剤、こっちも天の配剤で、掛け合わせたら日本が助かる率は一体どのくらいだったのだろうと思ってゾッとしました。

――そういう事実も、やはり門田さんが光を当てないと埋もれてしまうのですね。


門田隆将氏: そうですね。ちょっと難しかったでしょうね。

小学4年生の時からジャーナリストになりたいと思っていた


――どの様にして門田さんがいまのようになられたかを伺いたいと思います。いつ頃からジャーナリストを目指すようになりましたか?


門田隆将氏: 私は、小学校4年の時からジャーナリストになろうと思っていたんです。スポーツをするのも見るのも大好きで、よく高知新聞のスポーツ面を読んでいたんですが、自分がその試合を見て感じたことと、スポーツ面の記事が違う。そのころからスポーツ欄の注目の記事のスクラップを始めました。そうすると、小学校高学年から中学生になっていくにつれて、「やはり違う」という違和感が強まっていった。
私は色々な本も読んでいて、雑誌の『ボクシングマガジン』も定期購読していたんです。そうしたら中2か中3くらいの時に、ハワイで行われた世界ジュニアライト級タイトルマッチのベン・ビラフロア対上原康恒の試合で、上原がベン・ビラフロアの左の強烈なアッパーをくらって、2ラウンドでノックアウトされた。私は、「上原ほどの男が何でやられたんだろう」と、釈然としなかったんです。私は、上原は勝てると思っていた。確かにパンチ力はビラフロアが上かもしれないが、上原もパンチ力はあるし、テクニックで言えば上原が数段上だった。新聞にも試合の解説は出たのですが、納得できるものはなかった。
すると、数週間後に届いた『ボクシングマガジン』でノンフィクション作家の佐瀬稔さんが、その試合をレポートしていたんです。たった4、5分で終わった試合について、佐瀬稔さんが5ページか6ページにわたって大レポートを書いていた。私はそれを読んだ時にびっくりしたんですね。「ああ!」って。「これこそがジャーナリズムなんだ」という風に思いました。

上原VSビラフロアの真実



門田隆将氏: 上原とビラフロアの試合は、ホノルルで行われたんですが、実はホノルルという場所は、上原が若い時に修行していたカラカウアジムがあるところなんです。上原が世界のトップ挑戦者になって、再びカラカウアジムに現れた場面から佐瀬さんのレポートは始まっている。上原に注がれる元の仲間たちからの羨望、嫉妬の視線を佐瀬さんが描写しているんです。その雰囲気を感じて、上原自身が気負った練習をする様になる、それが普段の冷静なトレーニングと違っていて、その様子に懸念を感じたそうです。そして、いざタイトルマッチのリングに上がった時に上原はすごいスピードでシャドーボクシングを激しくおこなった。それで、「これは…」と佐瀬さんも感じたと。上原にパンチ力があるにしても、最初から打ち合ったら相手の思うつぼになるわけですから。
佐瀬さんは、彼を普段の上原と違うものにしていた雰囲気と上原の気負いを、レポートで淡々と書いていくわけです。試合自体の描写は少なくて、上原の心理描写と、佐瀬さんが試合前に上原自身にインタビューした時の様子が書かれていて、ビラフロアにノックアウトされてレポートは終わる。その文章を読んだ時に「ああ、すごいな」と。同じ試合を見ても、見る人の力やセンス、感性によって全く違うものが、つまり“真実”があぶり出せるということを、その時私は知りました。1つの光の当て方、そして感性、それこそが1番重要なことなんだと。中学生のころでしたが、それはあまりに強烈なものでしたね。

あこがれの佐瀬氏に会って、伝えたこと



門田隆将氏: 私が『週刊新潮』に入ってからね、佐瀬さんと1回お会いしたことがあるんです。その時に、「私はあなたを目標にしているんです」と言ったら、「え!」と驚かれて。「ベン・ビラフロアと上原の試合のレポートを読んで、初めて上原がああいうノックアウト負けをした理由というものもわかったし、色々な物事を見る視点というものを教えられました」って言ったら、にやーっとされてね(笑)。
私は彼の「金属バット殺人事件」を含めて、色々な本を読んでいますが、彼にとっても初期にあたるそのレポートの感想をそこまで詳しく、時間が経っているのに言う人は少ないでしょうから。その時佐瀬さんは「僕は物事を見る時に、こういう見方で良いのだろうか、ほかには何かないのだろうかっていつも思っているんですよ」っておっしゃってね。すごくうれしそうな顔をしてくれたのを覚えています(笑)

ノンフィクションのライターは言葉を飾らない



門田隆将氏: 『週刊新潮』では、デスクが特集記事を書くんですが、私がそのデスクになった時、当時の山田彦彌編集長に、「お前の文章はくどい、文章は、飾ったらダメだ。お前は森鴎外を読め」って言われました。私は、どちらかというとスクープを取ってくるタイプの記者だったんですが、文章がくどくて、これでは読者がつかないと案じられたのでしょう。森鴎外の作品は『高瀬舟』や『阿部一族』『舞姫』も素晴らしい作品なので昔から読んでいたんですけれど、あらためて読み直しました。そうしたら、たしかに森鴎外は文章を飾っていないことに気づきました。

――そうなのですね。




門田隆将氏: 山田編集長は、とにかく「わかりやすく、読者に易しく、言葉を飾らず書いていけ」と仰った。私は最年少で山田さんにデスクにしてもらったので、そのために700本を越える膨大な数の特集記事を書く様なことになったんですが、それからは、くどい文章がないように、徹底的に気をつけました。だから、「だーっと一気に読みました」という読者の感想が、私は一番うれしいですね。昔、『週刊新潮』全盛のころは特集記事でも、6ページくらいの記事が多かったんですけれど、そういうものを私が担当していました。文章は淀んだらいけないんです。だから言葉を飾らずに、あるがままに表現するということをずっと続けてきたんですね。

取材がうまく行った時には、できるだけ自分を殺す



門田隆将氏: ノンフィクションは一人称ノンフィクションと三人称ノンフィクションがあるのですが、取材が詳細にできた場合は、できるだけ自分を殺して三人称ノンフィクションで描きます。主役はあくまで題材として取り上げた当事者その人であり、そしてもう1人の主役は読者です。その間に自分というライターが入るわけですが、そこで「私が私が」とライターが前面的に出てきたら、両方に不親切になってしまう。読みやすく、直接感動が読者に伝わる様に事実を客観描写していくという手法を私はとっています。しかし、取材がいつも完ぺきにできるとは限らない。例えば、取材対象者にその時の情景や心理などを具体的に聞いていきます。きちんと聞けた場合は、描写はもちろん細かくなります。けれども必ずしもそこまで取材ができなかった場合は、どうしても一人称の私が出て来ないともたない。「その時、私はこう思った」式に、違うところで盛り上げていかないといけない。私ももちろん一人称ノンフィクションを書きます。でもその時は、「ああ、これは取材が詳細にできなかったな」ということかもしれませんね(笑)。

――何人称かを見ると、それがわかるわけですね。


門田隆将氏: 取材というのは魂と魂の揺さぶり合いですので、自分の全人格を懸けて相手にぶつかっていって心を開いてもらわないと心の奥底は聞けない。それができた時はいいのですが、それには様々な条件があるし、時間的な制約もある。だから私はノンフィクション作家の方が書かれているレポートを「いやぁ、ご苦労されたんだなぁ」と思いながら読みます(笑)。

電子書籍で、海外にも読者を広げる


――今回は電子書籍のお話も伺いたいのですが、ご自身で電子書籍の利用はされていますか?


門田隆将氏: 私自身は利用をしていないんですが、友達に特派員や駐在員が結構多くて、彼らから「お前の本は電子書籍化されてないので海外で読めない」とクレームが来ます(笑)。私自身はやはり紙の本自体が好きだし、出し続けてほしいとは思いますが、海外で読めない人が、電子書籍化されたことによって手に入るようになることは、素晴らしいことだと思います。だから電子書籍について、バッテンではないんです。
海外の読者という点では、私の本に『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』というものがあって、日系2世でゼロ戦に乗って祖国アメリカに特攻していく男の物語なんですが、たまたまブラジルの日本人会の人からこんな連絡が来たことがあるんです。なんでも日本会議が出している冊子がブラジルの日本人会に届き、そこで私の本の存在をたまたま知ったそうです。その人は、「ここで書かれているのは、自分のおじさんのことだ」と気づいたらしいんです。その人自身は移民でブラジルに渡って60年以上たち、親せきとも音信不通になってしまっている。だから、私に伝手を頼って連絡が来て、それから半年後ぐらいに、わざわざブラジルから私の東京の事務所にやって来られたんです。

――すごいことですね。


門田隆将氏: それで、その方は「門田さんの本のおかげで、叔父が特攻でどういう風に死んでいって、最後にどういう言葉を残したかということが初めてわかりました」と仰った。それで私がその方のアメリカのご親戚にも連絡を取って、その人はその後アメリカにも行って、ご親戚と70年ぶりの再会を果たすという出来事がありました。私はそれを見て、「ああ、すごいな」と思いました。
海外にいる人というのは、そのくらい日本の書籍には触れられなくて、色々なものから関係が途絶している。たまたま、この方は日本会議の冊子のおかげで、遠いブラジルの地でも私の本の存在を知ったのですが、本が全て電子書籍化されたら、たとえ地球の裏側にいても、私の著作が読めるようになるわけです。せっかく一生懸命取材して、ノンフィクションを書かせてもらっているので、一人でも多くの人に読んでほしいと思っています。だから電子書籍には頑張ってほしいと思います。取材で、海外や日本の田舎にも行きますが、海外には書店が少ないし高い。田舎の書店も小さいし置いている冊数が少ないから、もう電子書籍市場は社会の要請として「大きくならざるを得ない」と思いますね。

――今後の展望についてお伺いできればと思います。


門田隆将氏: 今後も、やはり毅然と生きた人々の姿を描いていきたいと思うんです。それは何かというと、多くの人が絶望や挫折をして、色々なところに迷い込む。迷い込んだ時にノンフィクションを読んだら、こんな絶望の中から、はい上がった勇気を持つ人たちがいるとか、こんな逆境におとしめられても日本や家族、故郷を救うために立ち向かった人がいるんだとか、そういうところを読んでくれたら、やはり勇気を持つことができると思うんです。そういう真実は、作家が小説で書くのとは違うと思います。今日本人が弱くなったと言われているけども、震災の中、あれほどの絶望を経験しても、それでもはい上がろうとしている人たちもいる。そういう人たちのためにもできるだけ「毅然と生きた人たち」の実例を、今後も自分の力で掘り起こしていきたいと思います。



司法についても書いていきたい



門田隆将氏: 今後書きたいテーマは、司法についてです。『裁判官が日本を滅ぼす』とか『なぜ君は絶望と闘えたのか』という私の作品は司法の本なんです。『裁判官が日本を滅ぼす』をなぜ書いたかというと、日本の官僚裁判官制度というのは最悪の状態に来ていたわけです。裁判官が公務員という国民の奉仕者である意識を忘れ、驕り高ぶり、相場主義で、個別の事案も見ず、形式的に次から次に案件を処理していく悪弊に陥っていました。民事裁判も同じです。最近、私も東京地裁でとんでもない判決を受けました。ジャーナリズムの現場をまるで理解できない官僚裁判官によって、言論・表現の自由の範囲がどんどん狭められているのです。小渕内閣の時にできた司法制度改革審議会が司法改革のために出した最終意見書が、小渕さんの死後の2001年に出ました。そこに小渕さんの遺言とも言うべき下りがあります。「裁判の過程に国民が参加し、一般国民の健全な社会常識を裁判の内容に生かす」という言葉です。これが、今の裁判員制度につながる提言となりました。いま刑事裁判の分野では、国民の参加によって、さまざまなものが是正されてきています。しかし、民事裁判には、全く国民の健全な常識というものが生かされていないので、やはり司法のこともこれから書いていかなければいけないと思っています。

ノンフィクションを書く仕事は10K以上、でもやりがいはものすごくある



門田隆将氏: いま、ノンフィクションの世界ぐらい悲惨な世界は少ないでしょう。まず取材にお金や手間暇が掛かる。それでいて総合誌はどんどん廃刊になっていって発表媒体も減る一方です。昔、『文藝春秋』や『現代』、『中央公論』とか総合誌が全盛のころは、取材費にも余裕があって色々やれたんだけども、いまそういうことができなくなっている。昔はそれこそ取材記者ということで何人もの人たちが色々動きながら、単行本を出したりしていたけれど、全てがいま無くなってきています。でも、ノンフィクションという分野はものすごくやりがいのある世界なんです。10K以上の厳しい仕事ですが、けれどもこの仕事は、事実を掘り起こしていって、人間の根源を描くことができる。問題に目をつけるセンスと感受性とネットワークがあって、さらに掘り起こす意欲さえあれば、とてもやりがいがあると思います。そんなジャンルに沢山の若い人に入って来て欲しいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 門田隆将

この著者のタグ: 『ジャーナリスト』 『ノンフィクション』 『現場』 『取材』 『テーマ』

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