中学のころに読んだ本は捨てられない
――喜国さんは、「本棚探偵」シリーズがあるほどの古書好きでいらっしゃいますが、電子書籍についてはどんなふうにお考えですか?
喜国雅彦氏: 今の時代、住宅事情を考えると、電子書籍の意味は大きいですね。本は買いたいんだけど置くスペースがない。そういうときに電子書籍は最高です。Kindleがひとつあれば、いくらでも買えるんですから。あと老眼になって判るのは、電子書籍で文字が大きくなるありがたみですね。あれは助かります。
ただ、僕が古書を好きなのは、それとは違った意味があります。そこでしか読めない絶版を読む、というのはありますが、古書がもつ手触りとか匂いが好きなんです。本をなでたり、カバーをはずして裏を見ることができるとか。そういうところは電子書籍にはないアナログなよさですよね。だから、読む本は全部Kindleに入れて、さわる本や本棚に並べておきたい本を紙の本にして両立させてもいいと思います。高度成長が始まったころ、みんなが応接間に百科事典とか文学全集を並べたかったように、本棚は人の顔をあらわすし、並んでいる本の大きさや重みを感じたいというのもありますしね。
――ご自身は小さい時から本好きなお子さんでしたか?
喜国雅彦氏: うちは裕福ではなかったので「おもちゃを買って」と言えなくても、誕生日とか特別な日に、1年に1冊とか2冊とか本を買ってくれる家だったので、それを読んでいるうちに本を好きになったという感じですね。あとは学校の図書室にならんでいたポプラ社の江戸川乱歩やホームズの全集を奪い合って読んでいました。大きくなって、そのころ買えなかった本への怨みを晴らしている、という面もありますね。古書を買う理由の一つには。
――古本は、相当な数をお持ちなのですか?
喜国雅彦氏: 今、手持ちの古本を減らしているんです。というのは、震災の時にボランティアに行ったんですが、本やレコードって、持っていた人には宝物で、どんな想いがこもっていようと、泥の中に埋もれたら、もうゴミでしかないことがわかったんです。それを見た時に、自分の本を生きている間に何とかしなければと思って、50年間かけて集めた本を、残りの人生で市場に戻そうと思うようになったんです。僕がここでぱったり逝ったら、その価値がわからない家族には迷惑ですし、処分されてしまったら、僕の後に続く古本好きが困りますしね。世の中にこれだけしか数がないってわかっている希少な本は、また市場に返さなきゃいけないんです。お店で買う段階で「処分する時はまたこの店に引き取ってもらう」という約束を交わすこともあります。だから今、残すかどうかを選別する第一段階として読み返しているのですが、人生で一番本を読んでいるかもしれません。
――捨てられない本というのは、どんな本ですか?
喜国雅彦氏: 面白いか面白くないかとは別に、小さいころに読んだ本はてんびんにはかけられませんね。紙の本には思い入れという要素が加わります。それこそ、アナログならではの価値ですよね、同じ横溝正史の『悪魔の手毬唄』にしても、各社発行のを合わせると10種ほど持っているんですが、僕の中で一番おもしろく感じるのは、一番最初、中学1年の時に読んだ角川文庫版なんです。これは何があっても捨てられない。この本を買った時、少ないお小遣いの中から買ったという思い出が本に詰まっている。そうやって選ぶと、中学の時に買った本は処分できない。最後まで僕と一緒にいて、棺おけにも入ってもらおう、と思っています。中学生の僕は、古本屋さんが困るような稀覯本も買ってないので問題もありませんし。
大人になって出会った本が僕の人生を変えたと思っても、中学時代に出会ったつまらない本のほうが価値が大きい。そういうことを考えていたら、本にいつ出会うかもすごく大事だと思います。僕の中では、親が「読んでいいよ」っていう童話よりも「何を読んでいるんだ!」って、しかられた江戸川乱歩とか横溝正史のほうがいい本だと思ってそちらに夢中になっていましたが、もっと童話を読んでいたら、と思うことがあります。大人になって読む童話の味気ないこと。これを子どもの時に読んでいたら、違う人生になったのかなと思うことがよくあります。確かめることは不可能ですけどね。
「君はひとりじゃないよ」と言ってくれるのは本
―― 一言で表すと、喜国さんにとっての本はどんな存在ですか?
喜国雅彦氏: 高校生の時に、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んで、衝撃を受けました。僕は今でいうフェチだということに、自分自身で気づいてなかったんですよ。女の子の脇の下を見て喜んでいる自分はどこかおかしくて変態かもしれない、と悩んでいたのですが、谷崎を読んだ時に、自分の普段考えていることが全部そこに書いてあってたんですね。そしてまた、そういう本を書いている人が教科書に名前が載っている。友だちの家の応接間の全集に入っている。その事実が、高校生の僕に生きる自信を与えてくれたというか、「変態でも生きていていいんだ」と存在を肯定されたように思いました。『痴人の愛』という何気に読んだ1冊の本で、次の日から人生がバラ色になったんです。
本とは何か、をひとことで表すのは難しいですが、あの出会いは大きかったですね。それもあって、後に『月光の囁き』という、谷崎を意識した作品を描いたのですが、高校生の自分がもらった救いを、この作品で誰かに返せるかもと、念も込めることは忘れませんでした。最近になって「『月光の囁き』が大好きです」とか、「人生が変わりました」とか言ってくれる人に会うと嬉しくなります。「君は一人じゃないよ」と、谷崎からもらった言葉が、誰かの手に渡ったかもしれないんだなあ、って。