読む力をつけることで、本の上で「天才たち」と対話できる
西條剛央さんは、心理学者、哲学者として「構造構成主義」を創始し、体系化したことで知られています。そして、東日本大震災後に立ち上げた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」で、自らつくり出した構造構成主義の理論を被災地復興のために実践的に生かすシステムを作り上げ、成果を上げたことで注目されています。西條さんに現在の支援活動の内容、影響を受けた本、電子書籍の可能性などについて伺いました。
悲劇が二度と起こらないようにするために
――「ふんばろう東日本支援プロジェクト」では、様々な方が被災地の支援活動を行っていますが、現在西條さんは主にどのような活動をされていますか?
西條剛央氏: プロジェクトは数十ありますが、もう僕が直接かかわらなくても回るようになってきていますね。僕がかかわっているプロジェクトの中では、特に大きいのが防災プロジェクト、特に108人中74名の子どもたちが亡くなった大川小学校の調査です。なぜあのような悲劇が起きてしまったのかは解明されておらず、なぜ起きたかを現地の人も知りたがっているし、それが分からないと再発防止もできないので、悲劇が二度と起こらない様にするために明らかにして欲しいというご遺族の要望もあり、専門の質的研究法を使った論文をまとめているところです。今はメンタルの専門家の人と一緒に現地に入って、ご遺族の方々をサポートしつつ、また「大川きぼうプロジェクト」といって定期的なワークショップやお祭りなどで現地の人達が集まり、交流できるようなプロジェクトも行っています。
――現在どのくらいの数の人が「ふんばろう」のプロジェクトにかかわってらっしゃるのでしょうか?
西條剛央氏: 去年のFacebookの登録者だけだと3000人位ですが、それ以外にも参加している方はいますし、またその中でももちろん全員がいつも動いてるわけではなくて、動ける人は変わっていくところもあります。
――西條さんご自身は震災までボランティアの経験がなかったとお伺いしました。プロジェクトのスタートから生活は大きく変わりましたか?
西條剛央氏: 軸となる考え方は変わらないですが、やっていることは相当変わりました。それまではどちらかというと、研究をしたり、本を書いたり、部屋に引きこもって仕事をするタイプだったのですが、表に出て、マスコミにも全部出ようって決めてやってきましたので、振る舞いや表面的な活動は変わりましたね。ただ震災から1年以上たって、現地も落ち着き始めてるところはあるので、僕自身も自分の本来の仕事を生かして、専門の研究の方に力点を戻しつつあります。心理学とか質的研究法とかのツールや、構造構成主義とか組織心理学的な観点を、組み合わせて持っている人はそうそういないと思うので、自分じゃないとできないところ、自分の専門を生かしながらやるというかたちに変わってきてはいますね。
――ご専門である構造構成主義の考え方に基づく被災地支援の概要は、『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)などの一般向けの本でも説明されています。反響はいかがですか?
西條剛央氏: 本を読んで「ふんばろう」とか、サポータークラブに入って来る人は多いです。本でみなさんに響くところがあればと思いますね。取材に来てくださる方も、ほぼ100%本を読んで来てくださるので話が早いのというのもあります。その前は大体「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載を読んでくださる方が多かったですが、もっと体系的に「これさえ読んでもらえれば」っていうのができたと思っています。
本は雑多に読むが「無類の本好き」ではない
――西條さんご自身の読書について伺いたいと思います。ボランティアを始められてからは読書する量に変化はありましたか?
西條剛央氏: 本を読むっていうのは、僕にとってはご飯を食べたり空気を吸う様なもので、あんまり読書量とか気にしたことはないですけど、去年はやっぱりプロジェクトを立ち上げて、震災以後はがたっと減りましたよね。去年は読んでる暇が、全くとはいわないですけど殆どなかった。だけど最近はまた自分のペースを取り戻してきてるんで、適当に読んだりしてます。
――西條さんが読まれる本のジャンルとしては、専門書が多いのでしょうか?
西條剛央氏: いや、雑多です。専門の本を読むことの方が少ないかもしれないですね。適当に面白そうなものを読むことが多いです。小説も読みますし、週刊誌も読みます。『少年ジャンプ』も立ち読みしてます。ただ、学校の近くでは立ち読みしにくいですね。「先生がジャンプを読んでるよ」みたいに思われるのもなあと、知ってる人がいないかちょっとキョロキョロして(笑)。ただ、僕は無類の本好きまではいかないかもしれなくて、しょっちゅう本屋に行ってとか図書館に入り浸ってみたいなことはありません。本を集めていっぱい読むことに喜びを見いだす様なコレクターみたいなタイプではないですね。
――本を購入するときは、本屋ではなくネットで購入することが多いですか?
西條剛央氏: もちろん本屋に行くことはありますが、Amazonで買っちゃった方が早いということが多いですね。ただネットで買うと失敗することもあります。同じ本を何冊も買っちゃったりする。同じ本を買うってことは、昔も同じものに目をつけたってことですから、自分って変わんないなと思いますね。ただ新刊で買える本は、古本ではあまり買いません。Amazonとかで古本を買う人が増えると出版業界も衰退しますよね。僕のように研究費をもらえる人はちゃんと買った方がいいと思ってます。
――小説の好きなジャンル、作家さんを教えていただけますか?
西條剛央氏: 北方謙三さんの『水滸伝』とか、その後の『楊令伝』。今はその続きの『岳飛伝』(全て集英社)ですが、全部読んできましたね。北方謙三さんの本はどれくらい読んでいるだろう。4、50冊は読んでるかもしれない。たまに仕事に疲れたときとかに読んでいます。その世界観に浸ることでなんとなく癒やされたり、また自分の取り組んでいる活動と重ね合わせて何かが明晰に見えてくることがよくあるんです。
本を読むことで多様な観点を持つことができる
――人生を変える転機になった本や、影響を受けた本を挙げるとするとなんでしょう?
西條剛央氏: 僕の専門の構造構成主義という理論の中核の1つとなった科学論を作った池田清彦先生の『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)という本からは大きな影響を受けました。今は池田先生は早大の国際教養学部の教授で、同じ校舎で教えてますけど、当時池田先生は山梨大の教授で、僕は大学院生だったのですが池田先生がそもそも生きてる人なのかどうかも分からないで読みました。この本は思想的な難問、アポリアっていわれてるものを科学論レベルで解き明かしていました。誰も解くことができなかった問題を1人解いてたみたいな感じですね。これは今でも科学論の、世界の中でもダントツに本質をとらえてるというか、1番進んでるし、原理的だと思ってます。哲学だとやっぱりフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫)。あるいは竹田青嗣先生の『現象学は思考の原理である』(ちくま新書)など、構造構成主義に色々影響を与えていただいた本はありますね。
博士課程に入って構造構成主義みたいなのを作り始めたときに、科学とは何かみたいな難問に答える理論が必要になったので、色んな本を精査して、これは使えない、これはダメだなと厳しく吟味していく中で、池田先生の本は原理的でこれは普遍性がある考えだなと思わざるを得なかったんです。
――西條さんにとって本を読むことの意義、読書についてのお考えをお聞かせください。
西條剛央氏: ふつうは本を書く人ってそんなに身近にいないですよね。哲学者もそうですけど、天才っていわれる様な人の考えを知って、ある意味で対話できるチャンスですから、本を読むのはものすごい重要なことです。だから本を読む習慣はつけた方が良いと思いますね。テレビとかだと、スポンサーがいたりして、やっぱり偏ってるんですよね。地球温暖化みたいなキャンペーン張ってるときでも、本だと「そんなのウソだよ」みたいなのを、大學の先生たちがいっぱい書いていましたから、そういう考えに触れていれば、また違う観点から物事を見られます。読む力をつけることが重要ですので、日本が識字率を上げる教育を徹底したのは賢い方法だったと思います。
――読む力といえば、速読など「読書法」の本も多いですが、西條さんの読書の流儀や、本を読まれるときの心がけなどはありますか?
西條剛央氏: 読書の目的によると思いますね。小説とか、何となく読んでもいいものもあれば、これ本当かなとか、いやもっと良い考えがあるんじゃないかみたいに吟味しながら読んだ方が良いこともあります。専門の本を読むときは、まず自分なりに考えて答えをある程度出した上で読んで、ここは使えるとか、これだったら構造構成主義の方がいけるとか、吟味しながら読みます。本の著者が考えることと自分の考えを比べて、自分の答えはほかの人たちと比べてどうなのか差異化して、自分の考えでうまく行くのか行かないのか考え尽くす。それが研究者としてはある程度やらなきゃいけないことです。読む観点が決まった上で読むので、そんなに時間も掛からないですしね。僕は本を読むよりも自分で考えちゃった方が早いやって思っちゃうところもあって、調べるのはむしろ最後にやります。
ちなみに僕は辞書とかも殆ど引かないんです。本を書くときに間違えるとよくないというときに一応確認するということはしますが、今年になってから一度も引いたことがないかもしれない。分かんないなと思っても、黙ってれば分かんないってことが周りの人には分からないです(笑)。辞書は、知ってる人が読むと便利なんですけど、理解するのには向いてないんです。MBAで教え始めた頃には、ビジネス用語とかわからないものが多かったですが、やり取りを聞いてると、どうもこんな意味らしいみたいなのが文脈の中で分かってくるんです。結局言葉は文脈の中で位置付けられてくるものなので、その文脈の中で獲得していくのが本道だと思うんですよね。動いている言葉を無理やり虫ピンに止めて標本化したようなものが辞書ですからね。そもそも一度きりしか出てこない言葉は覚えなくていいということですし(笑)、何度も出てくる場合には文脈の中でなんとなくわかるようになりますし、わからなかったら気になりますから、そのときは「それってどういう意味ですか?」と聞けばいい。とはいえ、言語を短期間で学習しなければならないときや、専門の研究をする際には本は活用しないわけにはいかないので、状況と目的によりますね。
「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し」という言葉があります。要するに、考えてばっかりいても偏ったりするんで危険なところがあるんだけど、読んでばっかりいて考えなければ意味がない。浅い考えの人が読むとその枠でしか読めないので、浅い解釈にしかならない。やっぱり同じものを読んでも、洞察力を持ってる人じゃないと価値をそもそも見いだせない、あるいは1番良いエッセンスを落としてしまうということもあると思います。しかし自分で考えているだけでは独りよがりになってしまう。だから自分で感じたり考えたりすることと、本などを通して学ぶことのバランスが大事だと思います。
電子書籍で被災地支援にも可能性が
――最後に電子書籍についてもお伺いしたいのですが、西條さんは電子書籍をお読みになることはありますか?
西條剛央氏: 使ったことはないですね。ただ、僕が以前出した『被災地からの手紙 被災地への手紙 忘れない』(大和書房)を今度電子書籍で出すんですよ。大和書房さんが版権を全部譲ってくれるので出そうっていうことで。売り上げは全額支援金になります。あと英訳版とスペイン語版も作ってるんですよね。電子書籍だったら自分たちで広めちゃえばいいんで。完全にチャリティー本で、どうやって出版すればいいのかなってよく分からないまま手探りで進めようとしてるので、ぜひご協力いただけるとありがたいです。
――電子書籍を本が不足している被災地に提供して、誰でも読めるようにするのもいいかもしれませんね。
西條剛央氏: それは面白い考えですね。仮設の集会所みたいなとこにパソコンをつけるPCプロジェクトがあるのですが、一緒に電子書籍を入れて、パソコンで読める様にするというのはありかもしれません。特に子どもたちはパソコンへの順応性は高いので、ゲームだけやってるよりニーズはありますよね。被災地では本を読むときは移動図書館とかなんですよ。手軽だけど、移動してしまっていなくなったら読めませんからね。いつでも読めるっていうのは良さはありますよね。あと電子書籍の良いところは場所を取らないこと。仮設は狭いので、本を置く場所がないんですよ。集会所も限られている。場所を取らないからこそできる支援っていう意味ですごくいいですね。
――紙の本が消えるなどという声もありますが、電子書籍の可能性についてはどうお考えですか?
西條剛央氏: 僕が図書館に行かないのは本に書き込めないのが嫌だからなんですね。読み込む本には相当書き込んだり、折り目をつけたりして、本と対話しながら読み込んでいく。そういうことができないので、重要な本はなかなか電子書籍で読むのは難しいところもありますよね。電子データが立体的に出てきて、手触りもあってといった、スターウォーズの世界みたいになれば、リアルな本が必要無くなるかもしれませんが、メールがあっても手紙が無くならない様に、電子書籍というツールができて、選択肢が増えても、本自体は無くならないでしょうね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 西條剛央 』