大学とジャーナリズムが変わらなければ、日本の活字文化は滅びる
浅野健一さんは共同通信記者時代に報道のあり方を警告する本を世に問い、退社後は大学で新聞学、ジャーナリズム論を教えながら、フリージャーナリストとしても活動。特に、一貫して記者クラブ問題をはじめとする日本の報道問題を鋭く追及し続けています。浅野さんに、日本の報道機関の現状と課題、ジャーナリズムの意義、SNS等ネットメディアの可能性、新聞・出版の未来などについて伺いました。
30年前に警告したマスメディアの崩壊が顕在化している
――早速ですが、浅野さんのお仕事の内容について伺えますか?
浅野健一氏: 22年間共同通信の記者をやって、今は大学で19年間メディアについて教えていますから、20年位ずつメディアの現場と、大学にいることになりますね。
――教え子がジャーナリズムの世界に行くことも多いのではないですか?
浅野健一氏: 卒業生は、新聞社、通信社に毎年3、4人位。少ない時は、1人か2人なんですけど、多い時は6人位入りますね。合格率が高いですよね。ゼミは10人前後しかいないんですけど。逆に言えば、本学の社会学部メディア学科に来た学生で記者になりたい、テレビで報道番組を作りたいっていう人の多くは私のところに来る。他学部や他大学からの“潜り学生”もいます。もともと、一生懸命勉強する学生が来ているので、別にゼミに来たから受かったわけじゃないんですけれど。
――ジャーナリズムの現場と教育とでは違ったむずかしさがあるのではないですか?
浅野健一氏: 大学教育の場合は学生を全員をしっかり教えようっていうのはもうあきらめていますね。100人教えたら、10人位はきちんと育ったら良いかなという感じです。あとは本人の問題なんでね。大学は、幼稚園や小学校とは違うから、わりと冷たく突き放しています。どこかで僕の姿を見て勉強してくれたら良いなと思ってますね。大学とマスメディアの両方に勤めてたんですけど、そこはだいぶ違います。ジャーナリズムでは、やっぱり皆にちゃんとした正しい情報を伝えたいなって思ってます。
――確かに、ジャーナリズムは「分かる人には分かる」というわけにはいきませんよね。しかし最近、受け手をミスリードするような報道も多いと感じます。
浅野健一氏: 尼崎の不審死事件で被疑者・被告人の写真を取り違えましたね。あとは週刊朝日の被差別部落に関する記述の問題とかIPS細胞のMさん。50年に1回しか起きないようなメディアの虚報が続いていますよね。私が共同通信の現職記者時代、メディアを根本的に変えなきゃいけないんじゃないかと問題提起して、相当社会に衝撃を与えたと思います。第一作『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫を経て04年に新版として新風舎文庫)を84年9月に出版しました。同書に大幅に加筆、改題した『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』を09年6月に昭和堂から刊行しています。
この本が出て数年はかなり大きな議論が起きました。しかし、社内では公式には一度も取り上げられませんでした。逆に社内でいじめ、弾圧が続いた。
その後も私を排除して私の主張をマスメディアに載せない。最近はマスメディアでも「ジャーナリズムのあり方を考えなきゃいかん」「根本的に何かがおかしい」って言っているでしょ?それ、浅野健一に聞きに来ればいいじゃないですか。英BBCの会長が辞めた問題でも、新聞・通信社から絶対僕に電話がかかって来ないんですよ。こっちから電話して、自分で取材に応じるわけにはいかないしね(笑)。出てくるのは、他の有名な先生方ばかり。僕の言葉からするとメディア御用学者とか、労働組合の方についてるかどうか別にしても、メディア関係にすごく理解のある人。つまり企業メディアに甘い人。僕は「実名報道主義ムラ」と言ってんだけど、記者クラブの人たちですよね。僕と同じようなこと言ってる人は、ほかにもいるんです。例えば、元東大の奥平康弘さんとか、読売を辞めて週刊金曜日やレイバーネットで活躍している山口正紀さんとかね。その人たちは絶対大手メディアには出ないという状況ですね。僕と僕の仲間を黙殺してきたことの、つけが回ってきたと思っています。
基本中の基本「ジャーナリズムは権力チェックのためにある」
――あらためて、本来メディア、ジャーナリズムは何のためにあるものでしょう?
浅野健一氏: そりゃもう、権力チェックですよ。市民の「知る権利」にこたえる。野球やサッカーでどっちが勝ったかとかも必要ですけど、何でジャーナリズムがあるか、メディアがあるかって言ったら権力監視です。というのは、要するに行政っていうのは、誰もチェックすることがないわけですよね。国会は選挙があるし、裁判所には一応国民審査もありますけど、行政機関っていうのは、全くチェックする仕組みがないんですよ。要するに、霞ヶ関の官僚、検察、警察を誰もチェックできないわけでしょ? それをチェックするのが一番大きな仕事だと思う。もちろん、司法も政治家もチェックしなきゃいけないんだけど。そもそも何でジャーナリストになるかって言ったら、それが一番面白いわけです。強いものと一緒になって、弱いものをいじめるんじゃジャーナリストになる価値はない。ジャーナリズムが時の政府の権力チェックだっていうのは、日本以外ではごく普通なんですが、日本ではそういう風に誰も思ってない。部数を伸ばすためとか、せいぜい好奇心を満たすという感覚の人が多いでしょう。日本では新聞とかテレビ、ラジオは、体制側が広報する機関だという考えじゃないですか。
ジャーナリストは本来、ニューズリポーターです。「リ」がついてるんですよね。日本の記者はニューズ「ポーター」なんですよね。権力の流す情報をたれ流すのではなく、自分たちで吟味して伝えるから「リ」が付いている。もっと言えば、日本では記者クラブで発表されるプレスリリースのポーターですよね。
要するに、日本にはまだ市民革命が起きてないんだと僕はずっと思っています。形式的には民主主義社会になってるけども、実態として民主主義社会はできていない。
――記者になろうという人でも、ジャーナリズムを理解していないということですか?
浅野健一氏: 日本のマスコミの記者は、ジャーナリズム教育を受けてない。権力チェックすることがジャーナリストの仕事だとか、どういう歴史を経て人類が「表現の自由」を獲得してきたかとか、教えてないでしょ?記者も「ワンダーフォーゲルをやってます。体力あります」みたいな(笑)。ジャーナリズム学を勉強をしてない人を、朝日新聞や共同通信が採用して記者にするわけでしょ。むしろ、そんなの知らない方が良いっていう考え方じゃないでしょうか。だから、ああいうバカなこと起きるんです。最低限勉強してれば分かるじゃないですか。写真が違ってたらどうしようとか、被差別地区の地名を書いたらいけないということぐらい誰でも分かることでしょう。だから、僕は「専門バカ」が「バカ専門」になっていると言っています。狭いところでしかやっていないから広く大局が見られない。歴史を見られない。
著書一覧『 浅野健一 』