浅野健一

Profile

1948年、香川県高松市生まれ。72年、慶応義塾大学経済学部卒業、共同通信社入社。編集局社会部社会部記者、ジャカルタ支局長、外信部デスクなど歴任。94年から同志社大学社会学部メディア学科・大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程の教授。2002~03年、英ウエストミンスター大学客員研究員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒168-8691 東京杉並南郵便局私書箱23号)の世話人。『抗う勇気』(ノーム・チョムスキーとの対談、現代人文社、2003年)『メディア「凶乱」』(社会評論社、2007年)『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(昭和堂、2009年)『記者クラブ解体新書』(現代人文社、2011年)など著書多数。
浅野ゼミHP http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/index.html

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何かを書くと、必ず誰かを傷つけることになる


――共同通信で記者として活躍されるわけですが、冒頭でも少しお話しいただいた『犯罪報道の犯罪』を、現役の記者の時にお出しになりましたね。


浅野健一氏: 84年に出したんですね。でも実は、83年まではペンネームで書いていたんです。救援運動家で映画監督の山際永三さんが編集した小野さん著『でっちあげ』(社会評論社、1979年)の2章『でっち上げの共犯者―マスコミの人権侵害』の筆者、中島俊は私のペンネ―ムです。社内で人事などで差別され干されるので実名を出せなかったのです。まだ記者になって8年目でした。共同通信の人間はすぐ分かるんですけどね。だからいろんなペンネームで書きましたよ。妻の旧姓とか、曾祖父の名前を使ったりとか。中島俊は勝手に編集者がつけたんですよ。共同の役員に中島俊って人がいたんです。そうしたらその役員から「浅野君だろうこれ。僕の名前を使わないでくれ」って言われたんですけどね(笑)。83年に本名で「マスコミ市民」に「スウェーデンの犯罪報道」の連載を初めましたが、70年代に書いたものは全部ペンネームです。

――浅野さんが一貫して追求するテーマのひとつが、報道による人権侵害の問題ではないかと思いますが、知る権利と名誉・プライバシー権という2つの重要な基本的人権は抵触・衝突することもあります。その問題についてのお考えをお聞かせください。


浅野健一氏: 日本のメディア幹部は「人権に配慮する」とよく言いますよね。人権をじゃまなものだとネガティブに見ているんですよね。報道された人からのクレームに対しても、「苦情を処理する」と言うのと同じ。市民から来る苦情こそ大事なんです。知る権利と、名誉やプライバシーは両方大事です。天皇や田中角栄さんにもプライバシー権がありますが、天皇ががんを患っているということは、市民の知る権利の対象でもあるから、天皇には悪いけどそこは我慢してくださいよということで両立できるわけですよね。ただ、普通の大学生が強制わいせつで捕まったとか、有名企業の社員が痴漢の疑いで逮捕されたというのを氏名や所属先を実名で知る権利があるのでしょうか。NHKアナウンサーの森本健成さんは、むずかしいところですけどね。あれは恐らく報道せざるを得ないけど、その時に大事なのはまだ真相が分からないっていうこと。被害に遭ったとされる女性の勘違いかもしれないということを留保しないといけない。「有名な局のアナウンサー」とかにして、名前はしばらく抑制する方が良いかなっていう気がしますね。そうしないと、完全に女の子が嘘をついている場合でも社会的にはアウトですからね。前に関西の私大生が女子学生を使って痴漢事件を捏造して、男性から金をとろうとした事件がありました。男性の逮捕からしばらくして狂言だったと分かったのでよかったですが、実名報道の被害は消えません。PCなりすまし事件で誤認逮捕されて自白もとられた人たちも実名報道されました。



やっぱり一番むずかしいのは、何か書くと必ず誰かを傷つけるんですよ。例えば読売新聞の誤報について批判しても、それを書いた記者はやっぱりつらいし、恐らくその人は言いたいことがあるはずですよね。被疑者、被告人とか犯罪被害者の人も、そっとしてほしいわけでしょ。僕は、戦争責任も含めて権力の責任を書くと同時に、マスコミの加害者性についても書いてきましたが、戦犯で処刑された東條英機さんには娘さんがいるし、岸信介元首相の悪口を書いたら安倍晋三はつらいかもしれないかもしれない。しかし、そういう公人の場合は、それを百も承知で実名が出ることを我慢してもらうことが大切です。

100年後の評価に耐えうるフェアな言論を目指す


――その線引きをどこにするかっていうのはむずかしいのではないでしょうか?


浅野健一氏: 僕の基準は、僕の小学校のクラスメイトが例えば45人位いて、豆腐屋さんをやってたり、農業をやってたり、公務員をやってたり色んな仕事をしているんです。その不特定多数の45人で同窓会をしますよね。その時に、「俺は、こんなことを今書いてるんだけど。ここまで書いて良いかな」って聞くと、「それはわいろをもらったんだからしょうがない」って言われたり、「だけど、その女子大生の名前はいらないのでは」とか、皆の常識ってあるんですよ。「裁判がまだ終わってないから待つべきだろう」とか。「いや、田中角栄さんの場合は逮捕時点で顕名でいいんじゃない」とか。その普通の100人のうち、80人位の人が良いって言ってくれれば良いじゃないかなっていう感覚があります。
例えば、朝日新聞が100人新入社員を採る時に男性80 人に女性が20人、これはやっぱりだめでしょう、おかしいんじゃないのって普通に思う。一次や二次の試験をしている間は半分半分なのに、最終的に合格が女性20人しかいなければ、それは差別だと分かりますよね。男女が結婚する時にほとんど女性の名前を名乗らないなんていうのは、それはおかしいですよね。皆がそうするのかもしれないけれど、だからと言ってそれを男性の性を名乗るという規則にしてはいけない。先ほどの強制連行された朝鮮人の遺骨の話もやっぱり向こうに返さないといけないってことは、皆説明したら「そらそうだよな」って言ってくれます。それが価値基準で、それ以外あんまりないですね。同志社で学生に接する時もそうですよ。8割以上の人たちがこれで良いんじゃないのって説得できるだけの考え方。常識みたいなものは、大事にして書く様にしてますね。

――浅野さんのジャーナリズム活動の原動力はどのようなものでしょうか?例えば、正義感のようなものですか?


浅野健一氏: 「正義」ってあんまり考えないんですね。僕の場合はフェアネスですね。これ日本語に訳せないんだけどね。公正とかになるのかな。フェアであること、それからディーセント(品格を持っている)であること。ディーセンシーとフェアネスが好きなんですよね。正義は英語でジャスティスでしょ?何がジャスティスかってなかなかむずかしいけど、できるだけフェアであることはできますよね。あとは、できるだけ真実に近づく、できるだけ客観的であること。自分で見たり聞いたりすることを大事にする。それと本を読むこと。そして取材した対象からのフィードバックも重要です。双方向的な議論かな。それを自分なりにやってきています。
あとは、僕の場合はやっぱり自分が書かなかったら問題提起できないことに取り組む。皆がやることをやってもしょうがないんで、誰もやらないことを取材し、書きたいですね。今だったら原発事故後、政府と東電や原子力ムラが何を隠ぺいしていたかという問題ですよね。それと100年後、200年後でも人々が読んでくれるような、河上肇さんの『貧乏物語』(岩波文庫)のような本を書きたいなと思ってます。例えば、僕は、日本は朝鮮への40年間の侵略と強制占領の過去を清算し、朝鮮と国交正常化すべきだと強く思っているけど、これ絶対100年後には、この主張は正しいと思うんですよ。夫婦別姓も認めるべきだと思うし、東アジア共同体の追求は正しいと思うし、すべての米軍基地は日本から出て行くべきだと思う。僕の主張は100年後に正しいと判断されるという確信を持ってやっているんです。間違うことはあると思いますけど、その時は、謝り、なぜ間違えたかの分析、検証が必要になる。

著書一覧『 浅野健一

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