吉岡友治

Profile

VOCABOW小論術校長。仙台市生まれ。東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学大学院人文学科修了。専攻は演劇と文学理論。代々木ゼミナールで20年以上、国語および小論文の講師をつとめ、日本語における小論文メソッド、アカデミック・ライティングの方法を確立し、WEB, REALの両面で小論文指導を続ける一方、各地の学校・企業などで講演・研修活動を行う。また、上記メソッドを応用して、社会論・芸術論・身体論などの言説分析など、幅広く活動している。最新刊『いい文章には型がある』(PHP新書)など著書多数。現在バリ島でプチ・ノマド生活も実験中。
【HP】http://www.vocabow.com
【ブログ】http://yujivocabow.blogspot.jp

Book Information

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ものの見方を変え、知と美の世界を演出する



吉岡友治さんは、難関大学、MBA、法科大学院等さまざまな小論文試験の指導を行う講座「VOCABOW」の校長を務めています。予備校講師としての指導経験やシカゴ大学大学院人文学科での研究で培った独自のメソッドを、直接指導とネット上の講習で提供し、多数の合格者を輩出しています。吉岡さんに、論文添削のエキスパートとなるまでのキャリア、電子メディアの可能性等を、劇の演出家・美術理論の研究者としての見識を交え伺いました。

電子書籍の可能性は、本と本がリンクすること


――吉岡さんは、ネット上で小論文の指導をされていますが、電子メディアの良さはどこにありますか?


吉岡友治氏: インターネットで論文の添削を始めると、いろいろな人たちがアクセスしてきて、「こんなことをやってほしい」という声が届くんです。僕はもともと予備校の講師で、大学受験の小論文を教えていて、ネットでもそちらに需要があるかなと思って始めたら、あに図らんや、大学受験の方はあまり需要がなくて、当時始まったばっかりのロースクールの小論文をやってくれないかという話になったんです。ロースクールについては僕もよく知らなかったんですが、問題を見てみたら、「なんだ、できるじゃん」。始めたら評判が良かった。
ネット上でやることの良さは、パラパラとしかいない人とも、じかに話ができて、その需要に直接応えられることです。もう1つは設備投資が少ないから、個人が少ない資本でアイディアを実現できること。おそらく、電子書籍も小ロットでいろいろな本が出てくるでしょう。今までだったらコストを考えてできなかったことができるようになる。機会があれば、自分でも電子書籍をアップしたいという気持ちもあって、どういう風にするのが一番いいのかということを今、考えているところなんです。

――ご自身の著作でも、電子書籍でできることは多いと感じられていますか?


吉岡友治氏: すごくいっぱいあるんじゃないでしょうか。以前、大手出版社でCDの教材を作ったことがあって、CD40枚位の吹き込みをさせられた。そこで、編集者の人がメディアをちゃんとわかってないなと思った。例えば、しゃべっていって、テキストの該当部分にタグをつけられるはずなんです。「クリックすれば飛んでいけるようにしましょうよ」と僕の方から言ったんだけど、会社の人は怪訝な顔をしている。可能性がたくさんあるのに、利用できない。
インターネットもハイパーテキストで、いろいろなところに飛んでいけるけど、電子書籍も必ずそうなると思います。一冊の書物で完結するんじゃなくて、いろいろな書物とつながっていく。とくに、僕がやっているようなジャンルは、対話が大切なんです。ほかの人の言った意見とリンクして、一覧がざっと出てくるみたいな本も出てくると思います。だから、電子書籍はぜひぜひ発展してほしいし、すごく楽しみです。

著作権は、なるべくフリーにした方が良い


――電子書籍には、一冊一冊の本の境界を越える可能性があるのですね。


吉岡友治氏: 小説家の辻邦夫さんは、小説家なんだけれど小説が読めないって仰るんです。なぜかというと、小説の最初の何ページかを読むと、描写からいろいろなことを考え出して、そのことの方に夢中になって読み進めることができないからだそうです。その感じはすごくよくわかります。じゃあその考え出したことを基に、本の上で別なところに飛んでいけないだろうかって思うんです。その履歴が、ある種の自分の世界観というか、世界をどうとらえてきたかという跡になる。研究だとか、本を書くということも実はそういうことです。僕の仕事のやり方もたくさんの資料や本を読んで、それらを適当に組み合わせたりカットしたりしながら、自分なりに発展させていく作業になる。それと同じようなことがもっといろいろできるんじゃないかと思うんです。

――そのような新しい可能性を開くために、今後の課題はありますか?


吉岡友治氏: そこで問題になるのが、著作権です。僕は、著作権はなるべくフリーにするべきだと思っています。フリーにしても買ってくれる人はちゃんといる。とくに、売った当初はともかく、死後50年も著作権があるなんて、子孫を怠け者にするだけですよ。作者がいなくなったらもうそこで著作権も消えて、コモンズになるのが1番良いと思う。死後10年でも全然構わないじゃないかと。社会科学的な文献だと、10年すればもう古くなるので、それは著作権フリーにして、誰もがそれを基にして自分のアイディァを膨らませる資源にしていくやり方にした方が良いと思っています。

文章をシャワーのように浴びた少年時代


――吉岡さんが今のキャリアを築き上げるまでのお話をお聞きします。まず、小さなころはどのようなお子さんでしたか?


吉岡友治氏: 僕は、今でこそ体が大きいんですが、子どものころはそんなに大きくなくて、野外で遊ぶ子どもではなかったんです。岩手の農村で育ったので、外で遊ぶこともきらいではないないんですけど、それより本を読むことがとても好きで、何かというと本を読んでる子どもでした。両親は本をいっぱい読ませようということで、少年少女文学全集とか、世界文学全集、日本文学全集とかが、一通りそろえたようです。覚えていないんですけど、最初は読み聞かせとかしてくれたらしいです。そうするとそのうちに子どもは勝手に読み始める。あれこれ読んでは、面白いとか、面白くないとか生意気にも言っていました。それこそ内容は何でもよかった。新聞の三面記事でも良いし、広告の文章を読んでも良いし、シャワーみたいに文章を読んでいたという記憶が小学校時代にはあります。
でも、文章を書くのは大嫌い。作文はほとんどは親に書いてもらっていました。母親が優等生で、作文も上手だったらしい。だから、子どもが困ってるのを見ると、「私が書いてあげる」といって徹夜で書いちゃったりする。それが、県の作文コンクールで優勝とか。教育上良いものやら、悪いものやらわかりませんが(笑)。



――幼少時からさまざまな文章に触れたことが今につながっていると感じられますか?


吉岡友治氏: つながってるんだと思います。でも、うちの父親は大学で物理を教えていて、母親は高校の化学の教師、両方理科系の人間だったので、僕には理科系に進んでほしかった。父親は、息子と一緒に研究ができたら良いと本気で思っていたらしくて、最初は理学部を受けろと言われていた。嫌だなと思いながら受けるので勉強にも身が入らない。当然のように落っこちました。「もうお前は文学部でいいよ」と引導を渡されて、心底ホッとしました。
僕がいたころの高校はいわゆる学園紛争のさなかで、一年生の時なんか授業自体がない。その癖がついて、ほとんど学校には行ってないんです。学校の授業が「正常化」しても、1時間目の出席だけ取るとそのままいなくなる。街の映画館に行って、映画を見まくっていた。毎日映画館に入り浸ってたから、正月になったら映画館から感謝状と共に招待券が20枚位贈られてくるという状態。
大学では念願の文学部に入って、ヘーゲルなど哲学書を読みまくりました。そのうちに、社会科学に興味を持って、小室直樹先生の社会学のゼミに入ったんです。僕は数学がやや得意だったから、橋爪大三郎さんに誘われて行ってみたら、これが面白かった。小室先生も黒猫と一緒に学生寮に住んでいて、社会学の研究をしているとか、むちゃくちゃキャラが立った人でした。でもそのうち行かなくなったんです。小室先生は素晴らしい人だし、橋爪さんも素晴らしい先輩なんですけど、学問やってどうなるのかなという気持ちもあって、芝居の方に行きました。

英語論文のスタイルを取り入れ、メソッドが完成


――お芝居はどのようなきっかけで始められたのでしょうか?


吉岡友治氏: もともと映画が好きで、後にNHKに入った女の子から誘われて大学祭で芝居をやったのがきっかけ。劇団に入って、本格的にやってみようと思いました。当時、社会学科の中で流行っていた竹内敏晴さんの演劇教室に行って、そのまま7年位いたんです。役者志望の人が多いんですけど、僕はあんまりそっちをやりたくなかったんで、演出助手をずっとやっていました。その後、竹内さんから「そろそろ自分でやれよ」とうながされて、劇団Fuらっぷ斜というのを立ち上げて、30本位演出をやりましたね。ただ芝居は全然食えないですから、いろいろ助成金もらっても追いつかなくて、30歳前くらいから塾の講師を始めました。ちょうどそのころ、塾が全盛期で、2、3年するうちに代々木ゼミナールを受けてみないと誘われて、それから20数年ずっと代ゼミにいたんです。

――演劇はずっと続けられていましたか?


吉岡友治氏: 芝居は続けていました。だから僕は、自分のことを「パートタイム予備校講師」とか「アマチュア講師」って言っていたんです。ほかの人は一生懸命お金のためにやってたんですけど、僕はあまりお金に興味がなくて、クビにならなきゃいいやと思ってました。そしたら3年目位の時に、突然、「小論文をやってくれ」って言われた。引き受けたは良いものの、何をどう教えたら良いのか、代ゼミはまったく教えてくれないし、カリキュラムもない。とにかく一学期全12回やらなければならないので脂汗を流しながらという感じでした。

――今につながる小論文のメソッドはどのように考えたのでしょう?


吉岡友治氏: そのとき、いろいろ小論文の参考書を見てみたんですが、全く参考にならないんですよ。「こうやった方が良い」と書いてあるんですけど、何でこんなところに赤が入るんだろうとか、どこがいいのかとか、とにかく仕組みや構造がよくわからない。解説で書いてあることは句読点の付け方など分かりきったことばかりで、まじめに読むような内容ではない。そんなのばっかりでどうするんだと思ったんですが、とにかくやるしかないので、毎回生徒たちの添削をしながら全体を統括する原理はないだろうかと考えて、自分なりにメモを取っていきました。
その後、シカゴ大学の修士課程にも行って、英語の論文の書き方を習ったんです。私は英語が専門じゃないので、最初はうまくいかなくて、ずっとCプラスだとかBマイナスで、「英語の間違いがひどい」と言われたりもしたんですけど、文献もいろいろ読むうちに、コツがわかってきたんです。シカゴで習ったことと、自分が考えていたことと符合したのには感激しましたね。小論文ってこういう仕組みなのでは、とずっと考えてたんだけど、そこにシカゴスタイルっていうアメリカの論文メソッドが合って、僕が考えてたことは間違いなかったんだと感じて、本を書こうと思ったんです。

共同作業で作り上げたデビュー作


――執筆時のエピソードをお聞かせください。


吉岡友治氏: 本を出す前に、インターネットが出てきたんで、書いたものをどんどん載せていたんです。でも、本にもしたいとも思っていたので、30くらいの出版社に手紙を書いたら、2つの出版社から声をかけていただきました。1つの出版社は「面白いけど、今うちとやってる形式と合わないので、書き直してほしい」と言うので、「嫌だ」と返事しました。もう1つの出版社は、インターネットに載ってるものは完成度が高いから、そのまま出しても良いんだけど、いくつか直すように言われて、校正した上で単行本として出しました。
その前にも、「インターネット時代の小論文術」といった企画書を書いて別の出版社に企画書を出したら、2年くらいほっておかれていたんです。もうダメだろうな、と思っていたら翌年に突然依頼が来て、公務員についての本を書くことになりました。実は、それが僕のデビュー作なんです。理論的な本ではなくて、いわゆるネタ本です。公務員については何も知らないので、図書館にこもって半年位かけて書きました。200冊位、公務員に関係ありそうな本をかたっぱしから読んでいったんですよ。シカゴで大量の本を読むのは慣れてましたし、社会学をやっていたので組織論などは得意で、読まなくてもわかるけど、災害対策のこととかは全然知らないから大変でした。

――デビュー作の反響はいかがでしたか?


吉岡友治氏: けっこう売れました。本屋さんから「こういう本を出してほしかった」って言われたそうです。僕は、それぞれの主張をバランスがとれるように要約する一方法ーで、データを調べて図表化することをしっかりやっただけなんですけどね。
その時に、今一緒に本を作っている長谷眞砂子さんに装丁から何からデザイン的なことをすべてやってもらいました。ちょうどDTPの始まりの時期で、原稿を書いてすぐ流し込んで、書き直して、行数調整もして、「ここにもうちょっと写真が必要だよね」とか、「グラフが絶対要るよね」とか話しながらやってるうちに本ができていくんです。原稿を渡してから紙になるまでがものすごく短縮されるんですね。

――文章だけではなく、本のできあがり全体を見て作りこんだんですね。


吉岡友治氏: 僕はもともと芝居の人間なので、ビジュアルにうるさいんです。安易に図をつけると、デザインが気に入らなかったり、アイコンがきれいじゃなかったりして、そういうのがすごく嫌です。
国語とか小論文系統の本って単に文章だけで表現しようとすることが多すぎる。国語なら文学性も大事だけど、論文はよく理解するための手段なのだから、なるべく直感的に理解できるような感じにしたい。なので、いちいち読まなくても図でわかって、下に説明が書いているというスタイルを持ち込みました。これは共同作業があったからこそできたことで、彼女と一緒にやれなかったら、うまくいかなったと思います。デザインの方を先発させて、それに対して文章があるっていう風にすべきなので、それをやるためにはデザイナーとの共同作業が絶対必要なんです。

文章は自己表現ではなく「対話」


――執筆の際、デザインのほかに気をつけていることはありますか?


吉岡友治氏: 物事について、良い悪いということを性急にコメントしないことです。僕は熱心な社会学徒ではなかったけど、社会学では、とりあえず価値評価は置いといて、今現実がどうあるのか、という現実認識を大事にします。それが、世間では違うんですね。
僕は、今、教育の本を書いていますが(『リアルから迫る! 教員採用小論文・面接』実務教育出版)、教育って「こうすべきだ」という話がすごく多い。例えばいじめの問題では「撲滅すべき」とか、「小さな徴候でも気づくべき」とかよく言います。でも、現場の教師に言わせれば、そんなことはできっこない。「これはイジメかなー」と思っていじめっ子を呼んで問いただしても当然否定する。納得いかなくて、さらに調べようとすると、親から「うちの子を疑うのか」とクレームが来る。しようがないから様子を見ていると事件が起こって、無策だと非難される。こういう実情が伝わらず「べき」ばかりになるのは、かえって問題を悪化させると思います。



社会問題は、誰かが「これが問題だ」って言って焦点を当てて、誰かに書かせて、マスメディアに載せてっていう運動の面が絶対ある。そういうところをちゃんと見ないと話がずれる。たとえば、いじめの件数のグラフでも、2回ジャンプしてるところがあって、そこは文部省のいじめ定義が違っている。いじめられたと感じる人がいたらそれはいじめだという定義になったので、数は上がるに決まっている。それを見ないで「いじめは増加している」と要約したら間違い。ところが、いじめ問題っていうと「いじめは悪化している」という前提から始める主張が多くて困る。データの中からわかる事実って何かとかいうことを1つ1つ考えないと、問題がぐちゃぐちゃになってしまいます。小論文でも、こっちが良いと皆が思うのであれば、なぜ良いと思うかという要素を分析するのが先です。それをしないままに自分の好き嫌いだけでやるとろくなことにならないんです。

――先ほど編集についてのお話がありましたが、編集者の役割はどのようなところにあるでしょうか?


吉岡友治氏: 編集者はすごく大事だと思います。出版社は、電子書籍が出てきてこれからかなり厳しいはずです。設備投資も在庫の倉庫も必要なくなって、個人が出版できるわけですから。だけど、編集者はそうではない。先ほど共同作業という言葉を使いましたが、自分を別の目から見てくれる人がないとうまくいかない。というのは、そもそも本は自己表現ではなく、対話だからです。論理的文章というのは、相手が質問してくるであろうことを最初から予想して書いた文章です。自分の中に読者という他人を作ってチェックして、それに対して証明や具体例を出せば、なるほどって思ってくれるだろうなっていう話です。しかし、そうはいっても、自分の予想できる範囲は決まっている。予想もつかない反応を返してくれるひとが欲しい。そういう編集者は貴重ですね。

編集者と演出家の共通点は?



吉岡友治氏: 芝居でも役者が(ドツボに)はまっちゃう瞬間があるんです。それを演出家が言葉を投げかけることで、救い出してあげることができる。演出がきちんと役者を方向付けるかどうかで演技が全然違う。僕が最初に演出したのは『冬眠まんざい』っていう芝居です。秋浜悟史さんという素晴らしい劇作家が、東北弁で書いた芝居で、冬の東北でトトとユキという男女二人がしゃべりまくる芝居です。ところが、この二人がまずどんな関係かよく分からない。父親と娘なのか、恋人同士なのか、孫とじいさんか。ええい、まあいいやと、とりあえず最初から最後までつくって、竹内さんに見せたら「全然ダメだな」って言われたんです。
まずいろりを切ってあるところからダメ。「全部真平らにしちまえ」って。「ここでやってることはリアルな話じゃなくて、口から出任せの漫才だから」と言うんですね。2人の関係もどうでもいい、見てる人が、その場その場で勝手にイメージできればいい。じいさんが突然孫に迫ったら、かえってスリリングじゃないか。瞬間瞬間が面白くなることが大切だ、なんて話をしてもらって、頭の中の霧がさーっと晴れた。こういう読み方があるのかって思いました。それまで芝居っていうのは事実が元にあって、それを表したものっていう風にどこかで思ってたんですね。だけどそんなのはなくて、あるのはここにある言葉の戯れだけだと考えたら、できあがりも全く違うんです。竹内敏晴っていう人は5分位で人を変えるのがすごくうまい。著者も同じようにドツボにはまるんじゃないかと思う。それを、編集者が「こんな風なのどうですか」って言って、それが当たってなくても良いんです。その時に言ってくれることっていうのがすごく大きい。

――吉岡さんの本は、ビジュアルを含めて「演出」されているからこそ編集が重要になってくるのですね。

吉岡友治氏: ビジュアルから考えて、これに入るような文章を書いてっていう話になってきます。僕は蜷川幸雄さんに習ったこともあるけれど、彼は例えば芝居を作る時、最後のイメージを決めると言ってました。例えば、階段の舞台に青の照明が当たって、階段がいつの間にか海になっちゃうみたいなイメージがあって、そこからいろいろ決めていく。編集者もある意味でそういうところがあると思う。書き手はどうしても1つ1つ言葉を積み上げていかなきゃいけないので、大きなことが途中で見えなくなったり、ずれたりすることがよくある。だから、そういうのを時々直してくれて、「ここはどうなんですか」って反問されるとこっちとしては楽なんです。もちろん言われたことが邪魔だっていう場合もあるので、そこは編集者とやりあいたいなと思います。

企画を考えている時が一番楽しい


――最後に、今後の著作の構想をお聞かせください。


吉岡友治氏: 1つはビジュアルについての本を書きたいです。僕はジョン・バージャーっていうイギリスの作家が好きで、小説家であると共に美術評論をやっていて『Ways of Seeing』っていう有名な本があるんですが、すごく良い本で、タイトルのとおり「見方」が変わる本です。僕も、ビジュアルに社会学および社会科学的な見方をくっつけることをやりたいと思っています。実は講談社の編集者と約束したまま5、6年放ってあるんですけど、これを近い未来にやりたい。

それと関連して、お遊び企画なんですけど、デートで使える美術の見方と語り方について書こうかと思っています。美術館にデートに行くと、言葉に困るじゃないですか。「何年に何があって」ってみたいにトリビアに走って、「あんた、オタクだね」って言われるか、美しさに言葉を失うかどっちかになってしまう。その中間で、きちんと面白いことを言えるようになるようにしたいですね。お遊びだけど、実は本質をついているものを書きたいです。

それから、インドネシアのバリ島に20年以上通っていて、今はバリに家を造ってあるので、バリの関連のことをやりたいと思っています。バリの伝統舞踊の名手といわれるバグース・マンデラという人がいるんですが、彼の新作を支援してるんですよ。実は、バリの伝統って言われるものはここ100年位でできたもので、例えば「ケチャ」っていう有名な芸能がありますけど、あれはドイツ人が映画のために作ったとか。昔の儀式用の音楽といくつかの物語を組み合わせてパフォーマンスを作って、それを皆がやるようになって「バリ島で一番有名な芸能」になっちゃった。情報社会やグローバル化の申し子なんですね。でも実は伝統ってそういう風にしてできるものだと思うんです。伝統という名の下に、新しいものを作らなくてはならない。
それを彼がやり始めたので、総合的に関わっていきたい。その1つとして、長谷と一緒に、バリの生活についての本も作りたいと思っています。ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12ヶ月』という本がありますけど、バリは、プロヴァンスよりもずっと豊かだと思います。独自の儀式やローカルフードがあり、それでいてアジアで有数のレストランがあったりして、東京よりオシャレな面もある。南国というと、ヤシの木とかエステとか思いがちなんですけど、本当はもっと違った心地よさがいっぱいありますからね。文章と写真の力でもっと楽しめるバリの見方を提供できたら良いなと思います。

――「見方」というテーマを軸に、さまざまなジャンルで全く新しい作品を構想されているのですね。


吉岡友治氏: 柳の下の二匹目のどじょうみたいなことはやりたくないんです。だから、新しい企画を考えることが一番楽しい。文章を書くことはたしかにつらいんですけど、書いてると、こういう風にしたら良いんじゃないかとか、いくつも小さな発見がある。そういう瞬間は楽しい。そういう風に仕事ができるのが今のところ、一番幸せだと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 吉岡友治

この著者のタグ: 『インターネット』 『可能性』 『劇』 『小論文』 『著作権』 『対話』

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