倉園佳三

Profile

1962年福岡生まれ。音楽家、インターネットマガジンの編集者を経て、ITコンサルタントに。現在はiPhone・iPad、ガジェットやクラウドがテーマのブログ「zonostyle」を主宰するほか、質の時代に求められる「いまを手段にしない新しい働き方」を伝えるために、全国でワークショップやセミナーを実施、音楽活動も再開する。著書に大橋禅太郎との共著『すごいやり方』(扶桑社)、『iPhone×iPadクリエイティブ仕事術』『できるポケット Amazon Kindleクリエイティブ読書術』(インプレスジャパン)など。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

『虔十公園林』を読んで、幸せとは何かを悟る



倉園佳三氏: その後、夏休みの課題に、読書感想文コンクールの作文を書けという宿題があった。僕はいつも夏休みの課題はいっさいやらずにごまかしていたんですが、その作文の先生だけは怖かったので、教科書にあった宮沢賢治の『虔十公園林』という名作を読んで、「幸せとは何か」っていうタイトルの読書感想文を書いたんです。この物語は、虔十という知的障害のあるとされる子どもが家の後ろの野原に杉の苗を植えて、そこが子どもたちの遊び場となり、故郷が変わっても変わらず残っているというお話なのですが、僕はこの話を読んで「幸せとはこれだ」と悟ったんです。人が幸せになるには、虔十のようにあるべきだ。人は「今に生きる」ことで幸せになれるのだと。
ところが、虔十のように生きるにはどうすればいいかと考えて、今日まで40年間答えがわからなかった。それがなぜかというと、世の中がそういう仕組みになっていないからです。現代というのは人が「今」に生きられないシステムになっている。

――今に生きられないのは、どうしてなのでしょうか?


倉園佳三氏: 現代人は、ある計画を立てて、そこに向かって目的を達成するために日々を送っています。もし、人が虔十の様に生きたいとしたら、今日感じたインスピレーション、朝起きたインスピレーションで何がしたいのかを考える。けれど、今の世の中は、それが許されるかたちには全くなっていない。つまり日々を手段にして生きる。勉強するのは良い学校に入るため、学校に入るのは良い就職をするため、良い就職をするのは良いお嫁さんを見つけて良い生活をするため、家を買うのは家族のため。毎日のことが、すべて何かへの手段なんですね。「では、あなたはいつ幸せになるんですか?」という問いかけには、「いや、いつかなります」と答える。



――確かに今の社会のあり方は、「今」ではなく「いつか」の為になりがちかもしれませんね。


倉園佳三氏: 皆、「いつかあげる」と言われているプレゼントのために頑張っているだけです。もしかしたら、死ぬまでそのプレゼントは手に入らないかもしれない。今を生きないとダメなんです。この瞬間こそがすごく素晴らしいし、この瞬間こそが幸せ。この幸せはこの瞬間で終わりだから、次の幸せをまた次の瞬間に作っていかなくてはいけない。人生はその連続で、それしか実は「幸せ」なんてないんだと、僕は小学6年生のときにわかってしまった。でも、今に生きないやり方を学校は教えるし、会社にいてもゴールに向けて頑張ることを要求される。だから「今を生きよう」とする虔十のあり方というのは、今の社会と完全に相いれないものです。そこで僕はわからなくなってしまった。真理はわかっているものの、「この世の中でどうすれば虔十のようになり得るのか」というところがわからなかった。

――実際今私たちが生きている社会との兼ね合いが難しそうですね。


倉園佳三氏: ところが最近、そのような「目的、計画、手段」を重視する社会は、だんだんダメになりつつあるなという予感がします。それはなぜかというと、最近「モノ」が売れなくなっています。でも売れるものは非常に売れる。iPhoneみたいなものはすごくヒットしました。何が売れたかを見ていくと、質が高い商品ということがわかります。とくに、創った人のエネルギーや熱量を感じるものが支持されている。代表的なものがAppleの製品であったりする。そういうものは、例えば宮崎駿のアニメや、初音ミクにしても、作った人の熱が感じられませんか?AKBとかのアイドルグループも、昔のおニャン子クラブほどいい加減じゃない。曲もちゃんと作っているし、メンバーの女性の質もきれいにBクラスくらいにそろっている。多分秋元さんのものすごい熱意とエネルギーが込められている。そういうものが売れていて、そうじゃないものが売れないということは、そういうものを創る人たちは何か異質なことをやってるはずなんです。こういう社会にいながらして、「今」にエネルギーを出し尽くしてる人たちがもう登場している。とすると、この両方をミックスさせたこの真ん中あたりの方法が、あるんじゃないかというのが今の時点での結論なんです。会社にいながら虔十でいられる方法がある。

――今ようやくそういう時代が来ているんですね。


音楽に没頭する日々、32歳で編集者へ方向転換する


――高校を卒業してからは、どのようにされていたのでしょうか?


倉園佳三氏: 大学は、青山学院大学の英米文学科に入って、その後本格的に音楽活動を始めました。The Bennetsというバンドを組んで、音楽監督だった加藤和彦さんと『ハワイアンドリーム』のサウンドトラックに参加したりしていました。

――音楽活動というのは、やはり幸せの探求だったのでしょうか?


倉園佳三氏: ところが全然そうじゃなかった。「幸せということが何か」ということがわかっていながら、音楽をやるときの僕のモチベーションは、「お金を稼ぎたい」とか「有名になりたい」とかいう、俗っぽいものだったんですね。音楽がいつの間にか手段になっていた。だからうまくいかなかった。その当時評価もされていたし、ファンもいた。CDも出ていた。そこに手応えはあったんだけど、なぜか最後で必ずダメになった。それは恐らく、僕が音楽を目的にして今に生きていなかったせいです。だから罰が当たったと僕は思っていますね。

――その後の節目、節目はどのようなものだったのでしょう?


倉園佳三氏: 音楽活動を始めてから、大学はそもそも8単位しかとっていなくてすぐやめてしまいました。「幸せとは何か」がわかっているのに、学校にいることに何の意味も見い出せなかった。元々ものを創るのが好きで、創ったら人に見てもらいたいんですね。それで、音楽をやっていたんですが、ちょっと不純な動機だったから、だんだんおかしくなっていった。僕の場合だんだんゴールが見え始めると欲が出てきて音楽が手段化するっていうことの繰り返しをしていて、それで、もういよいよダメになりました。そのとき32歳だった。時代は今とちょっと違って、ソーシャルもYouTubeもない時代でした。テレビオンリーのマスメディアの時代だったので、32歳っていう年齢はミュージシャンとして世に出ていくには、かなり限界があったんですね。
それで「次にやることは何かな」と考えたときに、「そういえば俺、文章を書けるかもしれない」と思って、次は小説家になろうと思った。道具が好きなので、「小説家になるんだったらワープロをまず買わなきゃ」と思って秋葉原へ行ったんです。そしたら店員さんに「ワープロじゃなくて今はパソコンですよ」って言われて、パソコンを買ったらその中にブラウザーが入っていた。そこで初めてインターネットというものに触れることになったのですが、「これはメディアになる」と確信したんです。それで、「これを普及させる紙媒体に入りたい」と思いました。そのとき『インターネットマガジン』という雑誌が、かっこいい表紙で書店にあって、「これだ」と思った。入りたいなとずっと思っていたら、ある時求人募集を見かけました。「僕はここに入らないと次の人生はない」と本当に思いました。それで、入社して、インターネットやとくに、メディアに関連するアプリケーションや、技術を応援してやっていったら、2005、6年にようやくそういう世界が実現しました。

著書一覧『 倉園佳三

この著者のタグ: 『考え方』 『インターネット』 『音楽』 『目的』 『幸せ』 『今を生きる』 『手段』 『バンド』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
利用する(会員登録) すべての本・検索
ページトップに戻る