相互理解は病を癒やす力を持っている
――水島さんがご専門とする対人関係療法とはどういったものでしょうか?
水島広子氏: 対人関係療法は、例えばうつ病に対しては薬と同じくらいの効果が科学的に実証されている治療法で、他にも、摂食障害にもよく効きますし、不安障害にも用いられています。治療を通して、対人関係上の問題を解決したり、自分を支えてくれる人間関係を豊かにしたりしていきます。その中では、うまくいかない人間関係を「役割期待のずれ」という観点から見ていく、ということもします。自分は相手に何を期待しているのか、それは相手にとって現実的な期待なのか、というようなことを見ていくのですね。ただただうまくいかない関係というのはなくて、常にそこには「役割期待のずれ」がある。そして、相手にとって何が現実的な期待なのかを知っていくことは、人間関係を驚くほど改善するものです。
例えば小さな頃から親に傷つけられて病気になってしまった子がいる。子と言ってももう大人になっていることが多いのですが。子どもは、「そういうことは言わないでって頼んだのにまた傷つけられた。自分を愛していないんだ」というふうにとらえている。そこで私が親はどういう人なのだろうと診てみると、親はどうやら発達障害を持っていて、だから子どもをとても愛しているのだけれど、「こういうことを言ったら子どもが傷つくのではないか」という想像力が働かない。子どもに「親御さんはどうも発達障害のようです」と言って、そういうことを説明すると、子どもというのは素晴らしくて、長年傷つけられて積もった恨みがあっても、親をゆるし始めるんですね。親は子どもを無条件に愛するって言うけれど、日常的には「条件付きの愛」を与えがちな親が多い。もちろん命が懸かるくらいになると無条件になりますが。でも、子どもが親を無条件に愛しているというのは本当ですね。親のことをひどいって思っていても、ゆるすチャンスを常に狙ってるようなところがあります。私の上の娘が今度高1になるんですけど、「子どもってなんだかんだ言っても親に優しいよね」って言ったら、「当たり前だよ、子どもってそういうものだよ」って言うんですよ。うちの娘って全然いわゆる「いい子」じゃないんですよ。社会的に見るとむしろ悪い子なんですけど。
――お互いの立場を理解することで癒やされますね。
水島広子氏: もうひとつ例を挙げると、いじめによるトラウマなどによって病気になった人で、時々、強いストレスにさらされると解離(意識の連続性・統合性がなくなること)して万引きをしてしまうような人がいるんです。摂食障害の患者さんに多いのですが。もちろん本人にはその間の記憶がありません。本人は真面目な人で、声をかけられて気がついて「私またやっちゃったんですか」と衝撃を受ける。それは悲劇ですよね。警察、検察、裁判所などとも連携しなければならないのですが、こういう状態のときに、正しい医学的知識のもとに事態が整理されていないと、親は「家族に迷惑をかけてばかり。もうこの土地で暮らしていけない」と言うようになる。みんなが本人を責め立てて、まるでいじめが再現されるみたいになってしまうのです。治療に入って、「実はお子さんは昔こんなひどいいじめにあっていて、トラウマの症状があって、やったことを何一つ覚えていないんですよ。もともと規範意識が高い方ですから、それはすごくショックで自分を責めてしまうことなんです」ということを伝えると、親は初めて1番かわいそうなのはこの子なんだということに気がつくんですよね。それで「頑張って一緒に治していこうね」みたいに言うと、子どもはだんだんと安心して、トラウマも癒えてくる。もちろんトラウマからの回復には時間がかかりますが、回復のための土台ができた人は軌道に乗っていく。そうやって専門知識を提供することによって相互理解を深めるお手伝いができるんです。
他人と自分を「ゆるす」温かい空間
――もうひとつの活動であるAHはどういったものですか?
水島広子氏: 私は精神科医としては対人関係療法を行いますが、対人関係療法とAHは全く異なるものです。AHは精神医学とは何の関係もなく、いろいろな立場の人たちが、安全な場で自分のことを話し、人の話を評価を下さずに聴く、ということをします。もちろん人間同士ですから、最初顔を会わせた時は「ああいうタイプって嫌い」みたいに思うこともあります。例えば過去の体験から「男性が苦手」という女性が、男性と同じグループに入る時がある。そんなときに「実は自分は妻に暴力を振るってしまって」などと男性が話し始めると、もちろん女性は警戒的になるのですね。ところがその男性が、「自分は親からも殴られけられて育った」とか、「自分はだめな人間だと思っているので、妻から言われたこの一言をこんな風に思ってしまって」とか、「悪いと思ってるんだけどどうすることもできない。妻に申し訳ない」みたいなことを一生懸命語るのを聞くと、「あなたにもそんな過去があったのね」とか、「私にも加害者だった側面があるかもしれない」ということに気がついてくる。いろいろな人がいろいろな立場で一生懸命生きてる様子を聞くと、ただただ「悪い人間だ」「人間として信じられない」などと評価を下していたときとは異なり、人間というものへの理解が深まり、他人と自分のゆるしが深まる。朝始まった時と終わる時で部屋の温度が違う感じなんですよ。
――参加された方の多くに変化がありますか?
水島広子氏: AHのすごさは、今までワークショップをずっと行ってきて、ハズレがないってことなんです。皆、何かしらを感じて帰っていく。『怖れを手放す』という本は実録ですけれど、出てくれる人をAHのコミュニティーから募りました。女性は先着順にするくらい希望者が多かったけれど、男性の希望者がそろわなくて、版元の星和書店になんとか男性を集めてくれと頼みました。そうしたら、出入りの印刷業者の方などを連れてこられたんです。その方たちは、お世話になっている星和書店さんから言われたから来ました、みたいな感じで、もちろんAHが何かも知らない。不機嫌に、「ゆるし」なんてかったるいといった雰囲気の方もいて(笑)。ところが、その日の終わりには表情が変わっている。最初は怖い顔をしていた男性も、「朝は緊張していたのですが」とかカミングアウトする。そういう風に言ってくれると温かい空間になりますね。だから男性も「本当は俺、怖いんだ」みたいに言うことができて、女性たちが「男も大変だよね」と聴いてあげられる、そんな意味でもAHは貴重な場だと思います。
――男性は女性に弱みを見せられないということは確かにあるでしょうね。
水島広子氏: 「男は黙ってサッポロビール」みたいな文化がある(笑)。愚痴ると「あんた、男なのになんなの」と言われる。AHに来る女性って美しい女性がなぜか多いのですが、美しい女性たちの温かい雰囲気の中で、男性が「実は自分は、妻に急に去られて、すべてを失った気がした」などと言うと、女性が、「抱きしめてあげたい」みたいな気持ちで聞いている。美しい、優しい女性たちから「あなたは頑張っているわよ」という目で見られて、楽園みたいな雰囲気です(笑)。
著書一覧『 水島広子 』