あらゆる物事や人をつなげる「マグネット」に
水島広子さんは、対人関係療法を専門とする精神科医です。また国会議員を2期務め、現在は診療のほか、怖れや怒り、敵対心を自ら手放すことで心の平和を得るプログラム「アティテューディナル・ヒーリング(AH)」の普及活動も行っています。水島さんがさまざまな舞台で、一貫して伝えようとしていることは何なのでしょうか。現在「1ヶ月1冊」のペースで全力投球する執筆活動への想いなども含めてお聞きしました。
自分自身の「心の平和」に責任を持つ
――現在の水島さんの活動内容について伺えますか?
水島広子氏: 領域としては2つで、1つが私の精神科医としての専門である対人関係療法、もう1つはボランティア活動であるアティテューディナル・ヒーリング(AH)です。活動の形としては、診療と、AHのワークショップ、様々な講演、後進の指導、そして今1番時間を使っているのが本を書くことです。診療よりも執筆している時間のほうが長いです。
――執筆を始められたきっかけはどういったことでしたか?
水島広子氏: もともとは医者として、情報に手が届かない人に向けて書き始めたんです。患者さんを直接診てよくすることはできるし、特に対人関係療法というのは効くんですけど、私が病気の中でも1番専門にしている摂食障害の患者さんがあふれ返っている中、きちんと治療できる人が日本に非常に少なかった。それで、もともと私が患者さんに自分でプリントアウトして配っていたものが本になって、「本を読んで良くなりました」という声をたくさんいただいたんです。
――政治の世界でも活躍されましたね。
水島広子氏: 政治家になったのは、「いろいろな問題は、社会のシステムが整っていないから起こってくる」と思ったからです。社会が変われば人々の心が変わるんじゃないかというのが当時の仮説だった。でも国会議員になってみて、制度が変わって良くなった部分もあったけれども、ずっと活動を続けているうちに、何か人の「依存性」が気になる様になってきました。
――つまり、人が政治家へ依存するということですか?
水島広子氏: 「お願いしますよ」みたいな感じです。それはもちろん国会議員としてやるべき領域はありますが、社会がうまくいかないことを全部政治の責任のように語る風潮は、結局何でも人のせいにするという文化を作ることでもある。政治家はあくまでも仕組みを作るだけであって、そこに乗せていく心はまた別です。1人1人が自分の心の平和に責任を持つと、無限の可能性が広がって、世界が平和になると思うんです。例えば誰かから暴言を吐かれた時に、自分が傷つけられたから仕返しをしてやろうとか思うのではなく、「あの人はよっぽどパニックになっていたから、あんなめちゃくちゃなこと言ったんだな」と思うだけで、自分の気持ちも優しくなるし、自分の心も平和になる。AHのテーマは自分の心の平和なんです。でも重要なところですが、「世界平和のためにAHをやろう」となると順番が逆になる。「できていないじゃないか」とか、「やるべきだ」みたいになると、結局心が平和ではなくなる。常に考えるのは自分自身の心の平和のことだけで、そういう人たちがあちこちに発生していくと、結果として世界が平和になるだろうというのが今の私の考えです。
リアルな生きざまが見える本が好き
――幼少期、学生時代はどのような本を読まれていましたか?
水島広子氏: 私は文学少女でした。伝記が大好きで、小学校2年生くらいまでに、日本語で出ている伝記をほとんど読んだくらいです(笑)。1日に2冊3冊と読んだ日もありましたね。今になって、何故精神科医になったり政治をやったりしているのかというのを考えてみると、当時から人の生きざまが好きだったからだと思います。
その後は小説も読む様になって、好きだったのがシャーロックホームズです。中高とずっと桜蔭だったのですけれど、高校入試がない代わりに中学の卒論があって、テーマをホームズにしたのです。それも今の職業に通じていて、ホームズについても、パーソナリティー分析とか、人物描写とか、「ここでこういうことを言っているのはどういう意味だろうか」とか、人物についての洞察をする。ルパンは幼稚な感じがしていたんですが、ホームズは本物だと思えた。
大学生になると、カミュ、サルトルとか、フランス文学を一応読んで、カミュは好きだったけれども、それ以外はそれほどでもなかった。サガンは退廃的で好きでした。やはり好きなのはリアルなものです。ノンフィクションを読み始めたのは、多分中学2年生くらいからです。そのころから本多勝一がすごく好きになって、一連のルポタージュを読みました。『中国の旅』を読んで、気持ち悪くなって吐いて、2、3日熱を出したくらいに衝撃を受けた。歴史認識みたいなものも、心に深く刻まれました。
――最近読まれて印象に残っている本はありますか?
水島広子氏: 有益だったのが、『Living Without Money(邦題『ぼくはお金を使わずに生きることにした』)』。イギリス人の若者の、お金を使わないで1年間生きてみるとどうなるだろうという実験です。人がやってみたことを本から知識として得るのが好きなんです。私は理屈っぽいので、書くときは読み解く本を好むことが多いんですが、読む本は実体験の本が多い。自分自身はお金を使わないで生きていくことはできないけれども、実際やってみるとどうなったかという実験結果みたいなのは読みたい。後はやっぱり伝記ものが今でも好きで、『人間ガンディー』という本が読みかけです。
良いエネルギー、愛に満ちた本を書きたい
水島広子氏: 私は、「この本は怖れを煽る本だ」と思うと、数ページで読むのを止めます。文章のエネルギーを感じるのです。AHの世界で言うところの「愛」に満ちている文章なのか、「怖れ」に満ちている文章なのかということです。最近、本屋に平積みされている、「何々を止めなさい」とか、「何々はダメだ」みたいな、人を脅す系統の自己啓発本は、エネルギーが悪くて嫌いです。良い本は読むことによって自分の心の状態が良くなるものです。例えば『Living Without Money』も、彼が人間的に成長していくストーリーです。最初は、「この実験を理解しない人たちは文明に毒されている」みたいな感じで始まるんですけど、途中から、自分を理解しない人を敵として排除するんじゃなくて、そういう人とも協調していくことが重要だという気付きを得ていく。そういう本を読んでいると気持ちいい。テーマは悲惨な事件のものであっても、良いエネルギーで書くことはできるし、悲惨さをあおって、絶望的な気持ちにさせることもできる。私は、人間は善きものなんだと思わせてくれる様な本が好きで、伝記が好きなのも、人が一生懸命生きている姿が描かれるからです。あるいは、パッと見た時の印象があまりよくない人、例えば、例に挙げて悪いですが、ホリエモンを見て「何、この人」と思っても、書いたものを読んでいくと、こういう理由があってこういう行動をとっているんだなと、人物理解が深まる。私は、理解が深まると嫌いでいられなくなるタイプです。精神科医なんてそうじゃないとやっていられない(笑)。だから、人を取材したものよりも、その人が実際に書いたものを読みたい。実際に書いたもの、あるいはスピーチとかを聞いて、本物か偽物かを決めます。
――本を書かれる時もそういったことを考えられていますか?
水島広子氏: 私はライターさんに書いてもらったことというのが基本的にはないです。愛を込めない本は書かないと決めています。仕上げの時には、決めつけの文章が入っていたり、人の領域に踏み込む様な文章が入っていたりすると気持ちが悪いので必ず修正します。例えば「あなたは」という言葉は「私たちは」とかに書き換える。「あなたは」とか言われちゃうと決めつけられてるみたいですよね。政治家の時も「有権者の皆さま」とかいう言葉は絶対使わなくて、「私たちは」しか使わなかった。専門家として本当に必要だと思ったら、「この病気のためにはこのお薬を飲んだ方がよいですよ」と言うことはしますが、そうじゃない時は「というのも良い考えかもしれません」と言う程度にとどめています。
本は「人生のペース」に合った媒体
――さまざまなメディアがありますが、その中でも本はどういった存在でしょうか?
水島広子氏: 媒体として、私は本が1番好きです。なぜかと言うと自分のタイミングで読めるから。書く時も、出版社にもよりますが、雑誌よりは自分ペースで書けますからね。私はマイペース人間なので、自分のペースが守れないことが嫌いです。電話も仕事ではほとんど使わずに、メールでやり取りします。電話で自分のペースを乱されるのが嫌いです。携帯も自分がかける時しか使わない。本に比べるとテレビなどはとてもペースが速い業界ですね。元気にやっていますということを見せるために時々出ますけれども。
――メディアによって人への伝わり方も異なってきますね。
水島広子氏: ワークショップに来られる方の中には、私のAHの1番ベーシックな本である『怖れを手放す』を3年前に買って、本棚にあったけどなぜか読む気にならなくて、最近ふと手が伸びて読んだら、まさに今の自分が必要としている内容だったと言う方もいます。本って、ある時読んで、「今じゃないな」という時がある。捨てる気にもならないけど今読む気にもならない本が、人生のある時期にぴったりくる。本は人生のペースにも合っている。トラウマの方などは、精神的につらくて、「これ以上触れないで」みたいな時がある。そういう時、テレビだと嫌なのに目に入ってきてしまう。本なら閉じればいい。小学校2年生の時の私みたいに1日2、3冊読むこともできる。本というのは人生のテーマなり生活なり、いろいろな意味で自分のペースに合わせて読める。あと人に勧めるのも本が1番良いと思います。
『ONE PIECE』は究極のAH漫画である
水島広子氏: 文字で体験するのが1番本質に触れられる。変な意味で衝撃的ではない。ビジュアルに入ってくるものって人にトラウマすら与えます。だから私は津波をテレビで何度も流すのは止めてくれと震災時に主張していました。衝撃を受けてしまうと衝撃のところで止まってしまうので、本質をじっくり考えるのが怖くなる。私は本多勝一の本を読んで吐いてしまったんですけれども、私が吐きながらでも歴史に向き合おうと思ったのはやはり文字だったからです。
――漫画の良さ、活字の良さがそれぞれありますよね。
水島広子氏: どちらかというと私が文字派なのは、漫画だとどうしても集約され過ぎてしまって、深く思考しないからです。何で大人たちが漫画じゃなくて本を読みなさいと言うのか、子どものころは分からなかったけれども、漫画の方が結論を押し付けられる感じがあって、本はそれがモヤモヤって来るので、言いたいことを自分で考えたり自分で拾ったりできる。やっぱり本の方がマイペースだと感じています。ただ、『ONE PIECE』は大好きですよ(笑)。『ONE PIECE』は、多様性のあるものを投げかけてくるので、いろいろな解釈ができて、大人でも楽しめる。善悪が分かれてないところが良いんです。敵だった人が仲間になったり、決めつけがない。象徴的なのがカマバッカ王国のニューカマーたち(笑)。生まれた時は男だろうと女だろうと、好きな方で生きていけばいいという発想がいい。『ONE PIECE』は海外でも売れているらしいです。社会的マイノリティーが自分たちのことをくみ上げてくれていると感じる。私は『ONE PIECE』は究極のAH漫画って思っていて、各地に講演に行く度に、そこにいる大人を捕まえて勧めています。ただ、暴力シーンが多いのは困りますけれどもね(笑)。
電子書籍と紙、多様な選択肢があれば良い
――本の新しい形として電子書籍がありますが、水島さんはご利用になっていますか?
水島広子氏: AmazonのKindleの外国版を持ってはいるんですけれども、私は電子書籍を読むのが得意じゃないんですよ。小学校6年生の息子は大好きで、楽天がkoboをゴールドカード所持者に一斉にタダで大盤振る舞いしたことがあって、そのkoboを息子に貸すということで事実上あげたんですけど、一生懸命読んでいますね。それもおやじみたいにお風呂の中で読むんです(笑)。
――電子書籍の可能性についてはどうお考えですか?
水島広子氏: 電子書籍についてプラスなことは、やはり軽いということ。旅先とか出張の時とか、「あの本を読みたいな」とふと思った時に出してこられるのがいい。私は本を自炊したものをパソコンに入れているんですが、急に必要となった時に取り出せるというのは便利です。電子書籍は、先ほど言った自分のペースにさらに合わせられるというのはありますよね。ただ、自分が本を作っているからというのもあるのですが、紙の方が今のところ私は好きです。装丁も含めて、本はトータルの芸術だなと感じられますから。
――紙の本と電子書籍は共存していったほうが良いとお考えですか?
水島広子氏: やっぱり選択肢があったほうが良いということだと思いますよね。このごろ自分の書く本も、契約書が2通になってきていて、普通の契約書と電子書籍の契約書がある。見たら電子書籍の方が印税率が高いんです。じゃあ良いんじゃないかとか思ってサインするんですけれども(笑)。私はとにかく1人でも多く読んでくれたらいいので、どっちも排除せずにやっていった方がいいと思っています。あとはもう好みです。私も含めて紙が良いという人もいるので、紙の本もいつまでもあってくれたらいいなと思います。
相互理解は病を癒やす力を持っている
――水島さんがご専門とする対人関係療法とはどういったものでしょうか?
水島広子氏: 対人関係療法は、例えばうつ病に対しては薬と同じくらいの効果が科学的に実証されている治療法で、他にも、摂食障害にもよく効きますし、不安障害にも用いられています。治療を通して、対人関係上の問題を解決したり、自分を支えてくれる人間関係を豊かにしたりしていきます。その中では、うまくいかない人間関係を「役割期待のずれ」という観点から見ていく、ということもします。自分は相手に何を期待しているのか、それは相手にとって現実的な期待なのか、というようなことを見ていくのですね。ただただうまくいかない関係というのはなくて、常にそこには「役割期待のずれ」がある。そして、相手にとって何が現実的な期待なのかを知っていくことは、人間関係を驚くほど改善するものです。
例えば小さな頃から親に傷つけられて病気になってしまった子がいる。子と言ってももう大人になっていることが多いのですが。子どもは、「そういうことは言わないでって頼んだのにまた傷つけられた。自分を愛していないんだ」というふうにとらえている。そこで私が親はどういう人なのだろうと診てみると、親はどうやら発達障害を持っていて、だから子どもをとても愛しているのだけれど、「こういうことを言ったら子どもが傷つくのではないか」という想像力が働かない。子どもに「親御さんはどうも発達障害のようです」と言って、そういうことを説明すると、子どもというのは素晴らしくて、長年傷つけられて積もった恨みがあっても、親をゆるし始めるんですね。親は子どもを無条件に愛するって言うけれど、日常的には「条件付きの愛」を与えがちな親が多い。もちろん命が懸かるくらいになると無条件になりますが。でも、子どもが親を無条件に愛しているというのは本当ですね。親のことをひどいって思っていても、ゆるすチャンスを常に狙ってるようなところがあります。私の上の娘が今度高1になるんですけど、「子どもってなんだかんだ言っても親に優しいよね」って言ったら、「当たり前だよ、子どもってそういうものだよ」って言うんですよ。うちの娘って全然いわゆる「いい子」じゃないんですよ。社会的に見るとむしろ悪い子なんですけど。
――お互いの立場を理解することで癒やされますね。
水島広子氏: もうひとつ例を挙げると、いじめによるトラウマなどによって病気になった人で、時々、強いストレスにさらされると解離(意識の連続性・統合性がなくなること)して万引きをしてしまうような人がいるんです。摂食障害の患者さんに多いのですが。もちろん本人にはその間の記憶がありません。本人は真面目な人で、声をかけられて気がついて「私またやっちゃったんですか」と衝撃を受ける。それは悲劇ですよね。警察、検察、裁判所などとも連携しなければならないのですが、こういう状態のときに、正しい医学的知識のもとに事態が整理されていないと、親は「家族に迷惑をかけてばかり。もうこの土地で暮らしていけない」と言うようになる。みんなが本人を責め立てて、まるでいじめが再現されるみたいになってしまうのです。治療に入って、「実はお子さんは昔こんなひどいいじめにあっていて、トラウマの症状があって、やったことを何一つ覚えていないんですよ。もともと規範意識が高い方ですから、それはすごくショックで自分を責めてしまうことなんです」ということを伝えると、親は初めて1番かわいそうなのはこの子なんだということに気がつくんですよね。それで「頑張って一緒に治していこうね」みたいに言うと、子どもはだんだんと安心して、トラウマも癒えてくる。もちろんトラウマからの回復には時間がかかりますが、回復のための土台ができた人は軌道に乗っていく。そうやって専門知識を提供することによって相互理解を深めるお手伝いができるんです。
他人と自分を「ゆるす」温かい空間
――もうひとつの活動であるAHはどういったものですか?
水島広子氏: 私は精神科医としては対人関係療法を行いますが、対人関係療法とAHは全く異なるものです。AHは精神医学とは何の関係もなく、いろいろな立場の人たちが、安全な場で自分のことを話し、人の話を評価を下さずに聴く、ということをします。もちろん人間同士ですから、最初顔を会わせた時は「ああいうタイプって嫌い」みたいに思うこともあります。例えば過去の体験から「男性が苦手」という女性が、男性と同じグループに入る時がある。そんなときに「実は自分は妻に暴力を振るってしまって」などと男性が話し始めると、もちろん女性は警戒的になるのですね。ところがその男性が、「自分は親からも殴られけられて育った」とか、「自分はだめな人間だと思っているので、妻から言われたこの一言をこんな風に思ってしまって」とか、「悪いと思ってるんだけどどうすることもできない。妻に申し訳ない」みたいなことを一生懸命語るのを聞くと、「あなたにもそんな過去があったのね」とか、「私にも加害者だった側面があるかもしれない」ということに気がついてくる。いろいろな人がいろいろな立場で一生懸命生きてる様子を聞くと、ただただ「悪い人間だ」「人間として信じられない」などと評価を下していたときとは異なり、人間というものへの理解が深まり、他人と自分のゆるしが深まる。朝始まった時と終わる時で部屋の温度が違う感じなんですよ。
――参加された方の多くに変化がありますか?
水島広子氏: AHのすごさは、今までワークショップをずっと行ってきて、ハズレがないってことなんです。皆、何かしらを感じて帰っていく。『怖れを手放す』という本は実録ですけれど、出てくれる人をAHのコミュニティーから募りました。女性は先着順にするくらい希望者が多かったけれど、男性の希望者がそろわなくて、版元の星和書店になんとか男性を集めてくれと頼みました。そうしたら、出入りの印刷業者の方などを連れてこられたんです。その方たちは、お世話になっている星和書店さんから言われたから来ました、みたいな感じで、もちろんAHが何かも知らない。不機嫌に、「ゆるし」なんてかったるいといった雰囲気の方もいて(笑)。ところが、その日の終わりには表情が変わっている。最初は怖い顔をしていた男性も、「朝は緊張していたのですが」とかカミングアウトする。そういう風に言ってくれると温かい空間になりますね。だから男性も「本当は俺、怖いんだ」みたいに言うことができて、女性たちが「男も大変だよね」と聴いてあげられる、そんな意味でもAHは貴重な場だと思います。
――男性は女性に弱みを見せられないということは確かにあるでしょうね。
水島広子氏: 「男は黙ってサッポロビール」みたいな文化がある(笑)。愚痴ると「あんた、男なのになんなの」と言われる。AHに来る女性って美しい女性がなぜか多いのですが、美しい女性たちの温かい雰囲気の中で、男性が「実は自分は、妻に急に去られて、すべてを失った気がした」などと言うと、女性が、「抱きしめてあげたい」みたいな気持ちで聞いている。美しい、優しい女性たちから「あなたは頑張っているわよ」という目で見られて、楽園みたいな雰囲気です(笑)。
形を変えながら「無条件の愛」を追求してきた
――今後の活動の展望を伺えますか?
水島広子氏: 私の人生は大体6年単位なんです。私が「無条件の愛」という概念に目覚めたのが12歳くらいで、18歳からの6年間は、私の人生の中では最も悩みの多かった時期であり、かつ、最も俗世間にかぶれていた時期です。慶應医学部に入った時、左翼少女だった私ですら権力志向になって、俗っぽくなった。体育会にも入ってビシビシしごかれましたが、合コンだ飲み会だナンパだ、マハラジャとかそういう時代でしたから。でも本性には合わないので精神的にはパッとしない時期だった。それで24から1年間放浪旅行に出て、アイデンティティーを取り戻して、そこから6年間は精神科医として能力も1番伸びて、大学院で研究もしっかりやった。次の6年、2005年までが政治がテーマなんです。その後の6年間で、米国にも住み、今やっているAHの活動の基盤を日本に作って、2011年は震災があって、「怒り」本がヒットした。「怒り」までは病気の本ばかりで、一般的なテーマの本はほとんど書いていなかった。でもそれからいろいろなテーマで月1冊くらいのペースで一般書を書く様になりました。だから2011年からの6年間は、ちょっと大変だけれども、一般人に向けて、AH的なものを普及させる時期だと思っています。最近、AHのボランティアの方達も育ってきたので、AH活動そのものは次の世代の人たちにやってもらって、人材を増やすトレーニングもしていきたいと思っています。
――並行して診療や研究も続けられていくわけですね。
水島広子氏: 2006年の10月から日本でAHをやっていて、最初は精神科医も研究も全部止めて、AH活動に専念したいって思った時期があったんです。でもアメリカで、AHの創始者であるジェリー・ジャンポルスキーとか、AHの元本になった『奇跡のコース』という本を出したジュディス・ウィトソンなどと話していた時、「あなたの社会的なステータスがあるから、怪しくない感じがして、人が出入りできる」って言われたんです。日本でもそれは言われたことがある。確かに、私がつぼを売りつけるとは思わないですよね(笑)。日本では最近のスピリチュアル・ブームの中、AHについても怪しいのではないかと思う人もいる。私がある程度社会的な義務も果たしつつ、AHはAHで人材をどんどん育てて、すべての責任は私が取るという感じでやっていこうと思って、厚生労働科学研究もやっています(笑)。まあ、患者さんを診るのは好きで、精神科医は私のアイデンティティと言えばアイデンティティなのですが。
――お話を伺うと、さまざまな舞台での経験がすべてリンクしていると感じます。
水島広子氏: 私のここまでのキャリアは、自分では一貫性があるつもりですけど、すごく変わっています。私としては何かを途中で放り出したつもりは1回もないんですけど、1つの形を6年以上続けられないというのも事実なんです。形を変え、進化し、脱皮して、12歳で目覚めた「無条件の愛」という1つのテーマを追求しているんだと思っています。それに、いろいろな業界に出入りしているから、ジェリー・ジャンポルスキーから、「君は将来的にはマグネットと呼ばれる様になるだろう」と言われています。つまり政治、金融、精神医学、AH、ジェンダーとかDVとか、貧困、人種差別、戦争、環境といった違う領域に見えるものを、全部同じ温度で考えている。普通の人だとつなげないテーマをつなぐのが私の頭の構造です。いろいろな領域に全く同じ顔をして、足を突っ込んでいる人間なので、さまざまなところに顔を出しつつ、AH的な姿勢で生きていくというのが役割だと思います。
――執筆にもますます力が入りますね。
水島広子氏: 多くの人に知らせていくためには本という媒体は大切ですから、メインとしては書く6年だと思っています。もう今年、来年くらいまで書くものが決まってしまってスケジュールはパンパンですが、その間になんとかAHのシリーズと、もう1冊専門書を書かなければいけない。どう割り込ませるかですが、それでもめげずにやっていきたいです。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 水島広子 』