早坂隆

Profile

1973年生まれ、愛知県出身。日中戦争や太平洋戦争をはじめとする日本の近代史などを主なテーマとするノンフィクション作家、ルポライター。戦時中の中等野球大会(現在の高校野球の前身)の詳細を当事者たちからの聞き取りによって浮き彫りにした『昭和十七年の夏 幻の甲子園』(文春文庫)は、NHKでドキュメンタリー番組化され、第21回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、第2回サムライジャパン野球文学賞ベストナイン賞を受賞した。また、世界のジョークに関する著作も多く、『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)シリーズは累計100万部を突破している。

Book Information

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猿岩石の番組で、マンホールチルドレンを見てひらめいた


――実質的なデビュー作の『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』ですが、出版はどういったきっかけからでしたか?


早坂隆氏: 当時、共同生活から僕が最初に抜けて、リクルートの情報誌でアルバイトをしていました。本当はノンフィクションをやりたかったんですが、やっぱり食えなかった。アルバイトとして、製本所よりはいいかという感じで情報誌をやっていたんです。それで、なんとなく食える様にはなっていた。でもやっぱり満足のいかない部分があった。
その当時テレビではやっていたあの猿岩石が、ルーマニアに行った時に野宿をしていたら、マンホールに子供たちがいて、「そんなところで寝るなら、マンホール来いよ」みたいなことでついて行くとマンホールの下で生活しているシーンを見て、「これをもっと知りたい」と思った。きっちりどういう子供たちが、どういう経緯でここに住んで、どういう生活をしているのかを知りたいと思いました。何より活字として僕自身が読みたいと思った。

それでリクルートを辞めて、東京のアパートも引き払ってルーマニアへ行きました。ピンと来たんです。結局、合宿共同生活の時に皆で話してた1つのキーワードっていうのが、「パイオニアウォーク」という言葉です。これは「誰もやったことがないことをやろう」ということで、もともと探検家や冒険家がよく使う言葉です。しかし、どの分野でも使える言葉だろうと思います。このノンフィクションの分野でも、誰かが似た様なことをやっているテーマを今更取材しても面白くないし、やりがいもない。やっぱりパイオニア性のあるノンフィクションをやりたいと思っていました。その定規で考えた時に、そのルーマニアのマンホールチルドレンの話を、きっちりノンフィクションとしてまとめることは、まだ当時誰もやっていなかった。小さな新聞記事なんかでは出たことがあったけれど、1冊の本として、ノンフィクションとしてまとまったものはなかったので、「それをやりたい」と思った。

――「やりたい」というご自分の気持ちを信じて、ルーマニアに行く決意をしたんですね。


早坂隆氏: やるに当たっても、東京とルーマニアを行ったり来たりする方法もあったけれど、そうじゃなくて、もう向こうに腰を落ち着けて、住みながら向こうの文化や背景を理解した上で取材したいと思った。言葉も通訳を付けるんじゃなくて、ルーマニア語で直接子供たちとコミュニケーションを取りながら本音を聞き出したい。そのマンホールに住んでいる子供たちは、例えば親に捨てられた子とか、親から虐待を受けて逃げてきた子とか、そういう子たちなので、そういった話しにくいことを、わけの分からない外国人に話すわけがない。本音を引き出すためにやはり、彼らの言葉で時間をかけて関係性を築きながら取材したいという、そういう思いがありましたね。

30歳までにノンフィクションの世界に足がかりを付けたかった



早坂隆氏: パイオニアワークというと企画の話になりがちですが、やはり大事なのは書くまでの準備であったりします。手間暇かけるとか、そういったところが大事です。単なるアイデアということではない。野球で言うと、イチローのすごさは、あの打席の中だけじゃなくて、打席に入るまでの準備をいかにしているかというところに価値がある。ノンフィクションの場合は取材です。そして取材の前段階。そういった準備をきっちりする。今の例で言えばルーマニア語をまず一から勉強するという準備が大事です。

――その時はおいくつだったのですか?


早坂隆氏: 行った時は28歳です。30歳までに、なんとかこのノンフィクションの業界でとっかかりを作りたかった。だから28歳で行くと2年間で30歳になる。情報誌のアルバイトでは結構お金をもらっていたので、辞めてルーマニアへ行くのはリスクでした。でも何にもしないリスクっていうのもあるんです。情報誌にずっといて夢を追わず、もう確立した生活の中で、生活はできるんだけども、でもそのまま30歳を迎えて終わってしまうリスクもある。
何かするリスクは見えやすいし分かりやすいけども、何にもしないリスクっていうのもあります。当時、「ルーマニアへ行かない方が危ないじゃないか」と思った。やらない怖さの方に不安があって、ルーマニアを選びました。それに、当時ルーマニア人の平均月収は月1万円くらいだった。そうすると単純計算で年12万円。2年で24万。プラス航空代金などはもちろんかかりますけれど、そのくらいで2年暮らせるのはすごいことだし、好き勝手できるじゃないかと思いました。2年終わって帰ってきたって飢え死にはしないという思いがありました。

――そのあと、紛争地のジョークの本を出されましたね。


早坂隆氏: 紛争地に行っている時も、パレスチナへ行くと日本のジャーナリストやジャーナリスト志望の若い子がいっぱいいる。そうすると町で空爆があったりすると、みんな同じバスに乗って行って、跡地を囲んで、バシャバシャ写真を撮っている。僕は、「バカじゃないか」と思ったんです。
だから僕は、そこを素通りしてパレスチナ人のジョークを集めていた。こっちの方が面白いと思いました。当時は、「あいつ何をやっているんだ、パレスチナまで来て、なんで笑い話なんか集めているんだ、写真撮れ、空爆が起きているんだぞ」と随分怒られました。でも僕は「興味がない」と言って、ジョークを集めていた。結局そこに希少価値が出て、最初のジョーク集の『世界の紛争地ジョーク集』という本につながった。版元の人も、「こういう切り口の方が初めてだし、面白い」ということで本にしてくれました。

著書一覧『 早坂隆

この著者のタグ: 『旅』 『海外』 『ライター』 『ノンフィクション』 『作家』 『自転車』 『ジャーナリズム』 『編集長』 『取材』 『きっかけ』 『価値』 『ルポルタージュ』 『ユースホステル』

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