ロボットから「人間の幸せ」へ、大きく興味が転換した
前野隆司さんは、キヤノンのエンジニアを経て、1995年度から2007年度までの13年間、慶應義塾大学理工学部機械工学科の教員を務められ、ロボティクス、ハプティクス、アクチュエータなどの研究を行ってこられました。2008年度から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)に所属。人間の幸せについて、また、社会・コミュニティーをデザインする方法について、ご研究をされています。そんな前野さんに、本との関わりについて、また電子書籍についてのお考えを伺いました。
SDMで、理系も文系も含むあらゆるシステムをデザインする。
――前野さんは慶應SDM(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科)に所属されていますが、慶應SDMはどんな研究が行なわれているところなのですか?
前野隆司氏: 慶應SDMの学問基盤の一つであるシステムズエンジニアリングは、もともと、軍事機器や宇宙機器のような大規模なものを、適確にデザインするという学問でした。最近は、都市やコミュニティー、人間の不確定な判断など、人間を含むシステムもデザインするようになってきました。今の慶應SDMでやっていることは、理系、文系を問わず、あらゆるシステムをデザインする方法を含んでいます。私自身は個人の幸せや感動などの研究をしたかったのですが、個人だけではなく、段々と「どうすれば社会がうまく作れるか」ということや、「人と人のつながりや協創」を研究したい学生が増え、今はそのような分野をメインとした研究をしています。
――慶應SDMで過ごされる日々について、どのようなお考えですか?
前野隆司氏: 教育現場には精神的な喜びがあるので、教育というのはすばらしい仕事だと思います。人が育つということはとても楽しいことです。
――幅広い年齢層ですね。
前野隆司氏: 5年前まで所属していた機械工学科では研究分野も機械工学だけで、学生も全員20代だった。今はロボットから人の幸せまで、いろいろな研究をしている人がいるので、社会の縮図のようです。学生さんはプロのバイオリニストや会社の社長から家庭の主婦の方まで、本当にいろいろな人がいます。その人たちは私の本を読んで共感してくれる人が多いので、志を共にしている仲間集団のような感じで、楽しいです。
――義塾という感じですか?
前野隆司氏: 私も一員として、一緒に入っている感じです。ここで何かを作るんだと希望に燃えている人もいれば、自分とは何かを知りたい人もいる。何らかの本質的なことを知り、社会のために実践したい集団ができています。
幼いころから理想を夢見ていた。目指していたのは平和と幸福だった。
――前野さんの幼少期のこともお伺いしたいと思います。
前野隆司氏: 父が中国電力に勤務していたので、転勤で中国地方を転々とする暮らしでした。子供の時は、割とおとなしい子で、本をそれほど読んではいなかったと思いますが、何かを成し遂げたいという野心は持っていました。医者、哲学者や芸術家あるいはエンジニアなど、いろいろなものになりたかった。幼いころから「自分とは何か」とか、世界のことなどを考える子供だったからか、まわりから少し浮いていたと思います。友達は皆テレビでウルトラマンなどを見ていたので、話を合わせるために見たり、みんなでサッカーしている時には一緒に遊んだりして、変わり者だと悟られないようにしていた覚えがあります。
でも本当は「世界平和はどうやったら実現するか」、「人間はなぜ神を創ったのだろうか」「死んだらどうなるんだろう」などと考えていました。死ぬということはどういうことなのかというところから、宗教、世界の平和にも興味があった。そのほかにも、技術にも興味があったので、「技術者として人々の生きがいのある世界を作るにはどうしたらいいか」という空想にふけったりして、妙にスケールが大きい理想主義者のようなところがありました。しかし、当時は、何かを書いたり発表するだけの自信がなかったので、哲学者や芸術家になる夢は諦めました。それで、エンジニアは、地味だけど世の中の役に立てそうだと思って、機械工学へ進んだのです(笑)。
――ご両親は教育に対してどのようなお考えでしたか?
前野隆司氏: 両親は教育が一番大事だという考えでした。「財産は残さないが、教育は好きなだけ受けさせる」と言ってくれていました。両親から「勉強しなさい」と言われたことはなかったですね。父は私を医者にしたかったようで、さりげなく「良い仕事だね」と話題に上らせてみたりしていましたが、結局私は医学の道には進みませんでした。
――いつごろから読書をされるようになったのでしょうか?
前野隆司氏: 大学生くらいから、哲学書も読むようになりました。幼かったころ読書しなかった理由は、国語がすごく苦手だったからです。今思えば、文章理解力が遅咲きで発達したのだろうと思います。自分から何かを発信するのは好きですが、人の情報を受け入れるのは今もあまり得意ではないので、あまり多読ではありません。絵も描きますが、ほかの人の絵を観るより描くほうが好きです。本は、自分が何か本を書きたいと思った時に、参考資料として飛ばし読みすることが多いです。
読書が苦手だったおかげで、わかりやすい文章が書けるようになった。
――読書が苦手だったとおっしゃいますが、今は書き手として活躍されていらっしゃいますね。
前野隆司氏: 自分が文章を読むのが苦手だからか、簡潔でわかりやすい文章を書くのが得意なんです。27、8歳くらいの時、キヤノンでの昇格試験で小論文を書いたのですが、同期1000人くらいのうちで私がトップだった。その時初めて「自分の文章はわかりやすいんだ」ということに気が付きました。それからは自信を持って、「本を書きたい」と思うようになりました。
――ご著書などを書かれる時には、どのようなお気持ちで書かれていますか?
前野隆司氏: これまでに単著で出した本が6冊ありますが、基本的に「人生はニヒリズムであり、無である」ということを伝えています。「生きている本質的な目的などはないんだ」ということを伝えたくて本を書き始めました。そのころ茂木健一郎さんがクオリアや脳について本を書いていて、その説に対して反論しようと思って本を書き始めたんです。しかし、その後、実際ご本人と対談してみて、「ふたりの考えは実は近い」と意気投合しました。だから茂木さんは私に本を書くきっかけをくれた恩人なんです(笑)。
――どのような本をお読みになっていますか?
前野隆司氏: 私は基本的に、自分の研究や本を書く時に、関係した本を読みますが、それ以外にはあまり読まないんです。人はどうして他人のためになろうとするのかというテーマは面白い。もともとは個人のことに興味があったけれど、今はコミュニケーションにも興味があります。最近読んで面白かった本は『利他学』という本です。人はどうして利他的になるのかというのがテーマです。人間行動進化学から利他について述べています。
例えば、見える場所に目の絵を描いておくと、人間は、目の絵だとわかっているのに、無意識に見られていることが気になり少しいい格好しいになってしまう。人間の利他性は高尚なことのように思えるけれど、実は生物学的に遺伝子に埋め込まれているという面白さがある。カントのように「哲学的に絶対正しいことはあるべきだ」という考えは、間違いだと私は思っています。単に人間は自然淘汰に生き残るように作られたにすぎない。そう考えるとすべて説明がつくのではないかと思っています。
――先生が常におっしゃっている「受動」の考えにつながりますね。
前野隆司氏: 哲学が好きな人で腑に落ちないとおっしゃる方もおられます。理系というか、進化論的に積み上げて考えることに慣れている人は納得がいくと言ってくれます。
編集者に提案されたテーマよりも、自分が書きたいテーマの方が売れる本になる。
――書き手として理想の編集者像とはどういったものでしょうか?
前野隆司氏: 編集者は面白い仕事だと思います。個性的な方が多く、それぞれにスタイルも違います。飲みに行くのが好きな人もいるし、お堅い方もいるといったように。理想というのは特に思い浮かばないですが、私の場合は、あまり文章を直されないので、編集者にとっては楽なタイプではないでしょうか。だから編集者で苦労したことはないのですが、実を言うと、編集者の方の企画で書いた本はあまり売れないんです(笑)。書きたくてしょうがないことがあって、「これを伝えるぞ」と気合いを入れて書いたら、売れます。そんな経験から思うのは、新しい分野の本を作る力のある編集者で、ある程度放っておいてくれて、しかし広い読者が望むような適切な助言をしてくれるような編集者が、私にとっては良い編集者なのかなと思います。
――執筆のペースはどれくらいでしょうか?
前野隆司氏: 書くのは速いのですが、推敲に時間がかかるので、結局、遅いです。最初の本は2年くらいかけて書いたんです。段々速くなってきましたが、仕事の合間なので必ず半年くらいかかってしまいます。
――執筆作業はどのようにされますか?
前野隆司氏: テーマとして「これが書きたい」という全体像は決まっても、細かいところが決まるまでは、付せん紙のようなものに書いて、整理をする。例えば、人間の認知について書き出して整理をして、それをずっと眺めてみたりする。だから書き出すまでにすごく時間がかかります。目次は、どこに何を書くかおおよそわかった段階で書き始めます。その後は思いきりスピードを出して書いて、その後でまたずっと寝かしておいて直す、といった感じです。
同じようなことを授業で聞こうと思うと学生は学費を何百万円も払わなくてはならないのに、本だと2000円でおつりがくるから、お得だと思います。例えば『思考脳力のつくり方』という本は、1つの授業なので、あれを全部聞くと十数万円はかかるわけですが、本だと700円で読める。授業だと数十人くらいにしか伝わらないけれど、本だとそれが多くの人に伝わる。それで世の中が進歩するのが、本の醍醐味だと思っています。私が書いた本が、人類の平和や、幸福に向かっていくことに貢献できれば、こんなに幸せなことはないと思います。
――先生の本はロングセラーとして読み継がれていますね。
前野隆司氏: おかげさまで長く売れている本が多いようです。ロングテールみたいなところでも、少しずつ読み継がれるといい。そういう意味でも電子書籍の世界というのはいいと思います。
キヤノンでカメラのデジタル化の波を体験したからこそ、
本は電子化へ進むと言い切れる。
――電子化して電子書籍で読む行為に対して、書き手としてはどんなご意見をお持ちですか?
前野隆司氏: 昔、キヤノンにいたころ、カメラ部門は売り上げの2割くらいしかなく、会社のお荷物と言われていました。フィルムカメラの最後の頃です。ところがデジタル化の波が来て、カメラを持つ人口が予想外に増えた。電子書籍も同じです。書店はデジタル化に危機感を持っているけれど、今よりも多くの人が本を読む時代が来てもおかしくないと思います。Kindleに負けずに、家電メーカーと一緒になって、もっとアイディアを出していくべきだと思います。
――逆に書店やメーカーにはチャンスでしょうか?
前野隆司氏: 最終的に電子書籍が主流になるのは間違いないと思います。カメラも昔フィルムだったのが今はほとんどがデジタルデータになりました。今ではプロの多くもデジタルカメラを使います。こだわる人だけがフィルムを買う。これと同じで、一部だけが紙の本、という時代が来ると思います。紙の本じゃないと読んだ気がしないなどと文句を言う人がいますが、それは紙の本に慣れてた世代だからに過ぎないと思います。
25年くらい前にキヤノンでアナログの電子カメラを出して、当時は出すのが早過ぎたのか、失敗しているんです。技術の進歩から考えて、来ると考えるべき変化は必ず来る。これは、その失敗体験があるだけに、自信を持って言えます。アナログ電子カメラというのは、フロッピーディスクを入れてアナログ録画するものでしたが、まだ画質が悪かった。今の電子書籍の画質は紙の本以下ですから、当時のアナログ電子カメラと同じくらいの状態です。これからは技術進歩とともにほとんどが電子になると思います。紙はめくる、書き込めるなどと言いますが、将来的には電子的に、めくった感じよりもいい感じを出せるようになると思います。技術が進歩すれば、紙である必要はほとんどないと思います。
電子書籍は本の不自由さを解決できる未知の可能性を持つ。
――教育に携わる立場として、電子書籍の可能性をどうお考えになりますか?
前野隆司氏: 非常に可能性があると思います。電子書籍は検索も便利ですし、そこに動画を加えたり、インタラクティブにするなど、本の不自由さを一気に解決できる。そういう意味では、教育でも、単なる授業だけではなくて、eラーニングやソーシャルリーディングなど、インタラクティブなことや多言語対応もできるようになった。今の紙の本と将来の電子書籍はノートとパソコンくらい違うと思います。今やもう、テレビもインタラクティブになろうとしていますし、将来の電子書籍はいろいろなことができるようになると思います。ニコニコ動画だと、いろいろな人のコメントが出てくる。あんな感じで、例えば電子書籍を見ている時に、ほかの人のリアルタイムのコメントが読めたら面白いと思います。
自分の考えが1000年後にでも正しいと実証されれば面白い。
――最後の質問になりますが、今後の展望をお伺いします。
前野隆司氏: 興味があるのは、日本の考えを世界に伝え、人類の平和に貢献するというテーマです。今は、幸せについての本を書いています。現在は宗教同士が争っていますが、宗教を統一する方法があるのではないか、などといったことに思索を巡らせたりもしています。あとは、自分が書いてきた本を、電子書籍で英語や中国語に翻訳すればもっと多くの人に読んでもらえるだろうとも思います。日本人の考え方の本質は「和」です。よく、日本人は考えがはっきりしないと言われますが、実はどんなものでも来てくださいと言う無限抱擁だと思っています。はっきりしない曖昧さをあえて良しとしているところがある。西洋には伝わりにくいのですが、そこを言葉で、論理で伝えてあげるという仕事をすれば、日本は世界平和に貢献することになるのではないかと思います。そういうことを、思索、研究して、本としても世界中に発信したいと思っています。
私は1000年後にも読まれる本を書きたいという心意気で書いてるつもりです。電子書籍では、100年前のマイナーな本も読めるわけです。将来、私の本が電子書籍になって読み継がれてたとえば1000年後に、「あの時前野隆司が言っていたことは正しかったな」と言われれば痛快だと思います。その場にはいられないのが残念ですけどね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 前野隆司 』