コンサルタントは、昔風に言えば「軍師」や「参謀」
1963年広島県生まれ。86年、関西大学社会学部卒業。広告代理店、コンサルティング会社等に勤めた後、99年、コンサルタントとして起業(東京在住)。「戦国マーケティング株式会社」というユニークな社名で、ランチェスター戦略の専門家として企業の販売戦略の支援、社員教育などを手がける。小さいころから歴史好き、歴史に見る「小が大に勝つ」考え方を広めるべく、「歴史に学ぶ戦略経営」をテーマにした講演や本の執筆にも力を入れる。05年発行の著書「ランチェスター戦略『弱者逆転』の法則」(日本実業出版社)は5万1千部を突破。福永雅文氏にランチェスター戦略との出会いや、歴史に興味を持ったきっかけ、本の執筆を通して読者に伝えたいことなど、お聞きしました。
「小が大に勝つ」ことを生業に
――ランチェスター戦略のコンサルタントとして企業の支援、経営戦略教育、著書の執筆とご活躍中ですが、近況を伺えますか?
福永雅文氏: 私はコンサルタントで、企業の販売戦略作りのお手伝いをしています。その際の根拠、指導原理として「ランチェスター戦略」を中核に置いています。販売戦略作りのお手伝いの方法としては主に3つ。1つ目は、企業と定期的にセッションをして戦略を作り、それが定着していくまでのフォローをする。2つ目は、企業内研修。管理職などを対象に短いもので1日、長いものだと4、5日の研修を通じ「ランチェスター戦略」の考え方を伝授し、企業で活用していただく。3つ目が啓蒙活動で、本や講演を通じて「ランチェスター戦略という考え方を広めることです。コンサルが指導、研修が教育、講演・執筆が普及。この3つの方法で販売戦略作りのお手伝いをするのが、私の第1の仕事です。
第2の仕事として、「歴史に学ぶ戦略経営」というテーマで講演や執筆をしています。私はもともと歴史が好きで、歴史ファンがコンサルタントになったような人間。「ランチェスター戦略」も「ランチェスターの法則」という戦争理論をビジネスに応用したもので、私にとっては歴史の1つなのです。歴史には学ぶべきことが多くあります。たとえば、今、NHK大河ドラマで『八重の桜』を放映していますが、これは武士道を学ぶいい機会。では、武士道を現代のビジネスに応用するならどうするか、といったテーマで講演や執筆をしています。
――歴史を好きになったのは、どういったきっかけですか?
福永雅文氏: 私は広島県呉市の出身ですが、小学3年生の時にNHK大河ドラマで平清盛を主人公にした『新・平家物語』を見ました。その時に、清盛が日宋貿易の航路として切り開いたと言われる海峡「音戸の瀬戸」が呉市にあることを知りました。その場所に学校の遠足で行き、「歴史って面白い」と思ったのが最初です。自分の家の近くに歴史的な場所があることが興味深かったですし、父が海上自衛官で、清盛も海軍でしたから親近感がわいたのかもしれません。
翌年、同じく大河ドラマで司馬遼太郎原作の『国盗り物語』を見たのです。斎藤道三とその義理の息子の織田信長、甥とされる明智光秀、この3人を中心とした名作です。斎藤道三や織田信長が周りの大きなライバルを倒してのし上がっていく下克上、出世物語です。これを見て、「小が大に勝つ」ことに面白みを感じました。子供でも学校のクラスの中での力関係があって、「もうちょっと輝いて生きていきたいな」というようなことを思ったのです。勉強も運動も苦手、そんな僕でも、織田信長みたいになれたらいいなと子供心に思いました。それから歴史が好きになって、気がついたら「小が大に勝つ」ことを生業にしていました。私は今年50歳になりましたが、40年前から小が大に勝つということを追求してきたのです(笑)。
ランチェスターの専門家として独立
――関西大学で経済学ではなく社会学を選ばれたのはどういった理由からですか?
福永雅文氏: メディアやコミュニケーション、マーケティングに興味があったのです。マーケティングというのは経営戦略の中核的な概念なので、歴史とマーケティングが好きな青年という感じでした。それで、コンサルティング会社や広告代理店に勤めて、そういった仕事を一貫してやってきました。
――「ランチェスター戦略」とはどのように出会ったのでしょうか?
福永雅文氏: ビジネス競争も小と大の戦いであって、自社より大きな会社と競合する場面もあれば、小さいライバル会社と競合する場面もあります。小さいからといって負けてばかりではやっていけない。全勝はできなくても、ある割合、確率で勝っていかないと生き残れません。社会人になって、この当たり前のことに改めて気づいた時に「ランチェスター戦略」に出会いました。1996年のことでした。自分が10歳のころから追求してきた考え方を論理的に整理してくれていて、「ああこれだ」と思いました。
――その時はどういったお気持ちでしたか?
福永雅文氏: 最初にランチェスター戦略の研修を受講した時、講師の方が解説で「織田信長の桶狭間の戦い」を例に出されたのです。ランチェスター戦略の入り口となる考え方に「弱者の戦略、強者の戦略」があるのですが、私は研修後にその理論をもっと詳しく分析してみようと思ったのです。家に帰ってすぐ、資料を見ながら「これは弱者の戦略の局地戦」、「これは一騎打ち戦」と当てはめてみると、見事に整理できる。桶狭間に関しては、織田信長が3千、今川義元が2万の兵で戦い、3千が2万に勝った戦。一般的には奇跡的な勝利と言われていますが、私は必然だと思っていました。でも、整理して人に解説できなかったわけです。そこで、この理論を当てはめたら、プロとして解説できるレベルの分析ができたので、「これは俺のためにある理論だ」と確証を得ました。
――その出会いからわずか3年で独立しましたが、不安はありませんでしたか?
福永雅文氏: 大したキャリアも実績もなく独立しましたし、人脈も資本もありませんでしたから、いきなりランチェスター戦略の専門家としては食えないだろうことは認識していました。3年ぐらいかけて食いつなぎながらキャリアと実績を積んで、専門家として名乗れるだけのところにまずは持って行こうと思いました。幸い、独立当初からいい仕事に巡り合って、十数年、仕事に困ったことはないです。2003年から名刺に「ランチェスター戦略コンサルタント」という肩書きをつけて、ランチェスターの専門家として、ランチェスター戦略に関わらないような仕事はやらないように徹底しました。
企業にも多様性が必要
――ランチェスター戦略というのは、いつごろからの思想なのでしょうか?
福永雅文氏: ランチェスター戦略は、経営コンサルタントの故・田岡信夫先生が40年ほど前に構築したものです。70年代前半から80年代にかけてブームとなり、多くの会社が勉強したのです。ですから、ある年齢以上の人は「昔そういう本を読んだ」や「会社で勉強会をした」という経験がある。私は、田岡先生が構築した戦略の原理原則を受け継ぎ、それに様々な経営手法、理論を付け加えて「理論強化」をし、普及・教育・指導をさせていただいています。
――仕事をするうえで、大切にされている理念は?
福永雅文氏: 企業も個人も多用性が必要だと思います。私は全国に出張に行きますが、食事は必ず個人店を選んで行きます。居酒屋チェーンや飲食店チェーンは、正直言っておいしいし安いし、メニューも工夫されていますが、どの町もほとんど同じであまり行く気にならないのです。私は、一所懸命やっている人が成り立つことが私たちにとって幸せな状況かなと思っているからかもしれません。
一所懸命やっている人が成り立つ社会では、個性を持った店や会社が増えてくる。大手寡占化は私たちの選択肢を狭めるわけですから、必ずしも生活者を幸せに導くことではないと思います。生物多様性のように企業多様性、商店多様性を目指したいと言うか、少しでも貢献できたらと考えています。それは「小が大に勝つ」そのものです。
私も、いち自営業者です。大手寡占の波で日本にコンサルティング会社が5社しかないということになれば、廃業しなければならないでしょう。様々なブティック型のコンサルタントがいたほうが、顧客の選択肢が広がっていいじゃないですか。その考え方は、小学4年生の時「クラスの中でパッとしない僕だけれども、やり方次第で輝けるのではないか」と感じたことから何も変わっていないのです。
――そういったお仕事をされている中で、本を出版されましたが、どういったきっかけからでしょうか?
福永雅文氏: 99年に独立し、2003年からランチェスター戦略コンサルタントを名乗るようになりました。名乗った以上は世に打って出るということで、「知る人ぞ知る」じゃなく自らを販促しないといけない。広告業界にもいましたので、やり方はある程度は分かっていたわけですが、自分自身を商品にするのは非常に恥ずかしくて、実力もないくせに手練手管で名を売るのはいかがなものかとも考えて躊躇はしました。でも既に名刺に刷っていますし、後には引けなかったので、自分で自分を販促しようと、2004年にメールマガジンを発行することにしたのです。
今ではSNSに比べてあまりインパクトのあるメディアではなくなってきていますが、当時はそれを出していけば出版のチャンスは来るだろうと自分で小冊子を作ってメールマガジンを通じて販売したのです。するとメールマガジンを始めて1年も経たないころに、日本実業出版社がビジネス書の新しい著者を発掘するオーディションをやると聞き、応募しました。それに通って、翌年2005年5月に最初の本を出しました。
――福永さんは、本の執筆を通じてどういったことを伝えたいですか?
福永雅文氏: ランチェスターだけで、7冊本を出しています。ずっと読んでくださっている読者も結構いらっしゃるので同じことは書けない。「よく同じテーマでそれだけ本を書けるね」と言われますが、それぞれの本にテーマがあり、ランチェスターを解説することに変わりはないけれども、それなりに新しい発見があって学んでいただける本にしています。
あとは「実務体系」。理論は前の本にも書いてあるから、それをどのように具体的に企業が推進していくのかという実務体系を、どこまで解説できるかということをいつも考えています。ただ、書籍には書籍の限界があります。そこで書籍以外にも日本経営合理化協会でテキストと音声のCD教材を作っています。でも、もうそろそろ次の段階に入らないといけないと思っています。
――次の段階とは?
福永雅文氏: もっと理論強化をし、新しい要素を入れていくことです。読者にとって役に立たないものは必要のないものですから、読むだけではなく実際に使えるような本にしていきたい。本は形として残るものですから、恥ずかしくないものにしないといけません。
コンサルタントは現代の「軍師」
――電子書籍については、どう思われますか?
福永雅文氏: 紙がデジタルデータになっているだけで同じだと思っています。電子媒体で読みたい人は読めばいいし、紙が好きな人は紙で読めばいい。要するに中身の問題なので、「中身が同じならどっちの方が使いやすいか」という程度の話です。電子書籍ならではの、紙の本にはないコンテンツが出てくると一挙に普及するのではないかと思います。
例えばスマホが爆発的に普及しましたが、あの普及に何が貢献したのかなと考えると、ゲームのような気がします。電車での移動中でも、スマホを見ている人はだいたいゲームをしている。スマホが欲しいのではなくて、移動中にゲームをしたいということなので、欲しいのは中身なのです。
私が、電子書籍において「もしそういうコンテンツが見られるのだったらいいな」というのは絶版本です。今、『欲望を創り出す戦略』という50年ほど前に出た本を読んでいますが、もう絶版しています。図書館で借りましたが、借りたものだと大事なところをノートにメモをしなくてはいけない。これが電子書籍であるのだったら買います。
――電子書籍の場合、絶版本が1つのコンテンツとなり得るでしょうか?
福永雅文氏: ある特殊な仕事をしている人からすると必要です。『欲望を創り出す戦略』は古典的名著であり、古いマーケッターなら全員が読んでいる本で、マーケティングリサーチの原点です。著者は「商品は機能だけじゃなくてイメージが大事」ということを戦前に世界で初めて言った人なのです。
ランチェスター戦略を体系化した田岡信夫先生の本も、亡くなって30年近いですから、ほぼ絶版です。それを全部電子書籍で見られると言ったら、私のところのグループの全員は、すぐ買うでしょう。それぐらい、ある特定の人には必要だけど、絶版になっている本があるのです。ただ、それほど量は出ないでしょうから、ビジネスモデルとして成り立つかどうかは分かりません。
――自分を戦国武将や軍師になぞらえるとしたら、こんな武将になりたい、こんな武将だなというのはありますか?
福永雅文氏: 原体験が織田信長にあるので圧倒的に信長が好きですが、「自分が」ということになると、信長は宇宙人的な、際立った特殊な人間という感じがしますので、私はもう少し普通かなと思います。コンサルタントは昔流に言うと「軍師」や「参謀」になると思います。ですから、そういう人に共感や親近感を覚えます。来年のNHK大河ドラマの主人公は黒田官兵衛なのですが、今はその黒田官兵衛を研究しています。戦国時代には竹中半兵衛、山本管助などほかにも有名な軍師がいますよね。そんな風にお客様から思っていただけるようになりたいなと思っています。
――今後の展望をお聞かせください。
福永雅文氏: 50歳となり、コンサルタントの生々しい現場で、切った張ったをやることができるのは何歳までかなということを考えるようになりました。50歳代のこれからの十年間をランチェスター戦略の実務体系を極め、集大成する期間と捉えています。その後は企業指導の第一線からは段階的に引いていくことになるでしょう。60歳代になったら第2の仕事、ライフワークである「歴史に学ぶ戦略経営」を段階的に増やしていければいいなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 福永雅文 』