紙でも読書でも、読者の受け止め方は千差万別
――読者が有馬さんの紙の本を買い、その後iPadなどの電子メディアで先生の作品を読むということに対して、書き手として何か思うところはありますか?
有馬哲夫氏: 今生徒たちにゼミで教えているのは、スチュアート・ホールという人の『Encoding/Decoding』という本です。それは何を言っているかというと、「我々は理解できない」、理解というのがいかに不能かということです。僕は自分で本を書いていてAmazonの書評を見ると「こんなこと全然書いてないのに何でこうなるの?」と腹が立つのですが、スチュワート・ホールの理論でいくとそれは当然なのだということを学生に言っています。
彼の場合「Encoding/Decoding」というのは、コンピューターの例で分かるかと思いますが、こちらがすごくハイディフィニションのデータを送っても、デコーダーがすごくだめなやつだったらすごく粗い画像しか出ないのですが、その画像の中で判断してしまったらどうしようもない。じゃあ「粗いデコーダーをもっているのなら僕のものを読むな」などと言えるのかというと、言えない。我々は1つのスタンダード、正しい理解、受け止め方などを想定しているんですが、実際にはそれはないということであって、みんなそれぞれの受け止め方がありそれを許容するしかない。「私は出演者だから」ということや「私は作者だからこういう風に読んでくれ」とは言えない。そこはもう読み手側のレコーダーのキャパシティー次第ということでしょうか。
今を知るには、いろいろなメディアを歴史的にたどって、本来の機能を確認すること
――今を「知る」という意味ではどのようなことが必要ですか?
有馬哲夫氏: スマートフォンにカメラがついていてるおかげで、カメラが売れなくなったりしています。いろいろな機能が全部一緒になっているから分からないのならば、あれを分解していけばいい。いろいろな機能を獲得する前の状態を、歴史をどんどんたどっていくと据え付け電話になる。
歴史的に元の状況に戻して、その時どういうものだったか明らかにすることによって、分解して分析的に見ることができるということを僕は学生にも教えていて、「確かに、今の状態だと分からない」「生まれた時からインターネットがあるから、僕たちは当たり前だと思っていたけれど、前の時代はそうじゃなかったんだ」という風に、彼らは納得してくれています。実際に分かるかどうかは別として「みんな本を読んでいたんだ」「文学全集を読んでいたんだ」など、そういうものがあったというのが分かってくると、客観的に見ることができると思います。歴史的なパースペクティブをもつことによって、客観的に前のものと比べて見ることができるということが重要だと思います。
――今を知るには、歴史的な展望をしっかりと見据えて、分化していくことによってそのものが見えてくるということでしょうか?
有馬哲夫氏: メディアを使うことによって、我々は直接的なコミュニケーションをしなくなっているわけですから、なんでもメールや電話で済まさずに、その人とかかわりたいと思ったら、意識して直接本人と会うことが大事だと思います。例えば、「先生、原稿を送ってください。それを編集して載せますから」とできるわけですが、こうやって会うことは重要です。だからその重要性というのを理解してもらって、出会いを大切にするということを教えることができると思います。とはいうものの、利便性に流されることもあると思います。
――でもそこを「知る」ということが大事なのですね。
有馬哲夫氏: みんなコストをかけなくなっているから、人間関係が細くなっているわけです。今はこういう時代だから、失われた価値というものに対応するようにしたかったら、「それに対するリスクとコストをかけなければいけない」と僕は学生に言っている。お金だけではなく、時間、労力、いろんなものを含めて、コストをかけないと得るものは少ないと僕は思っています。
――最後に有馬さんの今後の展望を伺えますか?
有馬哲夫氏: 自分でもどこに向かうか分からないのですが、「もともと先生はメディア論だから、もう少しメディア論を書いてください」ということを編集者から言われています。尖閣の問題や北方領土の問題、それから韓国の従軍慰安婦の問題などに関して、「まず分かり合えないんだ」ということと、「なぜ分かり合えないのか」ということをメディア論で書きたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
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