演出家は大工の棟梁のようなもの
――芸能の方面のお仕事は、ラジオ番組の構成が最初とお聞きしました。
宮沢章夫氏: お金がないから、部屋にこもって暖房を付けずに、毛布をひざまでかけて、ひたすら本を読んでいるような生活をしている時期があったんですね。見かねた知り合いから「ちょっとラジオの仕事を手伝え」と言われて、ハガキの整理とかをしたのが最初だった思います。アイドル番組の仕事もして、当時、80年代は松田聖子とかアイドル全盛のころで、そういう番組を僕に担当させるのだけれども、相手は子どもだし、何の興味もない。ディレクターに「もっと楽しそうにやってくれ」と怒られました(笑)。だけど、怒られてもねえ、楽しめないし……。
――演劇にはいつごろから興味を持たれたのですか?
宮沢章夫氏: 僕はもともと映画が好きで、大学に入ってからも学校に行っているよりは映画館にいる時間の方が長かった気がします。大学の8ミリを作るサークルにもいました。それで将来的に、映画を作るような現場、シナリオライターになりたいとか、そういうことは考えていましたね。短期のシナリオ教室みたいなところに通っていたこともあります。ただ、なにを勉強したかわからない。一般的なドラマに興味がなかったのかな。今でもドラマらしいドラマは書けません。書こうとしないわけじゃなくて、書けないとしか言いようがないですね。
――その後は舞台の演出で評価が高まっていくわけですが、宮沢さんにとって演出家はどのようなお仕事でしょうか?
宮沢章夫氏: 父親は大工の棟梁ですが、演出するというのは、父がやっていたことと、ほとんど同じだと思います。棟梁は、様々な仕事、大工だけじゃなく、左官屋さんや建具屋さんたち職人さんをまとめて指示を出す。役者と職人さんってよく似てるんですよね。酒ばっかり飲んでいるところも似ています(笑)。演出家は全部を統括して、作品全体のイメージを作り上げる。建築的なんです。家を建てる工程とかなり似ている。ただ、映像というか、映画と演劇は全然違うんですね。映画は監督のものですよ。演劇、舞台はちがいます。主役は俳優です。俳優がどんな身体を持ってそこにいるかということ、そこにある身体をどのように魅力的に見せるかが演出家の仕事だと思うし、では、いまの時代に有効な身体とはなにか、そういったことしか考えていません。それって「俳優の魅力」に繋がるんですよ。まず第一に、人が好きだから、新しい才能に出会うと、その人の良さってなんだろうと考えて発見していく。稽古場で共有する時間が長いですから。そういった面白さが舞台の演出にはあると思います。
「今」は未来に奉仕するためのものではない
――演劇、小説、エッセイと、幅広い創作の原動力はなんでしょうか?
宮沢章夫氏: 「面白がる」ということだと思います。別の見方を発見するのが面白い。その発見自体が面白いというより、発見する過程、読み解いていく行為が面白い。それと、自分でなにかを考えていると、同時期に同じようなことを感じていた人がいるというのも面白いところです。今、70年代に活躍したTBSのアナウンサーだった、林美雄さんという人に興味を持っています。ごく最近、TBSラジオのプロデューサーとたまたま知り合って、その人に林さんの話をしたら、TBSに録音が全く残っていなかった。彼がいろいろなところに手を尽くして探して、当時TBSにいたディレクターとか、林美雄さんと仕事した人の談話が取れることが少しずつわかってきた。だったらこれを特番にしようという話になったんですね。そしたら、ある雑誌で、林美雄さんのことを追ったルポルタージュの連載が始まることがわかったんです。そういう共時性、偶然というのは本当に面白いですね。
――昔の事象が、今日的な問題にリンクするような部分があるのでしょうか?
宮沢章夫氏: それはあるかもしれない。林さんは、70年代に活躍して80年代に入ってからはパーソナリティーとして深夜放送をやらなくなってしまうんです。そこには彼の時代に対する複雑な想いがあると思います。林美雄という人は忘れられた存在だったけれど、再評価することによって、70年代という時代をもう一度問い直してみることができる。それは80年代の問い直し、現代の問い直しにもなる。今を問い直す時に、林美雄という、70年代の人物の存在が浮かび上がってくるのはとても興味深いし、発見自体が楽しいんですよ。
――その時々の、「楽しい」と思ったことに意味を見いだして、お仕事にされてきたのですね。
宮沢章夫氏: 今面白いと思ったことに興味を持って、それを調べていくことが、自分でやっていてもっとも楽しいですから。今は、未来のために奉仕するためにあるわけじゃない。僕の場合、そういう仕事ができたのは幸福だったし、たまたまそういうのがうまくいったとしか言いようがない。
100mを「3日」で走る方法を考える
宮沢章夫氏: 学校の教育とかでは教えてくれないことは絶対あって、そこに作家の役割があるんだと思っています。いろいろな作家が、こんな生き方もあるんだということを見せることで、違った見方を示すことができる。僕も特別な人たちに出会うと、その生き方にちょっと驚かされることがある。「そんなでたらめなのか?」っていうことも多い(笑)。でも、例外的な天才を中心に考えるとダメだとも言えます。オリンピックの100mの決勝に残る人って8人です。そして全員9秒台で走る特別な人たちです。天才たちですよね。なかでもウサイン・ボルトはすごい。そうなると、10秒台で走る人はなにかってことになる。たしかにそれもすごいんですけど、まあ、10秒台で走る人、世界に10万人はいるでしょう。それ凡庸ですよね。だったら、走ると100%転ぶ人がいたら絶対面白い(笑)。一生懸命走ろうと思っているのにスタートと同時に必ず転ぶ人はすごいですよ。われわれはボルトにもなれないし、いきなり転ぶ人にもなかなかなれない(笑)。
――ではどうするか、というところに宮沢さんの創作の秘密がありそうですね。
宮沢章夫氏: 演劇もそうだしダンスもそうですが、天才じゃない人間にとって、その世界に入り込む余地をどこに見つけたらいいかですね。100m走だったら、たとえば、100mをいかにして3日で走る方法が考えらるか。3日かけるのは大変なことです。いろいろなことをしなきゃ時間が余るから(笑)。
たいていのことはほんとは面白くないんです。日常は退屈です。退屈の連続のなかに人は生きている。普通に見れば面白くないかもしれないけれど、こういう切り口で見れば面白い、というのが、批評する目です。今ではすごく単純化された「ツッコミ」という言葉でみんなが語ってしまっていて、まあそれでも構わないけど、ツッコミのクオリティが大事ですよね。誰だってそれ気がつくよってことをツッコんだってつまらない。今なにが面白いのかを見分ける目が大きいと思っています。