宮沢章夫

Profile

1956年、静岡県生まれ。 多摩美術大学美術学部建築科中退後、24歳で様々な種類の執筆業を始める。 80年代半ばには、竹中直人、いとうせいこうらとともに、ギャグユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始、その作演出をすべて手掛けた。 1990年より劇団「遊園地再生事業団」を主宰しており、その第二回公演『ヒネミ』で岸田戯曲賞を受賞した。 2000年より京都造形芸術大学で、2005年から2012年まで早稲田大学で専任教員として教鞭に立つ。 近著に『素晴らしきテクの世界』(筑摩書房)、『演劇は道具だ』(イースト・プレス)など。

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電子では味わえない、ものとしての本


――宮沢さんは電子書籍についてはどのようにご覧になっていますか?


宮沢章夫氏: 単純に言うと、本が何冊もiPadの中に入れられると、旅行に行った時に助かるというのは当然あります。ただ、紙で読みたい時もある。まず僕は小説でもなんでも、線を引かないと読めない。付せんもたくさんはります。それにブックデザインがすごく好きです。特に平野甲賀というデザイナーが好きで、平野さんがほとんど装幀を手掛けていたころの晶文社という出版社は大好きでした。絵画の大きさは現場に行かないとわからないように、美術品はなかなか電子媒体の中に入れることはできない。実際のものを見ることの楽しさ、よろこびというのは電子書籍では味わえません。よく、本のカバーが要らないということで、買ってすぐに捨てる人がいますよね。ま、それあたりまえなんです。それが正しいに決まってる。だけど正しいことだけが「真」とは限らないでしょう。僕は本という「もの」が好きだからそれはしない。本は中身であると割り切って、カバーをすぐに捨てる人は確かに電子書籍でいいと思います。
電子書籍の良いところをもう一つ言うと、昔の本は、活字が小さい(笑)。今は老眼ですから、昔の本を取り寄せて読むと、うまく読めない、っていうか腹立たしくなるんですよ(笑)。そういう時は電子書籍だったらいいだろうなと思います。そういう実質的な利便性と、本のものとしての価値は別だと考えています。
ただ、本の歴史を探っていくと、1830年ころまでは本は中身だけで売られていたそうです。印刷された本を買った人が製本業者に託して子牛の皮などを表紙にして、家紋も押してとじる。表紙は内容とは関係ない、というようなことが、ある時代まであった。だから、「ものとしての本」の形も時代によって変わっているのは事実です。

――電子書籍によって紙の本がなくなるなどという議論もありますが、紙と電子が共存していった方が良いとお考えでしょうか?


宮沢章夫氏: テクノロジーが進化する時に、それに対する批判は出てくる。ただ、それが当たり前になった時に考えてみると、あの批判はなんだったんだろうっていうのは過去に数多くありますよね。携帯電話だって今だったら当たり前だけど、出始めのころはやっぱりいろいろ言われていました。ただ、新しいテクノロジーが登場したら、それをいかに上手に使うかですよね。使われるのではなく、自分にとって有効なものにできるかだと思います。

出会いにより新しい興味が生まれる



宮沢章夫氏: ワープロが出てきて、手書きじゃなくてキーボードになって文学が変わってしまったと、ある時期言われましたが、今そう語るのはちょっと古い感じがします。でも、逆に言うと、なにが違うのかということを、もう少し議論することから、別の文学の可能性が生まれたんじゃないかなと。例えば、人間の思考って真っすぐではない。散発的に出現しますよね。でも書くっていう行為は順番に考えて文字を記していかなければならない。だから頭の中で編集しています。坂口安吾がエッセイで書いていたのは、文章が意識のなかで電光のように出現しているんだけど、それをそのまま書けないという意味の話でした。これすごいですよ。だから安吾がコンピュータを手にしていたらどうなんていただろうと想像するんですね。コンピューターであれば、電光のように出現する言葉をどんどん書いて、後で編集できる。直線的じゃない思考をどのように言葉として定着させていくかということにコンピューターの可能性があると15年ほど前にブログに書いたことがあります。読書にしても、こういうものには紙は向いている、こういうものには電子書籍が向いているっていうのは絶対あるはずですので、一面化してはいけないと思います。議論をしながら、らせん状に進んでいくのかなと思います。

――そういったところにも、事象をさまざまな角度でとらえ直す宮沢さんのものの見方が現れていますね。


宮沢章夫氏: 経済原理のみを追求すれば、無駄はいらないということになりますが、無駄なことの中に面白いことって潜んでいるということがある。そもそも、歴史をさかのぼると、そんなに本って売れるものじゃないということに立ち返らないといけないかもしれません。小説家なんて大抵貧乏だったし、昔の私小説を読むと、もう貧乏のことしか書いてない(笑)。もうかっていたのは一部の大衆小説の、特別な人だけです。本を大きな産業にする必要があるのかどうかということも考えてみる必要がありますね。

――最後に、今後の展望などをお聞かせください。


宮沢章夫氏: いや、あんまりないです。林美雄さんの特番もそうですが、その都度、興味を持ったことをやっていくということです。『80年代地下文化論』だって、別に出版するつもりはなかったんですが、大学で80年代のことをしゃべろうと思ったら、というのも、80年代のある部分について誰も語ってくれなかったですからね、だったら自分でやるしかない、それを知った人が本にしたいと申し出てくれた。その時の興味と、「それ面白そうだな」という人との出会いで、これからも仕事をしていくのだと思います。



最近では、市川海老蔵さんの歌舞伎を書いて、8月にやるんですけど、まさか自分が歌舞伎を書くとは考えてもいなかったし、歌舞伎の世界と関わりを持つとも考えてもいませんでした。でも依頼が来たら、興味を持つわけです。歌舞伎という劇世界もそうですし、市川海老蔵という團十郎の大名跡を継ぐ人が、今後どんな俳優になっていくのだろう、という興味が出てくる。
自分でやりたいと思ったことをやると大体うまくいかなくて、しかもうまくいかなかった時に非常に落ち込むでしょう(笑)。だからそういう風に思うのをある時期から止めて、待っているとなんか来る、と思うことにしました。そちらの方が生き方として気持ちが楽です。あるいは、思いつきでこのあいだ沖縄に行ったんですよ。9月に『夏の終わりの妹』という舞台を上演するんですが、まったく書けないし、なにを書いたらいいか出てこない。だったら、沖縄に行こうと。意味はないんです。行きたかったんです。でもそれが刺激になる。そこからなにかが生まれるんです。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『原動力』 『劇作家』 『エッセイ』 『創作』 『演出家』 『見方』

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