上田秀人

Profile

1959年、大阪生まれ。 1994年に故・山村正夫氏主催の小説講座に入門する。 3年後に、第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー以来、 2010年に「孤闘 立花宗茂」(中央公論新社)で第十六回中山義秀文学賞を受賞し、 「勘定吟味役異聞」シリーズ、「水城聡四郎」シリーズ、等といった時代小説・歴史物小説を中心とした作品を執筆しており、 最新刊には「奥右筆秘帳」シリーズの完結編となる「決戦」がある。 また、大阪歯科大学出身であり、現在、大阪府下にて歯科医院を開業している他、 多忙の中で執筆に勤しみながらも、人知れない趣味や特技、資格を有している。

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文庫は坂の上から読者の背中をボンと押して、
下まで行ってしまう勢いが大切。



上田秀人さんは時代小説家として活躍する傍ら、歯科医としての顔をお持ちです。文庫のシリーズやハードカバーを執筆しつつ忙しく日々を過ごされる上田さんに、作家転身のきっかけ、幼少期の読書体験などについて、また書籍の電子化についてのご意見を伺いました。

麻酔を打っている間にも2行書く。


――早速ですが、近況などをお聞かせください。


上田秀人氏: 僕は小説家ですが、歯科医でもありますので、執筆は仕事の合間におこなっています。仕事場に8時前ぐらいに出勤して、1時間ぐらい書いています。9時半から開院なので、診察の合間にも書いています。

――時間を見つけて書かれるのですね。


上田秀人氏: 患者さんに麻酔を打って、効くまで待っている間にも2行ぐらい書く。そうしないと締め切りに間に合わない。昔、書き手になったばかりの時は、うまく切り替えることができずに、1、2時間つぶしてしまうことがあったのですが、ここ2年くらいは作家のスイッチのようなものができまして、それこそ診察室の扉を開けると勝手にスイッチが切り替わるような状態になっています。

父が公務員、母が開業医の家庭に育ち、歯科医の道へ。


――幼少期は、どのようなお子さんでしたか?


上田秀人氏: 僕は父親が公務員、母が内科の開業医の家庭に育ちました。年の離れた兄が1人いますが、僕が物心ついたころには、兄は高校生でした。母は内科医だったので昼間も忙しく不在でしたし、父は公務員で夕方のバスでキッチリ帰ってくるんですが、それまでは家に誰もいなかったので、本を読むしかありませんでした。当時はテレビもほとんど普及していませんし、子どもの番組はまずありませんでした。父がNHKの大河ドラマが大好きで、原作のハードカバーをいつも買っていたので、幼稚園から小学校にかけては、『天と地と』や、勝海舟についての本を読んでいました。小学校1年か2年ぐらいの時に、『千夜一夜物語』の原書訳の、18禁の本を読んでいて親に怒られた覚えがあります。当時は作家になることなど考えておらず、小学校のころの将来の夢の欄には「新幹線の運転手」と書いていました。

――作家になろうと思われたきっかけは?


上田秀人氏: 母が医者で、兄も医学部でしたから、この世界に入るのは当然の感じがありました。歯科医をやっているうちに結婚もして子どももでき、その子が4、5歳になってくると、ある程度はお父ちゃんが何をしているのかは分かってくるので、父親の仕事を見せたいなという思いが出てきました。

歯科医の仕事は、子どもに様子を見せられない。それがジレンマになった。



上田秀人氏: 父が公務員で、大阪市立大学の付属病院の薬局に勤務していたのですが、そこから保健所勤務の方に転じさせられたときに、自分の仕事を見せたかったのか、僕に学校を休ませて、職場に連れていってくれた。だから自分も同じようなことを考えたのですが、実際に入れ歯を作るのは僕ではなくて技工士さんですので、患者さんの入れ歯を見せて、「これお父ちゃん作ってんで~」と言うわけにいかないし、歯医者は自分の仕事を子どもに見せられないわけです。それで「何か見せられるものがないかな」と思った時に、カード会社の会員誌の中で紹介されていた、山村正夫さんの私塾を見つけ、手紙を書きまして、入れていただきました。2年半ぐらいでデビューして、気がついたらこの仕事をするようになっていました。同期でデビューしたのは4人ぐらいで、その中に室井祐月さんや島村匠さんもいましたので、僕らの年は当たり年だったようです。

――なぜ歴史をテーマとして選ぼうと思われたのですか?


上田秀人氏: 僕は歯医者ですから、最初は腐乱死体の歯形照合の推理モノを書いていたのですが、面白くなかったのです。教室は、1期が3ヶ月で年間4回、短編を提出します。その中から山村先生が10編ぐらい選んだものを各編集者に見せて、講評をしてもらっていたのですが、その10編に選ばれたことがありませんでした。1年半ぐらい経って「才能がないのだったらどうしようもない。東京までの電車賃も時間もかかるから、これでダメだったらやめよう」と思って書いたのが龍馬暗殺の話だったんです。それが初めて編集者の目にとまり、賞に応募して最終候補に残った時に、山村先生から「しばらくこういう方面を書いたら?」と言われました。その次の作品が佳作をいただいて、デビューに至りました。

――デビューまでの2年半、今振り返るとどのような時期だったと思われますか?


上田秀人氏: 選ばれる10人は大体決まってくる。島村匠さんも同期ですが、その10人の中に彼は絶えず入っていた。ものすごくうらやましかった。僕にとっては、その環境がよかったんだろうなと思います。作品に対する姿勢を学んだと言うか、いい勉強になりました。自分の作品の中でバスや電車に乗るシーンがあって、同期の作家が短編のためだけに、リアルさを出すため作中と同じようにわざわざ飛行機で遠方まで飛んで、そこから深夜バスに乗って、乗り換えてまたバスに乗ってなどということをやっていたのを見た時に、「ああ、この人は偉いな」と感じました。そういう風に仲間から大事なことを勉強させてもらったと思っています。

新幹線の中で楽しめる勢い、それが文庫には必要。


――作品をお書きになる上で、大切にされていることはありますか?


上田秀人氏: 僕の作品のコンセプトは、新大阪や東京の駅で買っていただいて、大阪や東京まで乗る2時間半を楽しんでいただければいいと思っています。楽しんでもらえる小説を心がけています。

――書かれる上で、綿密なプロットは立てますか?


上田秀人氏: 僕の場合はありません。伊東潤さんという有名な先生とこの間一緒にお食事させていただいた時に「1から10まで最初にキチッと決めて、その通りに話が進んでいく。最初の設計図通り、一分の狂いもない」とおっしゃっていました。対して僕はスターティングとエンディングだけを決めるというスタイルです。書いていくうちにそのエンディングさえ変える時もあります。スタートに関しては動きがあって、読者を引き込むことを意識します。だから最初には天気が良かった、人通りが多かったという描写などはあまり書かずに、チャンバラなどからとりあえず入る。勢いにまかせて坂の上から下まで行ってしまえ!というのが文庫には必要で、最後に読者が「いつのまにか終わったな」と感じるというのがいいと僕は思っています。

――文庫以外の本ではまた書き方が変わってきますか?


上田秀人氏: ハードカバーはまた違います。お値段が3倍ぐらいしますから、読み終わった時に「今度朝礼で使おうかな」、「ちょっといいね」などと思わせないといけないので、一気に読ませるのではなく、1章ずつ読んでいただくといった形になりますので、あまりそういう勢いをつけなくてよいと思っています。

昭和の大作家、笹沢左保さんにインスパイアされた。


――独自の視点を持てるようになったきっかけはありますか?


上田秀人氏: 僕の場合は、『木枯らし紋次郎』の笹沢左保さんです。笹沢さんが亡くなる前に少しだけお付き合いしていただいていまして、その時に、「時代物っていうのは、美しい日本を残すためにあるんだ。それを覚悟して書かないとダメだよ」と言われたことが心に残っています。まだデビューしたてのころで、笹沢さんはその後1年も経たずに亡くなりましたが、僕にとってはその言葉が一番の原点になっていますし、先生は本当にカッコイイ方でした。赤坂プリンスのスイートルームを年間契約されていて、土曜日の晩に一緒に飲んでいて、3時くらいにバーが閉まると「じゃあ赤プリに行こう」とスイートルームにみんなを連れていってくれました。その時、「シーバスリーガルが飲みたい」と笹沢さんが言い出したのですが、ミニボトルの在庫が20本ぐらいしかないと言われて「20本なんてすぐ終わるやろ。他の部屋のものを全部持ってこい!客を起こせ」とおっしゃっていました(笑)。

――破天荒な方ですね。


上田秀人氏: スイートルームですから執筆室があって、ベッドルームがありました。女の子が何人かいたんですが、女の子たちがそのベッドルームをパッと開けようとしたら「おれに抱かれる女以外立ち入り禁止やからな」とおっしゃいました。本当に笹沢さんが最後といった感じで、今はそういう作家はいないです。僕もそろそろ少し偉そうな態度をとりたいなと思っているんですが、なかなかそこまでいきません(笑)。

電子の読者も紙の読者も、どちらも読者には変わりない。


――最近は電子のリーダーで読書をする読者も増えましたが、上田さんはいかがですか?


上田秀人氏: 電子に関しては、リーダーは1台買いましたが息子にあげてしまいましたので、まだ僕自身はリーダーを持っていません。僕の作品も、全作電子化していますし、電子化は避けて通れない波だと思っています。日本人の場合は紙の本が大好きな民族ですから、紙の人間はこっちで、電子の方は電子でという住み分けできると思っています。僕の本も電子でお買いあげいただいていますし、それを否定する気は毛頭ありません。ただ自分としては電子のリーダーがまだ本より重いので、いやです(笑)。

――軽量化されたらお使いになりますか?


上田秀人氏: もっと軽くなったら、たぶん僕も電子を使うと思います。本好きは小説も好きですし、コミックも好きです。家を去年改築して隣に書庫を作りましたが、すでにいっぱいになってしまい、また作らないとどうしようもない状態です。資料本は場所をとりますので、そういうことを考えると電子はいいと思います。あとは、絶版本の電子化が広がっていけば、本当にありがたいことだと思います。電子でもなんでもいいから本を読んでほしいというのが本音です。電子であろうが紙の本であろうが、作家は売れないと仕事にならない。ただ電子に関しても、いわゆる自炊が無制限に広がっていってしまうといったネットの怖さがあります。

――電子書籍における課題ですね。


上田秀人氏: その辺りに規制をかけること、その辺りが一番問題でしょう。例えば本をお買い求めになった方が子供部屋を作る、あるいは引っ越しするからこの本をなんとかしたいからデータにしたいと思った時、その方が保管される分には、はっきり言ってなんの問題もないと思う。ただそのデータの流出という問題が避けられないので、どうしてもこの業界が色眼鏡で見られるのは仕方がないことでしょう。「電子化は自分の作品は全部ダメ」という先生は、僕の周りにも何人かいらっしゃいます。僕は、時代物を書く作家にしては珍しいかもしれませんが、自分自身としては「それはちょっと違う」と思っています。どのような読み方でも、お金を払って読んでいただいていますので、読者には変わらないわけで、電子で読まれる方はどんどん読んでいただきたいと思います。
今のシステムは、端末に入ったデータがよそに動くことはないので、その状態であればなんの問題もないと思います。僕の蔵書を、頼んで全部コピーをとってもらってデータにしてもらうということは、なんの問題もないと思いますが、そこから先に問題があります。業者の方の問題ももちろんありますし、保管する側のモラルも当然出てきます。でも、電子化は、いずれ当たり前になってくると考えています。

電子から紙へ、若い読者の開拓を狙う。


――権利と利便性に関しての問題は分けないといけませんね。


上田秀人氏: 読むという行為は、読者の方が手に取って読んでくださっているだけなので、それに関して文句を言い出すと、最終的には図書館問題になってしまう。図書館には僕もお世話になりましたが、せめて新刊を3ヶ月は置かないでくれ、文庫はやめてくれなどと個人的には思います。今この業界自体が本当に売れ行きが悪いですが、本が売れないと作家は生活できないというのもありますし、日本の出版の文化というのを絶やしてはいけないと思っています。最初に電子で読んで、その作者のほかの本を読もうとした時、「前の本はまだ電子化されていないから、紙の本で買おうか」ということになるかもしれません。シリーズの20巻全部買おうとすると紙の本では重いので、電子ならば軽いじゃないかということで、お買い求めになっていただけてもありがたい。そういったことをきっかけに最近の若い方が本を読むようになったらいいなと思います。年をとって目が悪くなり、本を読むのがつらかったが、電子だったら文字を大きくできますので「読書をあきらめないで済みました」というお年寄りの方も声も聞いたことがあります。そういうことを考えれば全て電子はダメだというのは、僕は違うと思います。電子の理路はありますので、ちゃんと住み分けさえしていけば問題はないと僕は思っています。

――今後電子化も進んでいく中で、書店、出版社、編集者の役割については、どのようにお考えですか?


上田秀人氏: 電子の媒体であろうが紙の媒体であろうが、読者の元に届いた時に、読者が面白かった、よかったなと思ってもらえるものを全員で作る。作家も1人で作っているわけではありませんので、自分の作品を編集者が読んでチェックを入れて、ここはこうした方がいいなどという意見をいただいて、「それは変えへん」などとわがままを言ったり、納得できれば変更したりする。OKが出てそれを装丁さんがデザイン、色を考えて、営業さんがそれを売り込んで書店さんが売るという流れの中で、1冊の本に何十人という人間が関わっているのです。だから読者の方々の範囲を広げる、つまり年上の方々だけでなく、もっと若い方々に読んでもらえるものを考えるということを、僕らがしなければいけないと思っています。



資料本は書店で高額のまとめ買い。出版業界の活性化を願う。



上田秀人氏: 駅前の書店がつぶれる時代というのはよくないと感じています。子どものころは会社や学校の帰りに書店に寄って、気になるものがあったら手に取るといった感じで、僕は学校の帰りには絶対に書店に寄っていました。大きな書店は増えて、何万冊といった本が置いてありますが、その代わりに駅前にあった文庫と雑誌しか扱っていないという書店さんが消えました。週刊誌を買いに、「ジャンプある?」などと寄れる書店がなくなったのは、本当に寂しいので、僕が年をとったら書店をやってみたいと思っています。

――今でも書店にはよく行かれますか?


上田秀人氏: なかなか時間を確保するのが大変なのですが、月に2回ぐらいは行きます。取材に行った先では地元の本が欲しいので必ず行きます。この間福岡に取材に行きまして、書店に2軒続けて行って、1軒で10万円分ぐらい買いました。先週の木曜日もジュンク堂さんへ行って、4万円分ぐらいまとめ買いをしました。資料本は初版の部数が少ないし、まず重版かからないので、1回逃すと手に入らない。作家ですから、必要経費として許されますし、業界が活性化させるためにも、子どもには、「エロ本であろうが何であろうが、お父さんが払ってあげる。だから本を買いなさい」と言っています。

――上田さんの本を手に取る基準を教えてください。


上田秀人氏: 書店さんの売りたい本が、客の目につくところに並べられていますので、そこは絶対に見ます。書店さんが売りたい本というのは同時に売れている本でもありますから、今の世の中の動きがそこに出るわけなので、買うとは限らないですが、絶対に確認します。今ならば『八重の桜』や、最近は黒田官兵衛の本が並んでいます。その次は、歴史本のコーナーを見てから自分の本のところに行って、「ああ減っているな」などと思いながら書店をまわります。

死ぬまで「作家」でいたい。


――今後の展望をお聞かせください。


上田秀人氏: 死ぬまで作家でいたいなと思っています。今はハムスターのようなもので、絶えずグルグルグルグル動いている感じです(笑)。60歳ぐらいまで書き続けて、それが終わったら自分の中で書きたいなと思っている作品もありますので、そういうことに時間を割こうかなと思っています。徳川家康の長男信康の話を書きたいと思っていますが、今は時間が取れないので、資料をそろえる程度です。彼の人生について、ゆっくりと時間をかけて徹底的に調べて、僕のライフワークとして、彼の21年という短い一生を書き上げたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 上田秀人

この著者のタグ: 『出版業界』 『歴史』 『医者』 『書店』 『小説家』

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