創作はいつも「自由」へ拓けている
高橋三千綱さんは、1971年のデビューからジャンルにとらわれない作風で、長く第一線で活躍する小説家です。日々湧き上がる小説の構想に、自ら驚き、刺激を受けながら書き続ける高橋さんに、執筆の流儀、創作観などについて伺いました。また、文学者、編集者、ご自身が受賞した芥川賞など文学賞の変質についてのお考えも、力強く語っていただきました。
いつかは書ける、だから絶望しない
――早速ですが、普段の執筆のスタイルについてお聞かせください。
高橋三千綱氏: それほど決まってなくて、行き当たりばったりです。勤め人のように、時間を気にしなくていいですから、ゴルフの全英オープンがあれば終わりまで観て、それに合わせて起きます。ストレスもないですから、いわゆる「苦悩の文学者」ではない気がしますし、よく「文学者のイメージとは全然違いますね」などと言われます。
――どのような過程で原稿が出来上がっていくのでしょう?
高橋三千綱氏: まず頭の中で書いて、実際に原稿用紙に書くのはもっと後です。もやもやと出てきて、つまらないものは消えてしまうのですが、覚えているものもあります。推理作家が書く創作ノートのようなものを書くことはありませんので、内容もどんどん変わります。全然予期しない人物も出てくることもあって、作者自ら困ってしまうこともあります。物語が勝手に動いているから、夜が明けたら100枚くらい物語を作れてるな、などと思いながら酒を飲んでいるんだけれど、実際は全然書けてない(笑)。そういうことを繰り返しながら、放っておけばいつか書けてるよと思って、絶望はしません。
――執筆は手書きですか、それともパソコンを使われますか?
高橋三千綱氏: 両方使います。ただ、機械を使うと、1回人間以外のものが入ってくるわけで、そうすると、どこか米を食って小石に当たったような違和感があるので、今でも最初は手で書くことの方が多いです。頭で考えるというよりも、親指の関節に脳みそがある感じです。パソコンを使うと、頭に信号を入れなければいけないから時間が掛かる。慣れの問題かもしれませんが、回線の不都合でストレートに出てこないんです。
「DNA」が生み出す物語
高橋三千綱氏: 僕はつい最近まで入院していて、「入院して変わりましたか」と聞かれますが、やっぱり変わったと自分でも思います。35で胃を切った時には、「上手く生き延びた」くらいにしか思わなかったけれど、今回は年齢も年齢だったので、「人生は短いな、でも1人で生きていくのは長過ぎる」という気持ちになり、この感覚を小説にするにはどうしたらいいかなと思っていました。ちょうどその時に書いてたのが『猫はときどき旅に出る』の第3章で、退院して記憶喪失になったりしながらも書いたんですが、今書いてるのは、南極を小さな飛行機で飛ぶ話で、盗まれた皇帝ペンギンの子供を親に届けるという内容です。普通の人は、それとこれとどうつながるのと思うかもしれないですが、僕の中でははっきりつながっています。これから1人で生きる人生は長いから、そういう話が今の想いにふさわしいと思い、すぐに原稿用紙に書いたんです。
――書いたものは何度も見直しますか?
高橋三千綱氏: よく推敲で20回くらい書き直すなどと聞きますが、僕はそういうことはしなくて、最初から万年筆で書いていきます。若い頃によく編集者に「高橋君、君は才能だけで書いてるよ」などと言われました。でも、才能だけで書くのは当たり前で、努力なんてセンスのない奴らがやることで、何の意味もない。そんな外面の努力は、厚化粧や粉飾決算のようなものだと僕は思います。
――小説家の「才能」は一般の者からすると分かりにくいものがあります。
高橋三千綱氏: 例えば村上春樹は、『群像』で新人賞を取った時、僕は2、3年先に取っていましたから読んでいて、この人は売れると思いました。村上龍の校正原稿も読んでいて、「こいつら、俺とは全然違う才能だな」と思っていました。宇宙から送られてくるものは皆それぞれで、金星、土星あるいは海王星から送られたりと、内容もそれぞれ違うんです。地球に住んでる奴は皆エイリアンで、40億年前は単細胞のミドリムシのようなもので、そこに色々なゴミが結晶して、段々人間になってきた。例えば村上春樹ならばエイリアン4世とか(笑)、あるDNAを持っている人たちがいて、そのDNAからピンとくる。今、時代ものも書いているんですが、僕のDNAがボートだとしたら、乗ってくる奴がちょんまげを結っていて、江戸時代の話をしようといったように、DNAが書かせるのであって、僕が書いてるのではないのです。視覚的に物語が生まれてきて、絵描きだったら絵を描くのでしょうが、それと同様に僕は文章を書くわけです。
著書一覧『 高橋三千綱 』