藤原智美

Profile

1955年、福岡生まれ。 明治大学政治経済学部政治学科卒業後、1990年『王を撃て』で文壇デビュー。 2年後『運転士』で第107回芥川賞を受賞。 主な著書に『群体(クラスター)』、(共に講談社)、『ミッシング ガールズ』(集英社)、『暴走老人!』(文藝春秋)があり、中でも、住まいと家族を考察したドキュメンタリー作品『「家を作る」ということ』がベストセラーに、続編である『家族を「する」家』(共にプレジデント社/講談社文庫)はロングセラーとなり、『なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか』(祥伝社)、『ぼくが眠って考えたこと』(エクスナレッジ)など、ノンフィクション作家としても活躍する。

Book Information

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物質としての本の良さ



藤原智美氏: 怖いのは、本がなくなることではなく、読書意欲がなくなることです。小説を読むとき、最初の1、2ページは大変なんですが、それが後半になればなるほど楽になっていきます。読むことには忍耐力がいるし、力も使います。でもネット言葉ならその力を使わなくていいし、すぐに深堀りできる。今の子たちはそれが当たり前になっていて、スマートフォンを5歳くらいで使いこなしている。その世代が、あと15年もすれば20歳になるわけで、おそらく、世の中が全く変わってくると思います。メディアの変化よりも、人間の変化の方が実は大きいと僕は思っていて、「紙の本はなくならない」と無条件に信じている人もいますが、なくなる可能性は十分にある。だからこそ、なくさないように努力しないといけません。一方で、「電子書籍に移るんだったら、なくなってもいいじゃない」というのもまた間違いだと思う。携帯小説のような形式で、短文化していくでしょうし、それも僕は否定するつもりはありませんが、本は今後全く違うものになると思います。その中で、自分が本にどのような価値を見出すのかを認識しておかなければいけません。ネットの言葉の在り方に心地良さを感じるのか、紙の本に心地良さを感じるのか、基本的には自分たちの内面の問題なのです。

――読み手が変化していく中で、書き方に変化はありますか?


藤原智美氏: 少しはあるかもしれません。小説で言えば、どう書くか、何を書くかと言った時に、テーマより「どう書くか」を重視してきたのが現代の小説でしたが、僕は、やはり読みやすいものを書くことが大事だと思っています。何が書かれているかが1番大事なので、今は、「何を書くか」しか考えてないです。

ハードルがあった方がクオリティは高まる


――電子書籍時代も踏まえて、編集者、出版社の役割をどう思われますか?


藤原智美氏: 電子書籍やネット上の言葉には、編集者や校正者、もちろん装丁もないので、編集者の役割が軽んじられるわけです。ところが紙の場合は、編集者が最初のハードルなのであって、編集者の目を通さないとなかなか出てこない。電子書籍の場合は、その分ハードルがすごく低いので、ネットニュースなどは誤字脱字がひどいのですが、指摘があるとすぐに新しく変わっていたりする。そうしていくと結局、文字ではなく情報になってしまうわけで、事実がいかに入っているか、ということだけが重要になってきているんです。いくつものハードルがある紙の方がクオリティは高いのですが、そういうクオリティを読者が求めなくなってきているのが、僕は怖いです。電子書籍における編集者の役割、校閲の役割をどれくらいきちんと見ていくかが課題だと思いますが、今は、その編集者の役割を読者に委ねるような形になりつつあります。でも、自分の書いた文章は、100%客観的に見ることはできないので、すごく気を付けなければいけないのです。先ほど言った政治家の失言が多いということも、自分というハードルしかないからなんです。

――藤原さんにとっての編集者、出版社の役割、理想像はありますか?


藤原智美氏: きちんと見てくれて、自分が気付かなかったようなことを指摘してくれる人は最高の編集者だと思います。ネットのもう1つの特質はスピード感なので、おそらく、ネットではそういう編集者を求められていないのだろうと思います。紙の本からネットの言葉に移ると、ゆっくりじっくり自分で考える世界から、瞬発的に早く答えを見つけることが重要となり、そのために自分で考えなくてもいいといった世界に移ってしまうと思うんです。本も、答えがない本は売れない。読み終わった後、「何だろうこれ」と考えてしまうようなものではなく、泣けたとか、犯人が分かって、なるほどこのトリックはすごいと思わせるなど、そういったものが求められています。

――普段、書店は利用されますか?


藤原智美氏: 何か書く時の資料に関しては、ネットを活用しますが、やっぱり本屋に行かないといけないと思っています。書店の空間に身を置くのは、検索するのとは違って、新たな発見がありますし、気持ちも高まって、真剣さが出てきます。良いものを探したいという意欲のようなものも全く違ってきます。Amazonなどは、キーワードを入力して検索できればOKですが、書店に行くのは、ハンバーガーを食べながらというわけにはいきません。見落としたものはないか、実は本当に読まなければいけないものが、どこかに隠れているかもしれないと一所懸命に探す。書店には、そういう人たちが醸し出す雰囲気があります。でも、ネットにはその雰囲気がないんです。

そして本屋の方が実利があります。ネットより、本屋に行って本を選ぶ方が、自分が求めていたものを探し出せる確率が高いと思いますし、本屋さんで買った本の方が、ネットで買った本よりきちんと読むのではないかと思います。本棚に並んでる本の何冊かくらいは、いつどこで買ったか覚えている。芦屋の書店で女の子に振られた時に買った、などという記憶と共に読んでいるわけです(笑)。自分の物語や気持ちと一緒にその本があって、空間と、その「物質としての本」といった感じです。古本なども、ブックオフから新古書店になって、新しい本しか売らなくなりましたが、古本にある、前の持ち主の走り書きなどが、僕は、結構好きなんです。昔、古本を読んでいたら、中からレシートが出てきたこともありました。僕が生まれる前の1950年の本で、100円でした。それを見て、誰が買ったんだろうとかとか、本当にこんな難しい本、最後まで読んだのかなとか、色々なことを想像しました。本とはそういうもので、単なる情報ではなく物質なんです。新聞でも、自分が生まれた年の新聞などを見ると、自分が生まれた日の新聞はこんな風だったんだと思いますが、ネットで読むと、ただの文字情報になってしまいます。

ネット時代は、言葉だけではなく、音楽も同様に、全てが無料化してきているので、「無料じゃないと要らない」という対価を払わないのが当たり前の世界になってきて、作り手をリスペクトしなくなる。そういう世界が主流になると、作り手がいなくなる。作り手がいなくなると、誰でもできるような短い文章が無料でやり取りされるようになってしまいます。

――最後に、今後の展望をお聞かせください。


藤原智美氏: 11月にむけて新刊を出すことと、今は広告の書かれたトラックを運転する、アドトラックドライバーが主人公の小説を書いています。「アドトラックドライバー」という言い方も、実は僕が考えたんですが、小さな業界で、会社が少ないから取材が大変でした。はじめは取材も受け付けてくれなくて、最終的には「これ、読んでください」と手紙を書いて交差点で話しかけました。書き上げるのに、あと2、3ヶ月はかかるかもしれませんが、きちんと皆さんに届けたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 藤原智美

この著者のタグ: 『思考』 『考え方』 『ノンフィクション』 『取材』 『小説』 『スタイル』 『フィクション』 『自己対話』 『個人主義』 『書き言葉』 『検索』 『作り手』

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