すべての人にやさしい言葉で、自分のテーマを届けたい
政治記者として14年のキャリアをお持ちの清水克彦さんは、現在文化放送でニュースデスクを務める傍ら、育英短期大学の講師や、「40代 あなたが今やるべきこと」、「頭のいい子が育つパパの習慣」など、子育て、家族の在り方に関する著書も執筆されています。横断的にメディアで活躍されている清水さんに、読書と書籍の未来についてのお考えを伺いました。
教育者、作家とニュースデスク、解説者と4、5足のわらじを履く毎日
――近況とお仕事の取り組みについて、お伺いできますか?
清水克彦氏: 今は、報道スポーツセンターというところに所属しています。基本的には報道部におりまして、デスク兼解説役として、全国ネットのニュースや定時ニュースの仕事をしています。大きな事件が起きた場合、特に政治と国際情勢関係の場合などは、スタジオに入ります。
―― 普段のお仕事では、それぞれのスケジュールや仕事の時間配分の仕方などはありますか?
清水克彦氏: 基本は9時に出社して5時の全国ネットでニュースを出したら終了します。週に1、2回そのデスクで仕事があって、1、2日は取材。残りの日はサブデスクという形でデスクを補助するという内訳になっています。そのようにおおよそ決まっていても、報道の世界はエンドレスですから、全く暇な日もあれば3日くらい徹夜に近い日もあります。そういう中で会社員の仕事もやり、執筆のために取材もし、講演も行くという4、5足のわらじを常に履いている状態です。
―― 様々なお仕事をされていますが、頭の中ではどのように整理されているのでしょうか?
清水克彦氏: 仕事に関しては満点というのはないと思っています。今日はベストのことができたと思っても、もう少し深めようと思えばもっと深められるし、良くしようと思ったら良くできるわけで、そこに決まりはありません。1つの仕事とか、2足のわらじぐらいだと両方に力が入ってしまう。ところが3足以上のわらじを履くと、物理的に効率を上げて、「この仕事はここまで」と自分の中で、一つ一つ区切りをつけないと回っていかないので、踏ん切りが良くなります。結果として、そちらの方が悩んでいるよりも良いものができたりします。節約でも、10円くらい削ろうと思うとなかなか削れないけれど、バッサリ「ここはなくそう」と思えば削れるというように、時間もおそらく同じなのではないでしょうか。
小さい頃から文章を書くこととスピーチは得意だった
――幼少期はどのようなお子さんでしたか?
清水克彦氏: 子供の頃から「人前で話すことと、文章を書くことは上手だね」と先生に褒められていました。小・中学校時代は、算数や音楽は苦手でしたが、作文コンクールや感想文の大会、弁論大会では、常に代表となって県大会などに出ていました。
――大学時代というのは、どんな風に過ごされていましたか?
清水克彦氏: 大学時代はハンドボールをやっていて、授業はほとんど出ていなかった気がしますが、文系ですから試験の時だけはちゃんと行きました。「親のお金で行かせてもらっている」という有り難みが実感としてわかなくて、今考えれば本当に親不孝をしたと思います。早稲田大学の卒業式では、一番後ろの方の席に座っていたんです。卒業式では各学部の総代になった人たちや、賞をもらう人たちが登壇します。1学年1万人くらいの中から2、30人くらいのが登壇するのですが、高校までの卒業式と比べると、舞台に上がらない自分に対して、すごく違和感がありました。だから早稲田では、なんとなく卒業した感じがしませんでした。
その後、自分で稼いだ200万を使って、46歳で大学院へ行くことになった時は、一番前に座って授業を受けていました。仕事の都合で1、2回休んだことはありますが、この時は首席総代を目指していたので、それ以外は全部行きました。その結果、首席総代になって、卒業式で舞台に上がれた時はうれしかったです。
40歳を機に、原点に戻った
――いつご自身の進みたいと思う道に出会えたのでしょうか?
清水克彦氏: 30代の頃は、もんもんとしていました。ちょうど私の20代後半から30代にかけて、世界の秩序がガラッと変わった時期がありました。ベルリンの壁がなくなる、ソビエトがなくなる、日本で言えば自民党一党体制が崩れて55年体制崩壊というようなことがあって、バブルがはじけて、また大変な時代になった。立場的にも一記者ですから、毎日、国会や永田町周辺を往復していたので会社には出られず、時には海外の各地で取材をしたりしていて、それを伝えることが自分の今の仕事なんだ、という思いでいました。時間的にも全く余裕がなかったので、ふと気が付いたら40歳になっていました。先の人生を考えると、「このままでいいのかな」と思い始めたわけです。
―― 自分の進むべき道、進みたい道について考え始めたのですね。
清水克彦氏: どこの企業でもそうですが、若いうちは現場で経験を積んで、徐々に中間管理職になって、それから管理職に就く、という風にステップアップしていきます。でも、自分の原体験で言うと、書いたりしゃべったりする仕事を生業にしたいのに、人を管理するだけの生活では面白くない、そう感じていました。文章とスピーチ、その2つを武器に、本を書いたり、ラジオや講演会を通じて人前で話したりする仕事をメインにやっていこうと、40歳ぐらいの時に決めました。スポーツでもそうですが、苦手なものを克服するよりは、自分の得意な領域を伸ばした方が絶対うまくいくのです。例えば番組の編集作業やダビング作業などは、その専門の分野の人間がやった方がうまい。そういうことは専門職に任せて、自分は、原稿を書いたりニュースを解説したりする技術を磨いた方が、企業にとってもプラスになるはずだ、というのが最近の私の持論です。
――清水さんを駆り立てて動かしているものは何でしょうか?
清水克彦氏: 自分と同年代で、業界で取材をする立場の人の中には、すごい人はたくさんいます。重松清さんも同い年だし、政界で言えば前原誠司さんも同い年で、和田秀樹さんも私よりわずか2歳上です。当時は、色々なジャンルで活躍している40代前半の方がすごく多かったのですが、そういう人たちを間近で見て、「自分だってできるんじゃないか?自分だって始められるんじゃないか?」と思いました。
――その目標をどのように形にしていかれたのでしょうか?
清水克彦氏: 私はスポーツが好きで、特に高校野球が好きです。母校も高校野球が強くて、帰省する度に母校の練習を見に行きますが、相当厳しい練習をしています。
彼らはその練習をこなすから甲子園を狙えるようになるわけです。「甲子園に行きたい」と唱えているだけではその夢はかないません。夢って思い描いているだけでは絶対かなわない。動き出さないとかなわないというのを、母校の野球部の姿勢を見たり、東京周辺の高校野球の試合や練習を見に行ったりすることですごく思いました。
例えば、出版で言うと、本を出すのが甲子園出場と同じことだとしたら、社内の編集会議や営業会議、最終的には取締役クラスの決済、これが県大会ということで、それらをクリアして甲子園出場、つまり本が出るわけです。出版した後、初版で終われば1回戦敗退。5万部とか10万部とかいけばベスト4ぐらい。まだ私は経験がないですけど50万とかミリオンとか行けば優勝、とかね。自分も彼らと同じように、甲子園になぞらえて考えました。
――本を出すことに対してはどのような思いがありますか?
清水克彦氏: テレビやラジオなどの電波媒体は流れて終わりですが、本は形に残るものなので、そういう意味ではやりたいという思いがありました。私が書いている本の中には、政治の本やメディアの本もありますが、それを抜きにすると基本ビジネス書系か、子育て系に分かれます。なんで同じ人間が別のテーマで書いているのかとよく聞かれるんですが、基本は子育て世代を応援しているんです。そこが元気がないと日本全体が沈滞ムードになってしまいますし、どんなに政治がいい策を打っても、それが社会全体の活力になってきません。子育て世代が元気であること、夢を持ってバリバリやること、そして、それがその子供たちに継承されていくことがすごく重要だと、私は思っています。それが政治記者をやっていて感じたことなのですが、それが今、私の軸になっています。
デビュー作はすんなりと、それから苦労を重ねた日々
―― 最初の本を出版されるきっかけはどのようなものでしたか?
清水克彦氏: 私は41歳の時に最初の本をPHP新書から出しました。子供のお受験の話を番組の放送作家に面白おかしくしゃべっていたら、彼がPHPに話を通してくれたので、一作目はすんなり出せました。それもPHPという大手からしっかりとした新書で出たので、「自分には才能があるんだ」と過信してしまって、なんのあてもないのに2作目、3作目を書いて、色々な出版社に持ち込んだんです。でも、ある大手の出版社では、「あなたのような無名な作家が、こんなテーマの本を書いても売れるわけがないでしょう」と編集者に言われ、1年かかっても返事がこないというところもありました。3冊目の本を出す時は、15連敗ぐらいしたと思います。大手と呼ばれているところはほぼ回りましたが、次々と落とされてしまって、残っているのが文藝春秋と新潮社しかなくなりました。自分の本は文藝春秋や新潮社から出ることはないだろうなと思いながらも、一応、神楽坂に行ってみたんです。たまたま編集部員が外に出ていたのか、応対に出たのが、今『新潮45』の編集長をされている三重博一さんという人でした。三重さんは、私のその『ラジオ記者、走る』の原稿の前書きだけをパッと見て、「これは本にしましょう」と言ってくださいました。その日がくしくも自分の誕生日の10月18日だったので、おいおい泣いてしまいました(笑)。その方が『バカの壁』を手がけていた敏腕編集者を自分につけてくれまして、かなりリメイクしましたが、それから5か月後の3月に出るということになりました。
――三重さんとの出会いが、転機となったわけですね。
清水克彦氏: 結局どういう業種でも、自分を引っ張り上げてくれるメンターのような人がいないと出世しないとか、大きなプロジェクトに参画できないなど、そういう運・不運はあると思います。本を出したいと思う場合でも、そういう目利きの編集者にめぐり合わないとうまくはじけないのかなと思いました。そういう意味では新潮社の三重さんと知り合えたのはすごく転機になったと思います。
――自分の行き先がなかなか見えない、そういう時はありましたか?
清水克彦氏: 10社以上に持ち込んでもダメだった時は「才能ないのかな」とか、「大手では通用しないのかな」などと思いました。1冊出ただけでももうけもので、2作目以降はもう出ないんだろうなという思いもありました。3,000社ぐらい出版社が全国にありますし、3,000社回れば1社ぐらいOKをくれる出版社はあるんじゃないかと思ってはいたのですが、実際には、そこまで回れないので、めげていたという時期もありました。でも、社会性のあるテーマを選んで、自分の伝えたいこともきちんと書いていたので、これを読んでくれる人は必ずいる、なんとか世に発表したい、という気持ちが一番強かったです。
編集者は、自分以外の視点やアイデアを与えてくれる人
――編集者というのは、どのような存在ですか?
清水克彦氏: 自分の視点には持っていないものを与えてくれる、アナザービューを与えてくれる存在だと思っています。「私はこうだ」と思っていてもそれが必ずしもベストじゃない時もあります。私と編集者とは見方もキャラも違いますから、「こういう見方もあるんじゃないんですか?」と内容やタイトル、あるいは帯の文言やデザインにしても、アイデアを与えてくれる人だと思います。
――本に対して、清水さんはどのような思いがありますか?
清水克彦氏: 本で得られるコンテンツは、大学や大学院などに行くと、1コマで4,000円から、高いところでは7~8,000円かかるので、それと比べると、単行本では1冊1500円くらいですから、安いですよね。それが新書や文庫だったらもっと安いわけで、電子書籍ならさらに安くなるんですから、すごくお得なツールだと思います。
大事なのは「マス」を意識すること
――執筆される時に大事にされていることはありますか?
清水克彦氏: すごくシンプルなことですが、分かりやすい言葉で書くということと、多くの人に読んでもらえることを前提とすること。大きく言えばこの2つで、実はその2つは私の欠点でもあるのです。難しい専門書はたくさんありますが、私はマスじゃないものは本ではない、少なくとも1万とか、その位の単位で出ないとメディアとは言えないと思っています。今、本を読まない人が多いので、読書週間の時に新聞社がアンケートをとった結果、ほとんどの人が本を1冊も読んでいない、ということもあると思います。でもそういう本を読まない人たちにこそ本を届けないといけないと私は思っているので、あえて平易な言葉で書いて広く届けることが、私の中で重要なポイントとなっています。
本領で、夢かなうまで挑戦する
――一貫した理念、生き方の信条のようなものは何かございますか?
清水克彦氏: 大きく言えば2つあって、1つは「本領に生きること」です。自分の本領発揮の本領に生きるということ、つまり得意分野で勝負するということです。それと先ほどの話にもあった、「夢かなうまで挑戦」の2つです。
―― 世に発表することに対して、使命のようなものを感じていらっしゃいますか?
清水克彦氏: 『ラジオ記者、走る』で言えば、ラジオの面白さやラジオの裏側にあることの実際のところを伝えたいなという思いは強くありました。本を出したのが2006年の3月ですので、もう7年経っていますが、「あの本を読んで文化放送の入社試験を受けました」という子がポツポツいるんです。そういう声を聞けると、すごくうれしいです。
読書は、専門分野とそれ以外の分野、両方をマークする
――本屋さんには行かれますか?
清水克彦氏: オフィスの近くにも大きな本屋がありますので、週に2、3回ぐらいは行きます。金額が安いから新書か文庫が多いのですが、私は、自分の仕事に関係する本と関係しない本の両方を買って読みます。例えば、今読んでいる本で言うと、6月に文春新書から出た『小泉進次郎の闘う言葉』。この本に関しては、小泉進次郎が注目の政治家の1人ということもあり、政治記者としての仕事に直結する本として読んでいるんです。で、もう1つは、曽野綾子さんの『人間関係』。仕事にはあまり関係がないのですが、なんとなく面白くて読んでいます。曽野さんのおっしゃっている「手広く生きるよりも手狭に生きる」という生き方もあるんじゃないか、とか「なるほど」と思いながら読んでいます。
―― 読む本を選ぶ基準というものはありますか?
清水克彦氏: 自分が最初、新書からスタートしたから、ということもあるんですが、新書コーナーに一番はじめに行くんです。新書と文庫は近くに並べられていることも多いから、新書と文庫で選ぶことが多いです。自分で買って読むのは月に4冊ぐらいで、そのほかにも仕事柄、送られてくる本もあります。毎月、少なくとも5冊、多ければ15冊ぐらい送られてくるので、その中から自分の興味がある本を選んで読みますから、今はそれで精一杯です。自分で買う4冊の内訳は、仕事、政治と経済に関する本が2冊くらいで、あとは仕事とは関係ない小説だったりします。
――インスピレーションによって、本を手にとる感じですか?
清水克彦氏: 今は「半沢直樹」というドラマが当たっているじゃないですか。あのドラマの原作となる池戸さんの『俺たちバブル入行組』を、最初に単行本で読んでいました。「これは面白いな」と思っていたら、やがて文庫になり、今ではドラマになってヒットしていますので、こういう本は当たりそう、というのは分かるかなと自分では思っています。
――「いけるな」と思う本から共通して感じるのは、どういうことでしょう?
清水克彦氏: 時代性がすごくあるということ。「今」が盛り込まれている本や、日本の社会の縮図がそこにあるものは、ビジネス新書であれ小説であれ、ジャンルを問わず売れるなという風に思います。すごく長いタイトルがはやった時期があって、それがベストセラーになった時もありますが、教養新書、教養文庫に関して言えば、『バカの壁』や、『国家の品格』のように、真ん中に「の」があるシンプルなタイトルの本は売れる、と私は思っています。
夢をかなえるにはV-MAPを忘れないこと
清水克彦氏: 今、育英短大というところで教えているんですが、学生に「V-MAP」ということを話しています。Vはビジョン。まずは自分がやりたい夢や目標を持つこと。でもそれだけでは夢はかなわないので、次に、そのために何をすればいいかというM 、ミッションを書き出すことが必要です。例えばダイエットしたいというのが夢であれば、スポーツクラブに通うとか、食事を制限するなどといったミッションを書き出すわけです。次のAはアクション。アクションを起こさないと夢はかなわない。そして、夢がかなうまでそれをやり続けるには最後のP、パッションが不可欠。だから、「どのような分野に進んでも、V-MAPという考えを忘れるな」という話をしています。それは自分自身への戒めでもあって、今、また違うジャンルに行きたいと思ってチャレンジしているところなのです。実は、その夢へのチャレンジはもう30連敗ぐらいしているのですが、それでも常にアクションをし続けていますし、自分自身のパッションも衰えていないので、「そのビジョンは、いつかかなうはずだ」と私は思っています。
――チャレンジし続けている夢とは、どのようなものですか?
清水克彦氏: 大学の教授になりたいんです。ただ、どうしても、助手から上がってくる人たちや博士号を持った人たちがたくさんいる中で、私のように修士号しか持っていなかったり、論文の数も少なかったりといったいわゆる実務家タイプの人間にとっては、なかなか難しい道です。その狭き門をいかにこじ開けるか、ということにチャレンジしています。
電子書籍は、新しい読み手を獲得する窓口に
――書き手として、電子書籍についてどう思われますか?
清水克彦氏: 私の書いた30冊ぐらいの中でおそらく、5冊以上は電子書籍になっていると思うんですが、「電子書籍で読んだ」という反応もあるので、読者の数は、紙媒体だけの時よりも増えるのではないかなと思っています。特に外国に住んでいる人たちは、取り寄せなくてもすぐ読めるので、そういう点では読者の幅も広がるんじゃないかと思います。この間ネット選挙が導入されたわけですが、1回目の参議院選挙はその効果があまりなかったと言われています。ただ、韓国などを見ていると、10年ぐらいネット選挙を続けていくうちに若者が選挙に興味を持ち、政治にコミットするようになり、投票率が上がってきたように感じます。それと同じように、電子書籍に関してはまだ創世記なのだと思います。活字離れした若者や、特に3、40代の子育て世代は一番本を読まないですから、そういった人たちがネットにアクセスして、そのついでに活字に触れてくれるようになればいいなと思います。私の本がそれでダウンロードされる、されないはともかく、色々な作品を目にすることができるようになるし、かなりプラスになるのではないかと私は思います。
――取材というもので培われた目から見て、電子書籍の可能性についてはどうお考えですか?
清水克彦氏: ちょうどワシントンポストがAmazonに吸収されたのと同様に、新聞もネットで見る時代がくると思います。本には紙の良さというか、めくっていく良さというのはもちろんあるんですが、それが電子書籍になることによって、色々な人が見られるようになるんじゃないかなと思います。人によっては、大手の書店から離れたところに住んでいて、活字からかなりかけ離れた生活を送っていることもあります。でも、自分の持っているスマートフォンやタブレットで色々な作品が読めるという風になれば、変わってくるんじゃないかと思います。
最終目標は、紅白歌合戦の文化人席
――最後に、今後の展望をお聞かせください
清水克彦氏: 私には野心があって、紅白歌合戦の審査員席に座るというのが最終目標なのです。これは林真理子さんもたまたまテレビで言われていて、同じ感覚なんだとうれしくなったのですが、紅白歌合戦の審査員には、大河ドラマ枠やスポーツ人枠など色々ありますが、その中で、文化人席は1枠しかないのです。そのため、文化人席には、その年に一番輝いていた文化人が、1人だけ座ることが許されるのです。『もしドラ』の作者の岩崎夏海さんや尾木ママ、その前だと姜尚中さん、勝間勝代さん、そういった人たちが座ったその席に自分が座ること、それが私の最終目標です。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 清水克彦 』