斉藤徹

Profile

1961年、神奈川生まれ。1985年3月慶應義塾大学理工学部卒業後、同年4月日本IBM株式会社入社、1991年2月株式会社フレックスファームを創業。2004年同社全株式を株式会社KSKに売却。2005年7月株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルメディアの第一人者として、ソーシャルメディアのビジネス活用、透明な時代のビジネス改革を企業に提言している。講演回数は年間100回を超える。

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「全ての人が幸せになれる仕組みづくり 」
それが、僕のライフワーク



慶應義塾大学理工学部卒業後、日本IBM入社。1991年、株式会社フレックスファームを創業。2004年に全株式を売却し、2005年には新たに、ソーシャルメディアのビジネス活用に関する企業向けコンサルティングを手がける株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、「人ありき」の企業経営をモットーとし、「全ての人が幸せになるような仕組みづくり」を目指されています。『ソーシャルシフト―これからの企業にとって一番大切なこと』、『BEソーシャル!―社員と顧客に愛される5つのシフト』などの著書をはじめとする執筆活動のほか、年100回ほどの講演をこなすというバイタリティ溢れる斉藤徹さんに、幼少時代や読書体験、哲学などをお聞きしました。

暗黙知に最短でアクセス


――株式会社ループス・コミュニケーションズのミッションとして「Socialmedia Dynamics」を掲げられていますね。その創業者であり経営者である斉藤さんの取り組みをお聞かせ下さい。


斉藤徹氏: 前の会社を2004年に株式売却し、この会社を作ったのが2005年の7月。その間の1年ほどフリーでやっていた時に着目したのが、ソーシャル・ネットワークのムーブメントだったんです。当時、マレーシアのクアラルンプールに本拠地を置くソーシャルゲームサイトFriendsterが会員を集め始めて、数百万の規模になっており、その勢いと仕組みを見て、これはインターネットに新しいムーブメントを起こすのではないかと感じました。それまでインターネットは、比較的無機質な情報提供の場でしたが、ソーシャル・ネットワークには、人間的なつながり、共感、信頼、といった人間性を感じたんです。先進的な人たちは、当時Friendsterを「新しいGoogle」と言っていましたので、それにも非常に興味がありました。私の憧れでもあるGoogleは、世界中のデータを集約し、人類のために分かりやすい形で提供するというミッションを持った会社です。彼らは本をスキャンしたり世界中の写真を撮ったりして、全てのものをデータ化しようとしていますが、そうした形式知は、実は知識の中では5%ほどでしかなく、残り95%の知識は人の頭の中にあるんです。

――割合でいえば、頭の中の知識がほとんどなのですね。


斉藤徹氏: いわゆる暗黙知です。考え方やプロセス、経験値、その中でも特に「最新のもの」と「生のもの」は常に人の頭の中にありますので、それに関してはスキャンも、データ化もできないんです。暗黙知に最短でアクセスできるのがソーシャル・ネットワークなのではないかというのが、「新しいGoogle」と呼ばれた所以です。僕としてはソーシャル・ネットワークに興味を持ち、さらに、知識は企業にとって最も重要な経営資源ですから、この2つを関連づければビジネスに活用できると着目しました。当時は、FacebookもTwitterもなかった時代でしたが、ソーシャル・ネットワークを社内で使えるようなソフト(エンジン)を開発し、それを提供する会社を始めたんです。

――企業内の、コミュニティ構築のためのソフトといった感じですか?


斉藤徹氏: 今までの、グループウェアやメールに代わる代替手段としてソーシャル・ネットワークを企業の中に入れて、内部の交流を深める。企業だけではなく、ブランドコミュニティといわれるお客様のコミュニティなども作れます。そういった、完全にオープンではなく、閉じられたソーシャル・ネットワークを提供すのがループスSNSです。でも、実はソーシャル・ネットワークがGoogleに代替するほどのインパクトのあるものになるとは、思ってもいませんでした(笑)。

「人ありき」が原点


――幼少期はどのようなお子さんでしたか?


斉藤徹氏: 落ち着きのない子だと、よく言われていました。常にいたずらの材料を探していて、人を困らせたり驚かせたりするのが大好きないたずらっ子でした(笑)。

――読書はお好きでしたか?


斉藤徹氏: 25歳ぐらいまではほとんど読んでおらず、26歳頃から突然読み始めたんです。大学卒業後、IBMに入社し、24歳で結婚して25歳で子供ができて、だんだんと社会人としての自覚ができてきたという感じでした。IBMの中で、僕は最初の頃はあまり評価されてなかったんです。最初に配属されたところが外国人ばかりの部署で、会議も英語で本当に辛かったのですが、ある時、大きな組織異動があって、その時に「今度は頑張ろう」と決意しました。勉強もかなりしたし、リーダー的な立場にもなって、仕事が楽しくなってきた。チャレンジ精神が旺盛でしたから、自分の経験だけでなく先人の知恵を学びたいと思い、何冊か本を読み始めていくうちに、本の魅力に取りつかれたわけです。

――最初に手にしたのは、どのような本でしたか?


斉藤徹氏: 1つは『竜馬がゆく』。しょんべんたれだった龍馬が、自分の生きたいように生きながら日本を変え、30歳くらいで死ぬまでに大きく成長していく姿に非常に憧れました。会社創業の背中を押してくれたのも『竜馬がゆく』でしたし、僕の成功哲学でもありました。20代の頃は「大志を持って何かやろう!」という時でしたので、そういう本に刺激を受けました。

――独立する時のお気持ちは、どのような感じでしたか?


斉藤徹氏: 僕はリスクに疎いので、あまり不安は感じませんでした。当時は結構優秀な技術者でしたので、土日はIBM以外の仕事をしていたんです。1990年頃は、バブルの中でコンピューター業界では「第3次オンライン」という銀行のシステム開発の波がきていたので、仕事は山ほどあったのもあり、独立への不安や怖さは全くありませんでした。妻にも母にも言わないで独立したので、ビックリされました(笑)。子供2人と妻と高知県の桂浜に坂本龍馬像を見に行って、最終的に創業の決心を固めました。

――大学は慶應義塾大学ですが、理工学部に進まれたきっかけをお聞かせ下さい。

斉藤徹氏: 大学に関しては、あまり考えていなかったというか、東大と早稲田と慶應、3校受けて受かったのが慶應だったという感じでした。理系にというのは、母が看護婦で僕をどうしても医学系の道に行かせたかったというのが影響しているかもしれません。

僕は、本を読み始めた25歳ぐらいまでは、志があったわけでもなく、とにかく自由主義者でした。吉田拓郎からすごく影響を受けて、「人に迷惑をかけなければ、自由に生きていいじゃないですか」という考え方が根っこまで染み付いている。中村雅俊主演のドラマ「俺たちの旅」にも影響を受けました。ドラマの中で「なんとかする会社」をカースケが立ち上げましたが、友達と一緒に、その日を楽しく生きていく、という終身雇用とは正反対の発想に、すごく衝撃を受けて、憧れました。毎晩仲間と飲んでは「なんとかする会社を作ろう」と言っていたのですが、わが社の副社長もその時の仲間の1人です。結局そこが僕の原点なので、今のループスにも、そういった匂いがある。ゲマインシャフト(共同体組織)とゲゼルシャフト(機能体組織)といって、ゲマインシャフトは、構成員一人ひとりのために存在する組織。ゲゼルシャフトは目的がある機能体組織で、組織自体に目的があり、その目的を実現するために人材やその他の資源を集める、といったように「人ありき」か「目的ありき」かの違いなのですが、僕は、「人ありき」なんです。前の会社もループスも、目指しているものは同じです。

著書一覧『 斉藤徹

この著者のタグ: 『チャレンジ』 『コンピュータ』 『ソーシャルメディア』 『独立』 『SNS』 『アート』

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