「全ての人が幸せになれる仕組みづくり 」
それが、僕のライフワーク
慶應義塾大学理工学部卒業後、日本IBM入社。1991年、株式会社フレックスファームを創業。2004年に全株式を売却し、2005年には新たに、ソーシャルメディアのビジネス活用に関する企業向けコンサルティングを手がける株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、「人ありき」の企業経営をモットーとし、「全ての人が幸せになるような仕組みづくり」を目指されています。『ソーシャルシフト―これからの企業にとって一番大切なこと』、『BEソーシャル!―社員と顧客に愛される5つのシフト』などの著書をはじめとする執筆活動のほか、年100回ほどの講演をこなすというバイタリティ溢れる斉藤徹さんに、幼少時代や読書体験、哲学などをお聞きしました。
暗黙知に最短でアクセス
――株式会社ループス・コミュニケーションズのミッションとして「Socialmedia Dynamics」を掲げられていますね。その創業者であり経営者である斉藤さんの取り組みをお聞かせ下さい。
斉藤徹氏: 前の会社を2004年に株式売却し、この会社を作ったのが2005年の7月。その間の1年ほどフリーでやっていた時に着目したのが、ソーシャル・ネットワークのムーブメントだったんです。当時、マレーシアのクアラルンプールに本拠地を置くソーシャルゲームサイトFriendsterが会員を集め始めて、数百万の規模になっており、その勢いと仕組みを見て、これはインターネットに新しいムーブメントを起こすのではないかと感じました。それまでインターネットは、比較的無機質な情報提供の場でしたが、ソーシャル・ネットワークには、人間的なつながり、共感、信頼、といった人間性を感じたんです。先進的な人たちは、当時Friendsterを「新しいGoogle」と言っていましたので、それにも非常に興味がありました。私の憧れでもあるGoogleは、世界中のデータを集約し、人類のために分かりやすい形で提供するというミッションを持った会社です。彼らは本をスキャンしたり世界中の写真を撮ったりして、全てのものをデータ化しようとしていますが、そうした形式知は、実は知識の中では5%ほどでしかなく、残り95%の知識は人の頭の中にあるんです。
――割合でいえば、頭の中の知識がほとんどなのですね。
斉藤徹氏: いわゆる暗黙知です。考え方やプロセス、経験値、その中でも特に「最新のもの」と「生のもの」は常に人の頭の中にありますので、それに関してはスキャンも、データ化もできないんです。暗黙知に最短でアクセスできるのがソーシャル・ネットワークなのではないかというのが、「新しいGoogle」と呼ばれた所以です。僕としてはソーシャル・ネットワークに興味を持ち、さらに、知識は企業にとって最も重要な経営資源ですから、この2つを関連づければビジネスに活用できると着目しました。当時は、FacebookもTwitterもなかった時代でしたが、ソーシャル・ネットワークを社内で使えるようなソフト(エンジン)を開発し、それを提供する会社を始めたんです。
――企業内の、コミュニティ構築のためのソフトといった感じですか?
斉藤徹氏: 今までの、グループウェアやメールに代わる代替手段としてソーシャル・ネットワークを企業の中に入れて、内部の交流を深める。企業だけではなく、ブランドコミュニティといわれるお客様のコミュニティなども作れます。そういった、完全にオープンではなく、閉じられたソーシャル・ネットワークを提供すのがループスSNSです。でも、実はソーシャル・ネットワークがGoogleに代替するほどのインパクトのあるものになるとは、思ってもいませんでした(笑)。
「人ありき」が原点
――幼少期はどのようなお子さんでしたか?
斉藤徹氏: 落ち着きのない子だと、よく言われていました。常にいたずらの材料を探していて、人を困らせたり驚かせたりするのが大好きないたずらっ子でした(笑)。
――読書はお好きでしたか?
斉藤徹氏: 25歳ぐらいまではほとんど読んでおらず、26歳頃から突然読み始めたんです。大学卒業後、IBMに入社し、24歳で結婚して25歳で子供ができて、だんだんと社会人としての自覚ができてきたという感じでした。IBMの中で、僕は最初の頃はあまり評価されてなかったんです。最初に配属されたところが外国人ばかりの部署で、会議も英語で本当に辛かったのですが、ある時、大きな組織異動があって、その時に「今度は頑張ろう」と決意しました。勉強もかなりしたし、リーダー的な立場にもなって、仕事が楽しくなってきた。チャレンジ精神が旺盛でしたから、自分の経験だけでなく先人の知恵を学びたいと思い、何冊か本を読み始めていくうちに、本の魅力に取りつかれたわけです。
――最初に手にしたのは、どのような本でしたか?
斉藤徹氏: 1つは『竜馬がゆく』。しょんべんたれだった龍馬が、自分の生きたいように生きながら日本を変え、30歳くらいで死ぬまでに大きく成長していく姿に非常に憧れました。会社創業の背中を押してくれたのも『竜馬がゆく』でしたし、僕の成功哲学でもありました。20代の頃は「大志を持って何かやろう!」という時でしたので、そういう本に刺激を受けました。
――独立する時のお気持ちは、どのような感じでしたか?
斉藤徹氏: 僕はリスクに疎いので、あまり不安は感じませんでした。当時は結構優秀な技術者でしたので、土日はIBM以外の仕事をしていたんです。1990年頃は、バブルの中でコンピューター業界では「第3次オンライン」という銀行のシステム開発の波がきていたので、仕事は山ほどあったのもあり、独立への不安や怖さは全くありませんでした。妻にも母にも言わないで独立したので、ビックリされました(笑)。子供2人と妻と高知県の桂浜に坂本龍馬像を見に行って、最終的に創業の決心を固めました。
――大学は慶應義塾大学ですが、理工学部に進まれたきっかけをお聞かせ下さい。
斉藤徹氏: 大学に関しては、あまり考えていなかったというか、東大と早稲田と慶應、3校受けて受かったのが慶應だったという感じでした。理系にというのは、母が看護婦で僕をどうしても医学系の道に行かせたかったというのが影響しているかもしれません。
僕は、本を読み始めた25歳ぐらいまでは、志があったわけでもなく、とにかく自由主義者でした。吉田拓郎からすごく影響を受けて、「人に迷惑をかけなければ、自由に生きていいじゃないですか」という考え方が根っこまで染み付いている。中村雅俊主演のドラマ「俺たちの旅」にも影響を受けました。ドラマの中で「なんとかする会社」をカースケが立ち上げましたが、友達と一緒に、その日を楽しく生きていく、という終身雇用とは正反対の発想に、すごく衝撃を受けて、憧れました。毎晩仲間と飲んでは「なんとかする会社を作ろう」と言っていたのですが、わが社の副社長もその時の仲間の1人です。結局そこが僕の原点なので、今のループスにも、そういった匂いがある。ゲマインシャフト(共同体組織)とゲゼルシャフト(機能体組織)といって、ゲマインシャフトは、構成員一人ひとりのために存在する組織。ゲゼルシャフトは目的がある機能体組織で、組織自体に目的があり、その目的を実現するために人材やその他の資源を集める、といったように「人ありき」か「目的ありき」かの違いなのですが、僕は、「人ありき」なんです。前の会社もループスも、目指しているものは同じです。
危機は最高の人生経験
――会社経営で大切にしていることは、何でしょうか?
斉藤徹氏: 一度、会社倒産の危機に直面してからかもしれませんが、僕は「好きこそものの上手なれ」を大切にしていて「好きなエリアでオンリーワンになるのがいい」と社員に促しています。得意分野をブログやソーシャルメディアを使って発信していくと、会社が押しつけたり、教育したりしなくても、社員は自発的にそのエリアの勉強をし始める。勉強は、インプットするだけではなく、インプットしたものをアウトプットして、それに対して反応がくると、どんどん成長するのです。個々の社員が自分の好きなエリアで専門性を持ち、プロフェッショナルとしての自覚を持つことが、会社の力になっていくんです。多くの会社はゲゼルシャフトだから、目的に向けて社員が外に向かないよう、個人の顔は出さないようにして、会社として1つの方向にまとめようとする。ループスはそれとは正反対で、会社内部ではなくお客さんの方を見て、自分が興味を持つエリアの人たちを見る、という発想。企業哲学・価値観は共有し、信頼関係を持ちながら、みんなが内側ではなく外側を向くような組織が僕の理想で、そういう組織になってくると成長の度合いが全く違ってくると思います。
――危機を乗り越える時に大事だと感じておられるものはありますか?
斉藤徹氏: 危機は最高の人生経験。神様がその人が解ける範囲内で最高の知恵を絞ったパズル、つまり「神のパズル」だと思っています。チャレンジングであればあるほどそのパズルは複雑で解くのが大変なんですが、でも必ずそこには光があるはずなのです。でも、お金を目的にしたりすると、あるはずの光がなかったりもします。人間の究極善は「人の幸せ」ですから、「幸せ」を考えると、必ずそこに解があります。ですから、お金や名誉ではなく、「本当に自分の求めていたものは何だろう」ということに気付くことが大切なんです。いずれにしても、「失敗」という経験をどう考えるかが重要です。どのようなことでも相関関係ですから、「自分のせいでこうなった」と思うか、「人のせいでこうなった」と思うか、人間はその2つに分かれます。自責を感じる人は、失敗から成功よりはるかに大きな大切なものを得られますが、他責にする人は何もそこから得られず、不信感に陥ってしまい、「人を信じるのはやめよう」、「信じるのはお金とペットだけ」という風になってしまうわけですが、それでは不幸せですよね。
――まず自責を問うところから始めるということですね。
斉藤徹氏: 僕は自分をコントロールできる範囲というのを、とても大切にしています。自分との闘いもそうですが、自分をコントロールできるエリアに集中することが非常に重要です。自分で決断して、失敗したわけですから、何かあった時に他の人のせいなどとはあまり思いませんし、そういう風に思わないと幸せになれないんです。自分でコントロールできないことをどうにかしようと思ったら、どんどん不幸せになっていくだけです。
机上の空論は嫌い
――昔からそういった行動基準だったのですか?
斉藤徹氏: イメージとして描くようになったのは、本を読むようになってからです。いわゆる経営指南の類が多かったかもしれませんが、本を一番多く読んだのは30代の頃でした。組織論やリーダーシップ論などを何百冊と読みました。辛い時期もありましたので、本を読むわずかな時間が、僕にとっての生きている証しといった感じがしていたんです。しかも、経営者としてすぐに実行することができたので、本から得た知識を、生の世界、社会を学んで自分のものにするということを繰り返してきました。
――読むだけではなく、解を得るための実践ができたことが大きな強みとなっているのでしょうか?
斉藤徹氏: 僕は、机上の空論は嫌いなんです。西洋の本だと『7つの習慣』や『人を動かす』の2冊に大きく影響を受けました。論理的な展開が素晴らしいと思います。
――そうした本は、ご自身が書く時にも影響を与えていると思いますか?
斉藤徹氏: 現実的に『7つの習慣』の「インサイド・アウト」という考え方を、僕は著書の『BEソーシャル!』の基本としています。『7つの習慣』で個人に対して言っていたことを、僕は企業に当てはめたのです。素晴らしいものを作ろうと思えば思うほどスランプに陥ってしまって、この「インサイド・アウト」の考え方に至るまでは、悶々としていたこともありました。特に論理構成の部分の「自分の言いたいこと」を、どう論理的にまとめるかということでずいぶん悩みましたが、家にあった本を全て読んで、『7つの習慣』を読んだ時に「これだ」と閃いたんです。
本はアート
――電子書籍について、書き手として思うことはありますか?
斉藤徹氏: 媒体が何かという点は、僕は全く意識していません。電子書籍の方が検索性があるので便利かなとも思ったりもしますし、実際の本は本で、昔のレコードのジャケットのような、アート感があるから、「物を作る」楽しさがある。ただ、書いているメッセージ自体は同じなので、「電子書籍だから」、「本だから」という思いは、特にありません。
『ソーシャルシフト』を書く前までは、自分の単著というのがそれほど多くなかったこともあって、あまり気にしていませんでした。それまでは本を書くのは「作業」だったので、10万文字も書くのは結構つらかったんです。でも、『ソーシャルシフト』を書いた時は、中身も、ブックカバーも、タイトルに関しても、仕事ではなくてアートを作ろうと思いました。そう思うようになったら、本を作ることが突然楽しくなってきた(笑)。
――書く時はどのような感じなのですか?
斉藤徹氏: 僕の場合、非常にありがたいことに自己実現に近いようなところで本を書かせてもらっていますので、苦しみである反面、筆が乗っている時は本当に楽しいです。集中して書くことができる時間はせいぜい1時間半ぐらいなので、頭が疲れると30分から1時間ほど寝る。そうして頭をクリアにして、また書く。「書いて、寝て、食べて」という感じです。僕はサイクリックに生きてないので、海外に出張に行っても全く時差ボケしないし、「何時になったら寝なくちゃいけない」というような感覚があまりない。頭が疲れたら寝るといった感じで、よく昼寝をします。
――執筆に対する思い、テーマは?
斉藤徹氏: 今はアートを作ろうということに重点を置いています。それと『ソーシャルシフト』を書いていく過程で、「人間にとって本当に大切なこと」に自分自身で気が付き始めました。『ソーシャルシフト』を書きながら、逆に『ソーシャルシフト』から自分自身が学んだのかもしれない。自分の今までの思いや生き方も含めて書くので、50歳になって初めて「これがライフワークかな」と思い始めました。その時々で、会社としてのビジョンは出していますが、それはあくまで会社のビジョンであって、個人のライフワークではありませんでした。
ビジネスは、多くの人にとって一番ストレスを感じることでもあり、人によっては人生の大半の時間を費やすことにもなりますから、ビジネスの部分でみんなが幸せになっていけたら素敵じゃないかなと思いはじめました。そのような思いで「ソーシャルシフトの会」を作って、今もう会員が5000人ほどになっています。単にアートができただけではなく、そのアートをコアとしてコミュニティができたのです。ループスは、僕にとって一番大切なコアとなるコミュニティですが、その外にソーシャルシフトの会というコミュニティができました。ですが、バラバラの夢を持っているけれど、根っこは、「みんなが幸せになるような世の中を作りたい」という思いでつながる、いわば同志の集まり。その僕の思いが本に伝わり、その本がコミュニティを作ってくれている感じがします。
自分の知らない知恵を授けてほしい
――出版社、編集者の理想像はありますか?
斉藤徹氏: 僕は本をアートだと思っていますから、同じくアートだと考えてもらうことが必要です。僕と同じ意見というわけではなく、プロフェッショナルで、僕の知らない多くのノウハウを持たれていて、同じアートを真摯に作ってくれる方。そういう編集者が僕の理想かもしれません。
――今までの編集者で「この人は良かった」という方はいますか?
斉藤徹氏: 最初の『SNSビジネスガイド』は、10人ぐらいの著者で出版したものですが、その編集者はすごかったです。原稿が真っ赤になって返ってきました。著者も十人十色なので、みんなバラバラなことを言うわけですが、それぞれに「ここはこうした方がいい」、「ここはこうして」と色々なコメントを入れて返してくるのです。そこまで突っ込んで、あれだけ情熱を込めて真っ赤な原稿が返ってきたのを見て、すごいなと思いました。
今お願いしている編集者さんがすごい腕利きなんですが、最初に書いたものは「これでは、読者はあまり読まないと思いますよ」と言われました。半分くらいまで書いていた原稿をお蔵入りにして、新たに今、自伝を書いているんです。今まではクラウドソーシング的な集合知の方がいいだろうと思っていましたが、個人の知恵と集合知と比べてみたいと思ったので、今回はソーシャルシフトの会に出さないつもりです。この自伝では、その腕利きの編集者とがっぷり組んでやろうと思っています。
――新しい試み、挑戦のように感じます。
斉藤徹氏: 僕にとっては新しい試みなので、編集者から意見をもらえるとすごくうれしいです。逆に「素晴らしいですね、何にも言うことないです」というようなこと言われると困るというか、編集者には、僕の知らない知恵を授けてほしいと思っているのです。
「解」は自分の中に
――今後の展望、抱負をお聞かせください。
斉藤徹氏: 僕にはライフワークも、仲間もできたので、これからもそれを深めて無理のない形で広げていきたいと思っています。
僕は日本がとても好きです。今は、日本が本来持っている素晴らしさを、日本人が取り戻すプロセスにあると思っています。昔の日本が全ていいというわけではなく、新たな素晴らしい日本になるための一助になりたいので、そのための仲間を増やしていきたい。センターやリーダーとして何かをやるというのではなく、それぞれの会が自律的に動いていけるようにしていきたいんです。無理をして拡大をしようとすると、結果的に多くの人を不幸にしてしまいますし、クオリティの低いものになってしまったり、本来あるべきじゃないところにいってしまったりすることもあります。ですから、焦らず地道に、『ソーシャルシフト』で書いたようなことを広げていきたいです。
――誰もが自分の内にある「解」を見つけられるようになれば、幸せな人が増えますか?
斉藤徹氏: 「この人の言うことは間違いない」「この本に書いてあることは間違いない」というようなこともよく聞きますが、絶対にそんなことはありません。誰かが僕にアドバイスしてくれるとしても、それは限られた時間の中で、僕のことを考えてお話ししてくださるだけなんです。それに比べて自分は、24時間絶えることなく、誰よりも一生懸命自分のことを考えているんです。絶対に自分の中に「解」はあるし、自分以上に自分のことを真剣に考えてくれる人は世の中にはいないんです。傾聴もとても大切なことですが、何かを盲目的に信じることは非常に危険です。ですから、人の意見はあくまで「意見」として受け取って、自分が最終的に判断をして進んでいくことがとても大切だと思います。「解」は常に自分の中にある、ということをぜひ知ってほしいと僕は思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 斉藤徹 』