母の一言で、出版の世界へ
――金子さんは出版社で編集者として活動されていましたが、出版社に就職されたきっかけをお聞かせください。
金子由紀子氏: 子どもの時から本に関わる仕事をしたいなとは、なんとなく思っていたのですが、大学4年の秋位ぐらいまで「なんでもいいや」と思って就職活動をせずにだらだらしていたんです。別にフリーターでも食えるという甘い考えでいたんですが、母親に就職するように言われて、休みが多そうなところばかりを受けてみたら、売り手市場でしたから受かったわけなのですが、今度は母親に「本当にそれで良いの?」と言われました。親というのは、9割方間違っていることしか言わないような気もしますが、後の1割がすごく正しいのです。私がそこに就職したら絶対に続かないだろうと見抜いていたんです。それで、やっぱり子どもの時からやりたかった方に進んでようと思って出版社を受けたんです。
――出版社への就職活動はいかがでしたか?
金子由紀子氏: 色々と落ちたりしましたが、採ってくれた会社がありました。それは当時が売り手市場だったからで、今ならば無理だったかもしれません。私たちの頃は、会社が即戦力を採るのではなく、見習いとして採るという傾向がまだあった。今は小さい会社がコストをかけて人を作るなんてことは考えられませんが、まだその当時は、先輩について仕事を覚えるというやり方で、新入社員を育てくれた時代でした。神保町に行ったり、著者の先生のところに連れて行ってもらって、色々と話を伺ったりなどしました。
同じ悩みを持つ人に向けて書く
――独立されてからは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
金子由紀子氏: 本の編集をしていましたが、書籍だとまとまったお金が入るのが後になるから、ライターで地道に稼いで、命をつないできた結果が今です。ライターとして、生活が成り立つようになるまではバイトもやっていました。私は早起きが得意だったので、朝5時から10時まで現像所でバイトをして、午後は出版関係の仕事を自分でやって、夕方からは日本料理屋で皿を洗ったりしました。朝と夜のバイトで家賃と光熱費を払うという算段だったんです。
――本の企画を持ち込んだりされましたか?
金子由紀子氏: 出版社に持ち込みもしましたが、全然だめで、最初に企画が通ったのは、ウェブでした。当時ウェブは稼げるところではなかったんですが、自分がやりたいことを表現する場をもらえたということが、すごくうれしかったです。
――文章を書かれる時に、使命感のようなことは感じられていますか?
金子由紀子氏: 使命という風には考えていません。他の人も大体同じようなこと考えていると思うし、大して変わったことを言っているわけではありません。ただ、読んで何かを感じてくれる人がいるのならば、それは需要があるということなのです。自分がやりたいことをやって、そこに需要があれば、それが使命なのかもしれません。私と同じように悩んでいる人がいるかと思って書いたら、案の定悩んでいる人がいた結果、書くことで生活できている。だから、私と同じような人のため、自分のために書いています。
――読者の方から、反響、感想などをお聞きになることはありますか?
金子由紀子氏: ウェブだとダイレクトに返って来るので、怖いと同時にすごく面白いです。著書の感想も、ウェブで直に送っていただいていますが、出版の世界では絶対にないことです。たまに、出版社が書籍にはさみこんだはがきを書いてくださる方もいらっしゃいますが、はがきだとタイムラグもあります。作家の方も「立ち読みして、置いて出ていった人なら見たことある」と、皆言いますが(笑)、自分の本を本屋さんで買って行く人は、あまり見たことはないと思うんです。その位、自分の本への反応を知るのはすごく大変なことなので、ウェブはその点はすごいなと思います。
著書一覧『 金子由紀子 』