電子書籍で、自分だけのアンソロジーを
――金子さんは電子書籍を利用されていますか?
金子由紀子氏: まだ利用はしていませんが、ウェブ上でデータになった物を読むことはあるので、それは電子書籍の一形態とは言えるかもしれません。Kindleを買おうか、どうしようかと色々と悩みながら、まだ買っていない感じです。
――金子さんのご著書が裁断されて、電子化されて読まれることには抵抗はありますか?
金子由紀子氏: 特にないです。私は編集者時代に、ビジネス書の編集をやっていましたが、ビジネス書は、調べたいジャンルのことを3冊読んで、そのうちの1行だけに感銘を受けることがあるわけです。後は、あまり自分には関係ないので、3冊も無駄に読んだとも思うんですが、逆に言うと全部読まないとその1行の意味はないのです。小説や詩とは違って、ビジネス書は自分の人生にすぐに活かしたいことを読むわけなので、いつまでも抱えていたいという物ではなく、読んだらさよならして、1行だけをずっと大事に持って行くという読み方になります。そういう本に抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては仕事の対象だったので、本を捨てて電子化することには全く抵抗がないんです。
――現在は電子書籍をお使いになられていないそうですが、こういった物があればすぐに使いたい、という物はありますか?
金子由紀子氏: 人文書やビジネス書など、利用価値の高いコンテンツが、紙と電子と同時に発売されるという前提があれば、両方買うと思います。理想は、紙の本に例えばプラス200円、300円でURLやQRコードが付いて、データも同時にダウンロードできるような物です。近い感じのことをおやりになった版元さんもあるというのは聞いています。
――紙とは異なる電子データの使い道としては、どのような可能性があるでしょうか?
金子由紀子氏: 私は人文系、社会学系の本で、翻訳書だと文章のつながりが分からなかったりするので、線を引きながらじゃないと読めないんです。これを電子書籍上で、自分で編集できたらどんなに分かりやすい本になるだろうといつも思います。例えばマイケル・サンデル教授の本を読むうちに、自分にとってのサンデル教授の本が出来ていく。小説は侵しがたい領域ですからまったく別ですが、私の本のような内容の物でしたら、その方にとって必要なところだけを切り張りして、本を作っていただく。今は、みんなそれを心の中でやっているわけです。さらに、それを紙にプリントアウトして、自分の好きな装丁で、自分の好きなバージョンの本を作るなど、そういうサービスもやっていただけるところがあれば最高だなと思います。例えば、お子さんの就職の記念に、素敵な装丁の本を作るとか、ブックデザインや写真の職人仕事と融合すると、自分だけのアンソロジーのような、宝石のような本になるんじゃないかなと思います。読者が直接その本の中に入り込んで本の中身を変えることに関しては、著者のあずかり知れぬところなので、どんどんやっていただいても良いと思うんです。ただ、それと同時に、著者の権利も守られるような形で活かしていかなければならない。著者の「書く」ということを尊重した上で、「読む」ということも同時に尊重する方向に電子書籍を活かしていければいい。だから、紙もあってデータもあって、相互補完関係だと思います。
全ての本が電子化されて欲しい
――ものを持たない生活という観点からも、電子書籍には可能性があるのではないでしょうか?
金子由紀子氏: 私が書いているジャンルで言いますと、本は重くてかさばるし、非常に邪魔になります。本当に取っておきたい1冊以外はなるべく外に出したいんですが、資料としては残しておかなければならないものも多く、本をいっぱい抱え込んでしまっています。初版と言うか、本の形では国会図書館のようなところで、きちんと宝物のように取っておきつつ、データにもしておけば永遠になくならないわけです。もし、古代エジプトにこの技術があったら壁画などが読み放題です(笑)。いつでも取り出せるという意味では、紙の本よりもデータの方が取り出せるし、今だったらクラウドでいくらでも出来ます。
――紙で持っておきたい本というのもあるのではないでしょうか?
金子由紀子氏: 絵本や小説など、本当にその本の世界が本の形も含めて好きという物を取っておくということはすごく良いことで、そういう本とたくさん出会えた人は幸せだろうなと思っています。ただ、時々思うんですが、たくさん本を持っていることと知性は別物だと思っています。呉智英先生が昔「本をいっぱい並べて『俺は知識人だ』みたいに思っているやつは片腹痛い」ということを書かれていて、それを読んだ当時、私は学生でしたが、目からうろこが落ちました。本は必ずしも、後生大事に取っておくものではない。読んだ本を持っていることに安心してしまっては意味がないんですね。
時々、年上の作家さんに「ものをやたら捨てると、自分に返ってくるから、やっぱり持ってなければだめだ」と言われることもあります。確かにそれはそうなのですが、そういう先生はすごく立派なお宅に住んでいて、「図書室を作った」などとおっしゃっているので、私にはそれは無理だし、出来たところで探し出す自信がありません。私たちのような普通の大きさの家に住んでいる人だったら、紙の本は他の方にお任せして、自分はデータでその本といつまでも切れないようにしていく方がいいのではないかと思います。そういう意味では全ての本が電子化されて欲しいと思います。
――電子書籍はコンテンツ不足との指摘もありますが、どのような本が増えて欲しいと思われますか?
金子由紀子氏: 私はできるだけ本は新刊で買うようにしていますが、どうしても手に入らない物があるので、そういう本は古本屋さんに助けられています。それでも埋もれてしまって絶版になってしまった本があるのが悲しいことです。復刊ドットコムでリクエストして、復刊されて買った本も何冊かあります。だから、電子書籍で絶版本をもう1回作るということには期待をしてます。紙で出版してもペイしないようなものであっても、ちょっとずつ買ってもらうことで出来るのかもしれない。
異質なものが触れ合って1冊の本になる
――本の書き手、作り手として電子書籍をどのようにご覧になっていますか?
金子由紀子氏: 技術的には、誰でも本が出せるような状況にあるわけなので、リスクを負わずに自分が好きなことを書いて、世に問うことが出来る。それは素晴らしいことですが「タイトルで買ったけど、なんだこれは」というものも絶対あるわけです。自分が編集者だったから言うわけではありませんが、自分が著者として編集者のお世話になって、はっきりと思うようになったのは、編集者がいなくて本は出せないということです。これは、電子でも同じで、著者が全部やるのは絶対に無理なんです。例えば、オーケストラのファーストバイオリンだけで全部のパートを弾いたら、オーケストラにならない。異質なものがあって、雑味があってそれが合わさった時に初めて、人を感動させるものが出来ます。いろんな価値観と触れ合って、上手くいかないこともありますが、でもそうやって出来たものは素晴らしいんです。著者1人の思い込みで書いたものは、すごく読みにくいし、美しくないという風に私は思います。
――編集者は金子さんにとってどのような存在ですか?
金子由紀子氏: もう1人の著者と言っても良いくらい大きな存在です。編集者がいないと印刷物にはなるけど、本にはならないと思います。それは「音」と「音楽」が違うのと同じです。相容れないものとも触れ合って、お互いにたたき合いながら出てきたものに初めて価値が生まれる。日本刀もたたいて、たたいて出来るわけで、きれいな型にはめて作っただけでは切れない。こんな良い小説が書けた、アップロードして皆に読んでもらおうというのもあるのかもしれませんが、なかなか難しいのではないでしょうか。ですから、すごい編集者がどんどん育って欲しいと思います。その編集者はどこから育つかと言うと、読者の中から育っていくのです。最近、編集者でも本を読んでない人がいるので、話を聞くと驚きます。頭は良いのだと思うんですが、それと本を作ることは違うと思います。
――たくさんの人の手が入って作りこんだ本が、1000円程度で買えるのであれば、安いものですよね。
金子由紀子氏: 中野重治が詩の中で、「本がいかに安いか」ということを書いています。本は高いと思われるかもしれませんが、誰かが読んで、さらにその家族や友達が読んで、その本から受けた影響が、ほかの人の人生の中で展開するかもしれないわけなので、それでこの値段は安いと私は思います。
――最後に、書き手として今後の展望をお聞かせください。
金子由紀子氏: 今、皆が生き辛い状況にありますので、今後は、読んだ人が少し楽になるようなものを書ければ良いかなと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
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