生物学から、文科系に関心が移っていった
――学問的には、どのような興味を持たれていましたか?
戸田山和久氏: 僕は、現在は筑波大付属になっている東京教育大付属駒場中学・高校で、生物部にいたのですが、そこでは良い先生に恵まれて、色々な実験をしていました。生徒が考えて「こういうのどうですか」と先生に提案したら、設備を整えてくれたり、薬品を買ってくたりして、その後は任せられたので、自由にできました。
――いわゆる「理系」への興味が強くなっていったんですね。
戸田山和久氏: そうですね。ただ、僕が行っていた中学高校は、あまり理系と文系を分けなかったし、両方好きな人が周りにもたくさんいました。それぞれ自分の得意技のようなのを持っていて、友達に刺激を受けたりして、「あいつがあんなの読んでいるんだから俺も読もう」などとちょっと背伸びして、皆でやりあう感じでした。
――東大ではどのような分野を専攻されたのでしょうか?
戸田山和久氏: ちょうど分子生物学がはやり始めていて、これは面白そうだと思ったので、理Ⅱに行って、初めは生物学をやりたかったんですが、留年したんです。理由の1つは、やりたかった生物学の色々な研究室を見学に行くと、あまり面白くなさそうだったことでした。今思うと浅はかですが、実験系の研究室は軍隊の様な印象を受け、自分がやりたいことの前に、研究室のテーマがあるから、それをちゃんとやらなければいけないという感じで、その集団主義的な感じがいやだなと思ってしまったのです。あとは、2年間くらい実験をやる中で、自分がそれ程実験が上手じゃないということも段々分かってきて、好きでもないんじゃないかなどと思うようにもなって、熱が冷めたのが半分。当時、駒場には、色々なことを広く勉強しなさいというところがあって、ゼミナールが色々と受けられたんです。その授業は取らなくてもいいのですが、ゼミを色々と受ける中で、それまであまり面白いと思わなかった文科系的な研究が、面白いと思うようになったんです。
――その中に哲学もあったということでしょうか?
戸田山和久氏: 哲学のほかにも色々と関心が散らばっていました。例えば荒井献先生の聖書学。聖書というのは神様が書いた聖典というくらいの認識しかなかったんですが、例えば福音書も、それぞれ比べてみると、書いた人、編集した人の社会的な背景によって同じような出来事が少しずつ違っていたりして、聖書を科学的に読んでいくのは面白いと思いました。だけど、聖書学はヘブライ語もギリシア語もできなければいけないので、これは僕にはできないな、と思いました。そういった色々とある関心の中の1つに哲学があったのです。
学問は「不思議の探求」
戸田山和久氏: 哲学に最初に触れたのは杖下隆英先生の授業で、1年間講義があるわけですが、杖下先生は、1年間通じてずっと、「同一性」の問題ついて考えているわけです。「何かと何かが同じというのはどういうこと」といった授業を1年も話せるのかということで驚きました。普通ならば、30秒くらいしか考えられないと思いますので、これは面白いと思いました。
――もともとの科学への興味と、哲学との出会いによって科学哲学へと導かれたのですね。
戸田山和久氏: 自分が科学哲学をやっていますと言うようになったのは、割りと最近です。大学院生くらいまでは、何をやっているかと聞かれたら、分析哲学をやっていると答えていたと思います。特に論理や数学の哲学をやっていました。最初に関心を持ったのは、数とはどういう対象なのかということです。言葉の上からすると、それぞれの数に「1」や「3」などと名前がついているから、1個1個の数は対象となるので主語になるけど、述語は性質や属性に対応しているとするならば述語にはならないわけです。数は主語になりますが、明らかにコップや人という対象とは違って、目にも見えないし触ることもできません。人のアイデンティティとは違う意味で、「この数とこの数が同じ」というのは、奇妙なものです。それが知識の対象になっている不思議を感じました。例えばフェルマーの定義は数学者が発見する前から真か偽に決まっていて、後から見つけたという感じがする。そうすると、その事実は一体どこにあったんだなどと、考え出すとモヤモヤしてくるわけです。数は頭の中で作り出したものか、前からあるのか、それを厳密にやろうと思ったら面白くなって、それを大学院生の時に研究していました。
――戸田山さんにとって、学問とはどういったものでしょうか?
戸田山和久氏: 不思議の探求です。科学でも同様ですが、はじめから不思議なことが面白いというより、「よく考えてみたら不思議でしょ」というのが好きなんです。誰が見ても不思議な不思議と、筋道立てて考えてみれば不思議だねという不思議とがあって、僕は後者の方が好きなんです。
著書一覧『 戸田山和久 』