読者に「いい顔」になってもらうために書く
楠木新さんは、企業に勤務しながら執筆に取り組み、就活、人事、メンタルヘルス、サラリーマンの生き方の問題など、会社員をとりまく実情を当事者の目でつぶさに見て作品化しています。楠木さんにとって会社で働く、そして執筆するとはどういう行為なのか、そして生まれ育った神戸・新開地への想い、また、常に心にあるという「芸人」への強い憧れなどを踏まえて、お聞きしました。
人を育てる装置としての会社組織
――このたび新著を発刊されるそうですね。
楠木新氏: この10月に、大和書房さんから『会社の「仕組み」を知っている人だけが、上手くいく』という若手社員に向けて書いた本が出ました。今まではどちらかと言えば、中高年の方を対象としていましたが、それだとお互いに年をとって共倒れになってしまう(笑)。そこで今回は新たな層にターゲットを絞ってみました。
――若い人にどういったことを伝える本になるのでしょうか?
楠木新氏: 私たちの頃に比べて、今の若い人の労働環境は格段に厳しくなっています。そういう中で、すぐに起業や独立を考える人も少なくありません。しかし会社は、自分を鍛え、成長するための基礎力を養う場であり、格好の装置ではないかと思っています。特に若いうちはそうです。その装置がどういう仕組みになっているのか、どういう働き方をすればいいのか、ということを意識して書きました。
私は、現在半分はフリーランスの仕事をしています。そこでは誰も指導してくれたり、叱ってくれたりはしません。レベルに達していなければ次の仕事がこないだけなのです。それに比べると、会社では、部下や後輩を育成してくれる。また会社での仕事は、誰もができることをベースに設計されているので、若い時にまず基礎力を身につけるには打ってつけの舞台になるのです。
もちろん先輩から納得できない指示を受けたり、自分の存在を否定される言葉を投げつけられることもあるでしょう。でもそれも間違いなく社会の一コマだと思うのです。そういう中で、試行錯誤を繰り返すことが成長のための基礎力になります。
――会社を単なる働く場とは見ないということでしょうか?
楠木新氏: そうです。会社の中は、個人と会社との雇用契約だけで成り立っているのではありません。「メンバーシップ」と呼ぶべきものが存在しています。そのメンバーシップの中で仲間とどのように働いていくかという学びの場でもあるのです。若いうちに、この学びを習得しないと、40歳以降の選択肢のある働き方は見えてこないというのが実感です。まぁ、あまり堅い本ではないので、「そういう見方もあるのか」と気楽に読んでいただければと思っています。
歓楽街とサラリーマン社会
――会社やサラリーマンを描く作品を書かれていますが、ご実家は自営業だそうですね。
楠木新氏: えぇ、父は薬局を営んでいました。私は神戸の新開地という歓楽街近くの商店街で育ちました。当時は、高度成長の真っただ中で、三菱重工や川崎重工の造船所も近くて街は活況を呈していました。かつて神戸の中心地だった場所で、ダイエーを創業した中内功さんや、映画評論家の淀川長治さん、作家の横溝正史さんも新開地で育った人たちです。
当時は飲食店や映画館が軒を連ね、男性が遊ぶ場所もありましたので、遅いときは午前1時頃まで店を開けていました。近所の友達も酒屋、寿司屋、たばこ屋など、「屋」のつく家の子どもが多く、夜の9時や10時まで子供同士でよく遊んでいました。
また、当時新開地には演芸場の神戸松竹座があり、遊び人の兄ちゃんがただで僕たちに入場券をくれたので、よく通いました
きらびやかな舞台の上で、芸人さんが、漫才、コント、モノマネなどの芸を披露して満員の劇場に笑いの渦を作る。その様子を見て「こんなにお客さんを喜ばすことができるなんて凄いなぁ」と我を忘れて毎回の出し物を見ていました。私にとってそこは夢の世界でした。当時の芸人さんに対するあこがれは今も続いています。
――その神戸新開地で印象に残っているのはどういった人ですか?
楠木新氏: 商売人、職人さん、芸人さん、なかにはアウトローを気取った人もいて、個性的な人ばかりでした。薬局の店の前にあった喫茶店で「車検の時はタイヤに傷さえつけておけば、後でうまくごねれば車検代はただになるのや」などと詐欺まがいのことばかり言っているおじさんがいました。一方で彼は、事情で親がいなかった近所の兄弟に、すごく肩入れして金銭的にも支援していると母親から聞いていました。「あのおじさんは、いい人か悪い人かわからんなぁ」と子供心につぶやいたことを今でも覚えています。
一筋縄では理解できない人がたくさんいて、モノサシがいっぱいあったような気がしています。今でも、「全く正しいこと」や「間違っていないこと」は実際にはあまり役に立たないという感覚が私にはあります。もちろん会社の中は、きちんとした世界なので、自分の価値観を出さないように我慢しています(笑)。歓楽街とサラリーマン社会とのギャップがモノを書く際の一つのテーマになっています。
――会社に入って、驚いたサラリーマンのカルチャーはありますか?
楠木新氏: 入社した当初は、毎日が“ふしぎ発見”でした。
まず奇妙だと感じたのは、電話をかけたり、書類を作成するだけで、決まった日に給料がもらえることでした。お金の取り扱いを抜きにして仕事が成り立つのが不思議だったのです。実家の商売では閉店後に、毎日の売上金から仕入れに回す分のお金、食費、光熱費のお金などを封筒に入れて整理していたからです。
また各社員が、上司の指示をそのまま聞き入れて仕事をすることにも違和感がありました。私の周りにいた商店主のオッチャンたちは、例えば町内会の会長が何を言っても、自分が納得しなければ従わない人ばかりだったからです。
さらには自分の仕事が終わっても支社長が帰るまでは、上司や先輩がオフィスに残っていることも理解できませんでした。
当時の私は、社内に存在する「メンバーシップ」について、何も理解していなかったからです。会社は分業で成り立っていて、一つにまとまって初めて社会に貢献できる存在になるのだと気が付いたのは、ずいぶん後のことです。
管理職で感じた物足りなさ
――サラリーマンとしての苦悩についても書かれていますね。
楠木新氏: 苦悩と言うよりも向き不向きの問題なのでしょう。入社以来、会社の中では順調にキャリアを積み、役職にも恵まれてきました。ところが一方では、「成長する実感が得られない」「誰の役に立っているのか分からない」「このまま時を過ごしていいのだろうか」といった疑問が芽生え始めました。阪神・淡路大震災があったのは40歳の時ですが、その頃から迷い初め、47歳の時に、一旦仕事を投げ出して休職してしまいました。2年半の間出勤と休職を繰り返しました。
現場で、仲間と一緒に働くことは楽しくやれるのですが、管理機構の中で官僚的にやっていくのは苦手で、自分の性に合っていなかったのでしょう。
支社長や担当部長といった役職を外れて、仕事もヒマになると何をしていいのか分からない状態に陥りました。自分がいかに会社にぶら下がっていたかを思い知らされたのです。
――その状況を打開するきっかけはどういったことでしたか?
楠木新氏: その頃に日本工業新聞社の経済部長から独立して、ひとりで「日本一明るい経済新聞」を立ち上げた竹原信夫さんを取り上げた新聞記事を目にしました。「頑張っている中小企業を応援したい」という社会貢献の思い、迷った末に書いた辞表、見守る家族との対話。その記事の一つひとつが私の心にしみました。
「自分の求めていることのヒントがこの記事にあるのではないか」と思い、紙面の竹原さんの「いい顔」が、しばらく頭から離れませんでした。
「いい顔」の人に魅力を感じる
――その後は、どのような方にお話を聞きに行かれたのですか?
楠木新氏: 例えばNHKの記者から落語家になった人とか、鉄鋼会社の社員からそば屋を開業した人とか、市役所の職員から耳かき職人になった人とかです。中高年になってサラリーマンから転身して「いい顔」をしている人たちに話を聞きました。150人ほどになります。皆さん初めて出会った私に、自分のキャリアを真剣に語ってくれました。
彼らの話に、繰り返し自分を重ね合わせていくと一気に元気になりました。自分が取り組むべきことが明確になってきたからです。
――「いい顔」と言うのは、面白い基準ですね。
楠木新氏: なぜか昔から人の顔つきに関心がありました。顔つきは、嘘はつかないという感じでしょうか。
休職をしていた時も、周りのサラリーマンよりも、小さい頃の商店街のおっちゃん達のほうが、圧倒的に良い顔をしていたことに気づきました。人の表情が輝いたり、魅力的になるのは、他人との比較や合理的な思考を高めることから生まれるものではないのでしょう。
サラリーマン時代よりも収入は減っているのに、なぜ彼らは、「いい顔」になるのだろうといろいろ考えてきました。会社の束縛から解放されたから? 好きなことをやっているから? 人の役に立っている実感があるから? などです。今は、自らの天命と言うと大げさですが、自分の持ち味を活かしているかどうかが「いい顔」のポイントだと思っています。
将来は芸人の「生きざま」をルポしたい
――今後はどのような本を書きたいと考えていますか?
楠木新氏: 芸人さんの人物論、生きざまを書きたいと思っているんです。昔、支社長の時にも吉本興業さんのコンテストに企画案を提出したことがあります。しかし「お笑い好きなサラリーマン」くらいでは関西では書く機会を得ることはできません。競争が厳しいのです。
そこで、発信はしないが人数の多いサラリーマンの中で、つまり競争相手の少ない豊かな市場で、頭角を現してからお笑いの世界に横滑りするという作戦です。
「どんな作戦や!」と突っ込まれるかもしれませんが、50歳から書き始めたので、自分の持ち時間のことを考えると、長く取り組んだビジネスの世界から入るしか道はないのです。
本は、作り手と売り手に距離がある
――電子書籍はお使いになっていますか?
楠木新氏: 私自身にとっては非常に疎い分野です。日常はスマホも何も使っていません。携帯も持たなくていいならそれで済ませたいというIT音痴です。電子書籍は青空文庫で芥川龍之介の小説を読んだことがあるくらいです。ただ今回インタビューの話を頂いたので、大阪の印刷会社さんで本をスキャンして試しに読んでみました。
文字の大きさも調節できるので読みやすかったのですが、質量感みたいなものが足りない気がします。だからもう少し普及してからでいいかなと思っています。
――書店にはよく行かれるのですか?
楠木新氏: 会社からの帰り道にある紀伊國屋書店さんの梅田本店には、ほぼ毎日通っています。
自分の本が出版されると、どこに置かれているか、本の動きはどうだろうかと、常に見ています。執筆の際には、自分の本は、どの本とどの本の間に入るのかということを意識しながら書いています。たまに自分が書いた本の動きや購入層を書店員の方に聞くこともあります。
――書店を見ることで書き手としてどのようなことをお感じになりますか?
楠木新氏: 出版社さんと、売り手の書店員さんまでの距離が遠いなぁ、と言う感じです。企業でいうと、工場と営業の立場でしょうが、同じ商品なのに製造と販売の連携が薄いと思います。ワードで書いた私の原稿が、出版社さんでどのように書籍になって、書店の棚に置かれることになるのか、その工程をすべて知りたいという欲求があります。
――電子書籍によって本と人との関わり方は変わると思われますか?
楠木新氏: 電子書籍はほとんど読んだことがないのでよく分かりません。私の場合は、有名な人の本でなければ電子書籍は買わないでしょう。私は目指す本を買うために書店に行っても、その周辺の棚にある本を購入することが意外と多いのです。表紙や背表紙が潜在意識に突き刺さるという感じでしょうか。ですから、一般書籍と電子書籍は、コンテンツが同じでも自ずと一定の棲み分けがあるような気がします。
――今後の作品の展望などがあればお聞かせください。
楠木新氏: 組織と個人の関係や、組織での働き方の課題をずっと書いてきましたので、今後もそこに注力してやっていきます
私には、自分が何をしていいのか分からなくなった時に、サラリーマンから転身した方たちに、多くのヒントをいただき、助けてもらった経験があります。私にとっては師匠のような方々です。
落語家の師匠は、右も左も分からない内弟子に対して、三年の間、月謝も取らずに落語の稽古をつける。おまけに食事の面倒までみてお小遣いを渡すこともある。それでは一人前になった弟子は、どのようにして師匠に恩返しをするのか? 弟子は師匠と同じように弟子を取って後輩を育てることで師匠の恩に応えていくことになります。次の若い人に繋いでいくわけです。
その意味では、私はまだ何もお返しができていません。組織で働く人にとって、少しでも仕事や生活が潤うもの、ささやかでも「いい顔」になるためのヒントを書き続けるという責務を負っています。そう考えると、お笑いのことを書くのはもう少し先になりそうです。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 楠木新 』